第1話 行方不明の引き篭もり
「ところであんた達、メディカさんを見なかった?」
一樹達がようやく腹部のダメージから立ち直ってきた頃。カンナは何の脈絡もなくそんなことを聞いてきた。
「メディカさん?」
「……って、あの引き篭もりの薬師のことか?」
「そう。さっき軽く挨拶しようとしたら工房の中にいなかったのよ」
「……はぁ」
どうやら短気なお姫様は一樹を迎えに来たわけではないらしい。
メディカというのはトータス村の外れにある小さな工房の主だ。そこはカンナが働いている場所でもあり、薬草を煎じては様々な薬を作っている。
しかし肝心のメディカは普段から工房の中に引き篭もっている為、彼女の姿を目にする者は滅多にいない。それこそ、同じ村の住人でも彼女の顔を知らない者がいるほどだ。
「あの引き篭もりが工房の中にいない……ねぇ。もしかして天変地異の前触れなんじゃないか?」
「おい馬鹿。変なフラグを立てんじゃねーよ。本当に起きたらどうすんだ」
「そうよ! ここには馬鹿勇者もいないのよ!」
「な、何だよお前等。やけに必死だな……え? 馬鹿勇者?」
約一ヶ月前に起きた、イフリートという魔族の襲撃事件。
当時、ミーナと同じ場所に避難していたジャックはあの事件の真相を知らない。故にカンナが抱く勇者への評価に酷く戸惑っていた。
なにせジャックにとって勇者リュウトは命の恩人だ。身を挺して村を守り、聖剣を持ってイフリートを倒した尊敬すべき英雄である。
そんなジャックの反応を見て、一樹は改めて自分がただの脇役であり、リュウトが主人公なのだと自覚した。
もっとも、今ではここが単なるゲーム世界だとは思っていない。なぜならこの世界に転生してから十六年、モブにはモブの人生があることを一樹はその目でずっと見てきたからだ。
それに、一つ納得できない疑問がある。
もしもここが『アースヴェルト』というゲームの中だと言うのなら、一体「遠藤一樹」という名前はどこからやって来たのだろうか。
本来、勇者の案内役として登場する村人には、プレーヤーが登録した名前が付けられる。もしこの設定が生きているのだとしたら、両親が名付けたという当たり前の常識が非常に怪しいものとなってしまう。
実際、前世の記憶を取り戻すまでは物語の強制力に従っていたのだ。自分という存在が本当に両親から生まれたかどうか……正直分かったもんじゃない。
「まあとにかく! そんなわけだからジャック、暇なら一緒に探してくれない?」
「え? 一樹はいいのか?」
「やったね。じゃあ俺は一足先に――」
「何言ってるの? イッキに拒否権なんてあるわけないじゃない」
「――酷い!」
強引にこの場を取り仕切るカンナは、背を向けていた一樹の腕をがっしりと掴んで離さない。そんな彼女に対し、一樹は内心「理不尽だ!」と叫びながらメディカを探す羽目になった。
「でもどこにいるか見当も付かないんだろ? もし村の外にいたらお手上げじゃないか?」
張り切って先行しようとするカンナを引き止め、ジャックは当然の疑問を尋ねた。するとカンナも困ったように眉根を下げ、半ば心配するように村の周辺を見渡した。
「うーん。そうなんだけど……相手はメディカさんだし、そこまでの体力があるかなぁ?」
「まあ、あんだけ引き篭もってたらなぁ。運動不足っていうか、かなり衰弱してるんじゃないか?」
「ていうか運動不足ってそんなにやばいの?」
一樹の疑問には誰も答えられない。
当然だ。ここにいる全員は何かしら村の仕事に携わっており、常に体を動かす日々を送っている。運動不足とはあまりにも無縁すぎた。
「じゃあとりあえず、メディカさんを見なかったか他の人にも聞いてみるか」
「ま、それが妥当だな。勝手に動いて徒労に終わるのも嫌だし」
「イッキの場合は単に面倒なだけでしょ?」
「まあな」
一樹は適当に肩を竦ませながら歩き出す。それから三人によるメディカの捜索が始まった。
「……で、結局目撃談すら見つからなかったと。そのメディカって奴はステルス能力でも持ってんのか?」
「とりあえず村の中にはいないみたいだから、やっぱり外を出歩いているんじゃないか? ほら、今は薬草が採れる時期だし」
「うーん。メディカさん一人で大丈夫かなぁ? もう暗くなるのに戻ってこないし」
「つっても仕方ないだろ。今日はもう帰ろうぜ。続きはまた明日だ」
すでに夕日は沈みかけ、空は着々と夜に向かっている。
これ以上帰りが遅くなるとミーナも心配するだろう。そう思って、一樹はカンナを連れて一旦帰宅することにした。
しかしカンナの表情は優れない。一樹は軽く溜息を吐き、そっと彼女の頭を撫でた。
「心配したけりゃすればいい。けど、それと同じくらい信用してやれ。お前の師匠だろ」
「いや、別に師匠ってわけじゃないんだけど……」
「大丈夫だって。明日になればひょっこり戻ってくるさ。うん。確かあいつはそういう奴だ。そういう奴だったよな?」
「馬鹿、俺に聞くなよ。けどまあ、なんとなくそんな感じはするな。なんとなくだけど」
幼馴染みの二人に慰められていると気付いたカンナは、少しだけ恥ずかしそうに頬を染めた。だがすぐに明るめの苦笑を浮かべて「あんた達、絶対メディカさんのこと知らないでしょ!」と突っ込みを入れる。どうやら少し元気が出てきたようだ。
「それじゃ、俺もそろそろ帰るわ。一樹、ちゃんとお姫様をエスコートしてやれよ?」
「誰が――おお! 俺に任せとけ!」
「ちょっ!? イッキ!?」
一瞬、ジャックの言葉を否定しようとした一樹だったが、すぐにその後の展開が見えたのだろう。慌てたようにカンナの肩を抱いてサムズアップしてみせた。
そして先程の照れが残っているのか、カンナの顔は真っ赤である。こうして三人は解散し、メディカの捜索は明日に持ち越すことになった……筈だった。
「――隣町?」
翌日。ミーナに呼ばれた一樹は驚いたように聞き返していた。
「ええ。昨日、村長からそんな話があったのよ。隣町にあるギルドに行かせてみないかって。貴方、最近はジャックから剣の使い方を習ってるみたいだし、ちょうどいいんじゃないかしら?」
「……そうか。そういえばギルドなんてものも、この世界にはあったんだっけ」
この世界には冒険者という職業がある。
と言っても、人が生まれ持つ職業のように直接ステータスに関わることはない。単にギルドという組織に登録し、そこで紹介された依頼を請ける者を冒険者と呼ぶのだ。
そしてギルドに登録した者にはギルドカードという身分証が発行される。大抵は皆子供のうちに手に入れている筈だが、一樹はずっと村の中に留まっていた為に持っていない。
恐らく、こんな話が出てきたのもそれが主な理由だろう。
「中身はともかく、年齢はもう成人しているんだから貴方も身分証を持っていた方がいいわ」
「中身はともかくって何!? 中身もとっくに成人してますけど!」
「あら、そんなことないわ。私から見れば貴方は永遠に子供よ」
「永遠に!?」
そこまで話して、一樹はふとメディカのことを思い出した。
「ミーナおばさん。悪いけど俺、今日はメディカって人を探さなくちゃいけないんだ。なんでも工房の中からいなくなってたらしくて」
「あら偶然。メディカなら隣町にいる筈よ。数日前に彼女から直接聞いたから間違いないわ」
「マジで!? じゃあなんでそのことをカンナに話してないんだよ」
「え? だって聞かれなかったから。それにてっきりメディカから聞いていると思って」
灯台下暗しというのはまさにこのことだ。メディカ自身も、目撃者も、元から探す必要なんてなかった。と言うより、最初からミーナに聞いていれば良かったのだ。
一樹は疲れたように溜息を吐き、改めてミーナの方に向き直った。
「……じゃあ俺、すぐに出掛ける準備をするよ。カンナには後から伝えといてくれ」
「分かったわ。それと……これを渡しておくわね」
「ん? なんだこれ。随分と使い込まれてるな。まさかミーナおばさんの?」
「ふふふ。私が大切にしているお守りよ。きっと貴方を守ってくれるわ」
ミーナが一樹に手渡した短剣。それは素人目から見ても随分とくたびれたものだった。ただし、鞘の中に収められた刀身はきちんと手入れされているようで、何の金属を使っているのか淡い緋色に包まれている。
そして気になるのが鞘に刻まれた「一」という文字。別にどうでもいいことだが、なぜこんな所に数字が? 一樹は少し不思議に思った。
「ミーナおばさんのお守りか。それじゃ遠慮なく借りておくよ。ありがとう」
まあなんにせよ、これは外の世界を知るいい機会だ。
カンナ達には悪いがこのまま黙って行かせてもらおう。幸いメディカも隣町にいるようだし。
一樹はそんなことを考えつつ、意気揚々と村を出た。




