プロローグ かくして『モブ』は『バグ』に変わった。
「……あ、これ死ぬパターンだわ」
何の脈絡も無く、一樹は突然そんなことを思った。
既視感とでも言うべきか。
なんとなく、前にもこんなことがあったような気がしてならない。
「あの……勇者様!」
気が付くと、一樹は目の前の勇者パーティに声を掛けていた。
自分のような煤けた茶髪ではなく、もっとナチュラルな感じのブラウンヘアーを靡かせる勇者は、周りの可愛い女の子達に見守られながら今にも聖剣を引き抜こうとしている。
そんな時に水を差されたせいだろうか。勇者は若干不機嫌な表情で一樹の方を一瞥した。
「……なんだい。案内役君?」
「あ、いや、その……覚悟はできているんですか?」
「覚悟だって?」
「は、はい。ほら、説明しましたでしょ? こんな薄暗い場所に聖剣があるのは、魔神の力を削ぎ、その欠片をここに封印しているからだって。つまり聖剣を抜くということは――」
皆まで言うな。
勇者はそう言わんばかりに手のひらを突き出して一樹の口を遮った。
彼は不敵に笑い、辺りを見回す。そしてもう一度一樹の顔を見て、得意気に「安心してくれ」と告げた。
(いや、安心できねーから引き止めたんだろうが。ていうか手ぇ邪魔!)
現在、一樹を筆頭に勇者パーティが訪れているのは『魔神の封洞』と呼ばれる村はずれの洞窟だ。
近くの村に住んでいた一樹は、その洞窟の案内役として半ば強制的にここまで連れてこられている。
いや、確かに自分から進んで引き受けた筈なのだが、この洞窟の中に入ってからどうも見えない力に誘導されている気がするのだ。
そもそも旅の初っ端からハーレム築いてるようなクソイケメンの為に、なぜ自分がこんな薄気味悪い洞窟を案内しなければならないのか。
一人で行って一人で死んでくれば良いのに。ていうか死ね。よく分からんが爆死しろ。
そう思うくらいには勇者のことが気に入らない一樹である。
なぜそんな自分が、自ら進んで案内役を……?
一樹は言い知れぬ不安に駆られていた。
「確かに聖剣を抜くということは、魔神の欠片の封印を解くことに他ならない。だけど僕は勇者だ。仲間にも優秀な賢者と法術師、そしてメイドがいる」
「おい、最後だけなんかおかし――」
「僕達の力さえあれば、そして聖剣の力が合わされば、恐れることなど一つも無い!」
一樹の呟きは勇者の高らかな演説に掻き消された。
なんというか、自分の言葉に酔っている勇者ってかなりうざい。
そしてそんな勇者を恍惚と見ている女達はもっとうざい。これだから女って奴は……。
一樹は諦めたように溜息を吐き、内心で「駄目だこいつ等。最低だ」と呆れていた。
しかし、この湧き上がる焦燥感は一体なんだ?
このままだと自分は間違いなく死ぬ。そんな気がしてならない。
何かを。明言できない何かを忘れているような気がするのだ。
一樹は無意識のうちに足を後ろに引いていた。
「さあ、聖剣よ! 魔王を倒す為に……僕に力を貸してくれ!」
「あ、やっぱりこれ死ぬパターンだわ。主に俺が」
自信満々に戦いを挑んだ結果、誰かの犠牲を得て辛勝。
勇者は己の未熟さに後悔し、愚かしい傲慢さを捨てて更なる強さを求める。
恐らくだがこの先、そんな展開が待っているのだろう。
そしてその犠牲というのが紛れも無い自分なのだ。
……冗談じゃない。
『ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
どうして先の展開が分かるのか。
それは他でもない、この世界の正体を一樹が噂程度で耳にしていたからだ。
だからこそ、自分が死ぬ結末を思い出した一樹は一目散に聖剣の間から逃げ出した。
「……これは、思ってた以上に強敵だね」
「大丈夫ですリュウトさん! どんな敵でも、私達が力を合わせれば!」
「ええ! 必ず倒せる筈よ!」
「……お掃除を開始します」
勇者パーティがなにやら後ろで頭の悪い会話をしている。
一樹は「どうか自分を巻き込まないでくれ」と祈りながら、ひたすら出口に向かって走っていた。
あくまでも伝聞の情報に過ぎない為、この後自分がどうやって死ぬのかは知らない。
しかし物語の舞台である聖剣の間から抜け出せれば、とりあえず戦いに巻き込まれて殺されることは無いだろう。
まったく、定められた運命に従うなんてまっぴら御免だ。
そもそも製作者側は……この場合は神様と言った方が良いのか。とにかくあいつ等は一体どういうつもりでこんなクソみたいな設定をしやがったのか。
一樹は苛立ちを隠さずに愚痴を零し、なんとか『魔神の封洞』から逃げ出した。
「へっへへ……ざまぁみろ! 生き延びてやったぜこんちくしょう!」
物語の舞台から降りてしまえば、もう自分の身を脅かすものなど有りはしない。
一樹は死の運命から逃げ切ったことを喜び、糸が切れた人形のように地面に倒れた。
緊張が少しずつ抜けていき、荒い呼吸が整い始める。
もう大丈夫。もう安心だ。
何度も自分に言い聞かせるように、一樹はそんな台詞をうわ言のように呟いた。
直後、洞窟の中から凄まじい轟音が響く。
「おーおー、やってるやってる。さしずめドンパチの嵐ってとこか」
今頃勇者達は自分がいなくなったことにも気付かず、チュートリアル的な戦いで勝利を掴もうと奮闘しているに違いない。結末が分かっている一樹からすればとんだ茶番だ。
とは言え魔神の欠片がどんな奴か知らないので、勇者がどれだけ苦戦するかも全く見当付かないのだが。
「……まあ、あいつ等がどうなろうと知ったこっちゃないか。それよりも早めにここを離れなくっちゃな」
一応危機は脱したと思うが、まあ油断はしないに限る。
できるだけ『魔神の封洞』から逃れるべく、一樹はそそくさと村へ帰ろうとした――直後。
《エラー検出。バグが発生しました。消去プログラムを実行します》
抑揚の無い無機質な声が突如頭の中に響いてきた。
同時に、一樹の右手に×印のような刻印が浮かび上がる。
いきなりの出来事に困惑しながら、一樹は「まさか……」と戦慄した。
「俺が素直に死ななかったから、強制的に抹消しようって魂胆か!?」
冗談じゃない。そんなくだらないことで死んでたまるか!
一樹はどうしようもないと分かっていながら、抗うように雄叫びを上げた。
「ちっくしょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
しかし、いつまで経っても一樹の身には何も起きなかった。
「――あれ?」
一体何が起きて、何が起きなかったのか。
一樹は拍子抜けしたような、安堵したような不思議な感情を持て余しながら、ゆっくりと自分の体に触れてみた。
当然、消去などはされていない。自分の体はちゃんとここにある。
……何がどうなっているんだ?
一樹は完全に混乱しながら、どさりとその場に崩れ落ちた。
「リュウトさん! 貴方のせいじゃありません!」
「そうよ! これは私達が力及ばなかったから……」
「不甲斐ない私をお仕置きしてください――この鞭で!」
しばらく呆然としていると、洞窟の方から誰かの話し声が聞こえてきた。
正気に戻った一樹は慌てて近くの茂みに隠れ、様子を窺う。
すると無事に魔神の欠片を倒したのか、勇者パーティが洞窟の中から落ち込んだ様子で現れた。
……ん? 落ち込んだ様子で?
「いや、全部僕が悪いんだ。安心してくれなんて言っておきながら、僕はみすみす名も知らぬ彼を死なせてしまったのだから」
勇者は後悔に苛まれるように頭を抱え、深い悲しみの溜息を零していた。
どうやらあの洞窟の中で、彼等以外の誰かが死んでしまったらしい。
確かにそれなら落ち込んでいるのも納得できる。なにせ勇者は正義感に満ち溢れた優しいイケメンというクソみたいな完璧野郎だ。さぞ自分の無力さを嘆き、死んだ者達に対して罪の意識を感じているだろう。なら死ねば良いのに。
そんなどうでもいいことを考えながら、一樹は首を捻った。
――死んだって……誰が死んだんだ?
自分の記憶が正しければ、あの洞窟の中にいたのは自分を除いて勇者、賢者、法術師、メイドの四人だけ。間違ってもそれ以外の人間はあの場にいなかった筈だ。
まさかあの勇者、魔神の欠片が死んだことを嘆いてやがるのか? 自分で殺したくせに? とんだ偽善者野郎だな! はっはっは! やっぱ死ねば良いのに!
一樹は半ばそんなことを考え、頭を左右に振る。それがただの現実逃避だということに気付いていたからだ。
「……なんだか嫌な予感がする」
一樹は右手の甲に浮かぶ刻印を見下ろし、恐る恐る洞窟の中に入っていった。
薄暗い通路の中を進んでいくと、すっかり荒れ果てた聖剣の間へと辿り着く。
そこで、一樹は足を止めてしまった。
「……んだよ……これ……っ」
聖剣が突き刺さっていた場所には一人の人間が倒れていた。
自分と同じ、安っぽい布の服を纏った、煤けた茶髪の少年。
自分と同じような痩身で、同じような道具を持っていて、同じようなミサンガを身につけている。
……冗談じゃない。そんな馬鹿なことがあってたまるか!
そのミサンガは、幼なじみが作ってくれたこの世に一つしかない物だ。勿論、今も自分の腕に巻きつけてある。
そんな物を、どうしてこの男も持っている!?
一樹は嫌な予感を感じながら、知らず知らずのうちに少年の体に触れていた。
「――」
うつ伏せだった体は反転し、隠された顔が明らかになる。
「まさか……嘘だろ……?」
それは紛うことなき自分自身。
遠藤一樹、その人であった。
つまり頭の中で聞こえたバグの消去というのは、物語から外れた自分を消すのではなく、自分がいなくなった状況を消すという意味だったのだ。
その為にもう一人の自分が勇者達の前に現れ、自分の代わりに死んでしまった。
「……そっか。お前、俺の身代わりになってくれたんだな」
なんだか酷く申し訳ないことをした。
まさかこの世界に転生して、こんな形で自分の死体を見ることになるとは……。
ていうかあいつ等、せめて埋葬くらいしてやれよ!? いくらイベントにそんな描写が無いからってあんまりだろ! 俺に謝れクソ共が!!
一樹は気が済むまで憤慨した後、静かに合掌してもう一人の自分に祈りを捧げた。
せめて墓でも作ってやろう。そんなことを考え、一樹は自分の死体を担ごうとその体に触れる。
だがその瞬間――。
「な、なんだぁ!?」
もう一人の自分はあっという間に光の粒子に変わり、そして一樹の右手の中に吸い込まれていった。同時に刻印が青白い輝きを放ち、×印の中に小さな十字架が組み合わさったような形に変化していく。
一樹は呆然としながら、その様子を黙って眺めていた。
自分が所謂『バグキャラ』になったことを、無意識のうちに自覚しながら。