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世界樹の巫女  作者: 白石令
第3章
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9 誇り高き獣

 鋭利な銀光が宙を走り、一瞬遅れて赤い液体が破裂する。その獣の首が地面につくのも見届けず、シャールディは次の目標に向かった。

 わずかな知性も残さぬ濁った目と、凶暴性にとりつかれた動き。魔性に支配されて意思を失い、ただ破壊と殺戮のみを行う獣達。

(多すぎる)

 自分達を排除しようとするものの存在に気づき、彼の周りにはすでに何匹もの魔性狂いが集まってきていた。

 シャールディは焦りを深めた。手に負えないという意味ではない。これほどまで感染が早いとなると、一体どれほど、世界に満ちる魔性は強くなっているのか――

 急に背筋が冷たくなり、胸騒ぎに襲われた。今すぐにでも〈竜の巣〉へ戻りたい衝動にかられる。

 だが、魔性狂いを放っておくわけにもいかない。

「……うぜぇんだよ!」

 飛び掛かってきた一匹を蹴り飛ばして木に叩きつけると、殺気に反応して振り返る。突き出した剣と、獣の太い歯が噛みあった。舌打ちして剣を払うが、食いついたまま離れない。

「っの――」

 霊力を放出しようとしたその時、思わぬ方向で白光が弾けた。それは勢いよく伸び、剣を噛む獣をまっすぐに貫通する。

 さらに、視界の端にいた最後の魔性狂いが倒された。

 先程の侵入者の四人組が、そこにいた。



「高くつくわよ」

 遅れてたどり着いたイオリが、相変わらず敵意満載の視線を飛ばしてくる少年を見ながら、ぼそりとそんなことを言った。

「急いでいるのはあんたも同じじゃなかったの? 巫女の騎士様」

「そうですよ」

 離れているのが不安でたまらないのは事実だった。おそらく今は別の者が護衛についているのだろうが、それでも焦燥感は拭えない。

「でも、彼の護ろうとしているものを踏みにじることになる気がするんです」

 アスレイは光剣を消し、静かに尋ねた。

「加勢は、必要なかったかな」

「余計なお世話だ」

 血を払った剣の切っ先がアスレイに向けられる。

「恩を売れば通すとでも思ったのか」

「いや、別にそんなつもりで」

「どうして俺を追ってきた?」

 アスレイはきょとんとした。答える代わりに聞き返す。

「そっちこそ、なぜ僕らを放って行ったんだ?」

「別に」

 少年は苛立たしげに視線を外した。別のことに思考がとらわれているようだ。

「どうせ先へ進んだところで、じじいの炎に焼かれるだけだ」

「それは、進んでも構わないということ?」

 少年と同じくらい機嫌を損ねているイオリが、苛々と片足で地を叩く。

「ふざけるな」

 びりっと空気が震えた。

 睨み合う二人に怯えたラスが、きゅっとアスレイの服を掴む。

「それはこっちのセリフよ。下手に出てりゃ調子に乗って……」

「おまえは一瞬も下手に出てないだろう」

 突っ込んだクエンに扇子をぶち当ててから、イオリは全身に金色の炎をまとわせた。完全に殲滅(せんめつ)する姿勢である。

「ちょ……イオリさん!」

「魔性狂いだろうが竜だろうが、前に立つなら炭にするだけよ!」

 炎が激しく燃え上がり、少年が身構えた、その時だった。


 ――もう良い。


 重い鐘の音のような声が、一触即発の空気を散らした。


 ――シャール、彼らを通してやれ。


「……あんだと!?」

 少年は、怒声というよりむしろ素っ頓狂な声を上げた。


 ――今この瞬間に彼らが訪れたのも、何かの縁だろう。シャールディ、帰ってこい。


 そのただ一言で、少年はみるみる蒼白になった。弾かれたように走り出し、もはやアスレイ達のことなど眼中に入れず、あっという間に姿を消す。

「……ちょっと。何なのよ! あっちへ行ったりこっちへ行ったり!」

「通ってもよくなったんだろう? 良かったな」

 マイペースなセリフを吐いたクエンに、扇子が四枚同時にぶつけられた。

「今のは……竜?」

 アスレイは耳を澄ませたが、再び声が響くことはなかった。

「とにかく、追いましょう」



 少年を捜して山の中を進むと、洞窟が目に飛びこんできた。岩壁に大きな口が開いている。どうやらこれが〈竜の巣〉への入り口のようだ。

 薄闇がかかった内部には、すでに少年の姿はない。

 足を踏み入れようとした時、アスレイは服を引っ張られて振り返った。ラスである。

 少女は手に火の玉を生みだし、それを一行の先頭に滑らせた。

「暗いと、あぶないから」

「ありがとう」

 頭を撫でると、ラスはくすぐったそうに笑った。

 洞窟の入り口付近は、本当にこの先に竜がいるのかと疑うほど狭かった。人が何人か並ぶ分にはまったく問題はないが、竜は巨大だと聞く。これでは出入りができまい。

 ――竜が、住んでいるのだろうか。ここに。

 自然と気分が高揚した。

 洞窟の幅と高さは徐々に増し、同時に暗闇も薄くなっていく。

 やがて、明かりはもう必要ないと判断したのだろう、火の玉が消えた。

 視界が開けた瞬間、アスレイは息を呑む。

 大広間のような場所だった。

 降り注ぐ日光を白く散らしながら、巨大な石像がそこに存在している。それも一つではない。いくつも、いくつも。

 大きな口からは鋭い牙がのぞき、頭上には二本の角、全身は鎧のような鱗に覆われ、背には長大な翼を生やしている。地面につく尾は一振りで人間など破壊できそうである。

 微妙に大きさや形が異なるが、一様に苦しげな表情をしていた。切れ長の目は血走っているように見え、口元はゆがんでいる。

 あまりの生々しさに、アスレイは身震いした。

 これは、石像ではない。

「竜が……?」

 クエンが不審げに眉根を寄せる。

 アスレイは石像に手を伸ばした。が、触れる寸前で鋭い声が飛ぶ。

「触るな!」

 あの少年だった。目つきがさらに険しくなっている。

 彼は息を吸い込むと、歯の奥から押し出すように声を出した。

「……来い」

「え?」

「ついてこいって行ってんだ!」

 返事を待たず歩きだす少年。アスレイ達は慌てて後を追った。

 その背中は、話しかけるなと主張していた。どんな質問も疑問も拒んでいるように見える。

 アスレイが石像のことを聞けずにいると、クエンが口を開いた。

「竜がなぜ石化しているんだ?」

 あまりの率直さにアスレイは目を剥く。

 一瞬にして、周囲の空気が抜き身の刃物のように鋭くなった。

 少年が振り返りもせず答える。

「……関係ねえだろ」

「それはそうだが」

 クエンは背後を見やった。

「あの石化した竜、魔性が随分――」

「黙れ!」

 怒りに燃え上がる紅い瞳。今にも斬りかからんばかりの殺気だった。

 アスレイはひやりとしたが、しかし結局、少年は顔をそむけて足を早めただけであった。

「魔性が……?」

 アスレイが小声で尋ねると、クエンはああ、とうなずく。

「魔性が強すぎる。石になっても残るほどに」

 竜は元々、魔性のみを持つ魔獣の王のしもべ。それを、霊獣達が精霊を埋め込むことによっておとなしくさせたという。

「魔性が強いのは当然なんじゃないのか?」

「精霊がそれに比例していない」

「つまり魔性狂いと同じ状態ってことでしょ」

「魔性狂いって、竜が?」

「まあ、竜なら多少精霊が弱くても、そうそう狂ったりはしないだろうが……」

 そんな会話をしているうちに、目的地に着いたようだった。

 先程よりも広い空間である。空から見れば巨大な落とし穴なのだろう。光が充分に入り、また風も抜けていく。

 竜の石像はここにもいくつかあった。

 そして深奥には、石の肌ではない、黒い生き物が鎮座している。

 家ほどに巨大な体躯。黒鋼のような鱗。激しい炎を宿したその瞳。ぐうっと押しつぶされそうな威圧感に、束の間呼吸を忘れた。

 それゆえ、気づくのが遅れる。黒い竜の下半身は石と化し、大地に縫いとめられていたのだ。

《ここを通りたいというのはあなた方か……》

 森で聞いたしわがれ声。口は動いていない。頭に直接響いてくる。

 即座にイオリが食ってかかった。

「なあに、交換条件でも?」

《いいや……》

 びしり。

 妙な音がした。

《ただ、見たかっただけだ。この時に訪れたのが、どんな者なのか》

 びしびし……びし。

《〈竜の巣〉を通ってまで、何を急ぐ?》

「世界樹に行くのよ。世界の滅びを止めるために、地上の巫女を見つける」

 びしびしびしびし……

《……そうか。この最期の時に、このような出逢いを果たしたのは運命やも知れぬ》

 びしり……

(――何の音)

 竜の全身を改めて確認したアスレイは、はっとした。腹の辺りまでだった石化が、翼にまで及んでいる。進行しているのだ。

「その、石化は」

 アスレイは思わず声を上げた。

「呪いか何かですか……」

《いいや……これは自分で施したもの》

 黒竜の隣で、少年が唇を噛んだ。

《魔性狂いになる前に、仲間たちはみな、自ら石像となった》

「なぜ……?」

《自我を失い、共食いをすることも……魔獣の王のしもべに戻るのも、どちらも我らは望まぬ》

 その口調には、確固たる意志と信念があった。

 話す間にも石化は進み、すでに首までが動かぬ像と化している。それでも頑強な精神は微塵も揺らいでいない。

(彼が護りたかったのは……)

 仲間たちの誇り。自分のそばから次々と消えていく仲間たちの。だからあんなにも必死だったのだ。

《精霊は弱まり……魔性は濃さを増していく。滅びを止めるというのなら……心するがいい。やがて暗黒がやってくる……古よりの契約の通りに……》

「――何を知っているの?」

《その問いに答えるには……時間が足りぬ》

 竜は視線だけを少年に向けた。

《……シャールディ》

「なんだよ……」

 少年の顔からは血の気が引いていた。拳を作り、竜を睨むように見上げるが、先程までの覇気がまったくない。

《恐れるな。おまえは……最後の竜。己の為すべきことをせよ》

 穏やかでありながら、鞭のように厳しい声音だった。

「……………」

《――行け》

 ためらうように一歩さがってから、少年は身を翻した。洞窟のさらに奥へ。おそらく西側に繋がる出口なのだろう。

 竜は彼を見送った。完全に姿が見えなくなり、足音も聞こえなくなるまで。

《……あのシャールディは、こうなることを予期して人との間に作らせた子。竜の血と力を持ちながら、決して狂わぬただ一人の竜。……あなた方の決意が変わらぬのなら……》

 目が、口が、角が、石化していく。

《どうかシャールディを連れていってやってくれ……》

 黒い竜は、完全に物言わぬ石像となった。

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