表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界樹の巫女  作者: 白石令
第3章
8/77

8 竜の少年

 ひっそりと静まり返った森に、ゆるやかな光が差し込んでいた。

 深い緑色の葉は日を受けて透明に輝き、合わせ鏡のように重なり合って、その身を風にゆだねるたびに細かな音を立てる。

 ささやかな虫の音、子守唄のような鳥の声、獣の息づかいや葉を踏む足音、小さな命たちの気配。

 森のすべてをまといながら、少年はそこにいた。

 あぐらをかき、大きな岩に背を預けて目を閉じている。木々の隙間からこぼれてくる日光がゆりかごのようだった。

 がさり、と草が左右に割れる。一匹の獣が姿を現した。

 尋常な獣ではない。体毛は針のように天空に向かって突きあがっており、四肢は異様に短く小さかった。一目で魔獣に分類されるものだと分かる。

 魔獣は獰猛(どうもう)そうな目を輝かせ、油断なく周囲を観察した。獲物を探しているのだろう。その目が一瞬少年を捉えたが、魔獣は卑屈そうに頭をさげ、やせ細った体を縮ませると、唸り声一つ上げずに彼の横を通り過ぎる。

 すぐそばを恐ろしい魔獣が通過しても、少年はぴくりとも動かなかった。

 ゆっくりと静寂の時間は流れ、そして唐突に破られる。


 ――シャール。


 かすれた声が、深閑(しんかん)たる森に変化を告げた。

 石と石をこすり合わせたような、低くしわがれた声。だが腹の底に響く重みをもっていた。


 ――シャールディ。


 二度目の呼びかけで、少年の耳がわずかに動いた。彼は瞼を開き、顎を上げる。不思議な紅い色の瞳が虚空を見つめた。

「呼んだか?」


 ――もうすぐ別れだ。


 少年は不機嫌そうに眉をひそめた。


 ――もはや、ここにおまえを繋ぎ止めている必要はなくなった。


「……俺は」

 細い虹彩の目が苛立ちに染まる。

「自分の意思でここにいるんだ」


 ――分かっている、シャールディ。我らの子よ。だがおまえは進むだろう。我らの屍を守る意味などないのだから。


 その時、少年の苛立ちは明確な怒りへと変わった。立ち上がり、反論しようとしたのか口を動かしたが、結局何も言わずに唇を噛む。


 ――シャール、我らの滅びを嘆くな。止められぬ己を呪うな。これは我らの選択なのだ。


「俺には選ばせてくれないんだな」


 ――おまえはそのために生まれた。


「……………」


 ――おまえだけは生き残らねばならぬ。シャールディ、おまえは最後の、ただ一人の――


 そのとき強い風が吹き、木の葉と言葉をさらった。

 揺らいだ声が波のように告げる。


 ――竜なのだから。




「世界樹に行くには、一度海に出る必要があるわ」

 そう言ってイオリが地図を取り出したのは、町を出た直後、街道を歩いている時だった。

 どこまでも続く草原を、一本の街道が走っている。左側には山脈が前方へと伸びていた。

「本当は、この山脈をぐるっとまわって西に行かなきゃならないわ。だけど、迂回している時間はない」

「まさか、山を越えていくつもりですか?」

 全身緑に覆われた山々は、雲まで貫くほど高い。

「そっちの方が時間かかりそうですよ? それに」

 アスレイは法衣の袖をちょんとつまんでいる赤い髪の少女――ラスを見やった。見るからに山登りなどできそうにない。

「抜け道があるのよ。洞窟」

 それまで興味なさそうに聞き流していたクエンが、複雑な顔をした。

「〈竜の巣〉を通るのか?」

「……何かの比喩ですよね?」

「そのままの意味よ。竜の棲み処」

 竜。地上には存在しない生物だ。魔界に居るもっとも魔性の強い種族だと、神殿で学んではいたが。

「危険はないんですか?」

「さあね。竜なんて滅多に会わないし、会いたくもないわ。だけど洞窟は向こう側に繋がっているはず。何人かは無事に通り抜けているから」

「無事? 竜と闘って満身創痍(まんしんそうい)だったって話……」

「うるさい」

 ばちんっ、とクエンが扇子ではたかれた。

 もの言いたげなアスレイを強い視線で制し、イオリは〈竜の巣〉へ向かう。

 どうやら反論の余地はないらしいと悟った男二人は、顔を見合わせると、おとなしく彼女に従った。



 光の剣が虚空を(はし)る。

 飛び掛かってきた魔獣は、空中で真っ二つに裂けて地に落ちた。

 アスレイは視線をめぐらせ、気配を探る。残りがいないことを確かめると、息をついて振り返った。

「大丈夫?」

「うん」

 ラスは微笑んでうなずいた。普通の少女ならば、魔獣が現れた時点でパニックに陥るだろう。やはり霊獣は人と感性が違うのかも知れない。

「まったく、これで何組目?」

 狐色の髪を整えながら、イオリが足元に転がった黒コゲの魔獣を見下ろした。

「五組目だな」

 と、クエン。

「随分魔獣が多いんですね……」

「住み心地がいいんじゃないの? 人が踏み込まない場所だしね」

 イオリは言葉の端々がとがっている。

 苛立っているらしい彼女とさりげなく距離をとりながら、アスレイは先へ進んだ。

「方向はこっちでいいんですね?」

「多分ね」

 歩きながら、ラスが遠慮がちにアスレイを引っ張った。

「竜に会うの?」

「会うのが目的ではないんだけどね。通らせてもらうんだ」

 ラスは少し顔をしかめた。拗ねたような表情。

「竜は、キライ」

「なぜ?」

「だって魔獣の王の子どもたちだもの」

 霊獣にとっては敵。そんな思いがあるのだろう。だが、あどけない少女が口をとがらせるさまは、食べ物の好き嫌いでもしているかのようである。

「さて。情報が正しければ、もうすぐ〈竜の巣〉の洞窟に着くはずだけど……」

 前を行くクエンが足を止めた。金の目がちらりと動く。

 何気ないその仕草に、しかしイオリは緊張感をまとった。

 ひっそりとした森。何も異常はない。鳥のさえずり、虫の音、小動物の気配――

 それらが唐突に消えた。

 氷原のように、ぴいんと空気が張る。その時点になって、ようやくアスレイは何者かがやってきたのを察知した。彼が鈍いのではない。クエンが非常識なほど鋭いのだ。

 下草を踏む足音に、ラスが背後に隠れる。

 現れたのは黒髪の少年だった。痩せぎすで、ほっそりとしている。だが軟弱な印象とは程遠い。豹のような、しなやかで強靭なふてぶてしさを備えていた。

 アスレイと同じ年頃だろうが、少年らしい幼さは残っていない。表情は厳しく、大人びていた。

「――ここから先は竜の棲み処だ」

 見据えてくる血の瞳、その虹彩は爬虫類のように細い。耳の先がわずかにとがっているのも不思議だった。

 少年は全身から敵意を発散させながら、腰に提げた剣に手を触れた。

「死にたくなければ去れ」

「〈竜の巣〉を通るために来たのよ」

 イオリの言葉に、少年は不愉快そうに眉を上げる。

「竜以外は入ることを許されない」

「誰の許可も要らないわ」

 殺気さえほとばしりそうな雰囲気になったため、アスレイは慌てて二人の間に割って入った。

「急いでいるんだ」

 できるだけ穏やかに、ゆっくりと話す。

「棲み処に踏みこむことが無礼なのは分かる。通らせてもらえればいい。荒らす気はないんだ、だから……」

「そっちの事情なんか知ったことじゃない」

 イオリの口元が怒りで引きつる。

 アスレイは焦って早口になった。

「なら、誰の許可があればいい?」

「じじいが許せば」

 少年は急に口をつぐんだ。咳払いをし、言い直す。

「……竜の、長老が許可をすれば」

「どうすれば許可をもらえるんだ?」

「知らない。今まで許された事例がない」

「君は〈竜の巣〉に入れるんだろう? それなら、聞いてきてくれないか。どうすれば通してくれる?」

「知らない」

 だんだんと少年の感情が昂ってきたことに、アスレイは気づかなかった。

「僕らは争う気はないんだ。せめて話だけでもさせてくれ」

「……知らねえ、って――」

 少年の霊力が一気に上昇する。アスレイは反射的に唱えていた。

『殻を張れ、高速の主!』

「――言ってんだろうが!」

 瞬時に展開された防御膜が、少年から放出された破壊的な霊力を押しとどめた。

 周囲の草花が勢いよく引きちぎられ、木の枝はまとめてそぎ取られる。少年のすぐそばの木々がめきめきと音を立てて根元から倒れた。

 術ではない。ただ霊力を解放しただけでこの威力なのだ。

「〈竜の巣〉には誰もいれねえ。西側に行きたきゃ山を避けていけ!」

 問答無用とばかりに抜剣する少年。

 説得がきく気性ではなかったようだ。

 アスレイは不安げなラスから離れると、光剣を出現させて前に進み出た。

「アスレイ」

「大丈夫。一人で充分だよ」

 心配そうなクエンにそう宣言し、少年の視線を正面から受ける。真紅のその目に、かたくなな敵愾心(てきがいしん)以外の色はなかった。

 無駄だと思いつつも、アスレイはもう一度だけ話しかける。

「僕らは、争いに来たんじゃない」

 答えは刃となって返ってきた。

 剣が交差し、かみ合う。押し負けたアスレイは、光剣の角度を変えて力を受け流した。

(重い……!)

 たいして大柄でもないのに、とんでもない力の強さである。

 怯みは隙を生み、二度目の攻撃を許した。横からの斬撃をしりぞいて避けると、体の前になびいた髪が先端を切り取られる。

 アスレイは低く踏みこみ、剣を一閃した。防ぎにくい足元へ、少年の攻撃後の硬直を狙った一撃である。

 しかし、確実に捉えたと思った瞬間、彼は高く跳び上がって後退していた。

 驚くべき身体能力、反応速度だ。

 着地した少年が剣を構える。二人は再び対峙した。

 強い敵意と警戒心。アスレイは奇妙な既視感を覚えた。この目を知っている。必死さの中にある焦りや恐れ。

 巫女を護る時の自分だ。

「……君は……」

 そうだ。いつもいつも、巫女を背後に庇う時は、こんな思いに捕らわれる。

「君は、何を護っているんだ?」

「――――!」

 逆上して打ちかかってくる少年。

 アスレイはそれを光剣で受け止めた。

「知った風なこと、言ってんじゃねえよ……!」

 純粋に興味が湧いただけだったのだが、どうやら逆鱗だったらしい。

 少年の剣を押さえきれなくなり、アスレイはその力を逃がしていったん離れた。

 改めて少年を見つめ、後悔する。完全に怒らせた。今更何をしても退いてくれそうにない。

(……こっちも、退くわけにはいかない)

 巫女。あまり長くそばを離れているわけにはいかないのだ。

 張りつめた空気に、風さえもが怯えて呼吸を止める。

 じりじりと時が間延びして過ぎていった。

 ――その時。

 少し離れた梢で、鳥達が喚きながら飛び立った。

 地を蹴りかけたアスレイは、少年がはっと視線を外したため思いとどまる。

 濁った声を上げながら、次々と逃げ去っていく鳥達。にわかに森が騒々しくなる。

「魔性狂いか……!」

 少年は舌打ちした。逡巡(しゅんじゅん)するように視線をさまよわせる。が、すぐにアスレイらを呪い殺しそうな形相で睨むと、騒ぎの中心へと駆けていった。

「魔性狂い? まさか総霊院が……?」

「いや、違う。一頭だけだ。おそらく自然になったものだろう」

「自然になるものなのか?」

「最近はそうなるものもいるらしいな」

「竜がいるから、魔性もつよく満ちているの」

 ラスがそっと教えてくれた。

「丁度いいわ。今のうちに進みましょ」

「でも、彼が……」

「あんたね。敵の心配までしてどうするの?」

「別に敵じゃないですよ。僕らが侵入者なのは事実だし――」

 再び鳥が大群ではばたいた。騒ぎは収まるどころか加熱していっている。

「ふえてる」

 ぴったりとアスレイにくっつきながら、ラスが呟く。

「増えてるって、魔性狂いが?」

「魔性狂いが撒き散らす魔性に影響されて、周りのものも狂うことが多いんだ」

 クエンの言葉を聞いて、アスレイは少年が消えた方を見た。

 どれだけの速度で、どのように増えていくかは分からない。だが、一人では手が足りなくなる可能性もある。

「ちょっとアスレイ!」

 走り出したアスレイを、ラスが迷わず追った。その後にクエンが続く。

「あ・ん・た・ら・ねえ……」

 イオリは低音で呻く。

「急いでるって言ってんでしょうがっ!」

 声は、誰にも届かなかったようだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ