5 遺跡にて
レース当日。西の遺跡の前には、二組の盗賊団以外にも多くの野次馬が詰めかけていた。
見物人と参加者を分ける紐が張られ、花やら折り紙やらで飾りつけされた門が建ち、時おり、パァンとクラッカーが雰囲気を盛り上げる。
まるでお祭りだ、とアスレイは思った。
人々の会話を聞くかぎり、どうやら彼らは〈梟〉、つまりジェオの盗賊団の方に勝ってもらいたいらしい。義賊として多くの住民の支持を得ているのだ。
「それでは、もう一度ルールを説明します!」
『中立』と書かれた上着を羽織った男が、声を張り上げた。ごつごつした体躯や潰れた岩のような顔立ちを見ると、どちらかのメンバーなのだろう。
男は敬語の似合わないしゃがれ声でしゃべりながら、両手に乗るくらいの小さな箱を掲げてみせた。
「遺跡の中に、これと同じデザインの箱があります。それを開けて、先にここに持ってきた方が勝ちです! 妨害、強奪、もちろんオーケー! ただし殺しはなし! 代表者以外の者の手助けも禁止!」
アスレイはちらりと〈白鼠〉側をうかがった。
こちらと同じ三人。目と口の小さい鼠面をした、小柄な男が中心にいた。一目で情のない者だと分かる。表情は仮面のように冷たいのに、目だけが不気味にぎらぎらしているのだ。
「あれが〈白鼠〉のリーダー、ベイだ」
隣でジェオがささやいた。
「間抜けな鼠ヅラに油断するなよ。気に入らねえ奴は仲間でも殺すってえ、とんでもないドブネズミだ」
「そんな奴が、殺しを禁止するこんなレースを承諾したのか?」
「丁度いいじゃねえか。殺しさえしなけりゃ何をしてもいいんだからな」
アスレイはため息をつくと両手を差し出した。その手首には霊力を封じこめるという鎖がついている。最初のものより強力なため、自力では解くことができないのだ。
「外してくれ」
試すように見返すジェオ。
「逃げないよ。ここまで来たら、手伝った方がてっとり早い」
「いいだろう」
ジェオは尊大にうなずき、二本の指を鎖に当てた。彼が一言二言落とすと、手首を縛めていた鎖はあっけなくゆるんで落ちる。
「おっと? きつくしすぎてたようだな」
鎖の下にくっきりと残った赤い痕に気づき、ジェオが少年を手招きした。少年はそれを見ると、急いで鞄から小箱を取り出す。
「これはただの傷薬だから」
アスレイが小さく微笑んで礼を言うと、少年はさっとうつむいて、手早く薬を塗ったあと慌てて離れていった。そしてなぜか脈絡なくカラスと遊び始める。
彼の横顔がやや赤みを帯びていたので、アスレイは小声でジェオに尋ねた。
「……まさか、僕が男だって言っていないのか?」
ジェオが気づいたことをアスレイは知っていた。当然、彼の仲間達にも伝えられているものと思っていたのだが。
「可愛い手下の夢を壊すことなんてできなくてなぁ」
「はあ?」
ジェオは遺跡を見上げている少年を顎で示す。
「エリクだよ。おまえ、モロにあいつの好みなんだよな。年上で可憐で純真そうで、気が強い。ありゃ完全に惚れてる」
あからさまに嫌そうな顔をするアスレイ。
「それは……むしろ僕が男だって教えない方がひどいんじゃないか?」
「何言ってんだ、エリクはまだ十五だぜ? そんな無慈悲な現実を突きつけて心を傷つけるなんてこと、できるわけねえだろうが」
(嘘だ)
絶対に面白がっている。
「でも、魔族って匂いで性別が分かるんじゃ」
「何だそりゃ。どこからの情報だ?」
「いや……」
イオリは匂いで分かる、と言っていた。魔族すべてがそうなのかと思いこんでいたが、どうやら違うようだ。
「鼻が特別いい奴とかは、いるけどな。五感が優れてんのは魔性が強い奴だろ」
魔族は、獣である魔性の姿と人間の姿とをあわせ持つ。それは世界が分かたれる前、魔獣の王がばらまいた因子に侵されたためだという。
魔獣の王の因子と共存できた者。それが魔族だ。
(つまり、イオリさんやクエンは魔性が強い方ってことか)
「んなことより、もうすぐ始まるぜ、お嬢ちゃん。準備しとけよ」
「アスレイだ」
むっとして言い返してから、名乗っていなかったことを思い出した。
ジェオはほお、と呟くと、エリクに声を掛けた。
「おいエリク。このお嬢ちゃん、アスレイってんだってよ」
「……………」
早く終わらせよう、とアスレイは心に誓った。
観衆に混じって、イオリとクエンが二組の盗賊団を見つめていた。
「この暇人ども……!」
イオリが舌打ちする。賑やかな声援や野次に顔をしかめていた。
「人が多すぎる。やりにくいったらないわ」
「どうする。一般人を巻きこんでいいなら行くが」
「いいわけないでしょ! ……こんなことなら昨夜のうちに遺跡で待ち伏せしておくべきだったわ」
こっちは暇じゃないのに、とぶつぶつ文句をたれる。
そうこうしているうちに、黄色い旗がばっと上がり、いっそう歓声がひどくなった。急ごしらえの門からスタートした二組が、遺跡へと入っていく。
「始まったぞ」
「……………」
イオリは唇を噛んで群衆を睨みつけた。どいつもこいつも、いそいそとピクニックシートを広げて座り、お弁当や水筒を出して談笑しはじめている。
「……殺しはなしって言ってんだから、放っておいてもいいんじゃないかしら?」
面倒くさい、とその顔は語っていた。
「イオリ!」
「ああもう、分かったわよ! 何とかすりゃあいいんでしょ?」
「そうじゃない。奴らが来た」
クエンは空の彼方を見据えていた。空は快晴で鳥の影さえないが、風に乗ってわずかに流れてきた獣の匂いを、彼は嗅ぎ取っていた。
「二……いや三キロほど先か? まっすぐこちらへ向かってきている」
「この忙しい時に……!」
イオリはやけくそ気味に叫んだ。
「ああ、もうっ。獣どもが遺跡へ突っこんだら、その混乱に乗じるわよ!」
遺跡の中は薄暗く、やけにほこりっぽかった。靴底が石畳を叩くたびに小さく土煙が舞い上がる。
壁は崩れかけており、点々と並ぶ柱は多くが半壊していた。何かの像らしきものは欠損し、その一部がごろごろと足元に転がっている。自然な劣化や風化だけではなさそうだ。
「〈白鼠〉の連中がついてきていないぞ」
アスレイが後ろを振り返りながら言った。
開始時には両組とも走っていたのに、遺跡に入るや否や〈白鼠〉の三人はスピードを落とし、今では足音さえ確認できない。
「横取りする気なんだろ。どうせあの箱を開けられる可能性があるのはおまえさんだけだ」
「帰りは気をつけましょう。罠を仕掛けているかも知れない」
ランプをかかげ、先頭を行くのはエリクだ。
彼が肩から提げた大きな鞄には、カラスが澄まし顔で乗っている。ちなみにペットではなく、霊術で生み出した召喚獣らしい。
アスレイは明かりに照らされた壁画に指を這わせた。神官らしき者や、迫力ある獣達が描かれている。
「この遺跡は何かの神殿……か?」
造りやデザインからすると、何かを祀っていたようだ。
「ああ、霊獣を祀っていたみたいだよ。百年くらい前かな?」
「霊獣を?」
世界に満ちる精霊の統括者、精霊の王、始まりの獣など、様々な呼び名を持つ霊獣は、神聖なものとして地上でも崇められていることが多い。巫女の住む神殿にも何体か霊獣の像があった。
「でも、当時の神官だか誰だかが物凄い罪を犯したせいで、霊獣が怒って去ったんだって。それから廃れたみたいだよ」
「そんな遺跡に、誰にも開けられない箱が?」
「開けてみりゃ分かんだろ」
「僕が開けられるとは限らない」
「大丈夫だよ、巫女なら開けられる」
「それなんだけど、僕は巫――」
巫女じゃない、と続けようとしたアスレイの口を、ジェオが塞いだ。不審そうな眼差しになるエリク。ジェオはスキンシップさ、などとおどけつつ、アスレイには小声で言った。
「おまえは鬼か。こんな重要な場面で、んなことバラすんじゃねえよ」
「……………」
鬼はどっちだ、と反論したかったが、アスレイの力ではジェオを引き剥がせない。
「エリクの士気が落ちて負けちまったらどうする気だ、ええ? 世の中にゃ、知らなきゃ幸せでいられることの方が多いんだよ。そうだろ?」
いいから離せ、とアスレイは言ったが、くぐもった音にしかならなかった。ジェオは面白がってにやにやと笑い出す。
「あん? 聞こえねえよ。ちゃんとしゃべれ、ちゃんと。いいか、バラすんじゃねえぞ。分かったら、分かったと言ってみろ」
「……………」
アスレイの体から霊力が放出されたのはその時である。バヂ! と火花の散る音がして、ジェオの腕が弾かれた。
アスレイは素早くジェオから身を離す。
戯れから逃れるためだけに霊力を使ったことよりも、睨む瞳の鋭さに、ジェオは面食らったようだった。
「どうしたんです?」
漂う緊張感に気づいたのか、首をかしげるエリク。
ジェオはすぐに気を取り直して肩をすくめ、なんでもねえよ、と答えると、アスレイの前に進んだ。
エリクに聞こえないように、アスレイに話しかける。
「お高い身分の姫君じゃあるまいし、男に触られるのが我慢ならねえのか? それとも相手が盗賊なんで虫唾が走るってか」
「どうでもいいだろ」
ジェオはそれ以上追及してこなかった。元々他人にあまり関心がないのだろう。
いくつもの像と壁画を通りすぎ、着いたのは立派な扉の前だった。
ただし、立派なのは大きさと、刻まれた絵だけだ。色はほとんどはげ落ち、傷だらけで、宝石か何かがはめ込まれていたのであろう箇所には窪みが残るだけである。
「ここだ」
エリクの声は弾んでいた。ぐっと扉を押して中へ滑りこむ。
(霊獣の絵……)
多くの部分がかすれていたが、扉に描かれた絵は確かに霊獣だった。
炎のたてがみを持つ馬、霊獣レイヴァラス。この遺跡には――いや、この部屋には、かつてレイヴァラスがいたのだろうか。
ならば、そこにある開けられない箱とは……
胸を騒がせる不思議な予感があった。
いや、それどころか確信に近い。箱を開けるために自分はここに来た、そんな気さえした。
「あったぞアスレイ、あれだ」
箱は、部屋の中央にある白い台座に置かれていた。
上品な緋色だ。金の文字が縫われた帯で封印してある。荒れた部屋の中で、そこだけが別の空間であるかのように、ほこり一つかぶっていなかった。
「霊術……」
帯の文字を見ても意味が読みとれない。難解で強固な封印だ。
アスレイは帯に手を掛け、軽く引いてみる。思ったより簡単にゆるんだ。
――解ける。
続けて、箱の蓋を開けようとした時だった。
「どうやら巫女だってのは本当のようだな。箱を開けられるとはありがてえ」
いやらしい笑いが響き渡り、〈白鼠〉の三人が姿を見せた。
リーダーである鼠顔のベイが勝ち誇った顔をする。
「巫女、その箱を持ってこっちへ来な」
「てめえらにやるもんなんざねえよ」
一歩前へ踏み出し、鎖を構えるジェオ。
三人組は耳障りな笑声を上げる。
〈白鼠〉の女が武器を抜いて応じた。
「そこの小僧は薬を使うだけが能、巫女はか弱いオヒメサマ! あんた一人であたしら三人を相手するってのかい?」
女の得物は月のように湾曲した刃物だ。ベイは大振りのナイフを手の中でもてあそび始め、残りの一人、痩身の男は後ろへとさがる。
ベイが痩身の男に合図を送ると、彼は口の中で小さく何事か呟いた。
瞬間、アスレイはふっと視界がゆがむのを感じた。
罠。
直感した時には遅かった。内と外とを隔てるように、足元から光の柱が立ちのぼる。
「結界か……!」
体を締めつけるほどの戒めの力。被術者への負担を無視した捕縛結界だ。
通常、こういった強力な結界は、あんな短い呪文だけでは発動しない。あらかじめアスレイの足元――つまり箱が置いてある台座の周りに、仕掛けを施していたのだ。
「これで巫女さまの霊術の援護は期待できねえな?」
「――はん。てめえらなんざ、俺一人で充分だ」
ジェオはじゃらりと鎖を地に這わせる。
「エリク、おまえはさがってな」
「ジェオ様! いくらなんでも一人じゃ……」
「アスレイの術を解いてやれ。死んじまっちゃ困る」
〈白鼠〉は嘲笑した。
「霊術の基本しか知らねえようなガキに解けるかよ!」
「は。そういうてめえは霊術のレの字も理解できねえだろうが。部下の能力を誇ってんじゃねえよ、無能が」
ベイの鼠面が瞬く間に怒りに染まる。つりあがった目は殺意で燃え上がった。
「……殺しやしねえ、ルールだからな。俺らが箱を持ってゴールした後のことは知ったこっちゃねえが」
「ほお、奇遇だな。俺もそう思ってたぜ」
「口の減らねえ野郎だ……」
ベイは女と視線を交わし、うなずき合う。
二つの刃のきらめきがジェオを襲った。