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世界樹の巫女  作者: 白石令
第2章
3/77

3 鉄鎖

「――ほお。地上の巫女か」

 男は欠伸まじりに呟いた。

 背の高い、大柄な男である。太い腕を頭の後ろで組み、鍛えられた上半身をあらわにして、長椅子に寝そべっていた。起きぬけなのか、しきりに目をこすっている。少し動くたびに腰に巻いた鎖がじゃらりと鳴った。

 彼の傍には興奮した様子の少年が立っている。男とは対照的に、ほっそりとした枝のような少年だった。

「そうです、魔界の巫女が呼び出したみたいなんですよ! キィラもそれらしい女の子を見たと言ってますし……」

 勢い込んで少年が言うと、その言葉を肯定するように、彼の肩にとまったカラスがカァと一声鳴いた。

「地上の巫女を手に入れられれば、もう俺らが勝ったも同然ですよ!」

「ふん……最近、巫女がこそこそと何かやっているらしいことは聞いてたが……まさか地上の巫女を魔界へ連れてくるとはな。何のつもりか知らんが、エリク、おまえの言う通り、これを逃す手はない」

 男は体を起こすと、逆立った緑色の髪をがりがりと掻いた。大欠伸をしつつ、立ち上がって上着を身に着ける。

「そういや、巫女がいるのは〈道なしの城〉だったか? そこから地上の巫女だけを探して連れ出すのは面倒くせえな」

「あっ……そうでした。下手に入ったら、永久に出てこられなくなりますね。キィラを飛ばしてみますよ」

「無理すんなよ。そのクロスケだって、迷ったら永遠に迷路の中だ」

 突然、少年の肩でおとなしくしていたカラスが荒々しく飛び立ち、男の頭上を旋回しながらつつき始めた。

 男は腕を振り回し、どたばたと部屋を逃げながら叫ぶ。

「痛っ、何しやがる! オイコラ、俺はおまえの主人のご主人様だぞ!」

「ジェオ様がクロスケなんて言うからですよ。キィラは女の子なんですから」

「いいだろうが、呼称なんぞどうでも」

 いよいよカラスの攻撃が激しくなってきて、男がやけくそ気味に謝ったのは、針金のような髪がざんばらになった後だった。



「嫌です!」

「いいじゃないの、別に」

「絶対に、嫌だ」

 断固としてアスレイは拒否した。じりじりとブツを持って迫ってくるイオリから距離を取る。

「何が嫌なのよ。大して変わらないじゃない」

「変わりますよ! そんな服を着て外は歩けません!」

 イオリは眉をひそめて、手の中の服とアスレイの格好を見比べた。

 彼が着ているのはシンプルな巫女用装束に薄手の法衣。イオリが突きつけているのはフリルとレースを清楚に飾った可愛らしいドレス。どちらも女物だ。

「そんな怪しげな法衣の方がおかしいわよ。そんな衣装着て歩いてる奴なんていないわ」

「それを言ったらあなたの露出度の方がおかしいです!」

「……………」

 ぴき、とイオリのこめかみが引きつった。

「あたしのはファッションよ! あんたのはファッションを超えておかしいのよ! いいからこの服を着なさい! 囮になるって言ったのは嘘!?」

「囮なら、もっと地味な服でもいいじゃないですか」

「地味ですって? 地上の巫女になりきるつもりなら、それらしい服を着なさい! 魔界の巫女が危険な目に遭ってもいいって言うの!?」

「それとこれとは話が別です! 大体、その服のどこが巫女らしいんですか!」

 ……そんなやり取りを、クエンは部屋の隅で眺めていた。

 先程から、着ろ、着ないと言い合ってばかりで、ちっとも進展していない。クエンとしてはどちらでもいいと思うのだが、二人には何やら譲れない一線があるようだ。

「いいじゃないの、絶対似合うわよ!」

「それが本音でしょう!」

「ええそうよ!」

 どうやらイオリは、魔界の巫女の安全を図るため、という名目でアスレイに可愛い格好をさせたいらしい。

 彼が地上の巫女として囮になれば、確かに魔界の巫女へ目を向ける者は少なくなるだろう。

 だが、今の弱った巫女を利用しようと考える輩はほとんどいないだろうし、そもそも〈道なしの城〉と呼ばれるここは、幾百通りもあるルートを決められた順番で通らねば目的地へ辿り着くことはできない。事実上、住人以外は脱出さえ不可能なのである。

 アスレイがフリフリのドレスを着てまで囮になる必要は、ない。

「――いいわ! そこまで言うなら多数決で決めようじゃないの」

「多数決?」

 二人の視線が突然集中し、クエンはぎょっとした。

「クエン! アスレイが着るのはこっちのドレスがいいか、それとも今の方がいいか! あんたはどっち?」

「……どっちと言われても」

 クエンは二つを交互に見やった。

「俺は別に――」

「どっちでもいいなんて逃げ回答したら、あんたの一番恥ずかしい秘密をここで暴露してやる」

 低い声は完全に本気だった。

 クエンはすくみ上がって答えを呑み込む。恐る恐るアスレイを窺うと、彼は切実な表情をしていた。

「……………」

 覚悟を決め、ゆっくりとアスレイの法衣を指差すクエン。

 イオリが肩を震わせ、ドレスをぐしゃりと握りしめた。

「ク・エ・ン――」

 イオリの体から金色の炎が立ちのぼる。それは空気を食い尽くす勢いで一気に膨れ上がった。

「裏切り者――っ!」

 彼女の制する幻の焔が、どんと天井を突いた。



 しばらくの後。

 城の中を、あちこちに火傷をこさえたクエンと、不機嫌に押し黙ったイオリ、そして彼女と肩を並べてアスレイが歩いていた。

 どうやらこの城は、出るのにも面倒な過程を経ねばならないらしい。

 アスレイは後ろを歩くクエンを盗み見た。加害者は完全にイオリだが、自分も関わった事柄なので、少しばかり罪の意識を感じてしまう。彼がアスレイに味方した結果なのだから尚更だ。

 そっとイオリから離れたアスレイは、クエンに近づいて尋ねた。

「大丈夫なのか?」

 クエンが驚きに目を見開く。心配されるとは思わなかったのだろう。

「問題ない。基本的に、イオリの扱う力は幻だ」

「幻?」

「それでも、凝縮された幻は時に現実も覆すが」

 そう言ってクエンが火傷のある片手を振った時、彼に怪我を負わせたのは自分も同じだと思い出した。

「そういえば、僕が攻撃したときの傷は……?」

 クエンの左手に傷はなかった。

 あの術は接触時に破裂するよう調節し、殺傷力を低くしていた。それでも雫ほどの血すら流させることができなかったとは、ふがいない。

 いや、大怪我をしてほしかったわけではないのだが。

「……かすり傷も負わなかったのか」

「いや。もう治っただけだ」

(あまり変わらないような……)

 自信を失いかけたアスレイに、イオリが冷ややかに励ましを言った。

「気にすることないわ、クエンが異常なのよ。栄養が全部体の方にいってるから」

 どうやらまだ怒りの炎はくすぶっているらしい。

 アスレイはクエンに耳打ちした。

「もしかして、彼女は日常的に火を出してるのか」

「おおむね」

「……………」

(やっぱり不安だ)

 しかし、不慣れな魔界では他に選択肢はない。

「外よ」

 やはり唐突に、扉は現れていた。巨人でもくぐれそうな巨大さである。イオリが手のひらを押し付けると、巫女の部屋と同じように、赤い輝きが表面を巡った後、自動的に開いていく。

 ひやりとした外気が吹き込んできた。空気が違う、と直感する。肌にまとわりつく風も、漂う匂いも、感じる精霊さえ。

 ここは見知らぬ別世界なのだ。

 澄んだ川が横切っている。ゆるく円を描いて掛かる橋の先には、石造りの建物が建ち並んでいた。

 おもちゃのようだ、とアスレイは思った。アスレイの国では、白や灰色など薄い色彩の家が多い。だが、今視界にあるのは原色ばかりなのである。

 まばらに見られる人の――魔族の姿は、まったく人間と変わらない。ただ、青や緑の、人間ではありえない髪色をした者が少なくなかった。また、肌の色も多様だ。

 異次元にでも迷い込んだような心地だった。

「ちょっとアスレイ、ちゃんとついてきてよ」

 都会に出てきたばかりの田舎者のように、好奇心と戸惑いの混じった顔できょろきょろしていたアスレイは、はっとして気を引き締めた。

 浮かれてはいられない。どんな危険な場所かも分からないのだから。

「あんたみたいに世間知らずそうな美少女は、真っ先に人さらいに狙われるからね」

「僕は男です」

「見た目は女でしょ、巫女様」

 むっとしたが、否定できないので黙っていた。

 そもそも髪を伸ばして女性的な外見にしているのは、有事の際に巫女の身代わりとなるためなのである。

 そのうち商店街に入ると、一気に人の数が増えた。

 賑やかな雑踏と店からの呼び込み、値段交渉の声。懐かしさがこみ上げた。

 幼い頃、よく感じた空気だった。薄汚れた路地の壁と、いくつもの軽い足音。甲高い笑い声、追いかけてくる大人の怒声。

 巫女の騎士として神殿で暮らすようになり、遠くなった。今に不満があるわけではないのだが。

 古い思い出に沈んでいたアスレイは、あっと声を上げた。いつの間にか二人がいない。

「しまった、はぐれたかな」

 これだけの人ごみでは、それほど離れなくてもすぐに視界から消えてしまう。人々の間を縫うように視線をめぐらせるが、見当たらない。

 アスレイは諦めて足を進めた。商店街を抜けないことには合流も無理だろう。

「イオリさんに怒られそうだな……」

 そうこぼした時、腕にちくりと痛みを感じた。不思議に思って顔を動かしたとたん、ざわっと全身の毛が逆立ち、意識が遠ざかる。激しく世界が廻った。

 よろめき、(まぶた)が閉じる寸前、繊細そうな少年の顔が見えた気がした。



「――イオリ」

「どしたの」

「アスレイの匂いが離れた」

 クエンの言葉を聞いたイオリは、不機嫌そうな半眼になった。

「はぐれたの? 言ったそばから、あのお嬢ちゃんは……」

「捜そう」

「平気でしょ、多分商店街を抜けるくらいするわよ。この先は広場だから、すぐ見つかるわ」

「だが……」

 クエンは心配顔をやめなかった。

「最近は緑の奴らと白の奴らがくだらない喧嘩してるだろう。道ですれ違うだけで取っ組み合いするんだ、それに巻き込まれるかも知れない」

「まがりなりにも巫女を護る騎士なら、自分で何とかするでしょ」

「大勢で来られたら、いくらなんでも無理だろう」

「……あのねえ」

 イオリは赤い爪をクエンの眉間に突きつけた。

「そりゃアスレイは人間だから、ここは不慣れだろうけど。子供じゃないんだから、ちょっといなくなったくらいでおろおろしなくたって平気よ。あんたのそれは単なる私情」

「私情って、俺は別に……!」

 言いかけて、クエンは口をつぐむ。困惑したように背後を――〈道なしの城〉を見やった。

「巫女に似ているから、心配なんだ」

「巫女に?」

 眉をひそめるイオリ。儚げな少女と、亜麻色の髪の少年を脳裏で並べてみる。

 彼女は真顔で反論した。

「巫女の方が可愛いわ」

「……可愛さについて論じているつもりはないんだが」

「――ほら、緑と白がさ」

「ついに決着かしら?」

 商店街を抜けた二人は、飛び込んできた噂話に足を止めた。

「でも良かったわよね、ずうっと縄張りだの何だので争ってたんだから」

「ホントホント。しかもどうやら流血沙汰にはならないみたいだし」

「遺跡の宝を取ってくるってだけでしょ? 負けた方は町を出て行くんだって」

「宝って何かな? すっごい宝石とか? 今まで誰も取れなかったんでしょ?」

「それがさあ――」

 イオリとクエンは、次のセリフを聞いて絶句した。そしてイオリは慌てて、クエンにアスレイ捜索を命じたのだった。



 意識が徐々に覚醒してゆく感覚の、何と気持ちの悪いことだろう。

(重い……)

 アスレイはゆっくりと瞼を上げる。

 頭の中でうるさい虫が飛び回っている。思考が一向にまとまらず、視界もなかなか鮮明にならなかった。寝かされているのは分かるが、冷たいのか温かいのかも分からない。

(どこだ……?)

 頭のもやが晴れてくると、やっと茶色い床を認識できた。体が重いため、目だけで辺りを探る。

 少し離れた位置に何者かの足を見つけた瞬間、勢いよく飛び起きた。実際にはのろのろと上半身が持ち上がっただけだったが。

「お目覚めか、お姫さん」

 野太い声がかかり、靴音が近づいてくる。

 バランスのいい巨躯が威圧的だった。傲慢な色をたたえた緑の瞳で、品定めでもするようにこちらを見下ろしてくる。

 戦闘体勢を取ろうとしたアスレイは、両の手首を拘束している細い鎖に気がついた。霊力が高まらない。

「妙なことは考えるなよ。それは霊力を封じる鎖だ。いくら巫女でも破れねえよ。霊術を使われちゃ厄介だからな」

「……何者だ」

「俺はジェオ」

 男は余裕の笑みを浮かべた。腰に巻きついた太い鎖が重々しく鳴る。

「鉄鎖のジェオだ」

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