表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界樹の巫女  作者: 白石令
第1章
2/77

2 魔界の少女

「魔界? 魔界ですって?」

 彼女は焦りを隠しもせずに繰り返した。

「カルシー、それは本当なの? アスレイは魔族に連れて行かれたのね?」

「間違いございませぬ、巫女」

 部屋で霊力感知を行っている女たちを見ながら、カルシーは重々しくうなずいた。

「霊力の残滓(ざんし)から、アスレイ以外の――それも魔族が力を使ったのは明白です。空間のゆがみも残っておりますし、アスレイは異界の扉を開ける力など持っておらぬはず。となれば、魔族に連れ去られたと考えるのが妥当でございましょう」

「なんでアスレイが……」

 カルシーはわずかにためらった後、間違えたのでしょう、と告げた。

「間違えた?」

「アスレイは巫女の衣装を着ておりました。男には見えぬと常々巫女もおっしゃっていたでしょう」

(わたしのせい……)

 巫女は唇を噛んだ。焦燥と自責の念で胸が焼けつくようだった。

「アスレイは連れて行かれたんじゃないわ……自分でついていったのよ」

 彼女に危険が及ばないように。

 そういう少年なのだ、アスレイは。平気で自分を犠牲にする。外見はたおやかな少女のくせに。

「扉を開くにはどうしたらいいの?」

「それは……巫女であれば可能でしょうが、あなた様の力はまだ安定しておりませぬ。失敗するだけならまだしも、下手をすれば御身に危険が――」

「わたしの危険なんてどうだっていいの!」

 感情的に叫んでから、巫女は口を閉ざした。

 これではただの八つ当たりである。彼らは巫女を第一に考えるのが仕事なのだ、こんなことを言い合っても意味がない。

 巫女は監視し、護らねばならない。強い霊力を悪用されないために。それは承知していたが、こんな時まで自由に動くことは許されないのだ。やりきれない思いでいっぱいになる。

 彼女は濃茶の髪をぐしゃぐしゃと掻きむしり、寝台に腰掛けると、怒りを吐き出すように長いため息をついた。

 カルシーが労わりに満ちた言葉をかけてくる。

「……お気持ちはお察しします。ですが、アスレイも類まれな力の持ち主。簡単にやられはいたしますまい。アスレイを助ける方法はあとで考えるとして、まずは巫女の安全を確実なものとしなくては」

 それからカルシーは、警備と結界の強化や、巫女の付き人の増員などの細かい指示をその場の者たちに出した。

「巫女、くれぐれもお一人にならぬように」

「……分かったわ」

(アスレイ……)

 きっと無事でいるはずだ。彼はああ見えて、何者にも屈服しない強さを持っているのだから。

 巫女は自分にそう言い聞かせると、寝台に倒れこんで目を伏せた。



 激しい閃光と爆発音が夜空を埋め尽くしていた。火が次々と弾けては消えていく。空を一条の光のように駆ける灰狼が、獣達をことごとく撃墜(げきつい)していっているのだ。紙くずでも吹き飛ばすかのごとく。

 負けじと獣達が放った光線は、狼に当たるどころか反対側にいた味方を撃ち抜く始末である。完全に狼が優勢だった。圧倒的な数の獣達が、舞い散る枯れ葉に見える。

(一体何者なんだ)

 アスレイは不審と警戒を口調ににじませた。

「魔族が、何の目的で巫女を?」

「世界を救うため」

 相手は大真面目だった。アスレイはますます表情をかたくする。

「そう警戒しなくても、別に取って食おうなんて思ってないわよ。肉キライだし……」

「世界を救うって、一体何の冗談だ?」

「別に信じろとは言わないけど。世界の滅びを止めるために、地上の巫女が必要だそうよ」

「どういう……?」

 その時、灰狼の猛攻をかいくぐって、一匹の獣が部屋へ侵入してきた。豹に似たしなやかな体をぐんと伸ばし、一息でアスレイ達との距離を詰める。

 突然の展開に多少なりとも動揺していたアスレイは、反応が遅れた。狙いは自分だ。反射的に急所を守るようにして腕を突き出す。

 しかし、その鋭い牙が肉を貫くことはなかった。

「……ネコ科ごときが」

 ぞっとする声音で女性が呟いたと同時に、彼女の羽衣が一瞬にして豹に巻きついた。顔を、首を、腹を、ぎりぎりと締め上げる。

「あたしは今機嫌が悪いのよ……ワンちゃんと戯れてろ!」

 ぶんっと外に放り出される豹。

 羽衣は途中で獲物からはがれ、元通り女性の身を飾った。

「このバカ犬っ! 今度こっちに敵を通したら、ただじゃ済まないわよ!」

 その脅しが聞こえたらしく、狼はびくっと耳を伏せて加速した。

 女性がくるりとアスレイに向き直る。

「――ま、こっちの巫女に会ってもらえれば話は早いかしらね。話せれば、だけど」

「魔界の巫女、に……?」

 地上と魔界に一人ずつ存在する、世界樹の巫女。強大な霊力を宿す彼女らならば、確かに異界の扉を開くこともできるだろう。

「……………」

 アスレイは胸に妙なざわめきを覚えた。巫女が、もう一人の巫女を()ぶ。尋常ではない。地上と魔界は一切の交流が途絶えていたというのに。

「ついてらっしゃい――ええと、そういえば名前は?」

「アスレイ……」

「アスレイ。そんなに身構えなくたって、何もしやしないったら。あたしはイオリ。あっちのバカ犬はクエン。さ、ついてきて」

 まだ一人で奮闘中の狼――クエンにはまったく目もくれず、彼女はさっさと歩き出した。慌てて後ろから声を掛ける。

「か、彼は放っておいてもいいのか? まだ相手はたくさん――」

「平気よ、体だけは丈夫だから。よしんば死んでも、バカが直っていいんじゃない?」

 本気なのか冗談なのか、彼女は恐ろしいセリフを返してきた。さっきまでの激越な様子は鳴りを潜めていたが、案外まだ怒っているのかも知れない。

 反論する勇気が持てず、アスレイは黙ってイオリの後を追った。



 内部の構造は複雑を極めた。

 アスレイは眩暈をこらえて歩き続ける。

 部屋の外は細長い通路になっており、やたらと分岐がある上、曲がりくねっていた。

 しばらくして着いた階段は、最後の段が見えないほど奥底へと続いている。

 それがようやく終わったかと思えば、次に待ち構えていたのは、円形の広間に並ぶ何十もの扉である。

「こっちよ」

 イオリは迷わず扉を選択する。

 その向こうは、再び蟻の巣並みに入り組んだ迷路であった。

「……………」

 いささかも躊躇しないイオリの足取りに、妙に感心してしまう。

 だが、迷路の終着点で上に続く階段を昇り始めた時、さすがに疑念が沸いてきた。

(さっきは降りたのに?)

「あの……」

「こうしないと行けないの。面倒なんだけどね、巫女の安全を考えると仕方ないわ」

 心でも読まれたのか、と言葉をなくしたアスレイに、イオリは不思議そうに振り返った。

「違った?」

「いえ……よく分かりましたね」

 いつの間にか敬語になっていた。

「聞いてもいいですか」

「構わないけど、ほとんどの質問には答えられないと思うわよ。あたしは巫女の言う通りにしただけで、何も聞いてないの」

「……なら、一つだけ」

「どうぞ?」

「巫女に――地上の巫女に何をさせる気なんですか?」

 前を行くイオリが、わずかに苦笑したのが気配で分かった。

「可愛らしいわね。そんなに巫女が大切? それとも仕事熱心なだけかしら」

「……………」

 答えに困って沈黙するアスレイ。

 そんな彼をおかしそうに見やると、イオリは答えを返した。

「悪いけど、あたしは知らないわ」

「……そうですか」

 イオリがふいに足を止めた。

「着いたわ」

 通路がいつの間にか終わっている。

 目の前には、天井まで届く鉄扉が不自然な唐突さで出現していた。

 イオリが手を触れると、赤い光が血管のように扉の表面を走る。光は何度か明滅し、一瞬、強く輝いた。

 きしみながら扉が開いていく。

 絨毯(じゅうたん)の敷かれた、上品な部屋だった。古そうなクローゼットや机、椅子などが目についたが、ほとんど使用感はない。展示物のような佇まいだった。

 アスレイはイオリに続いて部屋へと入る。

「――巫女」

 薄いカーテンを少しよけて寝台を覗きこみながら、イオリが声を掛けた。カーテンに細い人影が映っている。

「起きて平気なの?」

「……異界の風が流れてきたのを感じました。地上の巫女を連れてきてくれたのかと……」

 アスレイは儚げな声にどきりとした。

 もう一人の、巫女。

「イオリ……巫女は、どこに?」

「あー……それなんだけど。バカ犬が、巫女と間違えて違う奴連れてきちゃってさ。――ごめん」

 イオリはしおらしかった。狼の青年――クエンを相手にしていた時とはまるで態度が違う。

「だから、どうすればいいか聞きに来たの」

「……………」

 弱々しい影がうつむいたように見えた。

「わたくしには……もう、異界の扉を開く力は残っていません。けれど……地上の巫女には……来てもらわなければ……」

 星の瞬きのようにかすれていく声。

 アスレイは立ちすくんだ。あまりにも生命力に乏しい。

「……世界樹に……」

「世界樹? ――なるほど、分かったわ。すぐに行って地上の巫女を連れてくるから」

「お願いします……」

 耐えきれなくなり、アスレイはイオリの横に割り込んだ。

 病的なほど白い顔が、緩慢にこちらを見上げる。

 硝子のような淡い緑の瞳。色素の薄い細くしなやかな髪。小柄で華奢(きゃしゃ)な体躯。年齢はもう一人の巫女とそう変わらないように見えるが、あの活力に溢れた少女とは正反対だった。

「あ……」

 問い詰めるのははばかられて、アスレイは言葉を失う。

 巫女が視線でイオリに尋ねると、イオリは肩をすくめて言った。

「バカ犬が巫女と間違えて連れてきた、地上の巫女を護る騎士とやらだってさ」

「巫女を……護る……そうですか、あなたが……」

 陰のある面差しに、好意的なものが広がった。

 こちらからの言葉を待っているらしい彼女に、アスレイは意を決して口を開く。

「地上の巫女を、どうする気なんですか」

 少女の睫毛が苦しげに揺れた。アスレイの質問に反応したのか、それとも体調が思わしくないのかは判断がつかない。ただ、ひどく深刻な理由があるらしいことだけは察して、アスレイは言いつのった。

「巫女に何をさせたいんです? 世界の滅びを止めるためというのは、一体どういうことなんですか」

 少女の呼吸が乱れはじめる。その様子にアスレイははっと息を呑んだが、これだけは聞かねばならない。

「答えてください。巫女に、何をさせるつもりなんですか?」

 口調に苛立ちが混じっていたのだろう。イオリがアスレイの前に腕を伸ばして牽制した。

 感情が昂ぶって怒鳴りかけた瞬間、ようやく巫女が荒い呼吸の合間に何事かを呟く。

「え?」

 それは『契約』と聞こえた。

「……わたくしの、死を、きっかけとして……世界は滅びに向かってしまう……それは……契約なのです。でも……まだ、契約を、成立させるわけには……そのために、どうしても、もう一人の巫女が……」

「巫女、もうよしなさい! もういいからあんたは眠って。あとはあたしが何とかするから」

 イオリがそう言うと、巫女は糸が切れた人形のように意識を失った。

 思わず身を乗り出したアスレイを、イオリが扇で遮る。

「教えておいてあげるけどね、巫女はもう寿命が少ないの。起きていると命を縮めるから、今では滅多に起きないわ。――あたしが何も聞いていない理由が分かった?」

「……分かりました」

 アスレイは素直に従った。巫女の護衛役としてはこのまま捨て置けないが、かといって無理に起こすわけにもいかない。

(彼女の死をきっかけとして……? それが契約?)

 分からない。巫女に益となるのか、害となるのか。

 ただ、彼女の平穏を脅かすことだけは間違いないだろう。

「それで、あんたはどうするの?」

 イオリが問いかける。

「どうする?」

「聞いてなかった? 世界樹に行くって言ったじゃない。あれは唯一、魔界と地上、両方の世界に存在するもの。あそこからなら、巫女の力を使わなくても地上へ行けるかも知れない」

「巫女をどうしても魔界に連れてくるということですか?」

「それがこっちの巫女の望みだからね」

 イオリの金の瞳に、ちらりと試すような光があらわれた。

「こっちの不手際だから、あんたを帰すのに協力するのはやぶさかではないけど……地上の巫女が扉を開かない限り、可能性があるのは世界樹だと思うわよ?」

 現時点では彼女達を信用することはできない。だが、彼女達が巫女を狙っていて、その理由もはっきりしないのなら、一緒に行動していた方が都合はいいだろう。

 アスレイは即座に心を決めた。

「あなた達が世界樹に行くというなら、僕もついていきます。あの子の言うことは……嘘ではなさそうでしたけど、それが巫女にとって害になることなら、黙っているわけにはいかない」

「ご自由に」

 おかしそうに笑ったイオリは、つと開けっ放しの扉に視線を転じた。

 灰色の髪の青年が音もなく部屋に入ってくる。

「巫女は?」

 アスレイと目が合うと、クエンは照れたようにそっぽを向き、それから巫女の方を確認した。

「少し起きたけど、また眠ったわ。バカ犬が失敗したってのにちっとも責めないで……巫女の優しさに感謝しなさいよ」

「……………」

「世界樹に行くわ。良かったわね、アスレイもついてってくれるそうよ」

「アスレイ?」

 イオリがアスレイを指すと、クエンはその名を何度か呟き、そうか、とうなずいた。うつむいたその顔は、どこか嬉しげに緩んでいた。

(……不安だ)

 このメンバーで、これから無事にやっていけるのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ