第二話 責める男(2)
それから数日が経った。俺はアパートで1人、夕食の準備をしていた。が、胡椒を切らしているのに気がつき、すぐに雑貨屋へ走った。
「こんばんわ、ヒューイ」
と、その時、突然声が聞こえてきた。メアリーだ。ちょうど彼女も買い物に来ていたようだ。
俺はいつもの調子で、「やあ、胡椒をね。君も夕飯の支度かい」と明るく答えていた。ただしその時の俺の気持ちは、前回のジェームスとの件もあるので、あまり親しげな会話をするのも気が引け、その反面急に素っ気なくするのも変だし、言いようのない困惑を感じて次の言葉が見当たらない。何を言おうか迷っていると、メアリーが先に口を開いた。
「……今度ねえ、えーと、1週間後の夜7時なんだけど……スター大劇場でミュージカル映画があるらしいの。そのチケットを2枚頂いたから、どう? この時間ならあなたも仕事終わってるし、行かない?」とはにかんだ表情で俺自身が思ってもみないことを言ってきた。
つまり、全く急な申し出を受けた訳だ。俺は舞い上がり、「ジェームスも……」と迂闊にも奴の名を洩らしたところ、
「いいえ、ジェームスとではなく、今はあなたと行きたいの」という拒否する言葉さえ聞き出してしまった。
これには、本当に驚いた! まさか予想だにしない、彼女からのアプローチ? 俺に好意を持っているのか? この事実に、俺は天にも昇るほど歓喜した。
むっむっ、しかし……しかし、胸が張り裂ける思いだ。どうしようもない、奴を裏切ることは、できない!
俺は高鳴る鼓動の中、必死でときめく心を押さえ込み、
「す、すまない! その日は予定がある」と理由を作ってしまった。そして、振り返ることもなく彼女の前から立ち去ったのだ……。奥歯をかみしめるほど残念な思いを胸にして!
その後、彼女がどうしたか。すぐに結果は知れた。ジェームスが勢い勇んで俺のアパートに駆け込んできたからだ。無論、メアリーから誘われたと言う報告を持っての訪問だった。
これで良いんだ、これで! 俺は自分自身を納得させた。
それから1週間が経った。俺は……誰にどう思われようと構わないが、いつの間にか道路を挟んだ――スター大劇場の入り口が見渡せる――向かいの雑居ビルで身を潜めていた。周りから悟られないようにして、彼らの様子を窺うつもりだったのだ。何故なら、是が非でも彼らの姿を見たかったせいだ。幸せそうな表情か、それとも口論するところか、自分でも分からない。……が、彼らを確認しないと気が収まらない心境になり、居ても立ってもいられず部屋から飛び出していたのさ。
俺はじっと劇場の前を注視し続けた。
6時48分、メアリーが現れた。けれどジェームスがいない。劇場の前で待ち合わせか? そう思って見ていると、突如奴の姿が目に飛び込んできた。俺のすぐ横で、メアリーに向かって手を振りながら道路を渡ろうとしている。
すぐさま俺はコートで顔を隠し角に紛れた。奴は幸福そうな笑顔を湛えて、自分の前を歩いて行った。その顔が特に印象的で、俺には羨望心さえ〝同時に彼らの幸せを願ってはいたのだが〟芽生えさせていた。
だが、ジェームスがきっかり道の真ん中に来た時、突然事件が起こった。
車が、猛スピードで走って来たのだ! しかも奴は、彼女だけに焦点を合わせているためか、その存在に気づいてなさそうだ!
このままでは危ないぞ! 急いで声をかけなければ、と俺は思った。
……ところが、この時、ふっと俺の心に魔が忍び込む。ほんの一瞬だけ――奴が死ねば?――と願ってしまったのだ!
俺は無意識に口を噤んだ……
が、すぐに――ば、馬鹿やろう! お前は何を考えている――と正気を取り戻す。そして、ジェームスが俺の目の前で撥ねられそうになっている光景に今更ながら焦り、
「くるまだ!? 気をつけろ」俺は声を張り上げた……ものの、既に、遅かったー! 激しい衝撃音が夜空に響いた後だったのだぁー。
奴は、諸に車と衝突し、数メートルも弾き飛ばされてしまっていた!
「キャーァー!? ジェームス、ジェームス!」
メアリーが半狂乱になって駆け寄る。俺は呆然と立ちすくみ一歩も動けない。片やその事故を見た野次馬たちの群れが、瞬く間に押し寄せ奴を囲み始める。その場は、混乱と恐怖で満たされていた。
それでも、どうにか、「ジェームス!?」と叫びながら、俺は転がるように近づき、人を押し退け奴の側に寄ったところ、驚愕のシーンが目に飛び込んできた!
……まるで蝋人形みたいな……生気のない死相で倒れている、ジェームスの姿がその場にあったのだ――