白川老人
レース鳩は帰還するまでの、自然の脅威、外敵の脅威と戦わねばならない。厚い雲は視界をさえぎり、強風、気圧は、コース変更を余儀なくさせる。空腹、体力、知力・・鳩達の懸命な姿を想像出来てこそ、やっと、競翔家であると言える・・川上氏はいつも香月に、そう言う。あの・・初参加の初帰還の100キロレースの感動を忘れまい・・香月は胸に誓っていたのだった。南北に長く、気候の変化が大きく、高い山脈が連なり、何度も海を越えるような地形の日本。その中で、何十年と築かれてきた鳩レース、そして競翔鳩の英知は、在来系と言う適した血によって飛躍的に改良され、その優秀さも証明されている。だが、それも近年のスピードバードの台頭によって、徐々に変わりつつあるのも現状だ。
そして・・700キロGPの開催日がやって来た。この日の為に調整を重ねられた鳩群。どの鳩も素晴らしく見える。香月の参加は14羽。調整も万全だ。東神原連合会の参加鳩数は3100羽。このレースまで天候に恵まれて、好調な帰還率であった為に、過去に無い大羽数参加となった。今年は、持ち回りの連合会が、風巻連合会となっていて、学生である香月は持ち寄り場所へは時間の都合もあり、同行出来なかったが、今年のAブロック参加鳩数は、3万6457羽と言うかつて無い大羽数と言う事だ。余りの数なので、このAブロックでの総合順位の他に、近隣単位連合会の地区Nと言う集計を設置したと言う。新たな総合レースがもう一つ生まれたのだ。そのブロックD地区に神原連合会があって、中でもやはり最大羽数の1万1432羽の地区N優勝も掛かっていた。ひょっとしたら、1000キロレース以降の順位、得点よりも、GPレースで、決まってしまう可能性もある最優秀鳩舎賞であった。




