春風と英傑の息吹
このレースに、本来参加予定であった紫竜号は、ここまでの中で、2つのぶっちぎり優勝で消えた。それは、紫竜号の孤高の気性故の、単独飛翔の危険性は、必ずその身に巡ってくるだろう・・香月は思った。そして、GPレースは川上氏の白泉エース号が全体総合優勝を遂げたのであった。磯川のパイロン3世号が総合3位、佐野のタンギ号が総合5位、スプリント号は総合13位となった。この天候の中、長距離鳩として育ち始めたスプリント号を証明するものだった。続く800キロQCは、高橋鳩舎が優勝、総合6位に入った。渡辺鳩舎も総合8位、郡上鳩舎が総合10位と東神原連合会の上位入賞が続いて行く。その勢いで、900キロKCは大荒れの天候となったが、翌日帰り、磯川が総合優勝をパイロンキング号で成し遂げた。川上氏の白川系と、ペパーマン系の血統の層の厚さをまざまざと見せつけた。だが香月もパンナ号で連合会2位、総合24位に食い込んだ。
そして・・いよいよ紫竜号の運命を決める、1000キロGCが開催となる。紫竜号は本来なら、GP、CH、GCH、GNと言うビッグレースに進むべき鳩だ。十分過ぎる程の資質を兼ね備えている。しかし・・この春も紫竜号は昨春の教訓を生かせて無かった。先頭集団を形成する飛びぬけたこの資質なら、常に紫竜号は、陽の光を浴びるレースに参加される競翔鳩となった筈。だが・・孤高の気性故に・・・・。




