#2カイト
▼カイト
意識の底から声が聴こえて来る。
真っ暗な空間に浮遊している自分の体に気付き、
―オレ、死んだのかな?―
と、ぼやく。
暫くすると、一筋の光が自分の体を浮き立たせた。
一直線に差し込んで来る光。
―オレ悪い事なんかしてないから、これは天国へと導く光なのかな?!―
そんな事を何気なく考える。
しかし、先程から聴こえて来るこの声は……必死なまでに誰かを呼んでいる。
―そんなに叫んでよく声が枯れないよな―
そんな事を人事のように考えてた時、その声がハッキリと耳に届く程近付いた。
その刹那、
「気付いたのかっ!カイト?」
―耳もとで叫んでいたのか―
とチラチラ眩しい木漏れ陽の中、自らが大きな青空を見上げている事を把坦した。したものの、
―ここは何処なんだ?!―
体中が痛くて、これ以上起きあがれない。
「このまま眼を醒まさないんじゃないかって、心配したんだよ……」
その声は弱々しくて、しかし何故かしら聴き慣れたそれは、自分を労っている事を知らしめる。
オレは少し横に頭を動かした。
「オレ、死んだんじゃなかったのか?」
とその声の主に問いかけてみる。何でそんな事を言ってしまったのか?そんな事は判らない。
「莫迦!軽々しく死ぬなんてこと言わないでよ!」
さっきとは裏腹に力強い声。
逆光のために、その声の主が誰なのかが分からない。
「雨、止んだんだ……」
先程まで降りしきっていた雨が嘘のように澄んだ青空が広がっている。
「何言ってるの……?雨なんか降ってないよ」
可笑しな事を言ってくれるなという風に、不安な声が返してくる。
「もしかしてカイト、頭をぶつけて変になったんじゃないの?」
どうやら、『カイト』とはオレの事を言っているらしい。
「ちょっと待ってくれ。オレの名前はカイトなんかじゃなくて……」
―あれ、思い出せないぞ……―
これは困った。と眼を閉じた。が、一向に自分の名さえ思い出せない。
そんな時、遠くから駆け寄って来る足音が耳に入って来た。
「カイト皇子、カイル様!」
その足音で耳横まで来たのが分かった。
『ガチャガチャ』とした金属が擦れる音が耳に響く。
「クルト。良かった……このままカイトが起きあがれないんじゃ、ボク一歩も動けないとこだったんだ!」
と、カイルというらしい人間が答える。
「どうやら頭をぶつけたらしくって、カイトちょっと様子が変なんだ。だから早く主治医に見せないといけない様なんだよ」
と、どうやらこの状況を一番把握してるらしいカイルが説明している。
―変?とは失礼な……―
と心の中でぼやいてみるもののこの状況を全く把握できない自分は確かに変なのかも知れない。
―しかも、皇子とか言われてるぞオレ……―
「そうですか。分かりました。カイト皇子は私がお運びいたしますので、カイル様は暫くここでお待ち下さい。人を呼んで参ります」
そう言い残すと、このオレを抱きかかえその男は歩き出した。いとも簡単にオレの体は『ふわり』と宙に上がった。
その際カイルと呼ばれたその人間の顔を垣間見る事が出来た。
そして驚いた、色白で、淡い緑色の瞳をした少年。柔らかそうな少しウェーブの掛った茶色の髪が後ろで一つに束ねられ、肩に掛っている。
まるで色さえ気にしなければ、何処かで見た事の有る面影である様な気さえした。
そして気付いた。そんな人聞がこのオレを焦点のあわない眼差しで見上げていたことに……
―一体ここは何処で、オレはどうしてしまったんだ?―
オレは、でかい大理石の宮殿に戻されて、主治医と思われるお爺さんに診てもらった。
そこは、天井に天幕が施されていて、いかにも西洋の宮殿の寝室といった感じである。
装飾も艶やかで、自分が本当に何がどうしてこういう事になったのかが凄く疑問で、訊かれる事のみ答えるのが精一杯であった。
「カイト皇子の容態はいかがなのでしょうか?」
と、クルトと呼ばれてた男は主治医に尋ねていた。
「詳しくは、カイト様に訊かれる方が宜しいのではないでしようか?取りあえずこのまま本日は安静にされた方が宜しいかと思われます。状況がどうなのかと申しますと、全身の打撲と、その時少々頭を打たれたようで、記憶の障害があるといったところですな」
とその主治医と言われる者が答えた。
「そのようですか」
「……」
オレは、何も話しかける事もできず、そのままぬくぬくとベッドの中で話を聞いていた。
「それでは、私はこれにて失礼いたします。くれぐれも、安静になさっていて下さいよ。カイト皇子!」
いかにも動こうと目諭むだろう事を予測してか、そう言葉を残しこの部屋を二人は出て行った。まだ、外はほの明るく、その光が優しく自分を包み込んでくる。
「一体何がこのオレに起こったんだ?」
ボソリと言葉が口からこぼれた。
静かな部屋の中、腕を額に乗せて考えていた。
そうしているとただ独り残されて外界からまるで隔離されてしまったようである。
遠くで、小鳥のさえずりを聞いた。
『カイル』と呼ばれる少年の事がふと脳裏を過ぎった。
―あいつ、どうしてるんだろう―
何故か気になるあの少年は、あのまま、あの場所で待機しているはずである。
青い空と、緑の大地。彼は、その中に見た幻影であったのか?
ふと記憶の中にかすかに残っている彼女の名前を思い出そうとするのだが、なぜだかそれさえも全く覚い出せない。
今では本当はこっちが本当の自分で、これまでの一連の世界だったものが嘘なのではないのか?とさえ疑いそうだ。
それともここは天国で、オレは死んでしまったのか?
―お手上げだ―
暫く横になっていたせいか、それとも頭を強くぶつけたせいなのか、深い眠りが襲って来た。夢を見る事もなく。
「カイト…カイト……」
そう呼ぶ声で眼が覚める。
うすぼんやりとした視界の中、カイルと呼ばれる少年の顔が目の前に滲んで浮かんだ。
「心配したよ。もう大丈夫なの?軽い打撲で済んだって聞いたんだけど……」
あいかわらず、焦点のあわない瞳の少年がこちらを覗き込んでいた。
「カイト突然叫び声あげて手を離すんだもの、ビックリしたよ。ボクどうすればいいんだろうかって……」
そういうとオレの体の上に身を委ねた。話を聴いてると、どうやら散歩の途中でオレが小さな穴に足を滑らせたらしい。
「オレ、今までの記憶がないんだ」
その事はカイルの耳にも入っているらしく詳しく説明を加えてくれた。
自分が、この国『エストラーザ』の第一皇子『カイト』という者である事と、そして、一週間後には戴冠式を迎える事になっていて、大事な身である事。この『カイル』が、義兄である事など断片的な事であるが少しだけ理解できた。
「この国は外交が盛んな国で平和であるため、周りにある二国『サリバーン』と、『キリアートン』との間で最近平和の均衡が崩れはじめている。現国王の容態が優れない今、カイト、君が頼りなんだから、十分気をつけてもらわないと……」
この台詞で一気に眼が覚めた。
―なんてこった。そんな事いきなりオレに押し付けられるなんて……―
オレは開いた口が塞がらなかった。
「ボクの事は気遣わなくっても……もういいよ。たとえこの目が不自由であろうと何とか身辺の事くらいなら自分一人でできる…カイトと遊べなくなるのは辛いけど、もうそんな事もできなくなる身なんだから」
―だから、違和感があったのか―
先程からの、焦点のあわない瞳の理由が分かった。
なぜかしら、カイルの哀しい微笑み。
「記憧がない方が良いかもね。ぼくの心が安らぐ」
とつぶやく言葉は小さくて、聴き取る事が難しかった。
「それってどういう意味?」
訊き返すより先に、
「それじゃ、安静にしてて。またここに来るから」
そう言い残すと、カイルはよろよろとこの部屋を後にした。
沈黙がこの部屋に残された。
外はすでに暗くなっていた。オレはいろいろな疑問を残しつつも、そのままうつろな眠りに襲われた。
夢の中、再びカイルと呼ばれた少年の声を聴いたような気がしたが、それが他の誰かの声と重なり……やがて深い眠りについていた。
次の日は昨日の晴天とは裏腹に雷鳴を伴う大雨であった。
宮殿のガラス窓。そこに弾かれる雨粒。
ふと思う。確かにあの日とさほど変わりはない。ただ雷は鳴っていなかったのではあるが。
目を醒ましてから、暫くすると、身支屋の用意を始めた。
侍女らしき女性が、
「カイト皇子、御気分の方はいかがですか?」
と、優しく声を掛けてくれる。
体の節々の痛みも大分楽になり、ぶつけた頭も起きた時にはすっきりとしていた。
ここは自分の置かれた立場を少し考慮に入れようと言葉を選んだ。
「大分良いみたいだ。本日はこれからどうするんだ?」
訊き返してみる。
「これから朝食をとって頂いた後、戴冠式のためのリハーサルのようなものが予定されております」
「そう」
素っ気無く答えて、着なれ無い服を見に纏う。
それはずっしりと体を覆い、初めの内は身動きが上手く取れなかった。
「食事には誰が?」
少しだけ昨日出逢ったカイルの事が気になり問い返す。
「今朝も、お一人でのお食事です」
「カイルは?」
訊き返すと、一瞬の事ではあったが彼女の言葉が途切れたのを見逃さなかった。
「カイト皇子……カイル様の事そろそろ気に病むのをお忘れ下さい。あなたが、この国の王になられるんです。いつまでもあの事を引きずっておられるのでございましたら、カイル様にも失礼ですよ」
鏡に映る自分の姿を見た。それは見覚えのない姿。
肩にかかるほど伸びた少しくせ毛ぎみの金色の髪の毛を軽く払い除ける。すると、目の前に立った侍女は、諌めるようにオレを見上げた。
―あの事?あの事とは一体何の事であるのか?―
憶えの無い事であればこそ訊き返したいと思った。
「あの事とは?」
侍女にはオレが記憶を無くしている事を知らされていないのか、
「何を仰せられてるんですか?そのために、カイル様は、眼を……」
そしてハッと思い出したようにロを噤む。
「どうした?言いかけた事は最後までいうものだ!」
カイルの眼が自分と何か関係があるのか?どうやらそこに、何か昨日のカイルとの会話に関わる何かを見い出せそうだと気付いた。
「口が過ぎました。お許し下さい」
そういうと、侍女はそそくさとこの部屋を後にした。
追いかけて訊き出そうと試みた。が、部屋の扉が閉じてから間もなく別の侍女が、食事の用意ができた事を告げに入って来た。
「お食事の用意が出来ました。部屋を御案内いたしますので、こちらへ」
そうオレを促すと、少し割腹の良いその侍女の後をついて行く事となった。
―オレと、カイルの間には一体何があるのか!?―
大理石に囲まれた大広間の中央テーブル。
そこには、自分のための食事が用意されいる。
―しかし、オレには全くといって西洋のマナーなど皆無で、さてどうしたものか?!―
箸の変わりに、ナイフやらフォークやら。そして、平べったい食器の山。
―朝っぱらからこの量を食べろと言うのか?!―
と思うくらいの量の食事が並べられていた。
「オレ、こんなに食えないじゃなくて、食せないのだが……」
慣れない言葉遣いなのだろう、少し正して近くに控えているその侍女に声をかける。
「残されてもかまいませんよ?」
侍女は気軽に答える。
―残していいって……そんな賛沢な事したら……―
と、気がとがめる。そして訊いてみた。
「残したらどうするの?」
ごくりと喉の奥が鳴る音が脳に届いた。
「捨てます」
余りにあっさりと答えられ、頭の中が真っ白になった。
「何でそんな事……」
と言いかけたが、これがこの世界の、この王宮の方針であるのだと瞬時悟ったため、これ以上何も言い返せなかった。
「わかった。これとこれ。この分は食べるから、後は下げてくれ」
幾らか選んだ食器類を掻き集め、残りを下げさせる。
今までこんな事を言う事がなかったためか、訝しげな表情をした侍女は言われるままその言われた以外の食事を下げた。
「これからは、これだけの分量で良い。余ったものは、みなで食せ。いいな!」
オレの言葉に有無を言わさない何かを感じ取ったらしく、反諭する声は聞こえてこなかった。
食事は、さすがに宮廷と言うだけの事はある。しかしオレには、この西洋の食文化についていけるのか?それが問題であった。
昨日からのこの変化にとんだ世界。
これが夢ではない事が分かり、
『もうどうにでもナレ!』
と一部投げやりになりつつも、自分の立場はわきまえるしか無さそうだと腹を括ったつもりだった。
「はあ〜」
そのつもりだったが、次にはため息が漏れていた。
戴冠式のリハーサルは、程なく事を終えようとしていた頃の事である。大僧正の念仏はいつまで続くのかと呆れながら頭をまわし肩をほぐす。
横で見ていたらしい宰相の職に付くケルトが、
『ん、おほん!』
と咳払いをする。
長く続いた念仏が終わりを告げ解放されるという時、大きな雷鳴が鳴り響く。そして一人の将校がそれにも負けず大きな音をたて、広間へと入って来た。
ざわめく人々を誅するかのように宰相ケルトが、
「何事だ!今が何をしている時なのかわきまえよ!」
と場を制した。
静まる人々。その中で跪きながらも答える将絞。まるで、映画のワンシーンの様に感じる。
「申し訳ございません。只今国内に『キリアートン』の賊が入り、第一皇子を差し出すようにと……さもなくばこの国内を焼き払って回るとの緊急の使者が参りました!」
慌てているためか、広間に響き渡る声。
「なんと……」
「陛下が臥せっている今、このような事態になろうとは……」
この突然の事にケルト宰相は言葉を濁す。
『密告者でもいたのか?』
と周りの貴族達が騒ぐ。
再びざわめく部屋の中、凛と響く声がそれを制した。
「ボクが、身替わりに出る」
それがカイルである事は顔を確かめる間もなく分かった。
「カイル様!」
カイル付きの従者の一人が慌てて止めに入った。
「大丈夫だよ。『キリアートン』とは平和協定を結んではいるけれど、『エストラーザ』と殆ど交流がない。それに、人質として誰か一人を手に入れたいと思っているだけだろうと判断できる。ここは第一皇子であろうがなんだろうが関係ない。だから、心配は要らない」
威厳のある発言。
「カイル……」
オレはそのカイルの様子に息を飲んだ。
「それでは、カイト星子。御決断を!」
『しーん』と静まり返る。誰もがオレの言葉に耳を傾けていた。
「……」
オレは目を背け黙り込んだ。
―なんて事だ。この決断をオレがやらなければならないとは……―
眠気なんか一瞬で吹き飛んでしまった
「カイト皇子。ここは、カイル様の言う通り。一時の安定をはかるためにも、この事をカイル様に委ねてみてはいかがでしょうか?……『キリアートン』の真の目的が掴めない以上、カイト皇子に出て行かれては困ります」
宰相ケルトの言葉。その言葉を聞いても、未だオレは考えていた。
―……未だに慣れないこの世界でこんな重大な事をひっかぶらなければならないなんて……あ
れっ?でも大事な何かを忘れている事があるような……―
決断を下せないまま沈黙は続く。
「カイト皇子……ボクなら平気です。ですから、このまま言う通りにさせて下さい!」
答えの無いオレに、カイルのその言葉の後を繋ぐかのように、
「カイル様の言う通りです。ここは今暫くカイト様には辛抱して頂き後々の事を考えて頃きましょう」
とは、宰相ケルト。
「……わかった。カイルの申し出を聞こう。ただし、条件がある」
言ってみたものの条件とはどうするものなのか?適当に言ってみた。
「条件とは?」
「その使者と一同会いまみえての会議だ!」
「莫迦な!!何をおっしゃっているんですか!」
宰相ケルトは声を荒げた。
「皇子が出て行く必要はありません!それほどまでに気にされていると言うのであれば、私がすべてを取り持ちます!」
このまま俺の言う事など聴けない!と言いたげに広間の中央に出て、
「これより、カイト皇子の変わりにこの私、宰相ケルトがこの儀を取り持つ。今の皇子に決断は任せられぬ事は皆の者も判るであろう。したがって、カイト皇子の代わりにカイル殿にこの任を仰せ伝える!」
まわりでざわめきが起こる。
「有り難き宰せ……ケルト宰相!」
カイルはそう言い残すと、隣に控えている従者を三人程連れ立ちその場を将校と供に去って行った。
「カイル!」
そう呼ぶ声が聴き届けられていないかのように振り返る事なくカイルは扉を背にしていた。
それから後、オレがカイルの悲報を知ったのは三日後のことであった。