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第一話 ハイイロの指

 窓からは西日がさし、廊下は茜色に染まっている。チャイムが、放課後の訪れを告げ、生徒たちはぞろぞろと各々の行く先へと移動しだした。

 僕がロビーまで下りて、ロッカーを開け上着を羽織っていると、突然ケータイが鳴りだした。田口からだ。メールと言う機能を一切使わず、やたら電話ばかり掛けてくる友達は田口くらいのものである。

 溜め息を吐き電話を取った。

「尚人、すぐに研究室に来い!」

「はぁ? 今から? 今日はサークルの日じゃないでしょ。僕、バイト入ってんだよ」

「とにかく見に来いって。面白いから」

 そう言って、一方的に電話を切られた。見に来いって、何をだよ。

 面倒だが向かうことにした。本当に、見るってだけなら、それほど時間もとるまい。先程降りた階段を僕は再び昇った。

 研究室に戻ると、独特の匂いが鼻をつついた。締めきったカーテンに切れかけた蛍光灯に黒ずんだリノリウムの床。部員が極端に少ない為、研究室兼部室はいつも妙な雰囲気をかもしだしていた。

 中を覗くと、高校からの友人である田口順平と、美人教授の荒川仁美先生がワイワイやっていた。並んで机の上の水槽を熱心に見つめている。

「なんだよ、田口。急に呼び出して。またバイト先で怒られたりすんの嫌だからな」

「まぁ、そう言うなって。マジ面白いから」

 田口は、僕がバイト先でどんな扱いを受けようと、他人事のようだ。今のバイト先の酷さを、ヤツは知らない。

 日頃のストレスを全部僕にぶつけてるような説教をするチーフに、アホな店長、割りに合わない時給。辞めてやりたい。

 僕がバイトの事に思いをはせ、イライラが再び戻りかけると、ボーッとしてるように見えたのか、荒川先生に声をかけられ、水槽を見るよう促される。

「見てみなよ。これは非常に興味深いよ」

 荒川先生は『興味深い』という単語をよく使う。教授っぽい単語だと思っているようだ。若いからか、その辺のことを気にしているらしい。僕は若いままでいてほしいが。

 先生に促され、水槽を見つめる。灰色の物体が水槽の底に転がっていた。

 ──何かの指のようだ。腐敗しかかっている。よく見ると、形状は人間のものと似ているが、第一間接が少し長く、とがった爪も印象的だった。

「何なんです? これ」

 先生は少しニヤリとして、答える。

「お化けの指だよ」

 嘆息した。冗談も程ほどにしてほしい。第一間接が長いとは思ったが、こんなものは個人差の範疇だし、ましてや爪など個人のファッションによるので、論外なのは言うまでもない。こないだのミイラの次はお化けの指かよ。

「真面目に答えて下さい。わざわざ冗談を言うために呼んだんですか? カッパのミイラやらから全く進歩ないですね」

 先生は身をのりだして答える。

「本当にお化けの指なんだから。今回はソースも信用できるしね」

 そう言って先生は僕の顔を覗きこむ。あまり顔を近付けないで欲しいな。

「あ、その顔は信じてないね、きみぃ。じゃあ、とっておきのを、見せちゃおうかな」

 先生は棚からいそいそとガラス棒を取り出し、水槽を覗きこむと、水槽にそれを突っ込み、指の標本をつつきだした。

 棒につつかれ、指はコロコロと水槽の底を転がる。──と、同時に何やら違和感を感じた。

 荒川先生はガラス棒を標本から離した。水槽の水が揺れているせいか、標本は転がり続けている。

 ……しばらく標本は転がり続けたが、止まる様子がない。水の揺れは既に収まっている。

 おかしい。そして僕は我が目を疑った。

 ──はっている。はっているのだ。指の標本がウジムシの様に水槽の底をはっているのだ。

 なんだこれは。カッパのミイラとはわけが違う。

 荒川先生がガラス棒でまた標本をいじろうとすると、標本は棒まで自ら近寄って行き、がっしりと棒に巻き付いた。

「んふふっ」

 荒川先生はうっすらと笑みを浮かべ、慣れた様子でガラス棒を振り、まとわりつく標本をあしらった。

 荒川先生は恍惚としているが、正直僕は気持悪い事このうえなかった。見てはいけないものを見てしまった気がした。

 棒に絡み付く標本から、不気味な執念の様なものを感じたのだ。

 こんなものをいじって悦ぶなんて、荒川先生も田口もどうかしてるとしか思えない。適当なサークルが見付からなかったからと言って、こんなサークル入るんじゃなかったと改めて思った。

「ね。前のとは比べ物にならないでしょ。こんなのが、現実にいるとしたらワクワクするよね」

 荒川先生は右手をグッと握り締め、熱く語っている。

「ですよね。世紀の大発見ですよ。指だけで動き回るんですよ。腐りかけてるのに。僕、ゾンビもの好きなんですよ。バイオハザード世代ですからね」

 田口も完全に浮かれている。何がバイオハザードだ。いい加減にしろ。

「あっ。バイオハザード? 私もやったことある。2だけどね。面白いよねぇ」 完全にこの二人との距離を認識した。

 僕は、指の標本から前進像をイメージし、それが校内で暴れまわりパニックになる様子を想像した。夢物語ではない……気がした。

「なんとか復元できませんかねぇ。先生」

 田口は物好きだな。と、今更思った。というか、軽蔑した。

「指だけのサンプルじゃ、難しいわねぇ。現代の遺伝子工学がもっと進歩してればねぇ」

「ですよねぇ。今、出来る事と言えば、せいぜい薬品ぶっかけて反応みるくらいですから」

「そうねぇ。っていうか、なんで私にこれ預けたのかしら。畑中教授」

 畑中教授とは、この学校で最も有名な教授である。古生物学の権威とされている。ソースが信用出来るとはこういうわけだったのか。

「どういう経緯でこんなものが、この研究室に?」

 僕は聞いてみると、先生は難しい顔をしながら答えた。

「それがねぇ。もともと、誰かが畑中教授に調査してくれって頼んだものらしいんだけど、お忙しい方だからどっか行っちゃったらしくて。で、教え子だった私の所に教授の秘書さんが送ってきたのよ。代わりにってね」

「そうですか。ってことは、いつ、どこで、どのように採取されたかは分からないんですね」

「そうなのよ。それに、興味深い事に、なぜ私なんかの元に送ってきたのかも分からないのよ。そもそも教え子ではあったけど、それほど親密でもなかったわ。先生とは」

 珍しく神妙な顔付きで先生は考え込んでいる。ってか、今の『興味深い』は微妙でしたよ。

 しばらくすると、指は落ち着いたのか、動かなくなり水中の浮遊物と化していた。

「じゃあ、そろそろ僕は帰りますね」

「あぁ、今日バイトあるんだったね。気を付けてねぇ」

 先生は伸びをしながら、答えた。

「あ、あと、このことは部外者には喋っちゃ駄目よ。先生の秘書さんに、内密にって言われてるんだから」

 先生はわざとらしく口元に指を当てて言った。

「はいはい。言いませんよ。こんな気味の悪い話を喜んで聞きそうな友達は僕には田口くらいしかいませんし」

 帰り際、もう一度水槽を見つめる。田口が水槽の前にしゃがみこみ、じっとそれを見つめている。水槽は西日に照らされ、真っ赤に染められていた。

 あまり面白くない部分です。

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