カルマの坂-とある少年と犬の話-
とある時代、とある場所、親に捨てられ、その日食べる物さえない少年は、当然の如く常に飢えていました
少年が生きる術はただひとつ
盗みを覚えることだけでした
ポルノグラフィティ、『カルマの坂』をモチーフにしています真っ暗でした。真っ黒でした。月さえなく、真っ黒でした。
星が瞬くだけの、暗い黒い夜。
少年は物影に隠れながら地面に座り、盗んできたパンとリンゴを、貪るように食べていました。
いつ、同じ境遇の子供達に見つかって奪われるか分からないからです。
同じ境遇の元でも、命の食料を奪い合う敵でしかありません。
暴力で奪われるならまだいい方です。
相手に騙され食料を奪われることも、少なくありません。
誰かを思いやる感情など邪魔でしかなく、むしろ思いやりなど命を危険に晒す厄介者でしかありませんでした。
だから、少年は信じてきませんでした。
少年が信じれるモノなど、何ひとつありませんでした。ある晴れた日、少年は裸足でとぼとぼと街の中を歩いていました。
道端には同じ境遇の子供が何人も、座っています。
子供達の目に、光はありません。
ただ、憎悪があるだけです。
中には、飢え死にしている子供もいるかもしれません。
それでも、大人達は見て見ぬふりです。
優雅な服を着た大人達には、ぼろぼろの子供達などそこら中にいるような害虫などと一緒なので、見向きするはすがないのですが。
親に優雅な服を着せてもらっている子供達も、ぼろぼろの子供達を虫けらとしか見ていません。
石ころを投げてくることなど、日常茶飯事です。
ふと、ある建物の前で立ち止まりました。
中から微かに、声が聴こえてきます。独特な佇まい、屋根に十字架があることから教会でしょう。
少年は教会を見つめ、呟きます。
天国だろうと地獄だろうと、ここよりマシなら地獄でも喜んで行く、と。またとある日、少年はいつものようにパンを盗んできました。
しつこく追いかけてきたパン屋も諦めたのか、怒鳴り声はいつの間にか聴こえなくなっていました。
少年はその場にしゃがみ込み、急いでパンを食べます。
味わう暇などありません。いつ奪われるか分かりませんから。
ふと曲がり角に視線をやると、小さな女の子が少年を羨ましげに見ていました。
少年はパンを服の中に隠し、女の子を睨みつけます。
例え小さな女の子でも、生きる糧を奪う敵でしかないからです。
睨みつけられ、女の子はばっと走り去っていきました。
少年は舌打ちし、急いでその場を走って離れます。
もし女の子がグループの見回り役なら、厄介だからです。
仲間に見つけた場所を知らせ、奪いに来るかもしれません。
しばらく走ってもう大丈夫だろうと再びしゃがみ込み、残りのパンを急いで食べます。
物音がしてばっと顔を上げると、犬が地面の匂いを嗅いでいました。
なんだ犬かと少年は安心し、パンを食べようとして、なんとなく犬を見ました。
自分よりも浮き出た肋骨。犬は目が見えていないのでしょうか。壁にぶつかりながら、ふらふらと地面の匂いを嗅いでいます。
なぜでしょう、放っておけばいいのに、少年は犬に触れてみたくなりました。
犬の正面にしゃがみ、頭を撫でてみました。
犬はしばらく少年の手の匂いを嗅ぎ、そしてぺろりと舐めました。
少年は舐められた手をじっと見つめます。自分の手を舐めた犬の舌が温かいのが、まるで不思議なことだというように。
少しだけパンを千切って、犬にあげてみました。
犬は匂いを嗅ぎながら、遠慮がちにちびちびとパンを食べます。
犬を見つめながら、いつしか少年は微笑んでいました。
優しく、微笑んでいました。少年は今日もパンを盗んできました。
よく盗んでくる場所ではないので、逃げ道も違う道を通っています。
いつもと違う道とはいえ、熟知した道であることに変わりありません。
入り組んだ道を逃げ回っていると、追ってくる人影もなくなっていました。
ほっと一息吐き、パンを服の中に隠し道端に座りました。
目の前に佇む金持ちの家に目を向けます。
金持ちの家の前には、その家の主人であろう太った男と、少女と人売りの男がいました。
少女はきっと遠い街から売られてきたのでしょう。
この時代、珍しくもなんともありません。僅かばかりの金のために、子供は売られていくのです。
優しい金持ちに買われれば幸せでしょうが、意地悪な金持ちに買われれば地獄が待っているだけです。
少年なら毎日毎日目まぐるしく働かされ、少女も働かされますが、少女なら別の使い方もあるのです。
夜、少女は男の性の欲求の捌け口にされ、純潔を奪われてしまうのです。
顔立ちの美しいあの少女も、今日にも犯され壊されるのでしょう。
少年は忌々しげに男を見つめ、立ち上がりました。
少女のことは気にかかりますが、なんの力も持たない少年に出来ることなど、何もないのです。
力ない者が意気込みだけで力ある者に刃向かうとどうなるか、少年は嫌というほど見てきて嫌というほど思い知らされました。
だから少年は痛みを追い出し、何も感じないようにしているのです。
その場を逃げるように走り去ると、いつも犬がいる場所に向かいました。
着いてみると、犬は少年のことを待っていたかのように座っています。
少年の気配を感じ取ったのか、嬉しそうに匂いを辿って少年に近づきます。
少年は微笑みながら、犬の頭を撫でます。一週間後、少年は無表情で雨に濡れる少女を見つめていました。
金持ちに売られていたあの少女が全裸で、傷だらけで死んでいました。
仕事を失敗してしまったのか、理由もなしに酷い暴力を受けたのか。
どちらにしろ人目につくような場所に、少女の死体を辱めるように、捨てられていました。
少年ただただ、見つめていました。
人気のない道をとぼとぼと歩きます。
分かっていたことでした。少女が生きて金持ちの家を出られないことを。
少女の死体を見て怒りが湧いてこなかった訳ではありません。
しかし、怒りだけでは何も出来ません。諦めるという選択肢を持つ前に、怒りを捨て去ってしまいました。
今や少年を待つ犬もいません。
馬車に跳ねられたのか、骨が折れ血を吐いて死んでいました。
少年はただ、己の感情を殺してその日を生き延びるのみです。
カルマの坂-とある少年と犬の話-了