のっぺらぼう-顔面腐食-
顔が、腐っていく――一日目、皮膚が爛れだした。
四日目、耳が腐り落ちた。
二十四日目、眼が転がり落ちた。
四十四日目、死ぬ決意をした。
嗚呼、痛い。痛くてたまらない。
顔を触る。ぬちゃっと、皮膚にあるまじき感触がした。
こんな顔でも、見慣れた私の形が崩れてしまうのはショックだった。
嗚呼でも、眼がないからもう見れないな。
眼がないから、真っ暗闇で何も見えない。
死ぬ姿を眼に焼きつけたかった。
どんな醜い姿でも、それが私の最後なら、眼に焼きつけたかった。
嗚呼、全く、駄目な人生だった。
ああしていればよかったと、後悔してばかりだ。
きっとこれも、誰かに呪われたんだろうな。
でも、なぜだろうな。なんだか、清々しい。背負っていたものがなくなって軽くなったような。
翼をはためかすような音が聴こえた。
本当に不思議だ。耳がなくなったから聴こえるはすがないのに、彼の音だけは聴こえる。
「……来たのか。いいのか?なんの利益にもならんだろう?」
「いいよ。単なる暇潰しだから」
「……そうか。じゃあ、私が死ぬまで見ていてくれ……」
「…………」
見えないはずなのに、狐の面の下に隠された悲しそうな表情が見える。
「どうして、君が、そんな悲しそうな顔するんだ……?」
「君こそ、いいの?」
「……いいんだよ。最後に、君に会えてよかった……」
「…………」
咳をする。血の味がした。
意識が遠退く。どうやら、死ぬみたいだ。
彼が泣いている。こんな私のために涙を流してくれるのか。
ああ……いい気分だ。ふぅ……と大きく息を吐いて、彼は死んだ。
とても穏やかな笑顔を浮かべて、死んでる。
可哀想な人。どれだけ頑張っても、分かってもらえずに。
挙げ句に、こうやって呪われて殺されて。
彼の顔に触る。爛れた顔が、元に戻った。
彼を呪いから解放してあげることも、勿論出来たんだけどね。僕より下等な悪魔の呪いだから。
でも、彼はそれを望まなかった。
誰かへのウラミゴトひとつ、漏らさなかった。
可哀想。ほんとは誰が呪ったのか、分かってたくせに。
君は望まないだろうね。でも、分からせてあげなきゃ。
人を呪わば穴ふたつ。人を呪うとどうなるか。
下等悪魔の代償だから、寿命数年とか生温いもの。
悪魔は人間の望みを叶える便利屋じゃないんだよ。
悪魔が人間の望みを叶えるのは、自分の欲求のため。暇潰し。そもそも人が強制的に喚び出せる悪魔は下等悪魔だけ。
人が悪魔を喚び出すんじゃない、悪魔が興味持った人間のとこに行くんだ。
気に入らない人間のために、悪魔は力を使わない。
悪魔だって気に入った人間のために、怒ることがあるんだよ。
狐の面を外す。
さぁ、始めようか。親父の葬式が終わった。お袋以外、誰も涙を流さなかった。
ちゃんと、あの蝙蝠の姿をした悪魔は殺ってくれたんだな。
これで次の頭首の座は俺のもの。口うるさい親父は死んだ。
やれ人のためとか、なんで他人のために尽くす必要がある?
生温い親父のやり方は今日で終わりだ。
俺は恐怖で支配する。絶望的な恐怖を植えつければ、裏切る者はいない。
「み~つけた……♪」
声が聴こえて振り返る。誰だ?学生の知り合いなんて親父にいるのか?
てか、学生服に狐の面って、ふざけてるのかこいつ?
狐の面をずらした。大きな火傷みたいな痣が、露わになる。
にぃっと、不気味に微笑む。
「ねぇ、恐怖にも様々な恐怖があるんだよ。知ってる?」
「はぁ?」
「君の言う恐怖なんかで、人は支配出来ないよ。いつか、君は倒される」
何言ってんだ?支配出来なかったものなんてない。
恐怖は絶対だ。
学生が何もない真横を見て、言う。
「君も可哀想。どうしてこんな奴なんかのために」
不機嫌そうな顔をして、口を尖らす。
「ま、いいけどね。約束はあの子が誰かを手にかけるまで。それまでは手を出さないよ。悪魔は人間と違って嘘は吐かないからね。君との約束はちゃんと守るよ」
満足したような満面の笑顔を浮かべて、俺を見る。
「という訳で、僕は行くよ。でも覚えといてね、僕は見てるよ?恐怖で支配するのはいいけど、くれぐれも気をつけてね?誰かを殺さないように♪」
風が吹いた。煙のように、学生が消えた。「…………」
屋根のてっぺんにしゃがんで、あの子を見る。
あの葬式から何年経ったんだっけ?忘れちゃった。
あの子は僕の警告なんて忘れちゃってるんだね。邪魔な奴は簡単に殺しちゃって。
「ねぇ、まだあの子を信じるの?見てみなよ。君に呪いをかけさせた時の悪魔を使って、今度は母親を殺そうとしてるんだよ?このままじゃ、命を捨ててまで守った人が、同じように殺されちゃうよ?」
隣で悲しそうに息子を見つめてる彼を、ちらりと見る。
「君が望むから、僕は手を出さないでいたよ。でも、君はまだ信じるの?信じられるの?」
僕の言葉に、彼は涙を流した。
「僕はすっかり悪魔になっちゃったから、人間の気持ちなんて理解出来なくなった。でも、これだけは分かるよ。あんな人間に力があっちゃいけない」
世の中って不公平だよね。あんなろくでもない人間ばかり、力を持ってるんだから。
そして、誰もが殺されたくないから見て見ぬ振り。
自分だけよければ全てよし。自分は味方だよって尻尾振って。
他人の不幸は知らん顔。
世の中馬鹿ばかり。
正直者ほど馬鹿を見る世の中。
悪意ある詐欺師ほど甘い汁を啜る世の中。
「どうしたい?僕は君の判断に従うよ」
彼が唇を震わせながら、それでもはっきりと言った。
息子に罰を与えてくれ。「な、なんでお前がここにいるんだ!?」
きゃは♪僕が姿を見せた途端動揺しちゃって。
当たり前か。母親を殺す契約をしてたのにその悪魔がいきなり破裂して、その中から僕が現れたんだから。
「どうして僕がいるのかって?君が僕の警告を聴かなかったからだよ♪だから、罰を与えに来たんだよ。悪い子にはお仕置きが必要だからね♪」
「ふざけるな!俺がいつ殺した!?俺は殺してない!」
そうだね。確かに君は殺してない。
代わりの誰かに、殺させた。
命令に従わなかった者は、容赦なく殺させた。
確かに君はその手で殺してない。
けどね、君は沢山の血で汚れてるんだよ。
「でも君の命令で誰かが死んだことには、変わりないよ」
「うるさい!どいつもこいつも俺に意見しやがって!」
僕に掴みかかってこようとする。
当然、触れずに僕の身体をすり抜けてこけた。
「あるところに、優しさこそ世界を変える鍵だと考えた、哀れな男がいました。しかし、暴力こそが全ての世界では、男の考えは全く理解されませんでした。いくら時間をかけても理解されず、男を唯一理解してくれるのは、男の妻だけでした」
狐の面を外す。
「や、やめてくれ、見逃してくれ!」
流石に狐の面を外す時、僕が力を使う時だって気づいたのかな。
そんなに怯えちゃって。
でも、沢山の人間を殺した君にとってはまだ、軽い罰だと思うけどなぁ。「哀れな男はいつしか孤立し、裏切られ、遂には息子にまで裏切られ呪い殺されてしまいました。しかし、哀れな男はそれでも息子を信じ、見守っていました。しかし、息子は計画の邪魔となるからと、母親まで呪い殺そうとしました。哀れな男は遂に悪魔に言いました、息子に罰を与えてくれ。息子は悪魔に罰を与えられ、改心しましたとさ。めでたしめでたし」
僕を見上げて、必死に許しを乞う姿は見てて無様で面白い。
ねぇ、君はこういう風に必死に許しを乞う姿を見て、どうしたの?
笑いながら殺せって言ったんでしょ?
だから、僕も許してあ~げない♪
左手を胸の前に翳す。どこからともなく、ナイフが現れた。それを握る。
「やめろ!殺すな!許してくれ!」
「ぜーんぶ知ってるんだよ?可哀想にねぇ。君、ホントは最初母親殺したかったんでしょ?父親以上に邪魔だったから。でも邪魔された。でも自分の相続が早まるからよしとした。そして、母親は利用価値がなくなったから呪い殺そうとした。違う?」
「許してくれ、許してくれ!」
さっきからそればっかり。そろそろやろうかな。
君にはどの人生をあげようか?僕のコンプレックスは“顔”。人間だった時にコンプレックスだったモノが、力の根源。
顔を奪うのは、人生を奪うのと一緒。
奪った顔の数だけ、人生も奪ってる。
僕に顔を奪われて破滅した人間もいれば、逆に幸福になった人間もいる。
目の前で無様に情けなく腰を抜かしてるこいつは、どうなるかな~?
ま、僕には関係ないけど♪
顔に触る。ぐにゃぐにゃと歪ませながら、また違う顔を形成する。
君にはこの顔と人生をあげよう。君と同じような人間の人生。こいつは成功したけど、僕が顔を奪ってから破滅した。
こいつの先の人生は、暴動を起こされ全てを奪われた挙げ句の、物取りによる殺害。
僕が奪わなくても破滅を迎えてたんだけどね♪
「来ないでくれ……来るなぁ!」
逃げようとしたって無駄だよ。
素早く背後に回り込んで、耳元で囁いてあげる。
「さぁ、罰の時間だよ♪きゃは」
顔を剥ぐために、ナイフを突き立てる。「おかえり狐さん。今回の暇潰し、ちょっと長かったね」
まぁ、ほんの一年のつもりが十年だから、まだなりたての紗織ちゃんには長く感じたかなぁ?
「彼が決断するまで見とこうと思ったからね。そしたら長くなっちゃった。でもさ、僕達悪魔には永遠に近い時間があるんだから、十年なんて短いでしょ?」
「分かってるけど、でも、一人じゃつまんない」
子供らしくぷーっと頬を膨らませる。
「狐さん、私嫌いなの?」
「なんで?大好きだよ?」
「じゃあ一人にしないで。一人は嫌い。狐さんと一緒がいいの」
「うん、じゃあ紗織ちゃんも僕の暇潰し一緒に行こうか」
「うん!」
のっぺらぼう-顔面腐食-了