夏の空へ
初めてのオリジナル小説です。
それではどうぞ
北風から逃げるように帰ると、弟の一輝が居間で「切り紙ヒコ―キ」を作っていた。
「あ、光輝兄ちゃん、おかえり。」
「ただいま。切り紙ヒコ―キか、懐かしいな。よく持ってたな、それ貰ったの四年前だろ?」
「うん。部屋掃除したら出てきたんだ。久しぶりに作ってみようと思ったんだけど、上手くいかなくて。」
切り紙ヒコ―キは厚紙を切り貼りして、本物の飛行機のような形にするヤツだ。丁寧に作らないと上手く飛んではくれない。何よりみっともなくなってしまう。
一輝が作ったのを見ると、確かに上手くいってない。切り口は汚いしボンドもはみだしている。これでは上手く飛んでくれないだろう。まあ、弟のブキッチョさは前から知っていたので今更驚かないが……。
「……手伝ってやらないからな。」
このままだと一輝が手伝って!とうるさく言ってきそうなので、先手を打っておいた。
「え~~~っ?」
やはり頼むつもりだったらしい。
「でも『困ってる人には優しくしなさい』ってママがいっつも言ってるよ?優しい光輝兄ちゃんは手伝ってくれるよね?」
「やだ。」
「もう、人には優しくしないとダメでしょ!お兄ちゃん!」
「あーハイハイ。」
このままだと埒が明かないので、さっさと部屋に逃げ込んだ。こう見えても俺は多忙なのだ。宿題や読書 (とはいってもマンガだが)、ギターなど、やりたいこと、やるべきことは、たくさんある。
部屋に入り荷物を置くと、制服のままベッドに横になった。髪を軽く掻き上げるとため息が出た。それほど疲れているわけではないのに、なぜか。
――そうか、あれから4年か。
楽しい記憶ではない。だが、自分にとって大切な記憶。その時もこの部屋にいた。
若干煤けた天井を見上げる。なかなか年季が入ったこの家は、ばあちゃんから受け継いだもので、この部屋は以前、じいちゃんが使っていたらしい。
目を閉じる。
心はゆらゆら、四年前へと遡っていく。
「コラッ、光輝!一輝に謝りなさい!」
なんだよなんだよ。なんでボクばっか怒られなきゃなんないんだよ。そりゃボクだって少しばかり強く投げすぎたさ。でもそれはカズが「ちゃんと飛ばしてよ」って言うからで、全部が全部ボクのせいじゃないじゃん。なのになんでボクだけ。
一輝を腹立ち紛れにもう一度叩いて、自分の部屋に逃げ込む。わざとドアを乱暴に閉めて、さっさと鍵を閉める。
「光輝!開けなさい。出てきて早く一輝に謝りなさい。」
母さんがドアをドンドンと叩くが、無視した。入れてもどうせ謝る気はないし、謝るまで母さんは怒鳴り続けるだけだ。入れるだけ体力のムダだろう。
そのうちドアの向こうが静かになった。母さんは説得を諦めたらしい。
部屋にはお菓子も、ジュースもこっそり貯めてある。二日ぐらいなら立てこもれるはずだ。トイレは窓からすればいい。
ベッドにドスンと座り、窓から見える雑木林を見つめる。意識的に呟く。
――ボクが正しいんだ。謝る必要なんてこれっぽっちもない。
なぜか胸が痛んだが、それを無視した。
二・三時間が過ぎ、もう外は夕暮れが近づいていた。電気を点けず薄暗くなってきた部屋の中で、光輝の思考は堂々巡りを繰り返していた。話し相手はいない。自分といやでも向き合うことになった。
本当に自分が正しいのか?
――いや、光輝。お前は逃げているだけだろう?怒られたくないだけだろう?
自分の中で何者かの声がする。
――やりすぎたことを認めたくなくて、意地を張っているだけだろう?あんたがそんな意地張ってどうするよ?
違う。意地を張っているわけじゃない。母さんは祐樹を「えこひいき」している。そんな母さんにボクの言い分を認めさせるためにはこうするしかなかった。そしてなにより、ボクがこうやって引きこもったんだ。今更出ていって、祐樹に謝る。そんなこと、カッコ悪くてできるはずないじゃんか。
もう、選択肢はないのだ。引きこもる以外。
西日が少しずつ強さを増し、板張りの床に黄色い光を投げかける。
光輝は夕暮れが嫌いだった。夕暮れは一日の終わりであり、物事の終わりは寂しくて苦手だ。よく、「終わりは始まり」といったようなことを言うけれど、どうしても、光輝にはそう思えないのだ。終わりは終わり。終わらなくても、始まることもあるし、終わったからと言って、必ず始まるわけではない。ゲームだって、最後まで進むと、そこで終わり、新たなるステージが始まるわけではない。
でも、今日だけは、なぜかそうではないらしい。
ベッドから立ち上がり窓のそばへと寄っていく。空を見上げると、グラデーションのかかった空が窓枠に切り取られてそこにあった。
美しい。こんなにも美しいものだったっけ、夕焼けって。少し寂しそうな表情をしている空は、いつもと変わらないはずなのに。物事の終わりであるはずなのに。
「――――何やってんだろ。」
ボクは何をやっているんだ?こんなに自由な世界があるのに?一輝に謝って、一緒にヒコ―キを飛ばしに行けばよかったのに。自分は何をやっているのだろう?
自分が思ってもいなかった感情が浮かびあがってきて焦ってしまう。頭を振って、考えを振りはらう。これまでやってきたことは正しい。謝って仲良く、おててつないでヒコ―キを飛ばしましょうなんて選択肢ははなから存在しない。
一輝が羨ましいなんてそんな感情存在しない。一輝が羨ましいなんてそんな感情存在しない。一輝が羨ましいなんてそんな感情存在しない。
ベッドに戻って、横になった。一度気が付いてしまった感情は、どんなに感情をすり替えても黙ってくれなかった。
ふと、玄関ドアが開く音がした。父さんが帰ってきたらしい。
内容はわからないが、母さんと父さんの話声がする。たぶん自分の事だろう。
出来るだけ静かにドアまで行き、鍵がちゃんと掛かっていることを確かめた。父さんは大好きだけど、入れてあげるわけにはいかない。また、ベッドまで戻り腰かけた。
数分のち、部屋のドアがノックされた。
「おーい、光輝、入るぞ。」
そして次の瞬間、ドアが開いていた。鍵はちゃんと掛かっていたはずなのに。
入っていた父は、まだスーツ姿だった。ネクタイを外しながら、ゆっくりと歩いてきて、隣に腰かけた。
「…………母さん心配してたぞ。」
電気の付いていない部屋は、音を吸収してしまうようで、声はどこにも響かなかった。いつも声の大きい父さんの声も響かなかった。
「カズの紙飛行機、壊しちゃったんだって。」
責める口調ではない。いつもの優しい父さんがいるだけだ。
「…………ボクのせいじゃない。」
「なら、どうして部屋に籠ったの?」
答えられなかった。今となっては答えられなくなっていた。
「……でもなんでボクだけ。」
「光輝は自分が悪くないいと今でも思ってるかい?」
再びの沈黙。
「本当は……違うんだろう?」
不意に瞼が熱くなった。堪える間もなく頬を伝う涙。
なんで……なんでそんなにあっさりわかっちゃうんだよ。
そう、わかってはいたのだ。自分が悪いことが、わかっていたのだ。それが、どんなにカッコ悪いことかも。自分が認めなかった、否、認めたくなかっただけで、目の前に答えが鎮座している。
自分はかっこ悪い。その事実はどうしても認めなければならないものなのか?
「……そうか。」
父さんは、そう言って優しそうな細い目をさらに細めて笑った。逆光で表情はよく見えないが、わかる。
「ボ……ボクは、どう……どうした……たら、いいの?」
涙声でしか言えない自分が情けない。
そんな光輝を父さんは優しく突き放した。
「それは……自分で考えるしかないな。考えて、考えて……自分で納得できる答えを探さなきゃ。わからなくても、答えが出なくても、考え続けるしかないさ。算数や理科や社会何かと違って、答えがひとつってわけじゃないし、教科書もこれといった手本もないしね。たぶん学校の勉強の数十倍難しい。それでも、考えるしかないんだ。考えない人間に手を貸す人はいないだろうし、友だちもできないんじゃないかな。それでも生きていけるとは思うけど、楽しくはないよなぁ。」
そう言う父の横顔は遠いどこかを見ているようだった。まるで――――
「自分の事をまず知って、それから、だな。」
父さんは笑い、急に光輝の方を向いた。
「光輝は自分の事、どう思う?」
三度目の沈黙。やはり答えられない。自分の事をしっかりと考えたことはなかった。だから、今考える。
おっちょこちょいで、サッカー選手になりたくて、学校では、明るいムードメーカーなんて言われてて、算数と理科が得意だ。それから……。
「フフッ、光輝は大丈夫だな。」
「え?」
まだ一言も言ってはいない。何が大丈夫なのか当事者である光輝にはわからなかった。
「ちゃんと考えてるじゃないか。」
父さんはエスパーか何かか?
「光輝は考える時、親指の爪を噛むからなぁ。横から見てるとすぐわかる。」
そういうことか。そういえば右手の親指だけ荒れている。
父さんは光輝の前に周り込みしゃがんで、光輝と目線を合わせると、光輝の肩に手を置いた。
「考えることができれば、必ず幸せになれる。だから、光輝は大丈夫。」
少し照れる。頬が赤くなっていただろう。夕日で部屋が赤くなってて助かった。
父さんは笑って、光輝の頭を軽くなでてから、部屋からでていった。
「あっと、そうだった。」
扉を閉める直前、父さんの顔がもう一度覗いた。
「今晩は、エビフライだって。」
そう言って、ドアが閉まった。もう空は蒼くなっていた。夕焼けって忙しいんだ。考えたら、なぜか笑えた
暗い部屋は静かだ、でも寂しくはない。
そうだ、考えなくちゃ。探さなくてはならない答えは多い。
――腹、へったな。――
光輝は涙をシーツで拭いてから、部屋のドアを開けた。
その夜のご飯は美味しかった。これはしっかり考えたことのご褒美なんだろうか。ともかく、美味しかった。
それから四年がたった。
それでも、答えは見つからず、一輝には謝っていない。自分の事もろくにわからないガキのままだ。
それでも「わからないことがとても多い。」とわかっていることは、四年前とは違う。それは大きな変化だと思うのは、おれだけだろうか。
あの日と同じように部屋から出る。一輝はまだ一人でヒコ―キを作っている。
その向かいに座ると無造作に手を差し出した。
「ボンド貸せ。」
きれいな鳶色をした目が驚いたようにこちらを見ている。
「えっ?手伝ってくれるの?なんで?」
「いやなら、別にいいぞ。」
立ち上がろうとしてみたり。
「あっ、ごめんなさい、ごめんなさいっ!手伝って下さいっ!」
そういって、ボンドを渡してきたので、受け取り、胴体の補修を始めた。
横目で見ると、一輝は笑っていた。
一時間ほどして、母さんが帰ってきた。
「ただいま。あら懐かしい。二人で作ってるの?いいわね~。」
母さんはお喋りだ。いちいち付き合っていたら、気力が持たない。聞き流す。
「そうだった、そうだった。今から晩ご飯の買い出し行くけど、リクエストある?」
しばし考えて。
「エビフライ。」
久々に食べたくなった。
「よーっし。ここならいいだろう。」
おれと一輝が上がってきたのは家から少し遠い丘のある公園だ。ここなら樹は少ない。そのうえ丘による上昇気流で高度が稼ぎやすい。紙ヒコ―キの試験飛行にはもってこいだ。
二人で作った紙飛行機はなんやかんやで完成まで三週間もかかってしまった。まだ春まで遠いが気の早い蒲公英が黄色い花を咲かせていた。
「じゃあ、カズ。飛ばしてみろよ。」
紙飛行機を持って上がってきた一輝に声を掛けると、一輝はまじまじと紙飛行機を見つめてから、おれの方に差し出した。
「先にやって。」
「……わかった。」
一輝からヒコ―キを受け取り、丘の頂上に立つ。
「ちゃんと投げてよ。前みたいに壊したりしないでよ。」
覚えていたか。なぜか湧き上がってきた笑いをこらえながら、投げるフォームへと入る。本で調べたこのタイプの紙ヒコ―キを飛ばすのに最も適したフォームだった。
全身のバネを使って急角度で投げる。全速力で飛びだした機体は放物線の頂点で風に乗った。そのまま丘でできた上昇気流をつかみ少しずつ上昇する。
「よく飛ぶね。」
一輝が隣に来て空を見上げて言った。
「あぁ、そうだな。」
そう呟いた後、ずっと言いたかった言葉がごく自然に流れ出た。
「――――悪かったな、あん時。」
「え、なんのこと?」
お前なぁ、笑いながら訊き返すなよ。
「フフッ、いいよ。上手く飛んだから。」
心の中に残っていた後ろめたい気持ちが昇華する。呼吸さえ楽になった気さえする。
「本当によく飛ぶね。」
「うん。」
少しずつ、少しずつ。紙ヒコ―キが降りてくる。少しずつ、少しずつ。
「あっ!」
その降りてきたヒコ―キが見事に樹に引っかかってしまった。
「もーっ、お兄ちゃんのバカッ!なんであんなところに引っかけるんだよ!」
「はっ?ちゃんと飛ばせって言ったのおめーだろ!」
こういうのを「デジャヴ」と言うのだろう。四年前と同じ言いぐさなのが悲しい。
「あーっ、兄ちゃんに頼むんじゃなかった。さっき許したの取り消し!絶ッ対許さない。ちゃんと取りに行ってよ!」
「バカ発言、それから頼むんじゃなかった発言を撤回しろ。そしたら取りに行ってやる。」
五分後、一輝が結局折れて、バカ発言、それから頼むんじゃなかった発言を撤回し、おれが取りに行って、事態は収拾した。もうおれに紙ヒコ―キがまわってくることはなかったが。
それでもいいと思った。
――また来ような。――
見上げた青い空に、白い機体が飛んでいた。
Fin.