#30 「好きなんかじゃない」
あれは、たしか小学四年生の初冬だったはず。
僕はユウカちゃんを含めた、十人ぐらいで放課後に公園に集まり、一緒にドロケイをしたんだった。
僕やユウカちゃんは脚が遅くて、この手の鬼ごっこ系の遊びだと、すぐに捕まってしまってたんだけど、その日はユウカちゃんの作戦勝ち。彼女は茂みの中にギリギリまで隠れ、警察側の友達が探しに出て行ったのを見計らって、「牢屋」にいたみんなを解放した。
形勢が逆転して一斉に逃げ出した後、ユウカちゃんはすぐ捕まってしまって恥ずかしそうにしてたけど、それでも解散までの間、彼女は友達からは英雄の扱いだった。
ドロケイという遊びは、仲間がみんな捕まった時、泥棒チームは複数人の警察に追い詰められることになる。そして「牢屋」の前には常に警察の子が常駐する。
そんな中でひとり、普段はよく泣くユウカちゃんが、勇気を振り絞って、策を練り上げて、囚われた友達を助け出した。
それはまさに、子供の僕にとってヒーローのような振る舞いだった。
そんな彼女を、僕はカッコいいな、羨ましいなと、そう思いながら遠くから眺めていた。
――思えば、僕にとっての本当の「初恋」は、レイチェルさんではなく、この日のユウカちゃんに対して抱いた気持ちだったんだと思う。
まだ未成熟な小学生の、「欲」も「見栄」も「打算」もない。純粋な「憧れ」。
ユウカちゃんの次に捕まった僕は、線に囲まれた「牢屋」の中で、恥ずかし気に体育座りをする彼女を、密かに頬を熱くしながら眺めていた。
* * *
翌日、学校で他の女子と話していた彼女は、顔を青くして、大慌てで上着のポケットを探り、ランドセルをひっくり返していた。
話を聞くと、彼女はいつも持ち歩いていた猫のマスコットを、どこかに落としてしまったという。
……たしか、昨日の彼女は、そのマスコットのぬいぐるみを腰にぶら下げていたような、そんな覚えがあった。僕は「公園に落としたんじゃない?」と伝え、昨日のドロケイに参加した友達を数人連れだって、放課後ぬいぐるみを探すことにした。
……けれど、それは見つからなかった。帰りを促す放送の響く中、彼女はとうとう、ぽろぽろと涙を零し、声を漏らし、泣き出してしまった。僕は、そんな彼女を見るのが、たまらなくつらかった。
彼女は他の女子に慰められながら、家へと帰って行った。辺りは少しずつ暗くなっていく。
ユウカちゃんが帰った後も、僕は辺りを探していた。けれど、結局ぬいぐるみは見つからなかった。
日が落ちて、流石にもう帰らなければ母さんに怒られると思い、僕も、みんなと同じく、家へと帰って行った。脳裏をよぎる彼女の泣き顔に、胸を締め付けられながら。
* * *
次の日、僕はもう一度公園に出向いた。
いくらぬいぐるみが可愛いと言っても、その辺に落ちている人形を拾っていくなんて人は少ないと思う。
もし捨てられてしまっていたら、もう遅いのかもしれないけれど、それでも人形を捨てるのは気がとがめるものだ。少なくとも、小学生の僕はそう思い「まだどこかに落ちている」という前提で、辺りを探すことにした。
ドロケイをした日、ユウカちゃんは茂みの中に隠れていた。じゃあ茂みの中には?
……そこに、ぬいぐるみは落ちていなかった。当然ではある。他ならぬそこに隠れていたユウカちゃんが、優先的に探す場所だろう。
けれど、あの遊びの中で落とすとしたら、ここの枝に引っかかって……というのが、一番あり得る可能性ではある。そして、茂みの中ならすぐに見つからず、持ち去られたり捨てられたりもしにくいはず。
その仮定に基づいて、僕はあたりの茂みを中心に探していった。
だが、人形は見つからない。
ふと、そこら中の茂みに潜る僕に、清掃員のおじさんが声をかけてきた。
「何か探してるのかい?」
「その……友達が、マスコットのぬいぐるみを落としてしまって……心当たりないですか?」
「うーん、いつごろの話だい?」
「一昨日なんですが……」
「ふむ、落ち葉掃除をしていた日かぁ……特に拾ったりはしてないなぁ……、力になれずに悪いねぇ」
……落ち葉?
そういえば、ドロケイをやった日は落ち葉が積もっていたような気がする。
「……その日の落ち葉って、まだ残ってますか?」
「ああ、ゴミ出しはもう少し先だね」
それを聞いた僕は、清掃員のおじさんに頼み込んで、袋詰めされた落ち葉を確認させてもらった。袋を開けて、手でまさぐり、出した落ち葉を戻しての繰り返し。
僕は、清掃員のおじさんに時間を取らせ、迷惑をかけている後ろめたさを振り払いながら、落ち葉の袋を確認していった。
そして、三袋目に手を突っ込んだとき、ジャラジャラとした感触と、金属の冷たさが指に触れた。
……キーホルダーだ。僕は確信をもって指を動かし、輪の中に指をひっかけ、そっと引き抜いた。
そこには、馴染み深いデザインの、古びた猫のキーホルダーがあった。
「ああ、あったかい。危うく捨てられちゃうところだったねぇ」
「あ……、ありがとうございます!すぐ片づけます!」
僕は、一刻も早くユウカちゃんの元に行こうと、急いで取り出した落ち葉を袋に詰め込んだ。
* * *
僕は、ユウカちゃんの家を訪ね、玄関に出てきたユウカちゃんに、猫のキーホルダーを渡した。
……いくら落ち葉しか詰まっていなかったとはいえ、流石に彼女の大切なぬいぐるみを「ゴミ袋を漁って見つけた」というのは、はばかられたため、「ウィンドブロワーを見て気付いた」「落ち葉の山から見つけた」ということにした。
ユウカちゃんに喜んでもらえるとワクワクしていた僕だったけれど、その予想に反して彼女は、その場でぽろぽろと泣き出してしまった。僕は慌ててしどろもどろになり、「泣かないで」と、ポケットからハンカチを渡した。
……今思えば、なくした大事な物が返ってきた、その喜びで泣いていたんだから、そっとしておいてやればよかったじゃないかと思う。嬉しい時ぐらい、泣いてもいいじゃないか。
「ありがとう」
彼女は涙を止め、僕にお礼を言った。
少し前まで泣き顔だった彼女の作る笑顔は、ぎこちなくもどこか優しく、僕の心に「諦めないでよかった」と、確かな達成感を与えていた。
その日から、ユウカちゃんと話す機会も増え、僕は内心で小躍りしていた。
……そう。調子に乗っていたのである。
* * *
年が明けて。バレンタインの日に、ユウカちゃんは僕にチョコレートをプレゼントしてくれた。
……正直、こういうのって足の速いモテる子の特権みたいなものだと思ってたので、僕は現実味の無いふわふわした気持ちになっていた。
ここで僕は、「ユウカちゃんは、自分のことが好きなんだ」と確信した。
これは、義理チョコという概念を知らなかったのもある。子供の頃から、影が薄くてモテない男子だった僕は、浮かれるばかりであった。
いい気になった僕は、何人かの友達に、チョコを貰ったことを話してしまった。足の速い子は下駄箱にチョコを詰め込まれるぐらいなんだから、隠すことでもないだろう、と。
話した相手には「秘密にして」とは言い含めていたけれど、それでも僕は自慢をしたい、浅はかなガキだったのだ。
男子と女子、お互い好きあったら、その先には何があるのか。どこに着地するのか。
結婚とか家庭とか「ゴール」は身近にもある。けど、その過程を子供は知らない。
当然、「過程」の中には子供が知るべきではない事もあるから大人は話せないわけだけれど……、それにしてもやっぱり、僕にとって恋愛とは未知の領域だった。
それでも、僕は彼女にお返しをしたいなと思った。ホワイトデーには、ラッピングしたクッキーを渡そうと、母さんに頼んで、遠くの大きなスーパーに買い物に連れて行ってもらった。
……親の金で高いプレゼントというのは情けないけれど、そこは子供なのだから、それが等身大だろう。親としても、よその子に高価な送りものを貰ったら、そのお返しをするのが道義でもある。
かくして、僕はその日、お返しの贈り物をランドセルに詰め、るんるんとした気持ちで登校した。
ユウカちゃんにプレゼントを渡して喜んでもらいたいと、そんな気持ちで胸は一杯になっていた。
「ハルトのことなんて、好きなんかじゃない」
僕が教室の戸を開けると、聞き馴染みのある声が耳に飛び込んだ。
チョークの粉で手を白くした男子。
遠い席で一塊になって、視線を送る女子。
黒板に書かれた、ハートマークのついた相合傘。
傘の下には、僕と、ユウカちゃんの名前。
顔を紅くしてふるふると震えているユウカちゃん。
この時、僕は、自分がとても軽率な振る舞いをしていたことを、はっきりと突きつけられた。
僕に気がついて、青ざめた顔でこちらを見るユウカちゃんに、僕は、ただ、いたたまれない気持ちになって、席につき、小さく縮こまっていた。
彼女を慰めることも、弁明することも、僕には出来なかった。
何を言っても彼女を傷つける結果になることは目に見えていたし、すでに傷ついたユウカちゃんに気を遣わせることも、拒絶を受けて自分が傷つくことも怖かった。
……ユウカちゃんは、バレンタインのプレゼントで、僕に感謝を示しただけ。
僕のことなんて「好き」でも何でもなかった。
僕はそう、納得する形で、短い「夢」を終わらせた。
僕は、相手の気持ちも考えず、浮かれて、調子に乗って、秘密にすべきことを他人に漏らし、ユウカちゃんの心を傷つけることに加担してしまった。
そんなことにも気づかず一人舞い上がっていた自分の姿が、恥ずかしくて仕方なかったし、そんな人間がユウカちゃんの傍に居るべきじゃないと思った。
ユウカちゃんみたいに、やさしくて、繊細な子が、僕なんかに優しくしたばかりに、他の子にからかわれ、見世物にされる。
それが、僕には堪えられなかった。
――その日から、僕はユウカちゃんのことを「扇さん」と呼ぶことに決めた。僕のせいで、周囲にからかわれて欲しくなかったから。
彼女もまた、僕のことを「ハル君」から「ハルト」と呼ぶようになった。
お互いに、あの日のことは忘れたいと、距離をおいて振る舞ううち、同級生のからかいも沈静化し、僕たちもまた、過去のつらい記憶を心の奥底にしまい込んでいった。
それでも、あまり会話もせず、近づくこともなかった僕らは、何の因果か、今日まで同じ道を歩いていくことになる。




