#29 カルマの帰結
祭壇に出現した台座の上に鎮座する、白く輝く宝玉。
人の幸福のため、使用者の願いを叶えるマジックアイテム……願望機は、私たちの目と鼻の先にあった。
「…………」
緊張で沈黙しながら、私はその宝玉を見つめる。
私のダンジョン探索の動機。到達すべき最終目標が、手を伸ばせば届く距離にあった。
「……うーん、それでどうする?これ」
私の緊張と裏腹に、ミツキさんがあっけらかんとした表情で問いかけた。
「んー、今のところ俺は必要ないかな。レイちゃんやおふくろの病気に関連しては心配ないし、経済的にも特に困ってることないな」
「俺とカナコも、ひとまず喫緊の必要はないってことで、事前に話をまとめてるよ」
「子育てにかかる貯金も十分たまって来てますしね……」
「えっ」
カズヒロさんとミツキさんが、慌ててカナコさんを振り向いた。
「あっ、いえ……まだですよ?これから入用になるとしても、ってことです」
「そ、そっか……」
「……変な勘繰りしてすみません」
安堵とも羞恥ともつかない気まずげな表情で、二人は目を逸らした。
そんな空気を紛らわすように、HIMIZUさんが口を開く。
「俺の方も、直近で必要な物も特にないんで、ハルト君と扇さんで相談して使い道を決めたらどうかと思うんですが、どうでしょう……?」
「!」
私とハル君は、その言葉を聞いてびくりと肩を震わせた。
「そうですね。私も、最終決戦のMVPは、ガーディアンを行動不能にしたユウカちゃんと、とどめを刺したハルト君だと思うので、二人に優先権があると思います」
「……そうっすね、俺も異論ないっす」
「俺も賛成かな。使い道は二人でよく話し合うといいよ」
「…………」
「…………」
私とハル君は沈黙した。
みんなの人間性を踏まえると、骨肉の奪い合いになるなんてことはないと思っていたけれど、それでもうまく事が運び過ぎているようで、私は不安になった。
………………
……けれど、
「ハル君、悩みが……あるんだよね?」
「!」
私の言葉に、彼は勢いよく振り向いた。
「それを……、叶えるために使ったら?」
「でも、扇さんは……」
「私は……ここに私がいるのは、私を助けてくれたハル君の力になれればと思ったから。あなたの願いがかなえられるなら、それが一番いいと思う」
「…………」
彼は、私の瞳を見つめる。
私は、誤魔化すように、願望機に視線を逸らした。
………………
……そんな、私の思惑は綺麗なものではなかった。
私の「願い」は、確かに別にある。けれど、それは「ハル君の願いを叶える」形でも、問題なく着地できる可能性がある物だった。
彼は、体毛豊かな獣人の女性にしか、恋愛的な関心は持てなくなってしまったと言った。
そうであれば、彼の悩みが解決することは……彼が「人間を好きになれるようになる」ことを望むなら、私の願いとは無関係に、私は彼との恋の舞台に上がることが出来る。
……そう、これは打算だ。
私は、この期に及んで、「自分を変える」ことに、おそれを抱いていた。
私は、彼に視線を戻す。
そして、彼の手首を握り、その手のひらを白い宝石にかざさせた。
「……使って、ハル君」
少し逡巡した彼は、私に促されるままに、その宝石を掴み上げた。
周囲が暗くなり、輝く人型のシルエットが浮かび上がる。
その白い人影は、ゆらゆらと揺らめきながら、私たちに語り掛けた。
――――迷宮を攻略せし勇者よ。汝の願いを叶えよう。
――――望みを言うがよい。
これが、願望機の執行システム「上位存在」。
知識としてしか知らなかった目の前の神秘に、私は気おくれを感じながらも、私は、彼の口元を眺めた。
「僕の――――」
彼の口が動き言葉が紡がれる。
「その、僕の心を――――」
ゆっくりと、彼は言葉を紡ごうとする。
……しかし、彼はまるで、考え込むように、黙り込んでしまった。
「………………」
「……ハル君?」
彼から続きの言葉が出てくることはなかった。
そして、しばらく時間をおいて、彼は後ろにいる私たちを振り返った。
「……やっぱり、僕も願いを叶える必要はないです」
「えっ……?」
彼の言葉に、私は、彼の親族やHIMIZUさん達は、驚きの声を上げる。
「もしかすると、皆さんも知ってることかもしれないし、だから使用権を譲って頂けたのかもと思ったんですが……けじめとして聞いて欲しいんです」
彼は、深呼吸をして、逆光を受けながら一人の男性に向き合った。
「……カズヒロおじさん」
「……おう」
呼び止められた彼のおじさんは、彼の言葉に耳を傾ける。
「……僕、その、レイチェルさんのことが……好きだったんです」
「…………そう、か」
「……やっぱり、知ってましたよね。今さらですが、一応伝えておきたかったんです」
「…………」
カズヒロさんは、複雑な表情でハル君を見つめる。
一方、ハル君は、どこかつっかえの取れたような、晴れやかな表情を見せながら、続けた。
「……だから、どうってわけではないんです。ただ僕は、母さんを颯爽と助けてくれたあの人に強い憧れを感じて、彼女みたいな恋人が欲しいと思っていたんです。猫のように可愛らしい、キャシィ族の、やさしくて立派な恋人が」
「…………」
「けど、それって僕の『欲』でしかなくて。……人種や容姿容貌で恋人にするか品定めなんて、人間同士だと……すごく失礼な話じゃないですか。本質的に不純だと、そう思ってました」
「…………」
「でも、それでも、僕の心に刺さった気持ちには折り合いがつかなくて……。人さらいなんてしちゃいけないし、現世の繋がりを捨てて異世界に行くのも、向こう見ず過ぎる。考えた末に『僕の性癖を矯正する』って、願望機の使い方が一番妥当じゃないかと検討してました」
「…………」
カズヒロさんは、苦虫を噛み潰したような、そんな表情で彼を見つめていた。心配や憐憫とはまた別の何かを、彼の表情からは感じ取れた。
「……でも、それって僕の脳を、記憶をいじるってことじゃないですか。決して健全な解決手段じゃないと思うんです」
「人間って、生きてく上では痛みも負う物じゃないですか。生きやすい形に自分を塗り変えるために、マジックアイテムを頼って記憶や思考を改竄するなんて、大半の人はやらないと思うんです」
「……それに、何より『レイチェルさんを好きになった』って気持ちを、無かったことにするのは、やっぱり違うと思うんです」
「痛みだけじゃないはずなんです。僕は、大事な家族を……母さんを助けてくれた彼女に憧れて、彼女のような人になりたい、彼女のような立派な人と支え合いたい、そう思ったわけで……」
「だから、僕は傷痕をなかったことにしたくないんです。どれだけ時間をかけても、自分で乗り越えていくべきだと思うし、仮に一人ぼっちで苦しく生きることになるとしても、彼女に憧れた自分を捨てたくないんです」
「…………」
「だから……ごめんなさい、カズヒロおじさん。僕は、おじさんがレイチェルさんやお子さんを心配して、距離を置かれたとしても……、これまでの自分の人生を否定したくないので、この嗜好を抱えて生きていきます」
――ハル君が話を終える。
カズヒロさんはしばらく沈黙していたが、やがて口を開いた。
「……ハルト」
「はい」
「お前、立派というか、カッコよくなったなぁ……。『男』って感じだよ」
カズヒロさんの言葉に、ハル君は苦笑を零した。
「はは……、その物言い、現代じゃ燃えますよ?」
「……時代錯誤か。でもさ、『男としてあるべき自分』の誇りに誓っての決断って、俺には伝わって来たよ。他人がどうこう言おうと、関係ねぇ」
「…………」
「……俺が演じ切れなかった『かっけぇ男』だよ、ハルトは。自信持ちな」
「…………」
カズヒロさんはハル君に歩み寄り、その頭をわしわしと撫でた。
「……変な疑いをかけて悪かったな。たまには山神の実家に顔出してさ、従弟の……ウチの『あーくん』とも会ってやってくれよ」
「はは……、ダンジョンの話しかできない人間なんで、教育に悪いこと言わないように気を付けます」
「ああ、中学生上がるぐらいまでは、ダンジョンに誘うのは我慢してくれると助かるかな」
やがて、ハル君は私に視線を送った。
「……そんなわけで、僕の願いは必要なくなったから、扇さんに使用権は譲るよ。僕を助けてくれた扇さんに、使って欲しいから」
「…………」
「……最後まで、僕の願いを優先してくれて嬉しかった。ありがとうね。扇さん」
……違う。
私は、「正しい選択」のためにハル君に使用権を渡したわけじゃないのに。
私は、あなたに、私を見て欲しいから、その打算で、使用権を渡しただけなのに。
彼の、眩しいまでの「正しさ」は、私の心の醜さを際立たせる。
私は、白い宝玉に手を触れる――
私の、自分本位な、その「願い」は――
「私の身体を、キャシィ族のものに、変えられますか――?」
「――っ!」
「――上位存在ッ!その願い待てッ!」
ハル君は、私の肩を引き寄せ、慌てて白い宝石を引きはがし、カズヒロさんは立ち塞がるように、白い人影の前に立ち塞がった。
カナコさんも、ミツキさんも、HIMIZUさんも、表情を失い、慌てて私の方を見る。
――ああ。
やっぱり、大人にも、ハル君にも、止められるよね。
そんなことも想定できないほどに、私は、焦って、暴走していたんだ。
「ど、どうして、そんな願いを……っ!」
ハル君は、怒りとも、悲しみとも、焦りとも取れるような、鬼気迫る表情で、私に詰め寄った。
「……ハル君が、憧れに縛られたまま、一人で生きていくのが、悲しくて。寄り添える、誰かが必要だって」
「だからってユウカちゃんが、何もかもを放り捨てるなんて、そんなことして欲しいわけないだろっ!?」
わかっている。
それが、とんでもない願いだってことは、自分でもわかっていた。
生活への影響や、社会的な問題、友人や親子関係……。
その願いの与える影響は数知れない。悲しむ人も、きっといる。
……そんな、お利巧な道理をすべて、私はかなぐり捨てた。
ハル君は、「自分のつらい歴史も大事にして生きるべき」と言ったのに。
私の願いはその真逆。「自分の歴史を投げ捨ててでも」だった。
そもそも、身体を作り変えた末に、私は、私でいられるのか。
ハル君は、その人を「扇ユウカ」と認めてくれるのか。
……私のその選択に、後悔や罪悪感を抱いてしまわないか。
姿だけ彼の好みになったって、レイチェルさんと同じほど、私のことを好きになってくれるかなんて、わからないのに。
そんなことも考えられないほど、私は刹那的な思考に陥っていたんだ。
「ユウカちゃんが、僕の『欲』の犠牲になる理由なんて、どこにも……っ!」
――「理由」なら、ある。
私の中の壊れた天秤は、そのひとつの「理由」のために、破滅的な願いを選ぶことを、ためらいはしなかった。
そして、ハル君は頭が回る子だ。
私の沈黙に、その「理由」を悟ったように、言葉を失った。
もはや、何を言うまでもなく、みんな悟っていた。私の気持ちを。
――ハル君に「好きだ」と言って欲しい。
私の胸中にあったのは、その一心だけだった。
「ハル君……」
「…………」
「……ごめんなさい。私、『あの日』から、ずっと、言えなかった……。こんなになる前に、いつか言わなくちゃいけないって、わかってたのに……」
彼の姿が、涙でぼやける。
頬を伝って、熱い雫が流れ落ちる。
「『好きじゃない』なんて、うそ……嘘なんです……」
私は俯き、両手で顔を押さえ、俯いた。
「ハル君が、ハンカチを差し出してくれた、あの日から……、あなたのことが、ずっと――」
「ずっと、大好き、でした……」
――夢にまで見た、ハル君への愛の告白。
それは、これまで思い描いていた、どんなロマンチックなシチュエーションとも違う。
ただただ、残念で、みっともない、惨めなものだった。




