#17 マジカル・ジェノサイド
私たちは、溶岩の海に背を向けて、薄暗い石畳の通路へ、走る。走る。
赤橙の光に慣れていた視界は、しばらく一面を真っ暗に飲み込むが、徐々に目が馴染んできて、薄暗い魔法の灯に照らされた、青暗い石造りの景色に変わっていく。
逃げなきゃ。
どこへ……?
……わからない。
私たちはあてもなく、「髑髏の殺人鬼のいない方へ」、ただ、走る。走る。
作戦も見通しもない。ただ、一秒でも、あの恐ろしい髑髏を、視界に入れなくて済むように。少しでも、恐ろしい目に合う瞬間を、先延ばしに出来るように。
――丁字路を前に、私たちは脚を止めた。
ゆっくりと、これ見よがしに足を広げ、兵隊の行進のように。
右の通路から歩き出てくる、黒い人影。
その人影は、ゆっくりと、背筋を逸らしながら、ぐりんと、私たちの方を向き直る。
その人影の頭には、樹脂製の髑髏。悪辣な笑顔で、笑っている。
「――――ッ!」
「な、なんで……」
途中にいくつかの十字路はあった。
それでも、真っすぐに走って逃げてきた私たちは、最短でこの通路を駆けてきた。髑髏に追い抜かれた事実はないのに、既に先回りして、そこにいた。
―― ケタケタ ケタケタ
「う、後ろ!曲がって……ッ!」
真辺君の声を受けて、並びを反転する様に後ろを振り返り、彼を先頭にして私たちは直近の十字路を左に曲がり、道を変えて走り出す。
そして、追っ手を撒くために、右折、左折、右折と、アミダのように進行方向を変え、その先へ――
「……!」
いつのまにか、先頭を走っていたホノカが脚を止める。
出会い頭には、仁王立ちする髑髏が待ち構え、ホノカの前に立って、暗い眼孔で彼女を見下ろし、嘲笑う。
―― ケタケタ ケタケタ
「あ、ああ……」
ホノカは、震えながら後ずさる。
血の気の引いた私たちを見て、攻撃を仕掛けるでもなく、髑髏は、ただ、顔を振り、カスタネットのような笑い声をならす。
―― ケタケタ ケタケタ
―― ケタケタ ケタケタ ケタケタ ケタケタ
―― ケタケタ ケタケタ ケタケタ ケタケタ
―― ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ
―― ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ
―― ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ
―― ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ
広い通路で反響したその音は、まるで、何人もの、何十人もの、何百人もの髑髏が、この迷宮を徘徊しているかのように、その笑い声を響かせる。
さながら時間が止まったように、あるいは走馬灯が駆け巡るように。無音の迷宮に、髑髏の笑い声がこだまする。
―― どこに逃げても、髑髏がいる。
―― 追い付かれて、殺される。
その発想に捕らわれた私たちは、もはやすべての思考が蒸発していた。
ただ震えながら、息が出来なくなるような閉塞感に襲われていた。
「……いや」
髑髏に一番近いホノカが、絞り出すように、かすれた声を漏らした。
「い、いやああああぁぁぁっ!!」
彼女は絶叫し、後ろを振り向いて走り出した。彼女はもう、私たちが視界に入っていないかのように、肩がぶつかるにも構わず、陸上部で鍛えた脚力、その全速力で、通路を駆けだしていた。
私たちは、彼女の声と、ぶつかった肩の衝撃で我に返り、ホノカの背中を――
――瞬間、光とともに地面から生えてくる無数の槍。
右太もも、左腕、腹、下腹部、右胸、左耳、左上腕……目の前を走っていたホノカの身体を、地面から竹のように生えてきた槍が、順々に貫いて、持ち上げていく。
彼女は、足元から生えた槍衾で串刺しにされ、その体を宙に浮かべながら、身動きを止めた。
そして、「奥から」歩いてきた髑髏が、彼女の身体を、鉄の槍ごと、鉈で斜めに両断した。地面に落ちる、彼女の半身と槍の残骸。
髑髏は懐から大きなT字型のマシンガンを取り出す。
そして、地に落ち、虚ろな瞳で虚空を眺めるホノカの上半身に、バラバラと音を立てながら断続的に銃弾を発射し、彼女の身体を完膚なきまでに破壊した。
間を置くことなく、彼女の破片は、光の粒子となって、天井へと吸い込まれて、地上へと送還されていった。
「あ、あああぁぁぁぁぁっっっ!!」
真辺君は、後ろを振り向いて駆け出した。
私も、彼を追うために脚を――
――動かない。
気付けば、私は銃撃の際に、恐怖のあまり、地べたに、ぺたんと、おしりをついてしまっていた。
身体が動かない。息が出来ない。恐ろしい、恐ろしい、髑髏から、目が離せない。
もう、終わる――
――髑髏は、後ろを振り向き、通路の奥に消えて行った。
真辺君の逃げた方角とは逆方向。
――見逃された?
――なんで?
そんな疑問は、すぐに解消された。
通路の奥から、髑髏が、引き返してきたためだ。
――真辺君の、首を手に提げて。
髑髏は、私の横に、彼の首を転がす。
ごろりと転がる彼の視線が動き、私を見る。
恐怖で潤んだ視線で、私を――
直後、髑髏の投げたナイフが彼の頭頂部に突き刺さり、彼の身体は光の粒子となり地上へと送還されていった。
――もう、いや。怖い。怖くて、たまらない。
こんな怪物のいる世界、一秒も居たくない。早く地上に帰りたい。
そうだ、地上に帰れば今まで通り、なんてことの無い、平和な日常が……
……そのためには、この髑髏に殺されなくてはならない。楽に、殺してくれる?
……そんなことは、決してない。
この髑髏の男には、良心も躊躇もない。子供をいたぶり、怯えさせて楽しむ、殺人鬼だ。
髑髏が、ずいっと顔を近づけ、私の瞳を、暗い眼孔でのぞき込む。
ひっ……と、声にならない声を出した私は、動かない身体でどうにか逃げようとした。
両足を伸ばして地面を蹴り、身体をひねって、地面にへたり込んだおしりを動かし、どうにか、後ろに動こうとした。
……何秒もかけて、数センチ、数センチ、少しずつ後ずさる私。
髑髏は、ずいっと一歩前に出て、私の数秒かけた距離に、すぐに追いついた。
―― ケタケタ ケタケタ ケタケタ ケタケタ
顎を鳴らして嘲笑う髑髏を見て、私は、もう、何もできないと悟った。
もう、どこにも逃げられない。何もできない。
誰も助けてくれない。
一人で、この、恐ろしい髑髏に、私は、恐ろしい方法で、殺されて――
嫌。
やだ。
助けて。誰か、助けて――――
――――髑髏が、
――――私の右手首を掴み、
――――中腰の姿勢で吊り下げて、
――――縦に長い流線形の鉈を
――――私の右腕に、
――――白く光ったその刃を
――――――――――――――――
――――――――
――――
「――――『ユウカちゃん』っ!!」
その声を聞いて、私は一瞬の混乱の後、ぎゅっと瞑っていた眼を開けた。
――私を「そう」呼んでくれる子は、中学に入ってから長らくいなかった。
聞き馴染みのない呼び名。けれど、まるでずっとそう呼ばれていたかのように、私の耳に、神経に、頭に、……そして心臓に、はっきりとした「意識」を届けた。
それは、さながらヒーローものの映画や漫画、あるいは昔話の英雄のように。
オリーブグリーンのマントを翻した、私と同じぐらいの背丈の少年が。
剣のような鉈で、私を掴んでいた髑髏の左腕を、肩付近から斬り落とした。
私を掴む腕が落ち、落下した私が尻もちをつくのと同時に、その少年は髑髏をタックルで突き飛ばす。髑髏がよろめき、その体勢を立て直している間に、少年は、私の右手を、左手で握った。
「落ち着いて、深く、息をして……」
語り掛ける声。薄く白い手袋越しに滲む、微かな体温。伝わってくる激しい鼓動。
彼の「声」が、私を引き起こす力が、恐怖で霞がかかっていた意識を、はっきりと覚醒させる。
――立てる。歩ける。
私が確信を得るのと、彼が空中に「缶」を投げたのは、同じタイミングだった。
そして、そのラベルに書かれた魔法陣が輝くと同時に、さながら殺虫剤の燻煙のように、激しく白い煙を吐き出し、私たちの視界を包み込んだ。
……何も見えない白煙の中を、私たちは、走る。
互いに握りしめた掌で、相手の存在を確かめながら。
――それでも、私は、彼が何者か、よく知っている。
彼がどうして、ここに来たのかも……「来てくれた」のかも。
頼まれてもいない中で、誰かのために、……私のために。
悲しくて泣き出しそうな私を、助けに来てくれた。
そんなことをする子を、私は、誰よりもよく知っている。
「ハル君」
白い煙の向こう、揺れる小さな少年の背中。
しばしの沈黙が流れた後、彼の声は、返ってきた。
「……久しぶりだね。扇さんから、そう呼ばれるの」




