神門ダンジョン最下層
「クソったれ!またまたアンデッドの軍団だよ。」
ファナの声に、結界障壁内で彩芽が長い呪文に入り、障壁を更に強化するのと同時に、溟も長い呪文を唱え始め、暫くすると障壁外は無数の雷が荒れ狂う世界となった。それが三分ほど続き静まったあとは、時折り雷柱がピリッと輝くだけの穏やかな僅かに紫がかった穏やかな空間へと戻った。
「ホントにキリがないよね。」
軽く息を荒げながら彩芽が少し疲れた感じで言葉を口にすると、
「さすがに三年は長いよね。」
そう溟が応じた。
彼らがこの最下層に到達したのは三年前だった。最初のうちは出てくる魔物は堕天使が多く、お互いまともに闘っていたのだが、戦力で圧倒されていると判ると、彼らはその戦い方を変えて物量と環境変化で押してくるようになった。
更に、こちらに浄化系の魔法を使えるのが彩芽しかおらず、しかも極端に広範囲の浄化を行うことができないと判ると、押し寄せてくる魔物からゴーレムとかが抜け、アンデッドのみでの襲撃に変わった。
背後を数キロを超える程の幅のある高温のマグマの川で遮られたため、撤退する為に溟が氷魔法を使用すると、それと同時に堕天使とアンデッドが交互に波状攻撃を加えてそれをさせず、マグマを渡ることを諦めると、天使が引いてアンデッドのみの進軍となり、倒しても時間が来れば復活する。それの繰り返しだった。
そんなことを続けて一年もすると更に状況が変わった。後方のマグマがらマグマで構成された泥人形が百匹単位で出現するようになり、障壁は絶えず維持せねばならぬようになり、ファナが溟と彩芽の二人を同時に補助しなければいけない状況が増えてきた。
更に一年が経過した頃には、襲撃してくるアンデッドの数は万を超え、襲いかかるマグマ人形も千を超えた。彼らのテリトリーは半径五メートル程の半球状のエリアを維持することで精一杯となり、疲労は極限に達していた。
「溟、そろそろ覚悟を決めないといけないかもしれない。食糧在庫があと一月ほどで切れる。私達はファナのように神素を糧とすることはまだできないから、体力のあるうちに賭けに出る必要がある。」
ーーーー
「今度のクズはなかなかしぶといですね。」
そんなことを言いながら、贅を凝らしたダンジョンコアルームの大きなベッドの上で、何人もの美の天使の眷属であった堕天した天使達を侍らせた太った油ギンギンの男神が呟いた。
「一人は神か天使のようですが、残る二人はまだ下々の存在ですから、食べ物がなくなればそれで終わりです。今回のアラス様の作戦は完璧ですね。」
その堕天使の言葉にムッとしたアラスは、その堕天使を殴り飛ばし、彼女は壁へと飛ばされるとグシャッと音を立てて肉塊へと変わった。
「ふん、使えん奴らめ、原因は千を超えるお前ら堕天使の屑どもが、たった三人の侵入者を排除できなかったからこうなったんだろ。どうしてこの僕が三年もあんなゴミの存在に悩まされなければならないんだ。判ってるのか!」
そのアラスの激情に震え上がった堕天使達は壁の隅に固まって震えていた。
「まぁ、良い。あの三人は必ず生きたまま捕らえろ。どんな手を使ってでも必ず堕として手駒に加えてやる。」
「…ふん…せいぜい寝首でも…掻かれない…ように…するんだな…」
そんな掠れた小さな声に、アラスはまた青筋を立てた。
ベッドから飛び降りると、かつてウェスタに使われていたものとよく似た神具で手足を四方向から拘束され、骨と皮だけになったようなボロ布さえも殆ど身につけていない、酷い傷だらけの女を思いっきり殴り飛ばし、女は鎖が伸び切った状態で弾き返され、更にアラスの正拳で再び飛ばされた。
かつて背中にあっただろう六枚の羽は、四本が途中で折れたり欠けたりしており、その羽根はかなりの数が抜け落ちており、原型を全く留めていなかった。
「誰もがお前と同じだと思うなよ。圧倒的な力の前に次々と堕天していく仲間を嫌と言うほど見てきたはずだ。ブライドなど何の役にも立たん!今度の奴らもお前の前で散々甚振ってやろう。それがお前には一番苦痛になるみたいだからな。時空神クロノの筆頭天使アリア、楽しみにしとけ。」
それだけ言うと、アラスはその部屋を出ていき、他の堕天使はゾロゾロとそれに従い、部屋にはアリア一人が残された。
「クロノ様、私は悔しゅうございます。あのウラノの裏切りの証拠となるあの男を突き出せば、すべては解決したはずなのに…クロノ様…」
そこまで言って、彼女は再び意識をなくした。
ーーーー
「ふん…つまらん。まったく退屈な毎日だ。今回の奴らもくたばるのは時間の問題だ。ヘラ様よりこの異界の地の神の審判、裁きを行う大切な役だと言われて、このアラス、期待に打ち震えてここに来たが、現実は天使が神へと昇るための試練の場というだけで何の面白味もなかった。暇つぶしに堕天させて配下を増やして、慰み者を作ることぐらいしかないというのは、この有能な私にとってはあまりに侮辱だ。」
そう愚痴を言いながら、コアを操作すると、ダンジョンに定量的に供給されるエネルギーが減少していることに気づいた。総量は減少するどころか増加しているのにどういうことだろうと、更にコアを操作すると、支配下にあるはずの階層の数が減少してきていることに気づいた。
「どういうことだ?階層が減ったならエネルギーは減るはずだ。考えられる理由としては、喪失するエネルギーよりも大量のエネルギーが供給されたと考えるのが最も辻褄が合うが、どんなことをすればそんなことが起こるんだ?意味不明なんだが?」
コアが映し出している表やグラフの意味が全く理解できず、直接現地へ向かって調査させるしかないかと思ったが、現在の状況ではそれは許されず、今回の侵入者の処理が終わったら行うことに決めた。
ーーーー
溟達の作戦は単純だった。溟と彩芽で相手を陽動し、そのドサクサに紛れてファナがマグマを飛び越えて後方へ下がり、ダンジョン上層で食糧を調達して、それを収納袋に入れて持ち帰るという最もリスクが少ない方法が選択されていた。もちろんその間ファナがいなくなったことを隠すために人形を作成することも忘れなかった。
しかし、ファナは十日経っても帰ってこなかった。
「やはり一人で行かせたのは失敗だったかもしれない。」
「でも、ここより上層の魔物に強いのはいなかったから、例え何百匹が相手でもファナなら心配ないんじゃない?とにかくもう少し待ってみようよ。」
そして、その日のアンデッドとマグマ人形の襲撃が一段落した後に、奴らは現れた。
先頭の堕天使の持つロープの先には、羽がボロボロになって全身傷だらけのファナがぶら下げられていた。
「「ファナ!」」
見つけたと同時に飛ばされた溟の斬撃は、奴らの展開する障壁によって減衰され、六枚羽の堕天使の剣戟によって弾け飛んだ。
「おいおい、自分の仲間が捕まってるのによく攻撃できるな。こいつがどうなっても構わないってか。」
そう言いながら、そいつはファナの身体に更に一撃を加えた。
「やめろ!」
「おいおい、まだ自分の立場が判ってないみたいだな。他人にお願いする時はどうすれば良いのか教えてもらってないってか。」
くっ、溟は悔しさに自分の下唇を噛んで口角から血が流れた。
「…溟…」
溟がその場に正座して、自分の手にしていた武器を横に置き土下座をするのを見て、彩芽もその隣に並び正座して頭を下げた。
「うひゃひゃひゃ!よく判ってるじゃないか。そうだよそれが他人にお願いする時のポーズだよ。知ってるなら早くしろよ。」
そう言って、その男は斬撃を飛ばして二人にぶつけた。
「さて、どうやって調理してやろうか。アラス様には生きたまま連れてこいって言われてるが、五体満足のまま連れてこいとは言われてないしな。」
そう言って、男は右側の口角を上げて下品な笑顔を浮かべると、配下に命じた。
「おい、お前らも欲求不満溜まってんだろ。あいつらに自分の一番得意な魔法ぶち込んでやれ。ただし、死なない程度にな。」
笑いながら命じる男の言葉に従って、一人一人が己の得意な神級魔法を打ち込んだが、そこには装備はボロボロになり、至る所から血を流してはいたがそのまま土下座の姿勢をし続ける二人の姿があった。
「おいおい、なかなか健気じゃねぇか。その殊勝な心がけにおじさん感激しちゃうな。」
そう言いながら男の放った特大の斬撃は二人を弾き飛ばした。それでもその場で土下座の姿勢を取ろうとする二人に、かつて圧倒的な力に屈して仲間を売った男はついに逆上して、一本の巨大な槍を両手に顕現させた。
「リーダー、それはマズイんじゃ…」
「うるせぇ!俺はコイツラが心底気に入らないんだよっ!」
その巨大な禍々しい槍は、男の手を離れると更に加速した。