ダンジョン最深層にて
新大陸最北の岬から見える岩場だらけの荒海の中に、天にそそり立つような百メートルほどの高さがある巨大な岩があり、その頂上には遠い昔に忘れ去られた朽ち果てた鳥居と社があった。
異世界より飛ばされてきた新大陸と共に出現したその大岩には、この世界に出現してよりこれまでの間、ただの一人も訪れる者はおらず、鳥居を潜り、巨大なボロボロの荒縄で封印された社の中に入ると、そこには巨大な穴が開いていた。それはとある世界では、ダンジョンと呼ばれる存在だった。
そのダンジョンの最深層である第三百六十二層には、地に引きずるほどの長い白髪を持ち、血のように真っ赤な瞳の、二本の長い角を持った女が、両足を太い青碧色の金属でできた鎖で拘束された状態で捕らえられていた。
「さすがに疲れたの。この牢獄に囚われてから何万年も、いや何十万年、ん?もっとか?まぁ良い。誰も聞いているわけでもないか....創造神の色惚けジジイが私に色目を使ってきたのを、創造神を魅了の魔法で誘惑したとあの糞ババアに因縁つけられて、ここに堕とされたのは私の一生の不覚ということだよな。実際にはまだまだ処女神だというのにな....」
彼女はとある世界の神界では、その美しさ故に大変有名な女神であり、三千世界最高の美女との評価を受けており、言い寄る神は数知れず、例え伴侶を持つ神であっても機会を伺うほどの魅力を持っていた。
そんな彼女に目をつけたのが創造神であるセウスであった。幾度となく彼女にちょっかいを出し、その度に袖にされていたこともあり、強引に関係を結ぼうとした所を妻であるヘラに見つかり、原因を彼女の魅了の魔法と言い訳したことが、今回の処分に繋がった。
更に最悪なことは、閉じ込められて一万年程が過ぎた時に、大規模異世界転移が発生し、ダンジョンごとこの世界に転移されてしまったことだった。
彼女は次元の虜囚であり、次元の迷子となってしまったのである。
「ここには神素も何もない。さすがの私も神気切れだよね。」
そう言って、彼女が自分の腕を見ると、薄っすらとヒビ割れがあり、そこから見える身体の中は透き通っており、そこには何も存在しなかった。
彼女の真っ赤な瞳に涙が溢れ、真っ黒な大地に一粒ポタリと落ちた。それがキッカケとなり、次から次へと涙が溢れ、大地に涙の痕を染めていった。
すると、その黒い染みの中に、萌葱色の光が生まれ、その光が徐々に輝きを増していく、神である彼女には、無生物より生物を生み出す力も過去にはあったはずであったが、今の殆ど死にかけの状態で、それが可能だとは思えずに、彼女はその輝きを増して碧色に変わった光から目を離せなかった。
その光からは、まるで種から双葉が顔を出すように、光から鮮やかなエメラルド色に輝く双葉のようなものが生まれた。
涙も止まり、マジマジと両目を見開いてその成長を見つめる彼女の前で、その双葉はスクスクと育ち続け、その双葉の下部が少しずつ膨らみ始めた。その姿はまるで卵のようだった。
一時間ほどかけて、その膨らみはフットボール大の大きさとなり、その時点で一旦成長を止めたようにみえたが、逆に光は更に輝きを増していった。
「何なの、これは?こんなの見たことないよ。」
更に三時間ほど経過すると、その輝きは急速に卵のような物体に染み込むように吸収され、光が収まると同時にその頂点部分が、ピシッと音が入ったと同時に少しヒビ割れ、そこから全体に細かなヒビが広がった。
「えっ!何か産まれてくるの?信じられない。私の涙から生まれるならきっと可愛いものだよね。妖精さんかなぁ。」
そして、更に二時間ほどかけてその膨らみから生まれてきたのは、身長三十センチにも足りない、長い白い髪に深い蒼翠の房と伽羅色の房を持ち、透き通った翠緑色と琥珀色の瞳を持った人形のような女の子で、萌葱色を基調にしたバルーン型のワンピースと焦げ茶色のブーツを履いていた。
「えっ!スカートいやワンピース?女の子なのか?マジか!」
その子は生まれてくるなり、そんな男の子っぽい口調で感想を述べていた。
「へぇ〜、あなたは誰なの?」
その声にその子は驚いたように振り返った。
「はうぁっ!巨人?」
「違うわっ!あんたがチビなの。」
「えっ?」
驚いたように、その子はマジマジと自分を観察し、上目遣いで彼女を見上げると、オドオドと尋ねた。
「すみません。僕って何センチくらいですか?」
その仕草が可愛らしくて、彼女は本格的に関わることに決めた。
「そうね、二十五センチくらいかな。ところで、少し本格的に私とお話ししない?」
その言葉に、少しショックを受けたように見えた子供は、少し躊躇いを見せたが、悩んだ素振りを隠そうともしないで、覚悟を決めたように話し始めた。
「判ったよ。それじゃあ、まずは綺麗なお姉さんの名前を教えてくれる?」
「グハッ!」
昔は言われ慣れていたが、数十万年ぶりに言われた褒め言葉は、彼女のハートを抉りまくり、彼女はその場に蹲ってしまった。昔は、他人に褒められることがこんなにも嬉しいことだとは思ってもいなかったし、むしろ鬱陶しいと感じていた。とてつもなく長い幽閉期間は、誇り高く孤高の存在であった彼女を、既にチョロい女神にまで降格させていたようだった。
黒い大理石調のテーブルの椅子に座り、お茶と茶菓子が目の前に並べられた状態で、二人の会話が開始された。
「私の名前はウェスタ。アーズという世界で竈や炉、家庭、家族を司る神のお仕事をしていたわ。」
「え〜、こんな世界に最も似合わない女神様じゃないですか。どうして、こんな所に幽閉されているんですか?」
その質問に女神の涙腺は再び崩壊し、これまでの経過を、初対面であるチビな妖精みたいな存在にクドクドと説明し始めた。
「実は、[中略]こういうわけなのよ。」
「なるほどなぁ、最高にモテる高嶺の華だったのに、危機管理能力が足りなかったということですね。」
「はぁっ?あんた、私の話しキチンと聞いてた?私は時の権力者に強引に言い寄られて、こっちはしっかりと拒絶してるのに、相手の片割れが嫉妬して、夫を罰するんではなくて、なんの罪もない私を貶めたんですよ。これって私が悪いの?」
そう叫んで、ウェスタはテーブルを小さな手でダンと叩いた。
「そうです。あなたに隙があったんです。たくさんの人に言い寄られて、少し良い気になっていませんでしたか?チヤホヤされることが当たり前で、あしらうばかりで、まともに相手にしないことを自己防御と考えていなかったですか?警戒足りなかったとかないですか?」
思い当たることがあったらしく、ウェスタは少しショックを受けたが、もう少し話しを聞きたいと前のめりになった。
「じゃあ、どうすれば良かったのよ。」
その問いに、その妖精みたいな子は、自信満々な表情でこう答えた。
「基礎としては、相手が自分にとって価値のない男であれば、二度と立ち直れないような策を練って嵌めてしまえば良いんです。たいていの男はナルちゃんですから、」
「ナルちゃんって?」
「あぁ、ナルシストの略ですが、自信過剰な自己陶酔者みたいな存在です。そんな奴らは、自分が振られるのを他人に見られたくないから、コソコソした手段を取ることが多いです。だいたいメールとか手紙とかデートとかと関係のない誘いやすい行事に誘うことから縁を作ろうとしますから、それを公然の場所でぶった斬ると、気の弱い奴らはそれで引っ込みます。」
「う〜ん、それくらいのことはしてたかもしれない。」
「じゃあ、初級編です。ここからは、ある程度自分に力がないとゴリ押しされることがありますから、自己鍛錬は欠かさないようにしてください。」
「はいっ!」
ウェスタは力強く頷いた。この人、簡単に騙されてしまうタイプだなと思いつつ、その子は話しを続けた。
「では、自信過剰な自己陶酔に加えて、更に極端な自己中である場合は、他人の目など気にしませんから、そんなことをされても構わずグイグイ来ます。相手にする時間ももったいないタイプです。」
「いました!いました!それこそ一番多かったかもしれません。」
ノリノリだった。
「これへの対処は簡単です。簡単に法律や掟、慣習を破り、秩序を崩壊させて来ますから。答えは一択です。突き出して、牢屋に入ってもらいます。相手の立場や背景など考えるだけ無駄です。証拠は幾らでも手に入りますから、治安機関に捕まえて貰えば良いんです。個別に対応しようとするとドツボにハマります。」
「相手が権力と癒着してる場合はどうするんですか?」
「簡単です。癒着していた相手も一緒に権力から追い落とせば良いんです。この時に基礎編で上げた連中は、良い駒になってくれますよ。」
「あなた、見かけによらず悪ね。」
「とんでもない。そんな人間だと判っているのに放置している保護者こそ悪ですよ。」
その言葉に、ウェスタは思い当たることがあったのか大きく頷いた。
「じゃあ、次は中級編ですね。準備は良いですか?」
「はいっ?.........あっ!」
その時、ウェスタの左手の皮膚がまるで陶器が割れるようにポロリと剥がれ落ち、中身の空洞がみえてしまった。
慌てて右手で押さえながら、泣くような顔でウェスタは微笑んだ。
「せっかくの楽しい時間でしたが、もうすぐお別れのようですね。
「もしかしてですが、神気切れですか?」
「そうね。もう何年か判らないくらい、それこそ何十万年も、信者もいない神気もない空間に閉じ込められてちゃね。仕方ないかな.....」
その言葉に、チビは虚空を睨みながら、自らの内を探るような仕草を続け、突然笑顔でウェスタへと振り向いた。
「たぶん、僕が何とかできると思います。少し待ってもらえますか?」
その言葉に、
(えっ?こいつ何言ってんの)
と思うウェスタの前で、そのチビはテーブルの上に立ち、両手を空に向けて手を広げ、両目を瞑って集中すると、その身体の内より光が溢れ始め、それまでいつもと変わらない闇の多い暗い空間であった場所が、ほんのりと淡く碧色に輝き始めた。
その輝きは少しずつ、チビの頭上に集まり始め、暫くすると直径一メートル程の光球が誕生して宙に浮かんだ。
「はい、できました。これ使ってください。問題ないはずです。」
「使ってくださいって言われても、私はどうすれば良いの?」
「触れてくれれば良いですよ。後はなるようになりますから。」
「なるようになるって....」
例え何もしなくても直に散る命なら、この子に掛けてみようかなと思い、ウェスタは、その透き通ったエメラルド色に輝く光球に手を伸ばした。
すると、その光は最初に触れた右手から染み込むようにウェスタの身体に吸収されていき消滅した。
「どうですか?何か変わってないですか?」
「そう言われても....」
言われたウェスタが自分の身体を見てみると、先程までのヒビ割れは完全に消失し、陶器のようだった肌は、以前のような柔肌へと回帰していた。
「....ウソ?」
もう諦めていた。このままこの暗くて誰もいない岩だらけの牢獄で、一人寂しく消えていくのだと思っていた。
その時は明らかに直ぐ傍らまで迫っており、身体は無機物へ、或いは虚無へと変わりつつあったはずだった。
今この瞬間の自分に訪れた奇蹟に戸惑いだけがあった。この目の前にいるチビは私にとっての何なのだろう?私には幸運の女神にしか見えない。何十万年も待ち続けていた、待ち焦がれていた想い人だった。
「ありがとう。あなたには感謝の言葉しかない。私の全てをかけてお返ししたいけど、ここに閉じ込められいる私には何もない。それが哀しいです。」
「えっ?自分で出ていけば良いじゃん。神様だったら、そんなオリハルコンの鎖なんか簡単に処理できるんじゃないの?」
悲壮感を醸し出して語った言葉が、軽い口調で否定されて、少しムカッとしたウェスタが、売り言葉に買い言葉で反論した。
「簡単だって言うなら、あんたの好きにやってみなさいよ!」
「やって良いの?じゃあ、やってみるね。」
そう言って、チビはウェスタの右踝の辺りに嵌められた金属の輪っかに触れると、その右手が濃い緑茶色に輝いたが、輪っかにはなんの反応も見られなかった。
「これじゃダメか。じゃあ、これかな。」
そう言うと、今度は右手が灰褐色に輝き始めた。すると、これまで何の反応も示さなかった金属が白く光りだし、まるで灰に変わったように端からポロポロと崩れ落ちていった。
信じられない光景に、ウェスタは唖然としてポカンと口を開けた。
この足環は以前の世界では、神力や魔力に一切反応しない金属でできていると言われていたはずだった。それが何の抵抗を見せることもなくポロポロと崩れていくなんてありえなかった。
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