第31話 やれること
あとはこっちでやっとく、と優実には啖呵をきったけれど、明確な解決策があるわけではなかった。
一番正しいのは、やはり大人に相談することだろう。
それはわかっている。
けれど優実の「誰にも知られたくない」という思いも痛いほど理解できた。
もし俺がもう一回り大人だったら、たとえ優実を裏切ることになったとしても、警察に通報していただろう。
でも今の等身大の俺は、それが間違ったことだと自覚した上で、優実の気持ちを尊重したいと考えていた。
なら、やれることは限られていた。
最善策とはとても言えない。
消去法でかろうじて残った、馬鹿で無力な俺にも出来ること。
言い換えるなら、頭に海綿体が詰まった嶋中のような連中でさえ(あるいはだからこそ)利用している手段だった。
翌日の月曜日、俺はタイミング悪く日直だった。
放課後、さっさと仕事を片付けて教室を出る。
雨の日はいつも廊下が混雑した。
人込みの中に目当ての相手がいないか、注意深く探しながら昇降口まで歩いた。
真崎は校舎の入り口の庇の下にいた。
右足に重心を乗せ腕を組み、何かを熱心に見つめている。
その視線の先に目を引くようなものはないから、もしかしたらただぼうっとしているだけなのかもしれない。
切れ長の大きな目のせいか、常に睨みを効かせているように感じられる。
あるいは真崎の人となりを知っているからそう感じるだけで、初対面だとまた違った印象を受けるのだろうか。
俺はどうだっただろう。
今ではもう思い出せないけれど、たぶん「美しい」とか「格好いい」とか、そういう感情を抱いたんじゃないかと思う。
真崎の暴力性を知った今でも、端然としたその立ち姿には感動すら覚えた。
やはり真崎は美人だな、と改めて思った。
そうなのだ。
真崎は遠くから眺めてるぶんには魅力的な異性に他ならない。
さすがの真崎でも、遠くにいる相手は殴れない。
まるでライオンだ。
誰もが憧れるものの、危険を冒してまで近寄りたいと、直接触れたいと、そう考える者は少ない。
いないと言ってしまってもいいかもしれない。
真崎には不用意に近づくべきではない。
遠くから眺め、たまに卑猥な妄想に登場させる、それくらいの距離感が一番いいのだ。
けれど俺は歩みより、声をかけた。
本来なら忌避すべき、真崎の暴力性を目当てにして。
真崎は微動だにしなかった。
気付かなかったのではなく、無視したのだと雰囲気からわかった。
俺はさらに半歩近づき、また名前を呼んだ。
小さな舌打ちが返ってきた。
「なんだよ」
鋭い眼光。
無意識のうちに唾を飲み込み、俺は言った。
「お前ってさ、いろんな格闘技、習ってるんだよな」
「だから?」
「喧嘩の仕方を教えて欲しい」
真崎の眉間に深い皺が寄った。
「なんで?」
「いろいろとあって」
「違えよ。なんで私がお前にモノを教えなきゃいけないんだって訊いてんの」
「……知り合いの中で、お前が一番適任なんだよ」
空手部の知り合いに頼もうかとも考えた。
でもやはり、真崎と比べるとどうしても力不足に思えてしまう。
個人的な感情で選択肢を狭める気にはなれなかった。
真崎は重心を左足に移し、体の正面を少しだけこちらに向けた。
「仕返しか」
言葉足らずだったけれど、言いたいことはわかった。
俺は自分の頬に触れ、それから頷いた。
「相手は」
「隣町の中学生」
真崎は目を丸くした。
組んでいた腕が自然にほどけ、声をあげて笑い出す。
「なんだよお前、中学生に負けたのか」
羞恥と苛立ちが胸の中で混じる。
でも逃げ出すわけにはいかなかった。
「相手は俺よりも体格がいいんだ。かなり喧嘩慣れもしてる。まともにやってもたぶん……」
俺は言いさし、首を振った。
つまらないところで虚勢を張るべきじゃない。
「いや、絶対敵わない」
やがて笑い止んだ真崎が、目頭に溜まった涙をぬぐった。
「じゃあ諦めればいいだろ」
「……そういうわけにはいかないんだよ」
事情を説明できないのがもどかしかった。
俺はへらっと愛想笑いをした。
「なあ、頼むよ」
そのへつらうような態度が、真崎の逆鱗に触れてしまったようだ。
「いつ、お前が、私に、頼みごと出来る立場になったんだよ」
怒りのためか、真崎は文節を区切るような話し方をした。
「瑞希やアリサの手前、我慢してやってたら調子に乗りやがって」
俺は気圧され半歩下がった。
そこに闖入者が現れた。
いや、この場合邪魔者は俺なのだろうけど。
「ごめんなさい、遅れたわ」
加賀美は俺の存在に気づくと、ぴたりと動きを止めた。
視線だけを動かし、俺と真崎を何度も見比る。
「……取り込み中だった?」
「なんでもないよ。行こう」
真崎は傘を差し、俺には一瞥もくれずに歩き出した。
「おい、待てって」
咄嗟に後を追い、真崎の腕を掴む。
「気安く触るな!」
真崎は俺の腕を振り払った。
その勢いで体を反転させ、かなり近距離で正対する。
傘を放り出し、真崎は拳を振りあげた。
「落ち着いて」
加賀美が俺たちの間に割って入った。
「なにがあったのかは知らないけど、ここは人の目がありすぎるわ」
「でも、こいつが」
「この男に殴るほどの価値なんてないわ。そんなことで停学にでもなったら馬鹿みたいでしょ」
加賀美は自分の傘を差すと、真崎をその下に入れてやった。
真崎が憎々し気に睨み付けてくる。
その口元に、ふと嫌な笑みが浮かんだ。
「お前さ、人にモノを頼むときにはそれなりの態度があるだろ」
「態度?」
「私に頼みごとをするなら、土下座くらいしろよ」
周りを見回す。
そこには当然、大勢の生徒の姿があった。
中には不穏な空気を察して、こちらを遠巻きに眺めている連中もいた。
「ここでか?」
俺は雨に打たれながら尋ねた。
「ああ」
「わかった」
不思議と躊躇いはなかった。
膝を折り、両手を地面につく。
そして額を地面につけて「お願いします」と言ったとき、自分のしていることが意趣返しであることに気がついた。
そういう手段を用いる自分に嫌悪を覚えたが、いまさら顔をあげるわけにもいかない。
なにより、効果は覿面だった。
「お、おい」
狼狽した声が降ってくる。
「馬鹿っ、本当にやる奴があるか」
「お願いします」
「ああ、わかった! わかったから顔をあげろ!」
飛び起きるのがなぜだか恥ずかしくて、俺は緩慢な動きで立ち上がった。
手のひらについた小石を払い泥水を吸った前髪を手ではらう。
それから真崎に視線をやった。
「すまん」
悔しそうに顔を歪める被害者に、とりあえず謝っておいた。




