第12話 一回り、茜姉
「だから、私を避けるようになったの?」
「受験勉強で忙しかったってのもありますけど、でも一番の理由はそれです」
「……そっか」
彼女は背もたれに体重をあずけ、天井に向けて大きく息をはいた。
「そんなつもりはなかったんだけどなー。晴香ちゃんと同じくらい、誠一くんとも仲良しのつもりだったんだけど……。でも、そうだね。言われてみれば、こうやって私たちが二人きりでいるのって、初めてかも」
松宮さんはマグカップを口元に運び、空っぽであることに気付いてテーブルに戻した。
「新しいの、入れますか」
彼女はゆっくりと首を横に振った。
「あのころはさ、中学生と、小学生だったよね」
「はい」
「でも今は、大学生と高校生」
「そうですね」
松宮さんは言葉を舌の上でしばらく転がしてから、慎重に口を開いた。
「『一回り年上』って言うと、普通は十二歳差のことだけど、子供にとっての『一回り』は三歳差のことだと私は思うんだよね」
「はぁ。まあ、なんとなくわかります」
小学校を低学年と高学年の二つに分けると、子供時代はちょうど三年周期だ。
小一、小四、中一、高一。そうやって、一回りずつ大きくなっていく。
「どうかな」
「なにがですか」
「今の誠一くんにとっても、私は一回り年上のままかな」
俺はしばらく考えてみた。
「やっぱり、かなり年上に感じますよ」
彼女はブラックコーヒーを無理に飲んだりはしない。
もうそういうのが格好いいなんて思える年頃じゃないのだろう。
「でも」と俺は続けた。
彼女のために余分に持ってきていたミルクと砂糖を一つずつ入れてかき混ぜる。
口に運ぶと、それでもまだ苦かったけれど、飲めなくはなかった。
「昔ほど、遠い存在とは思わないですね」
彼女は微睡むように笑った。
「一つだけ、お願いがあるんだけど」
「なんですか」
「昔みたいに、気さくな感じで話して欲しいなって」
彼女は少し照れくさそうに視線をそらした。
「ずっと、気になってたんだよね。呼び方も、すごく他人行儀だし」
「いや、でも」
「あ、誠一くんが嫌ならいいんだよ。無理強いなんてできないし」
「俺は、嫌ではないですけど。そっちこそ、嫌じゃないんですか。タメ口なんて」
「嫌じゃないよ。むしろ、そっちの方がいい」
少し怯えの混じった、期待の眼差し。
躊躇いはあったけれど、彼女のお願いを無下にはできなかった。
「わかったよ、茜姉」
茜音お姉ちゃんだから茜姉。
もうほとんど呼び捨てだ。
小学生のころは気にならなかったけれど、高校生の今だとかなり恥ずかしい。
茜姉の様子をちらと窺い見る。
彼女は赤面しながらもじもじとしていた。
「なんで呼ばせたあんたが照れてんだよ」
「いや、なんていうか、さっきまで敬語だった年下の男の子に、いきなりタメ口で呼び捨てにされるのが、なんだか、こう、ちょっと」
「呼び捨てじゃないけど」
「そ、そうだけど」
茜姉は居住まいを正し、「茜姉って十回言って」と真剣な眼差しで言った。
なんでこのタイミングで十回クイズ?
と思ったが、素直に従うことにした。
「茜姉、茜姉、茜姉——」
指折りしながら十回繰り返した。
「じゃあ私は?」
「茜姉」
「うふふ」
「なんだこれ」
こんなキャラだっただろうか。
昔はもっと頼りがいのある人だった気がする。
そう言うと、茜姉は懐かしむように笑って反論してきた。
「誠一くんも、昔はもっと無邪気で可愛げがあったよ」
俺と茜姉の仲がよかったのは四年以上前のことだ。
人が変わるには、十分すぎる時間だった。
しばらく雑談してから部屋に戻り勉強を再開した。
がんばったけれど、結局コーヒーは少し残した。
*
妹たちが帰宅したのは五時を少し過ぎたころだった。
「どうだった」
妹はノックもなしに部屋に入ってくる。
「どうってなにが」
ベッドに寝転がったまま訊き返す。
「もちろん、茜姉のこと」
妹は悪戯っぽく笑う。
俺は読んでいた漫画を枕元に放り、ゆっくりと上体を起こした。
「お前な、なんで黙ってたんだよ。まじでビビったんだぞ」
「えー、だって事前に言ったら断ってたでしょ。相手に迷惑がかかるとか集中できないからとか理由をつけて」
「……それは、まあ、たぶん」
「だから言わなかったの」
とりあえず家に入れてしまえば追い返したりしないと踏んでいたらしい。
その通りだったから言い返せない。
「じゃあ、あれはなんだよ」
俺は『一石二鳥』と書かれた紙を顎で示した。
問い詰めるためにそのままにしておいたのだ。
「人の部屋に勝手に変なもん貼りやがって」
「ああ、あれはね、お兄ちゃんならあの張り紙で、私の思惑に気付くだろうなと思って」
それも、その通りだった。
もうなにも言えなくなる。
結局俺は妹の掌の上で弄ばれていたのだ。
悔しい。
「それで、どうだったの」
「……教え方がうまかった」
「茜姉は教師志望だしね」
教師、と聞いて父の顔が浮かんだ。
石から掘り出したような無骨な顔だ。
堀が深く鋭角的な印象を人に与える。
そのうちの何割かの要素を、俺は確かに引き継いでいた。
年々父の顔に似てくるのが、忌々しくて仕方がなかった。
「へぇ、そうなんだ」
自然と冷たい声がでる。
妹は一瞬黙ったが、すぐに「そうだよ」とやけに元気な声で言った。
「人に教える練習として塾講師か家庭教師のバイトをしたがってたんだけど、親が許してくれないらしくて。だから、お兄ちゃんの勉強をみてあげてって頼んだんだし」
妹は壁に貼られた『一石二鳥』の文字を指さし、にこりと笑った。
「ほら、ね」
こいつには敵わないな、と俺も笑った。




