寮対抗戦始まる
アルケミアの学年末を飾る一大イベント、寮対抗戦がいよいよ幕を開けた。
この祭典は一週間にわたって開催され、学園全体が活気に満ち溢れる。普段は固く閉ざされている門扉や、中央棟の巨大なアーチの扉も開放され、学外から多くの人が見物に訪れるのだ。
校内では、学生たちの知の結晶である研究成果の展示や発表が盛大に行われる。各寮が趣向を凝らした展示で来場者を魅了し、発表会では熱のこもった議論が交わされる。一方、競技場では、肉体と精神の限界に挑むヴェットカンプの競技が開催され、観客を熱狂させる。
数ある競技の中でも、最も注目を浴びるのが最終日におこなわれるレヴィアカンプフェだ。この競技を見るために、王都中から観客が押し寄せ、会場は熱狂の渦に包まれる。各地のレヴィアカンプフェチームのスカウトも視察に訪れるほどで、実際に多くのアルケミア卒業生がプロのチームで活躍していた。
この寮対抗戦を楽しみにしているのは、観客だけではない。
早くから準備に奔走してきた実行委員の学生は、開催の喜びと達成感に満ちている。研究成果を発表する学生は、自らの努力の集大成を披露することに胸を高鳴らせている。競技に出場する選手達は、最後の調整に余念がなく、最高のパフォーマンスを発揮しようと意気込んでいる。
学園全体がそわそわとした高揚感に包まれ、学生達の瞳は期待に輝いていた。
期間中、校内は祝祭ムード一色となる。いたる所に各寮の旗がはためき、色彩豊かな装飾が施される。
発表がおこなわれる教室には、案内看板や発表の順番を示したスケジュールが掲示され、来場者がスムーズに移動できるよう工夫が凝らされている。研究成果の展示会場も、創意工夫を凝らして飾り立て、来場者の目を引くよう工夫されていた。
「思っていたよりも華やかですわね」
クラリッサとディアナは、並んで校内を見て回っていた。
始まったばかりだが、校内にはすでに多くの一般客が訪れ、興味深そうに展示物を眺めたり、学生達の研究成果に関心を示したりしている。
そんな中、所々で青いローブをまとった集団が、騒々しいほどの呼び込みの声を張り上げていた。彼らはグライフ寮の学生たちで、自寮の研究成果を大声で喧伝し、足を止めた客に積極的に話しかけ、展示コーナーへと案内していた。彼らの熱気は周囲にも伝播し、会場は一層の活気に包まれる。
「こういうときに、グライフ寮の体育会系のノリっていいですわね」
クラリッサが感心したように呟くと、ディアナは小さく溜息をついた。
「少し暑苦しい」
ディアナでさえ辟易とするほどのグライフ寮には、スポーツが得意でうるさいくらいに元気な学生が集まっていた。ここ数年という単位ではなく、何故か代々そういう学生が集まってくるのだという。普段は落ち着きがなく、座学の出来はそれほど良くはないが、こういった対抗戦になると一致団結し、無類の強さを発揮してきた。そのため、寮対抗戦での最優秀は断トツでグライフ寮が獲得しており、その覇権は揺るぎないものとされていた。
「一人や二人だと普通。だけど三人集まると鬱陶しい」
ディアナの言葉に、クラリッサは苦笑した。
グライフ寮の体育会系のノリは時に周囲を圧倒するが、彼らの情熱こそがこの寮対抗戦をさらに盛り上げる原動力となっているのだ。
ディアナと仲良くしているウルスラもグライフ寮の生徒だが、彼女と話す分には特に気にはならない。しかし、彼女の他に数人のグライフ寮生が加わると、途端に暑苦しい体育会系のノリへと変貌してしまうのだ。
彼らは集まるとすぐに大声で話し始め、腕を組み、肩を叩き合うような動作が多くなる。集団になると彼らの持つエネルギーが相乗効果で増幅され、周囲を圧倒するような熱気と活気を生み出すのだ。
事実、グライフ寮の学生は授業でもうるさいことが多い。教師が注意しても聞く耳を持たず、隣の生徒とひそひそ話したり、時には大きな声で笑い出すことさえあった。だが、バラバラに分かれて座らせると、意外にも静かに授業を受けていた。まるで集団でいること自体が、彼らの持つ活発な気質を増幅させるように感じられた。
「まるでグライフの呪い」
グライフとは、頭と前足が鷲、胴体と後ろ足がライオンという伝説上の生き物、グリフィンのことだ。物語にもよく登場していて、大抵は宝物を守護する魔物として描かれている。その強大な力と、大空を自由に飛び回る姿から、力と自由の象徴としてグライフ寮のシンボルとなっていた。
グライフ寮の生徒たちは、その象徴にふさわしく、力強く、そしてどこか野性的な活気に満ちていた。
「あちらに並んでいるのはフェーニックス寮の展示ですわね」
クラリッサの声にディアナが顔を向けると、そこには目を奪われるような展示物が並んでいた。
「すごい……」
ディアナが圧倒されるほど、精緻な模型、難解な数式が書かれた羊皮紙、そして奇妙な装置などが整然と並べられ、赤いローブを纏ったフェーニックス寮の学生たちが、来場者の質問に真剣に答えていた。
この寮の学生は、灰の中から何度でも生まれ変わるという伝説の鳥フェニックスのように、困難を乗り越える強靭な精神力と、飽くなき探求心を持つ研究熱心な学生が多いことで知られている。彼らはどんなに複雑な課題に直面しても、決して諦めることなく、徹底的に研究を深めていく。
そのためか、彼らの研究は他の寮を圧倒する結果を残し、その成果を来場者にも分かりやすく伝える工夫が凝らされた展示で、客の関心を強く惹きつけていた。
「やはり研究の内容では、フェーニックス寮には敵いませんわね」
一つの展示にちらりと目をやったクラリッサが、驚いた表情を浮かべたあと、その圧倒的な情報量に軽く息を吐いた。
彼らの研究熱心さは、机上の学問に留まらず、ときにはレヴィアカンプフェでも発揮され、緻密な戦略と連携を駆使し、かつてはグライフ寮を圧倒した年もあったそうだ。
「来年はディアナさんも研究発表してはいかがですか?」
クラリッサが不意にディアナに提案した。
「ええ、あたし無理」
ディアナは即座に首を横に振った。
「そんなことありませんわ。ヘレーネ先生が仰ってたではありませんか。魔力循環の低年齢化による効果などを研究してみるのはいかがですか? それともアレクシス先生を驚愕させた魔力濃縮の発表とかもいいかも知れませんわ?」
フェーニックス寮の圧倒的な研究成果と展示の質と量を目の当たりにし、クラリッサの中に対抗心が芽生えたのか、ディアナに矢継ぎ早に研究発表の具体的な内容を提案した。
確かに、ディアナがこれまで成し遂げてきた研究の数々を発表すれば、多くの人から注目を集めることは間違いないだろう。しかし、魔力循環の低年齢化に関する研究は、目を爛々と輝かせていたヘレーネが、自分の子供達を使って精力的に取り組んでいるはずだ。また魔力濃縮についても、アレクシスが王宮魔法師としての立場を利用し、大々的に発表すると明言していた。
今からこれらの研究発表を準備したところで、今年の展示には間に合わないし、来年まで待てばその先進性が失われてしまう可能性もある。
「確かに魔力循環はヘレーネ先生が嬉々として取り組んでそうですけれど、魔力濃縮なら来年でも大丈夫ではなくて? 一度アレクシス先生に相談してみればどうかしら」
ディアナを見つめるクラリッサの目力は、普段の愛らしい表情からは想像できないほどの迫力があった。
結局、彼女の有無を言わさぬ迫力に押し切られ、ディアナは「手伝ってくれるなら」と条件付きで、クラリッサの提案を受け入れたのだった。
「見えてきましたわ。あそこがわたくし達の展示スペースですわ」
クラリッサの指差す方向に、白いローブを纏った集団が見えてきた。そこはもちろん、ディアナたちが所属するアインホルン寮の展示コーナーだ。
他の寮の活気あふれる展示を見てきたせいか、アインホルン寮は全体的に落ち着いた雰囲気を漂わせている。言い方を変えれば大人しくて活気がそれほど感じられない。しかし、その静けさとは裏腹に、他の寮とは一線を画す特徴があった。会場内から、穏やかな音色が奏でられているのだ。寮生達が雰囲気に合わせ、ゆったりと落ち着いた雰囲気のある曲を生演奏していた。
アインホルン寮は、他の寮と違って静かに一人でいることを好む学生が集まると言われている。そのため、チームワークを求められるような集団行動は苦手とする者が多いが、その分、芸術家肌の者が多く、楽器を演奏したり、展示内容の見せ方といった展示会場の装飾など、他の寮と比べて圧倒的に凝った作りとなっていた。
今年はエミーリア肝いりで古代魔法文明時代の魔法具、魔力通信装置の再現に、寮の総力を挙げていた。そのため、アインホルン寮の展示会場はたったひとつだった。その展示会場の中央には、目玉である古代の魔力通信装置を忠実に再現した、赤い長方形の箱形の魔法具が堂々と展示されていた。
「思ってたより大きい」
素直なディアナの感想にクラリッサが苦笑いを浮かべた。
ナハトゲレートは、古代魔法文明時代の文献にたびたび登場する、比較的メジャーな魔法具だ。遠く離れた相手と、目の前で喋っているかのように会話が可能な魔法具だったと推測されていた。
文献によっては、自分の姿も送ることができたとも記されていたり、手のひらに乗るほど小型化された魔法具もあったとされる。
今回再現できたのは音声のみの通信までしか叶わなかったが、それでも手紙のやりとりをすることを考えれば、その画期性は計り知れないものがあった。
赤く格子状に組まれたフレームの一面が扉となっていて、箱の中は小さな黒い装置が据え付けられていた。それが魔法具の本体らしい。通信する際は、この箱の中に入っておこなうことになるようだ。
「ディアナ、入ってみて」
魔法具の傍にいたエミーリアが、優雅な手つきで扉を開け、ディアナに中へと入るよう促した。その表情には、どこか悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
――リンリン、リンリン……
ディアナが戸惑いながらも中へと足を踏み入れた途端、中に設置された魔法具に付いている小さなベルが、甲高く鳴り響き始めた。
驚いたディアナが思わず振り返るが、クラリッサとエミーリアは楽しげな笑顔を浮かべていた。「横の受話器を耳に当てるの」と声を揃えて言うと、あっという間に扉を閉めてしまった。
途方に暮れたディアナは、鳴り止まないベルの音に焦りを感じながらも、仕方なく魔法具の左側に付いている受話器を取った。恐る恐るそれを耳に当てると、微かなノイズの後に、聞き慣れた声が聞こえてきた。
『ディアナか?』
「ブルーノ!?」
受話器から聞こえてきたのは、まさしくブルーノの声だった。ディアナは驚きのあまり、思わず受話器を耳から離し、まじまじと覗き込んでしまった。しかし、どう考えても、手のひらに乗るほどの小さな受話器の中にブルーノが入れるはずがない。
「……ど、どこにいるの?」
やや緊張した面持ちでディアナは受話器を再び耳に当て、正面の送話器に向かって口を開いた。
自分の声が本当に相手に届いているのか分からず、自然と声が大きくなってしまう。
受話器からは、ディアナと同じように少し興奮したようなブルーノの声が、まるですぐそばで話しているかのように明瞭に聞こえてくる。
『す、すげぇな、このナハトゲレートは。お前の声がすぐ傍から聞こえるぞ』
喋っているうちに興奮してきたのか、ブルーノの声は弾むような調子に変わっていく。
ディアナは教室内を見渡すが、どこにもブルーノの姿は見当たらない。本当に離れた場所から通話しているようだ。
『こっちは校庭の隅に設置された通信装置の中だ』
「校庭!? 本当に?」
『ああ、本当だぜ。俺もお前が校内から喋ってるなんて信じらんねぇぜ』
ブルーノの言葉が本当なら、この魔力通信装置のある教室から校庭までは、歩いて五分はかかる距離だ。たとえ拡声の魔法具や、身体強化魔法で声帯を強化したとしても、これほどの距離に声を届かせることは不可能だろう。
それがこの魔法具を使えば、まるで隣にいるかのように会話ができるのだ。音声通話しかできないとはいえ、そのインパクトは他の寮の研究発表にも決して負けていない、画期的なものだった。
「校庭はどんな感じ?」
『ああ、こっちでも屋外型の展示があるが、それよりお前の好きな屋台がいっぱい並んでるぞ』
「屋台!?」
ディアナが叫ぶように言った瞬間、彼女のお腹が「くるる」と可愛らしい音を立てて鳴った。
『ああ、串焼きにソーセージの盛り合わせやピザもあるな。あとアイスクリームなんかのデザートも並んでるぞ!』
一瞬恥ずかしそうに頬を染めたディアナだったが、どうやらお腹の音はブルーノには聞こえてなかったらしく、彼は楽しげにどんな屋台が並んでいるのか説明し続ける。彼の説明を聞いているだけで、ディアナの口の中には唾液が溢れそうになり、そわそわと落ち着きがなくなっていった。
「どうしました?」
ディアナの様子を不審に思ったクラリッサが扉を開くと、ディアナは待ちかねたように受話器を彼女に押し付け、展示会場を飛び出していくのだった。




