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まぜるな危険

「ゔっ……」


ディアナは突然込み上げてきた吐き気に、思わず口元を押さえた。胃の奥からせり上がってくる不快感に耐えきれず、慌ててトイレへと駆け込んでいく。

気持ち悪さを我慢できないなんてことは、魔力循環をマスターしてからはこれまで一度もなかった。

今朝、珍しく寝坊したディアナは、早朝の日課を休んだ。朝食を済ませて談話室に戻ってきてから、授業までの時間に、日課をこなそうと魔力循環を行おうとした。


「ディアナさんが、あんなになるなんて珍しいですわね」


ディアナが飛び込んだ扉の先を、長い付き合いとなるクラリッサが驚いた顔で見つめていた。


「何かあったのですか?」


クラリッサの隣にいたブルーノが、心配そうに問いかけた。彼もまたディアナの異変に戸惑いを隠せないようだった。


「わたくしもまだ詳しくは聞いていませんけれど、昨日アルバイト先で魔力圧縮のヒントを見つけたようなのです。早速試したところ、圧縮はうまくいったようですが、どうやら魔力が変質してしまったそうですわ」


「魔力が変質……? そんなこと、あるんですか?」


クラリッサの説明を聞いたブルーノも、眉を上げて驚いている。

普段、呼吸をするように当たり前のように使っている魔力が、まさか変質するなどという話は、二人とも聞いたことがなかった。

もし実際に変質したとすれば、いつものように魔法を使うことが難しくなりそうだというのは、漠然と理解できた。しかし、魔力が変質した結果どうなるのか、それが実際にどれほど困難なことなのかは、想像すら及ばなかった。


「朝御飯、全部出ちゃった」


それからしばらくして、青い顔を浮かべたディアナが戻ってきた。

彼女は若干青い顔を浮かべながら、自分の魔力の変質を嘆くよりも、せっかくの朝食が無駄になってしまったことを恨めしそうにしていた。


「大丈夫か?」


「ん。平気」


いつもと同じように簡潔な返事を返すディアナだが、その顔色は依然として悪く、足元もおぼつかないように若干フラフラとしている。とても平気そうには見えない。


「ちょっとディアナさん、顔色ひどいですわよ。今日は授業をお休みして寝てなさいな」


クラリッサが、ディアナの体調を気遣って忠告した。だが、ディアナの返事は予想外のものだった。


「煮詰めすぎただけだから。もう少し薄くすれば大丈夫のはず」


「……何を言ってるのか、全くわかりませんわ」


ディアナは、料理のレシピを説明するかのように、自分の魔力の変質を語るが、クラリッサは理解不能といった表情で首を傾げた。

ディアナが脳裏に描くイメージを言葉で説明しても、魔力の捉え方は人それぞれ異なるため、クラリッサもブルーノも理解に苦しむばかりで、首を傾げるしかなかった。

ディアナの魔力のイメージは液体のようだが、クラリッサとブルーノは気体だと考えていた。これまでに何人もの人に尋ねてみたが、ほとんどの者が魔力を気体として認識していることが分かった。


「なるほど。魔法薬のように煮詰めて濃度を高めてみたということか」


魔法薬を煮詰めて濃度を高めた方法を説明すると、ブルーノはようやく理解できたように頷いた。


「でも、それで魔力が変質してしまったのでしょう? それだとまともに魔法が使えないのではなくて?」


「少し煮詰める量を調節してみる。慣れれば大丈夫」


そう言ってディアナが意欲を見せるが、魔力が変質してしまっている以上、それはほとんどゼロから魔法を学び直すに等しい。しかも、それを毎日の授業と並行しておこなわなければならないのだ。


「違う方法を探した方がいいんじゃないか? 魔力循環すらまともにできないんじゃ、意味ないだろ?」


「でも、せっかく見つけた方法だから、できるとこまでやってみる」


ディアナはそう言って、彼らの忠告に取り合わなかった。


「相変わらず頑固ねぇ。言い出したら聞かないんだから」


「もうすぐ代表メンバーの選出があるんだぞ。そんなんで大丈夫か?」


「ん。間に合わせる」


その頑固さに呆れるクラリッサと、心配そうなブルーノに対して、ディアナは親指を立てて強がって見せるのだった。

やっとの思いで発見した魔力を圧縮する方法だったが、これは想像を絶する困難をディアナにもたらすこととなった。






気丈に振る舞っていたディアナだったが、結局その日はまともに動ける状態ではなく、授業を休むことになった。

ベッドに横たわりながら、ディアナは自分の体内にある魔力に意識を集中させる。煮詰まって変質してしまった魔力を、どうにかして元に戻そうと試みるが、まるで頑固な泥のように、少しも動いてくれない。焦燥感が彼女の胸を締め付けた。

普段はあまり感情を表に出さないディアナも、この時ばかりは珍しく動揺を隠せなかった。


「やばっ、どうしよ!?」


自室のベッドの上で、彼女は一人、色々と試行錯誤を繰り返した。

魔力を練り上げたり、放出を試みたり、ありとあらゆる方法を試したが、どろりと変質してしまった魔力は、何をやっても元の状態に戻ることはなかった。

結局、残された手段はただ一つ。

新しく生成される魔力と混ぜ合わせ、濃度を薄めて誤魔化す方法しかなかったのである。しかし、その方法も完璧ではなかった。

混ぜ合わせても完全に魔力が混ざり合うことはなく、まるで器の底に(おり)が溜まるように、変質した魔力の塊がいくつもできているような感覚が残った。さらに、混じり合った状態で魔法を使おうとすると、制御がまったく効かなかった。

慎重に魔力を制御しようとしても、まるでケチャップの容器を勢いよく振った時のように、いきなりドバッと大量の魔力が溢れ出てしまったり、かと思えば、まるで栓が詰まったかのように、まったく魔力が出なくなったりすることもあった。安定した魔力供給が命綱である魔法において、これは致命的な欠陥だった。

慣れればどうにかなるだろう、最初はそう楽観的に考えていたディアナだったが、すぐにそれが間違いであることに気付かされた。

これは慣れで解決できるような生半可な問題ではなかった。このままでは、まったく魔力を制御できず、魔法をまともに使うことができない。その恐ろしい事実に気付くと、真綿で首を絞められるような、じわじわと身体を蝕む恐怖に、ディアナの全身が震えた。

後先考えずに行った自身の無謀な行動に、ディアナは生まれて初めて心から後悔したが、すでに後の祭りだった。時間は戻らない。取り返しのつかない事態に陥ってしまったことを、彼女は痛感した。


「ささやかなる(ともしび)よ火種となれ 火よ(フランメ)


藁にもすがる思いで、ディアナは久しぶりに魔法を詠唱してみた。

しかし日常的に使っている生活魔法でさえ、彼女の意図とは裏腹に、その魔法は安定しなかった。ある時は、まるで攻撃魔法かと思うほどの巨大な炎が現れたかと思えば、次の瞬間には、火種にも使えないほど小さな、か細い火花しか出ないこともあった。詠唱するたびにまったく違う魔法のようで、まるで安定性に欠ける。


「ダメだ、やっぱり使えない」


絶望に打ちひしがれながら、ディアナは変質した魔力を薄めることを諦め、かき混ぜることをやめてみた。

しばらく放置すれば、黒く変質したヘドロのような魔力が、巨大な調合鍋の底にゆっくりと沈んでいく。完全に分離させれば、鍋の上の方に以前のような澄んだ魔力が溜まっていた。

この魔力だけを使うようにすれば、今までとおなじように魔法は使うことができそうだ。

しかし彼女の総魔力量でいうと、約六割が煮詰めて変質させてしまった魔力だ。上澄みが溜まることを考えれば、まともに使える部分は三割に満たない。これでは、飛行魔法のような魔力消費の激しい魔法を使えば、すぐに魔力枯渇を起こしてしまうだろう。

せめて総魔力量の半分くらいの魔力が使えれば、授業も問題なく受けることができそうだったが、今の状態では今までのように魔法を使えば一日持たせることすら難しい。

放課後には寮対抗戦の練習も始まる。このままでは、まともに練習に参加することもできない。変質した魔力を少しでも消費して、まともな魔力を増やさなければ、どうしようもない状況だった。


「無理矢理使って、少しずつ減らしていくしかないか……」


ディアナは、小さいながらもわずかに見えた光明に、縋り付くしかなかった。

この煮詰まった魔力を少しずつ消費することで、元の状態に戻れるかもしれないという微かな希望。それだけが、今の彼女を支える唯一の光だった。しかし、その影響はディアナの想像以上に、普段の授業にも悪影響を及ぼした。特に、魔力の粘度が高いがゆえに、通常よりも魔力制御に多大な労力を要し、その疲弊が全身を蝕んでいく。

もっとも影響を受けたのは、やはり飛行魔法の授業だ。

通常の魔力では、魔力量が心許なかったディアナは、この授業には煮詰めた魔力で臨んでいた。

しかし当然ながら、粘度の高い魔力の扱いに疲弊してしまい、まともに飛行することができず、浮遊しているのがやっとの状態だ。

周りが軽やかに飛行訓練を始める中、ひとりそんな状況では危険なだけだ。

カスパーは、訓練中に「激突や墜落の危険がある」とすぐに見抜き、ディアナに見学しているようにと通達するのだった。


「……」


ディアナは恨めしそうに唇を噛みしめ、皆が飛行魔法に慣れて順調に上達していくのを見ていることしかできなかった。まるで、自分の足だけが地面に縫い付けられているかのような無力感に襲われる。

また、使用できる魔力量が減ったことで、まともに授業を受けられるのは午前中くらいで、午後になれば魔力量を節約しなければならなくなった。午後の授業では、基礎的な座学であればまだしも、実技を伴うものはほとんど参加できず、魔力の温存を強いられる。

そのような状況では、放課後におこなわれるアインホルン寮のヴェットカンプの合同練習では、魔力不足でまともに練習にならない。そのため、ここでも迷惑にならないよう、離れた所から静かにその様子を見守るしかなかった。

もちろん彼女の状況を理解しているクラリッサやアインホルン寮の学生などは、親身になって心配したり、元気づけたりしてくれていた。温かい言葉や励ましの眼差しが、凍てつく心に少しだけ温かさをもたらす。しかし事情を知らない他寮の学生からは、訝しんだり蔑んだりする視線が容赦なく彼女に突き刺さり、「あいつ、最近やる気がないんじゃないか?」「まさか、力が落ちたのか?」そんな囁きが、ディアナの耳に届くたびに、心が深く傷ついていくのを感じた。


「まさか、魔力量でこんなに苦労する日が来るとは思わなかった」


ディアナは自嘲するように力なく笑った。

これまで、よほどのことがない限り、魔力不足で苦労することがなかった。しかし、今は毎日の授業で、常に魔力の残量を気にしながら過ごしている。その不自由さに、彼女は心底うんざりしていた。


「気にするな。と言っても無理か」


ブルーノはディアナの隣に座り、そっと声をかけた。彼もまた、ディアナの苦悩を間近で見ていたため、かける言葉が見つからない。


「それはそうでしょう。今までできていたことができなくなるのですもの。早く解決方法が見つかればいいのですけれど」


クラリッサも同意する。彼女もまた親友の苦しみを分かち合っていた。ディアナに手を伸ばし何か言おうとするが、結局何も言えずに静かに手を下ろした。彼女には、ディアナを慰める術がなかった。


「アレクシス先生も調べてくれてるんだろ?」


「ん。魔力を溶かす薬湯を用意してくれるって」


「そのようなモノがあるのですね?」


クラリッサが驚いて尋ねた。


「ただ、治るかどうかは半々。それと素材集めに時間がかかる」


ディアナは、アレクシスから聞いた説明を繰り返した。彼によれば、まれに魔力の変質が起こることがあるらしい。

ディアナの場合、かろうじて液体を保っていたためよかったが、魔力が固まってしまうこともあるのだという。そうなれば、早急に処置をしなければ命を落とす危険性がある。

その固まった魔力を溶かすための薬湯が、「マギーバート」と呼ばれるものだ。十数種類の素材から作られる薬湯だが、高価で手に入りにくい素材もあって、すぐに用意できるものではない。また、せっかく手に入れることができたとしても、体質や素材の品質によっては、魔力を完全に溶かしきることができないこともあるらしい。

アレクシスは急いで用意すると言ってくれたが、王宮魔法師の力を持ってしても、素材集めには数カ月から半年近くかかるそうだ。


「それだと寮対抗には間に合いませんわね」


「ん。それまでに自力で何とかするしかない」


ディアナが人事のように言うが、その声には諦めが滲んでいた。


「そうは言っても、メンバー提出まで一カ月もないぞ。間に合うのか!?」


ブルーノは、ディアナの投げやりな態度に思わず声を荒げた。


「間に合わなかったら、あたしの分も頑張って」


ディアナは肩をすくめた。


「そんなこと言うな。最後まで可能性はあるんだ。諦めるな!」


ブルーノはディアナの肩を掴んで、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。

彼は寮対抗戦では、魔法の速さを競う「ブリッツ」と「模擬戦」へのエントリーが確実視されていた。一年生で二種目エントリーされるのは快挙だ。

当初、三年生を中心にメンバー選考するつもりだったルーカスだったが、ブルーノは実力で彼の考えを改めさせたのである。

一方で、ディアナも一時は二種目のエントリーが確実視されていたが、今や選外になるのが確実とみられていた。

解決の糸口を見付けられないまま、ヴェットカンプの最終メンバー発表の日まで二週間を切っていた。

ディアナは、焦燥感と無力感に苛まれていた。このままでは、彼女の魔法士としての未来は閉ざされてしまうのではないか、という不安が、彼女の心を締め付けていた。

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