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魔力を煮詰めてみよう

後期に入ると、ディアナはすっかり学校生活に慣れ、勉学とアルバイトのバランスをうまく取るようになっていた。

特に、回復薬の調合においては、その腕前はアルバイト先のウルスラも一目置くほどだった。しかし、それ以外の魔法薬についてはほとんど素人同然で、基礎的な知識から応用まで、学ぶべきことは山積していた。

そのため、回復薬以外の魔法薬の調合では、ウルスラに教えを請うことが多かった。ウルスラは、ディアナの回復薬に関する天賦の才を認めつつも、それ以外の分野での未熟さも理解しており、辛抱強く指導にあたっていた。ディアナもまた、ウルスラの豊富な知識と経験に敬意を払い、貪欲に吸収しようと努めていた。


「いいかい? この魔法薬はこのままドロドロになるくらいまで煮詰めるんだ」


「わかった」


その日、ディアナは初めて魔法薬の調合に立ち会っていた。それは、月雫亭が誇る評判の魔法薬だ。

素材のひとつには、いつものようにアヒレス草が使われているが、それ以外はディアナでも聞いたことのないような、珍しい素材が数種類調合されていた。

高価な素材ばかりで、平民にはとても手の出せない代物だが、薄毛に悩む貴族たちは見栄えを気にして、こぞって買い求めていくのだという。

これを頭皮に塗ると数日後にはうっすらと産毛が生えてきて、一カ月経つとふわふわした毛になり、半年も経つ頃には完全に頭髪が蘇るという驚くべき効果があるらしい。

アルバイトであるディアナは、今まで秘伝の魔法薬の調合をさせて貰えなかった。調合の割合が門外不出となっているからだ。しかし、今回は調合後の根気のいる仕上げの作業を、初めて手伝わせてもらえることになった。

弱火でコトコトと煮込まれる素材を、木製のマドラーでゆっくりとかき混ぜながら、黙々と煮詰めていく。調合鍋からは、甘く、それでいてどこか薬草のような独特の香りが工房中に満ちていた。

朝から夕方近くまで、途中で交代しながら、ディアナは六時間もの間、ひたすらかき混ぜ続けた。腕が痺れ、肩が凝り、全身から汗が噴き出す。

最初は大きな調合鍋いっぱいにあった魔法薬も、今では三分の一にまで煮詰まっていた。とろっとしていた液体は、粘度が高くなり、かき混ぜるにもかなりの力仕事となっていた。マドラーが鍋底に当たるたびに、ねっとりとした抵抗感が伝わってくる。ディアナの額には、大粒の汗が浮かび、髪の毛が張り付いていた。それでも彼女は、集中力を途切れさせることなく、必死にかき混ぜ続けていた。


「よし、これで完成だ」


ディアナは、鍋に突っ込んだ小指をペロリと舐めたウルスラの言葉に、ようやく肩の力を抜いた。

額ににじむ汗を拭いながら、目の前の鍋を見つめる。最初は美しい飴色だったはずの液体は、黒くドロッとした不気味な液体へと変貌していた。鼻につく刺激臭に、思わず顔をしかめる。


「匂いは最悪だけどね。効果は証明済みだ」


そう言ってウルスラが笑い、その黒い液体を小瓶に詰め始めた。

この怪しげな液体が、この国の貴族たちを熱狂させる「毛生え薬」だ。たった一回分で、平民の数カ月の稼ぎが吹っ飛ぶほどの価値のある薬だ。この匂いを我慢しながら、貴族が嬉々としてこの薬を頭に塗り込む様子を想像すると、ディアナはそれを振り払うように頭を振った。

魔法薬といえど、その効果は永遠ではない。

一年から二年で薬効が切れるため、購入者のほとんどは継続して買い求める貴族たちだ。彼らにとって、頭髪は権威と富の象徴なのだろう。この薬が彼らの生活の一部となっていることを考えると、この刺激臭も、この不気味な色も、彼らにとっては些細なことなのかもしれない。


「腕がパンパン」


馬車に揺られながら、ディアナは自分の腕を揉みほぐしていた。交代でとはいえ、ほとんど一日中、大鍋をかき混ぜていたのだ。普段から鍛えているはずの腕も、さすがに悲鳴を上げている。隣に座るウルスラも苦笑していた。


「あの薬の調合は、最後は力任せになるからね。わたしも毎回そうなるよ」


薬草や魔法素材をひたすら混ぜ合わせる単純作業だが、その粘度の高さと、決して手を止めてはいけないという緊張感が、腕にずっしりと負担をかけていた。

ウルスラは腕を休ませながら、「素材が手に入りにくいからまだましだけどね」と付け加えた。聞けば、今回調合した毛生え薬は、非常に貴重で入手困難な素材を用いるため、大体半年に一度くらいの頻度でしか作られないのだという。もしこれが毎日となれば、腕がどうなるか想像もつかない。


「これを毎日してれば、ムキムキになりそう」


明日にはきっと筋肉痛がひどいにちがいない。ディアナが冗談めかしてそう言うと、ウルスラは「まったくだ」と笑いながら同意した。二人の笑い声が、馬車の揺れに合わせて響く。

夕暮れの茜色の空は、徐々に深い藍色へと変わりつつあった。アルブレヒトブルクの街並みは、黒いシルエットとなって浮かび上がり、その中に石畳を踏む蹄の音と、馬車の車輪が回る軋む音が、まるで街に染み入るように響き渡っていた。






「ふう……」


ディアナは自室のベッドに横たわり、天井をぼんやりと見上げていた。

一日の大半を費やした作業の疲労が全身を襲い、腕や肩はパンパンに張り、中腰での作業が続いたせいで腰や背中にも鈍い痛みが走っていた。単純な作業は苦にならなかったはずなのに、思いがけない肉体的な疲労が睡魔の訪れを阻んでいた。

大きな調合鍋いっぱいにあった材料は、最終的に四分の一程度にまで煮詰められていた。最初は透き通るような飴色でとろりとしていた薬液も、煮詰まるにつれて黒くドロドロとしたものへと変貌し、粘度も増していった。最後はウルスラと二人で汗だくになりながら、重くなった薬液を必死にかき混ぜ続けた。

今までディアナは薬を煮込むことはあっても、あそこまで煮詰めるような作業は初めての経験だった。ウルスラが言うには、煮詰めることで薬効成分が濃縮されて、薬の効き目が飛躍的に向上するのだという。

その言葉が、疲労困憊(ひろうこんぱい)のディアナの脳裏にぼんやりと一つの可能性を浮かび上がらせた。もしかしたら、この「煮詰める」という工程が、長年の課題であった魔力圧縮に応用できるかも知れないと感じたからだ。

ディアナにとって、自身の魔力のイメージは常に「液体」だった。それは、空気のように簡単に圧縮できるイメージとはかけ離れたものだった。これまでに、イメージする魔力を気体に変えようと試みたこともあったが、どうしても上手くいかなかった。

今はディアナが「上澄み」と呼ぶ魔力を捨てることで魔力を減らしてるが、もしこの煮詰めるという発想が魔力に適用できれば、長年の悲願であった魔力圧縮が実現できるかもしれない。


「よし」


ディアナはベッドの上に起き上がると胡座(あぐら)を組み、早速イメージを膨らませ始めた。

彼女の意識は深い集中へと誘われ、すぐにいつもの巨大な水瓶が脳裏に現れる。その水瓶の中には、上澄みを捨てた後の、混じりけのない純粋なディアナの魔力が八割ほども満たされていた。

しかし、ディアナはすぐにそのイメージに違和感を覚えた。


「水瓶のままじゃ、ちょっとやりにくい」


魔力を煮詰める工程を思い描いたが、水瓶では火が通りにくそうだと直感的に感じたのだ。

そう考えたディアナは、迷うことなくイメージを切り替える。陶器製の水瓶はあっという間に、熱伝導率に優れた銅製の調合鍋へと姿を変えた。


「これなら煮詰めやすい」


ディアナは満足そうに頷いた。

目の前にあるのは、一見するとプールのようにも見える巨大な鍋だ。しかし、彼女にとっては見慣れた調合鍋と何ら変わりない。

巨大なレードルを手に取り、鍋の中の魔力をゆっくりとかき混ぜ始めた。とろりとした黒い液体が、レードルの動きに合わせて渦を巻く。火にかけることで、鍋の底からじわりと熱が伝わり、魔力の表面がゆらめき始めた。

じっくりと、ことことと煮込んでいると、魔力の表面から白い湯気が立ち上り始めた。さらにしばらくすると、コポコポと音を立てて表面に気泡が現れ始めた。

どれだけ時間が経ったのだろうか。

気がつけば、調合鍋の六割程度にまで魔力が減っていた。

始める前は鍋の底がはっきりと見えていたはずなのに、量が減ったにもかかわらず、今は鍋の底が見通せなくなっていた。


「できた?」


ディアナはレードルを鍋の縁に立てかけると目を凝らした。

圧縮とは全く違う手法だが、煮詰めることで魔力の量を減らすことができた。それだけではない。最初よりも魔力の色が黒く濃くなっていることから、魔力の濃度も上がってるように思える。

一呼吸置いて、ディアナは試しに魔力循環をおこなってみた。


「……重っ」


ディアナは魔力循環を中断し、深々と息を吐いた。

いつもならば、魔力は滞りなく体内を巡り、意識のままに循環していく。しかし、今はまるで水飴のように粘度を増した魔力が、重く淀む。何度か試みるが、思うように魔力循環ができない。

少し煮詰めすぎたのだろうか。今日の調合した毛生え薬のように、とろりとした重さが、魔力にも宿ってしまったのかもしれない。

ほんのわずかな時間、魔力循環を試しただけだったが、ディアナの額には玉のような汗が浮き出ていた。集中力を高めようとするたびに、魔力の重さが意識を圧迫し、頭痛さえ引き起こしそうだ。

ディアナはゆっくりと目を開き、重い体を起こした。額の汗を手の甲で拭い、寮の屋上へと向かった。


「えっ、何!?」


屋上へと続く扉を開けると、そこには思いがけない光景が広がっていた。

就寝時間までのわずかなひとときを惜しむかのように、いくつかのカップルが寄り添い、逢瀬を楽しんでいた。一人で突然現れたディアナに、彼らは一様に怪訝な表情を向けていた。

しかし、ディアナは彼らの視線を気にすることなく、まっすぐに屋上の中央へと進んでいく。


「火よ(フランメ)、……水よ(ヴァッサー)」


ディアナは、右手に炎を、左手には水を同時に生み出した。

いつものように魔法を発動したはずなのに、一拍、あるいは二拍といったわずかな間が生まれた。それは魔法の発動に一瞬失敗したのかと思ったほどだ。

生み出された魔法は、その大きさが通常よりも一割増しになっていた。どうやら魔力を濃縮させたことで、発動に時間がかかる代わりに魔法の威力が飛躍的に向上したようだった。この新しい感覚に、ディアナの胸には戸惑いが芽生えていた。

炎と水を消し去ると、次にディアナは脚力の強化を試みた。


「ん?」


足元に集中するが、前よりもはるかに粘度を増した魔力は、制御を著しく困難にしていた。粘りつくような魔力と四苦八苦しながらも、ディアナはどうにかそれを足に集中させ、纏わせることに成功した。

そして、ディアナはその場で軽くジャンプしてみた。


「おおっ!?」


思わず、彼女の口から驚きの声が漏れた。

軽く二メートルほど飛んでみるつもりが、五メートルの大跳躍になってしまった。想定外の高さと勢いに、ディアナは危うくバランスを崩しそうになりながらも、どうにか着地した。

これまでとまったく異なる感覚に、ディアナは困惑した。

これでは、まるで自分の身体が別のものになったかのようだ。事前にしっかりとした検証をしなければ、迂闊に使うことはできないだろう。

周囲のカップルたちが驚きとざわめきの中でディアナに注目する中、今度は高速移動を試みることにした。魔力量を少し控えめに調整し、再び足に魔力を纏わせていく。

粘度が高まった魔力は、薄く均等に纏わせるだけでも一苦労だった。細心の注意を払いながら魔力を足に広げていく。

カップル達の視線がディアナに集中する中、彼女の姿が彼らの目の前からいきなり消え去った。

しかし、次の瞬間、ディアナは一組のカップルに突っ込みそうになっていた。


「くっ!」


驚愕に目を見開いたカップルに危うく激突しそうになったディアナは、咄嗟に地面を蹴って回避しようとした。だが、その回避行動が裏目に出る。

魔力によって強化された脚力は、ディアナの予想をはるかに超え、彼女は思いがけず勢いよく宙へと飛び上がってしまったのだ。

カップルへの衝突は免れたものの、ディアナの落下する先は屋上の先の空中だった。


「きゃあっ!?」


周囲から悲鳴が上がる中、ディアナは必死で手を伸ばした。

彼女の指先が、屋上から飛び出す寸前、城壁のような凹凸のある鋸壁(きょへき)に、かろうじて触れた。そのギリギリのところで、ディアナは空中へと飛び出すのを防いだのだった。

心臓が激しく脈打ち、冷や汗が背中を伝った。


「ふう……」


ディアナは、寮の壁面にぶら下がりながら、安堵のため息を大きく吐いた。

これまでの魔獣討伐などで、火力不足に直面していた彼女にとっては、魔力圧縮は魔法の威力を飛躍的に向上させるものだったが、その代償は大きかった。

魔法の発動タイミングが、これまでの感覚とまるで違う。まるで、別種の力を使うかのように、微細な調整が求められる。しかも、煮詰めた魔力は、今まで以上に制御が困難を極めていた。慣れればどうにかなるだろう、と頭では理解しているものの、同じ感覚で使えば今回のように自爆する可能性が高いことを、身をもって痛感した。

はじめはもう少し薄めに濃縮した方が良いだろうかと、反省点が頭をよぎる。


――ふうぅぅぅ……


ディアナは、屋上によじ登ると、夜空を見上げてもう一度大きく息を吐いた

制御が難しくなるのは事実だが、煮詰めることで大幅に魔力量を減らすことができそうだった。

魔力圧縮に近いことはできている。そう確信はしているものの、これほどまでに制御に苦労するとは思っていなかった。その一点が、どうにも納得できない。

考えたくもないが「失敗」の二文字が頭にちらついた。


「いけない! 早く寝なきゃ」


ふと、思い出したようにディアナはポンと手を打った。

夜の寮の屋上では甘い雰囲気に浸るカップルたちが、彼女の奇妙な行動にポカンとしている。そんな視線も気にせず、ディアナは急いで階段を降りていくのだった。

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