活動再開(期間限定)
次のアルマの休日に合わせ、三人は久しぶりに連れだって森へと採取に出かけることになった。
探索士という職業には、半年間活動がなければ資格を失ってしまうという規定がある。しかし、アルマは定期的に採取依頼をこなしているため、その資格は問題なく維持されていた。ディアナとクラリッサの二人は、最後の活動からまだ半年以内だったため、ぎりぎりではあったものの、かろうじて探索士の資格を残していた。
もっとも、ヴィンデルシュタットにおいて彼女達は探索士として非常に有名であり、特にディアナは史上最年少の十一歳で二等級探索士にまで上り詰めたという輝かしい実績を持つ。
探索士協会としても、彼女らが資格を失うことは計り知れない損失となるため、例え一年以上活動がなかったとしても、特例として資格を失うことはないだろうと、半ば公然の事実となっていた。
森へ向かう道中、三人の間には久々の採取に対する期待と、微かな緊張感が漂っていた。特にディアナとクラリッサは、こうして自然の中で活動できることを喜んでいるようだった。
「アルホフ・パフェの復活(期間限定)ですわっ!」
クラリッサは久しぶりの探索士活動に、森に入ると嬉しそうに叫んだ。
鬱蒼と茂る木々の間から差し込む木漏れ日が、彼女の金色の髪をきらきらと輝かせている。深呼吸をすると、土と草の匂いが肺いっぱいに広がり、彼女は故郷に戻ってきたかのような安らぎを感じた。
さすがに今日はドレスではなく、動きやすい探索士の格好をしている。上質な革製のベストに丈夫なパンツ、そして動きやすいブーツ。普段の優雅なドレス姿とは異なる、実用的な服装は、彼女の冒険心をさらに掻き立てるようだった。毎日のようにドレスを着せられていたディアナは、ドレスを着なくて済むというだけで朝からご機嫌だった。ドレスの窮屈さから解放された解放感が、彼女の全身から伝わってくる。
三人は久しぶりの採取で思い思いに楽しんでいるようで、次々に籠に放り込んでいく。彼女らの籠はあっという間に、豊かな森の恵みで満たされていった。
「ん-。久しぶりの採取。楽しいっ! 薬草ってこんなにいい匂いだっけ?」
澄み切った森の空気の中、ディアナの明るい声が響く。彼女は両手に採れたての薬草を抱え、その瑞々しい香りに目を細めていた。森の木漏れ日が、彼女の楽しそうな表情を優しく照らしている。
「わたしも仕事以外でこうやって採取するのは久しぶりだよ。やっぱり三人で採取すると楽しいね」
アルマは、ディアナの言葉に優しく頷いた。
彼女は普段、薬師としての仕事で薬草を採取することはあったが、こうして友人たちと他愛もないお喋りをしながらの採取は、まさに至福の時間だった。
「わたくしは正直言うと、しばらく採取してなかったのでちゃんと薬草を見分けられるか不安でしたが、大丈夫そうで安心しましたわ」
クラリッサは、少し安堵したような表情で胸を撫で下ろした。
彼女は元々、辺境伯の令嬢として育てられたため、薬草採取は知識としては知っていても経験不足な部分があった。しかし、ディアナとアルマと共に過ごすうちに、少しずつその知識に経験をを身につけていったのだ。
「クレアはあたし達が鍛えたから大丈夫」
「そうね。何十年も経ってたらわかんないけど、まだたった半年だもん。それくらいで採取できなくなっちゃうような指導はしてませんよ~」
ほっとした様子を見せるクラリッサに、ディアナは自信満々に胸を張り、アルマもまたにこやかに同意した。
森の奥から鳥のさえずりが聞こえ、柔らかな風が吹き抜ける。三人の笑い声が、森の中に溶けていくようだった。
午後遅くなり、倒木に腰掛けて遅めの昼食を摂っていた。
今日の昼食はビンデバルト家が用意してくれたサンドイッチで、ローストチキンと数種類の野菜とハムを挟んだ2種類があった。普段の探索時よりも豪華な昼食だった。
「ちょっと張り切って採り過ぎちゃったわね」
アルマが苦笑を浮かべて肩を竦めた。
彼女らの傍らには、それぞれが採取した素材満載の籠が置かれていた。お喋りに夢中になっているうちに、時間を忘れて採取に没頭してしまい、気付けば予想をはるかに超える量になっていたのだ。今日受けた依頼分は、この量の三分の一にも満たなかった。
「余ったものはアルマさんが使えばいいですわ。ビッテラウフ商会に寄付いたしますわ」
クラリッサの提案に、アルマは目を丸くした。
「そんなっ、多すぎるよ! いつものように皆で分けようよ」
これだけあれば、しばらく採取に出かけなくても済むほどだ。
さすがに提供してもらう分にしては多すぎると思い、アルマは恐縮したように二人を交互に見たが、クラリッサとディアナは最初からそうすると決めていたのだと、彼女の言葉を取り合わない。
「もぐもぐ……今のあたし達が持っていても腐らせるだけ。協会に卸すくらいならアルマに使って欲しい。もぐもぐ」
サンドイッチを頬張りながら口を開くディアナに、クラリッサが顔を歪めて諫めた。
「ディアナさん、はしたないですわよ。喋るか食べるかどちらかにしなさいな」
しかし、ディアナはお構いなしだ。
彼女が食べているチキンサンドは、ハーブの香りが食欲をそそり、新鮮な野菜はシャキシャキとした歯ごたえで、ディアナはずっと食べ続けていた。パンから少しはみ出したチキンとレタスのバランスが絶妙で、一口食べるごとに幸せそうな表情を浮かべている。そんな彼女の様子に、アルマとクラリッサは顔を見合わせて小さく笑うのだった。
「二人ともありがとう。大切に使わせてもらうわね」
そう言ってアルマは、籠の中の素材を眺めた。いつものアヒレス草に加えて鮮やかな色の薬草や、生命力溢れるバツヘムの木の実、そして芳醇な香りを放つカマーの木の実が所狭しと詰め込まれている。これだけあれば、多くの魔法薬を調合することができる。アルマはあらためて二人に感謝を示すのだった。
「どうしましたの?」
昼食が終わり、森を出て、街道をヴィンデルシュタットへ戻っているときだった。
雲の切れ間から柔らかな日差しが差し込み、鳥のさえずりが耳に心地よく響く、のどかな帰り道のはずだった。
妙に辺りを警戒するような仕草を見せるアルマに、不審に思ったクラリッサが声をかけた。
「うん、最近この辺り物騒なんだよ。亜人の子供が何人も行方不明になってるんだって」
アルマは周囲に警戒の目を向けたまま、低い声で答えた。
ヴィンデルシュタットへ続く街道は、かつては比較的安全な道とされてきたが、最近は不穏な噂が絶えない。特に、亜人の子供たちが姿を消すという話は、人々の間で不安を募らせていた。
「そうなんだ。魔獣?」
ディアナは眉をひそめ、純粋な疑問を投げかけた。
「ううん、どうやら武装した集団みたい。大人は殺されて子供を攫ってどこかに連れ去られるみたいだよ」
アルマの答えは、ディアナの想像をはるかに超えるものだった。
魔獣ではなく、人間による犯行。それも、子供だけを狙い、邪魔をする大人は容赦なく殺害するという冷酷さ。その言葉は、のどかな帰り道の空気を一変させ、重苦しい緊張感で満たした。
「そう言えばファビアン兄様も、そのようなことを仰ってましたわね」
アルマの説明に、クラリッサもハッとしたように反応した。
記憶の片隅にあったファビアンの言葉が、今、鮮明に蘇ってきたのだ。ファビアンは、ビンデバルト領の兵団に所属していた。兵団の職務は領内の治安維持であり、日頃から様々な情報に接していた。兵団では、増えていた亜人誘拐の捜査に協力するよう要請され、彼もその捜査に加わっていたのだ。
亜人の多くは、ドワーフや小人族など人間よりも小さい種族が多いそうだが、中には獣人などもいるそうだ。
「かなり捜査範囲を広げてるようですが、今のところ手がかりは見つかっていないようですわ」
「子供を攫ってどうするんだろう?」
「一番考えられるのは奴隷かしらね?」
ここアルブレヒト王国では奴隷制度は固く禁じられていた。しかし、他の多くの国々では未だに奴隷制度が布かれており、そのため、数えきれないほどの亜人達が自由を求めて、このアルブレヒト王国へと逃れてきていた。彼らにとって、ここは唯一の安息の地であり、希望の光であったのだ。しかし、その希望は常に脅威に晒されていた。狡猾な奴隷商人は、アルブレヒト王国の厳重な目を掻い潜り、密かに亜人達を捕らえ、他国へと売り飛ばしていたのである。
亜人は、小人族を除けば人間よりもはるかに強靭な肉体を持っていた。そのため、捕らえられた彼らは、他国の戦争の最前線で使い潰されたり、過酷な鉱山で死ぬまで働かされたりするなど、悲惨な運命を辿ることが多かった。
中でも、奴隷商人たちが特に狙うのは子供たちだった。力の弱い子供たちは抵抗する術を知らず、容易に捕らえることができるからである。
その説明を聞いたディアナは、強い衝撃を受けた。罪なき者たちが苦しめられる現実に、彼女の心は深い悲しみに沈んだ。
そんなディアナに、アルマが心配そうに声をかけた。
「ディアナちゃんも、一人で出歩くときは気を付けてね?」
「ん?」
アルマの言葉を理解できず、ディアナは首を傾げる。
「だってディアナちゃん。普通にしてたらエルフの子供にしか見えないわよ」
「あー」
アルマの説明に、ディアナは納得したようにポンと手を打った。
耳が尖った小柄なディアナは、事情を知らない者から見ればエルフの子供にしか見えない。ただでさえ珍しいエルフの、しかも子供とあっては、誘拐犯にとって格好の獲物と映るに違いなかった。
「間違ってディアナさんを攫おうとするなんて、その方達からすれば不運ですわね。よほどのことがない限り確実に返り討ちですわね」
見た目はまだ幼い少女のようだが、ディアナの内に秘める力は規格外と称されるほどの魔法士のそれだった。もし彼女が油断でもしない限り、襲いかかった者が返り討ちに遭うのは火を見るよりも明らかだった。
「ええっ、でも相手は武器を持ってるんだよ。いくらディアナちゃんが凄くても、万が一があるかも知れないじゃない?」
「あら、ではこのままわたくし達が囮となりましょうか? ディアナさん一人なら油断もあるかも知れませんが、わたくし達三人が一緒なら万が一もありませんわね」
「ん、臨むところ」
クラリッサが不敵な笑みを浮かべ、ディアナも短く頷いた。
アルマの心配をよそに、ディアナとクラリッサは、アルマが思わず後ずさりするような好戦的な笑顔を浮かべていた。
元々、ディアナには好戦的な一面があったが、これまでは自分に火の粉が降りかかるような状況で発揮されることが多く、自ら進んで危険に踏み込むようなことはしなかったはずだ。しかし、今の彼女は、まるで獲物を見つけた捕食者のような鋭い眼差しをしていた。
「いやぁ、わたしのディアナちゃんが、どんどん好戦的になっていっちゃう!」
ディアナが見せた戦闘的な一面に、アルマは喜びとも困惑ともつかない声を上げた。
「あら、その台詞は聞き捨てなりませんわね」
アルマの言葉を咎めたのは、クラリッサだった。彼女は軽くアルマを睨みつける。その視線には、かつての親友への対抗心と、ディアナへの独占欲がはっきりと見て取れた。
「ディアナさんはアルマさんのものではありませんわよ。今はわたくしのものですわ」
「あら、ディアナちゃんは昔からわたしの胸の虜なんだよ。クレアちゃんの胸じゃきっと満足できないわ」
クラリッサの言葉に、アルマも負けじと反論する。彼女は、ディアナが自分の豊かな胸に埋もれて安らぐ姿を思い浮かべながら、クラリッサの薄い胸を暗に揶揄した。
アルマもクラリッサの前に仁王立ちとなり、二人は顔がくっつくくらいの距離でお互いを挑発する。互いの瞳に映るのは、相手への不満と、ディアナへの揺るぎない執着だ。火花が散るような緊張感が、その場を支配する。
「それはわたくしに喧嘩を売ってるのかしら?」
「最初に売ってきたのはクレアちゃんじゃない!」
クラリッサは、挑戦的な眼差しでアルマを見据え、アルマもまた一歩も引かない。
「卒業してから調合しかしてないアルマさんが、わたくしに勝てると思って?」
「あら、そんなこと言って大丈夫? 負けたときとっても恥ずかしいわよ」
「それはわたくしに勝ってから言いなさい!」
「そっちこそ……」
互いの言葉が、さらにエスカレートしようとしたその時――
――バシャッ!
突然二人の頭の上から大量の水が降った。
冷たい水が二人を現実に引き戻し、彼女達の口論は中断される。
惚けたように動きを止めた二人に、ディアナが口を開いた。彼女の顔には呆れと、わずかな疲労が浮かんでいる。
「あたしのために争うのはやめて! なんてことをあたしが言うと思う?」
「ディアナさん(ちゃん)……」
「あたしはあたし。アルマのものでもなければクレアのものでもない!」
困惑する二人にディアナはきっぱりと言い放つ。
「はい……」
二人はばつが悪そうな顔でお互いを見つめる。
――ぷっ
そして、どちらからともなく吹き出すのだった。
緊張の糸が切れたように、三人の間には和やかな空気が流れ始めた。