異文化交流
「ディアナさん、起きて。そろそろ夕食の時間ですわよ」
いつの間にか眠っていたらしい。
確か、荷物を整理した後で少しベッドに横になってみたんだったか。
あまりの寝心地の良さに気疲れも重なって、一瞬にして眠りに落ちてしまったようだ。
「……クレア、……おはよう」
ディアナは目をこすりながら、ベッドから身を起こした。
ベッドはフワフワとした浮遊感で、まるで雲に包まれているかのように気持ちがよかった。この上に座っているだけで、目がすぐにトロンとしてきそうだ。ディアナは、後ろ髪を引かれるような思いを断ち切るように、ベッドから下りた。
「ディアナさんは、夕食の前に湯浴みと着替えをお願いいたしますわ」
そう言ったクラリッサは、すでに湯浴みを済ませたのか顔が若干上気しているようだ。アップにしていた髪型も、今はいつもの縦ロールに戻り、服装もゆったりした部屋着に着替えていた。
「ええ、このままでいい。面倒くさい」
ディアナが今着てるのはクラリッサのお古とはいえ、いつも着用している服よりも上等な物だ。外で着ていたとはいっても、ほとんど馬車の中だったため、汚れているとも思えない。
しかし、ディアナが嫌がることはわかっていたのか、クラリッサは首を横に振る。
「ダメですわ。いくら馬車の中とはいえ、一日外で着ていたのですもの。食事の前に身体を清めてサッパリしないといけませんわ」
そう言えばクラリッサは、寮でも外から戻ると必ずと言っていいほど風呂に入っていたことを、ディアナは思い出した。
「それでは、やってくださいな!」
そう言って彼女は、両脇に控えていたメイドの二人に声をかけた。
二人は「かしこまりました」と返事すると、腕まくりしながら進み出て、ディアナを両脇からしっかりと確保する。
「えっ、何?」
ディアナは振りほどこうとするが、まったく振りほどくことができない。
どこかで見たことのあるメイドだと思っていたが、今朝の宿屋でディアナを磨き上げた二人だった。
名前は何と言ったか。ディアナは思い出すことができない。
「ちょ、ちょっとクレア!?」
人に身体を清められることに慣れていないディアナは、思わずクラリッサに助けを求めた。
「滞在中は、この二人がディアナさんの専属のメイドとなります。我が家の中でも腕は確かですので、毎日しっかりと整えてくださいます。
ディアナさんは素材はいいのですから、磨けば輝くと思いますわ!」
しかし、クラリッサはにこやかな顔を浮かべ、「のちほど食堂で」と言い残して部屋を出て行った。
残されたディアナは、少し本気で脱出しようと試みるが、まったく抜け出すことができず、ガッチリと両脇を固められたまま、部屋に併設されている浴室へとドナドナされていくのだった。
疲れた様子のディアナが食堂に現れたのは、それから三十分ほどしてからのことだ。
ゆったりしたクリーム色の部屋着に着替えたディアナが姿を見せると、クラリッサが満足そうな笑みを浮かべる。髪も普段と違って綺麗にまとめられていた。
「やはりディアナさんは、キチンとすれば光りますわね。その服もよく似合っていますわ」
「尖った耳がエキゾチックねぇ。いい感じじゃない。髪形も素敵だわ」
クラリッサがディアナの出来に満足そうに微笑み、イリーナも品定めするような目から一転、うんうんと頷いている。
思いがけず注目を集めたディアナは、いたたまれず顔を赤くしモジモジとしていた。
「そんなにジロジロと見つめたら、ディアナさんが困ってるじゃないか」
「だって、ディアナさんはかわいいのに、普段はまったく無頓着なんですもの。ここにいるときくらいは、キチンとおめかしして差し上げたいのです」
「わたくしも、ディアナさんは可愛らしいお嬢さんだと感じていましたわ。せっかくこの屋敷に滞在するのですもの、その間だけでも可愛く着飾ってもよいではありませんか」
苦笑を浮かべたベルンハルトが二人をたしなめるが、二人はディアナは可愛いため、着飾らなければ損だと譲らない。
「父上、二人が言い出したら聞きませんからしばらく様子を見ましょう。
ディアナさんも申し訳ないが、我慢してこの二人に付き合ってくれると助かる。
決して悪気があるわけじゃないんだ。おそらくキミを妹や娘のように考えているのだと思うよ」
「兄さんの言うとおりだね。僕から見てもクレアとディアナさんは、姉妹みたいに見えるからね。しばらく付き合ってあげてよ。でも、あまりにしつこく干渉してくるようなら、遠慮せず怒ってくれてもいいからね」
二人がこうなるとどうしようもないとエッカルトが肩を竦め、ファビアンもゴメンねと言いながら笑顔を見せる。
「はい、……大丈夫、です」
ディアナは、クラリッサの家族からの優しい言葉に、まだ少し戸惑いながらも、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
「さ、そろそろ食事にしよう。せっかくのご馳走が冷めてしまう」
ベルンハルトがそう言った直後だ。
――キュルルル……
ディアナのお腹が鳴った。
「うふふ、ディアナさんはわたくしの隣ですわ」
皆が微笑ましい笑顔を浮かべる中、茹でダコのように真っ赤になったディアナを、クラリッサが手を取って席に着かせる。
「今日はディアナさんのために、いつもよりたくさん用意して貰ったんだ」
一家が長いダイニングテーブルに席を着くと、ベルンハルトが言葉をかける。
彼らの後ろには給仕をおこなうメイドが一人ずつ付いている。もちろんディアナの後ろにも先ほど彼女を磨き上げたメイドの一人が、澄ました顔で立っていた。
ディアナの目の前には豪華な料理と共に、肉用ナイフ、魚用ナイフ、デザート用スプーンなど、いくつものカトラリーが並んでいた。
それぞれ微妙に大きさの違うカトラリーは、ディアナには違いが全くわからず、どう使い分けるのか見当も付かない。内心で焦りながら、目の前のカトラリーを見つめていると、ベルンハルトが優しく声をかける。
「ディアナさんは、こういった食事は初めてだろう?
せっかくの料理なのに、マナーが気になって味わえないのはもったいないからね。だからあまり作法などは気にせずどんどん食べてくれ」
テーブルの上には、ディアナが見たこともないような珍しい食材や、手の込んだ料理が並べられている。しかも、クラリッサから健啖家だと聞かされているためか、ディアナの前に並んだ料理は、ベルンハルトやエッカルトよりも量が多かった。
「お、お気遣い、ありがとう、ございます。
でも、せっかくお世話になるので、頑張って覚えます」
そう言うと、クラリッサや給仕のメイドに確認し、大きな音を立てないように気を付けながら食事を進めていく。
クラリッサもその家族も、ディアナが思わず見惚れるほど優雅な所作でカトラリーを手にとって、楽しそうに会話をしながら料理を口に運んでいた。
話題は二人のアルケミアでの生活が中心となっていたが、ディアナに気を遣わせないようにとの配慮なのか、ほとんどの受け答えはクラリッサがおこなってくれる。ディアナが口を開いたのは、バイト先の月の雫亭の話題を振られたときだけだった。
緊張しっぱなしの夕食だったが、ディアナは健啖家の本領をしっかりと発揮し、ベルンハルトが目を丸くし、イリーナ達も楽しそうに彼女の食べる様子を見守っていた。
「せっかくの親子水入らずの食事に、あたしがお邪魔してよかったの?」
食事が終わってクラリッサの部屋で、食後のお茶を二人で飲んでいた。
クラリッサは、エッカルトとは数年ぶりの再会だったはずだ。家族全員が揃うのも久しぶりだっただろう。その食事の席に果たして自分がいてよかったのだろうかとの疑問を素直にぶつけてみた。
するとクラリッサは機嫌を損ねたように唇を尖らせると、立ち上がってディアナのおでこを軽く小突いた。
「そんなこと気にする必要はありませんわ。エッカルト兄様もファビアン兄様も仰っていたように、わたくしはここにいる間、ディアナさんを妹として接すると決めていますの。それに、お母様も新しくできた末娘に喜んでいますわ。
だからディアナさんも、もっとわたくし達に甘えてくれてよろしくてよ」
そう言うと温かい笑顔を浮かべて席に着いた。
甘えて欲しいというクラリッサに困惑するディアナだったが、全員が彼女を家族として迎えてくれたことは素直に嬉しいと感じた。
ディアナは少し照れくさそうに笑顔を浮かべた。
「ん、ありがと。クレア」
「んもう。そこはクレアお姉様と呼んでくださらないかしら?」
クラリッサは拗ねたように頬を膨らませる。
暖炉の炎が揺らめく居心地のよい部屋に、二人の笑い声が響いた。