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クレアの実家は大きかった

ヴィンデルシュタットの官庁やユンカー魔法学校のある中心部から、北の貴族街にあるビンデバルト家の邸宅前に到着したのは城門をくぐってから一時間ほどしてからだ。

三人は門扉の前で馬車を降りた。

ブルーノとは、そこでしばらくお別れだ。

彼は迎えに来ていた子爵家の馬車に乗り換えると、窓を開けて顔を出した。


「では、一か月後にまた」


そう言ってブルーノは、子爵邸へと帰っていった。

彼は、ヴィンデルシュタットの子爵邸で一泊した後、ブライトナーへと向かうのだそうだ。

子爵家の馬車の乗り心地は、ビンデバルト家のものより悪いらしく、それに明日から三日間も乗らなければならないと彼は最後まで嘆いていた。


「ディアナさん、何をしてますの? 行きますわよ」


馬車に戻ったクラリッサが、門の前で立ったままのディアナに声をかける。

ディアナは、ここで馬車を降りて邸宅に向かうのかと思っていたが、どうやら馬車のまま門を入っていくようだ。

クラリッサの実家がここだということは知っていたが、周りには多くの貴族の邸宅が立ち並ぶ貴族街だ。平民のディアナが用もなく入っていい場所ではない。現に彼女がここまで足を運ぶのは初めてだった。

ビンデバルト家の邸宅は門だけでも大きな建造物であり、門扉には、精巧な彫刻が施され、その向こうには巨大な庭園が広がっている。その庭園の奥に五階建ての白亜の屋敷が建っていた。このヴィンデルシュタットの中で、最も広大な敷地と最も大きな建造物なのだ。

ディアナはあまりの大きさに言葉を失った。この広大な敷地だけで、彼女が住んでいた村がすっぽりと収まるのではないかと思えた。

ディアナは慌てて馬車に戻ると、落ち着いた様子のクラリッサに、改めて彼女との違いを感じるのだった。

馬車で門をくぐって約五分後、ようやく邸宅前へと到着した。

邸宅は、壮麗な門構えと手入れの行き届いた庭園が印象的な、堂々とした佇まいだった。

その邸宅の前に、クラリッサの両親であるベルンハルトやイリーネ、兄であるファビアンを始め、筆頭バトラーであるオスヴィンを始め、お仕着せに身を包んだ多くの使用人達がクラリッサを出迎えていた。


「まぁ、エッカルト兄様もいらっしゃるなんて!」


馬車から外を眺めていたクラリッサが、嬉しそうに声を上げた。

ベルンハルトとファビアンの間にディアナの見知らぬ顔が見えたが、彼がエッカルトなのだろう。彼はビンデバルト家の長男で、すでにベルンハルトの後を継ぐことが発表されていた。

普段は王都で執務をおこなっているため、滅多にヴィンデルシュタットに帰ってこられないらしく、クラリッサもエッカルトとは、なかなか顔を合わせる機会がないと言っていたはずだ。

隣のファビアンと並んで立っていると顔立ちも似ているが、髪の色は金髪ではなく母親のイリーネに似た濃いオレンジ色だ。ベルンハルトもそうだが、彼もそれほど威厳をかさに着て振舞ったりしないようで、優し気な笑みをクラリッサに向けていた。


「ただいま戻りましたわ!」


一足先に馬車から降りたクラリッサが、家族の前ではにかみながら笑顔を見せる。

彼女は薄い桃色のドレスを纏っていた。普段縦ロールにしている美しい金髪は、アップにまとめられているため、いつもよりも大人びて見える。


「お帰りクレア」


「まさかエッカルトお兄様もいらっしゃるとは思いませんでしたわ」


「僕もちょうど昨日戻ってきた所なんだ。三日後にはまた王都に行かなくちゃならないんだけどね。

クレアの活躍はいろいろ聞いていたよ。あのクレアがどんなお転婆になったかと思ってたんだけど、思っていたより淑女じゃないか?」


「まぁ、久しぶりにお会いしたと言うのに失礼ですわ。

お兄様はわたくしを何だと思っているのですか?」


エッカルトの言葉に、クラリッサが軽く頬を膨らませる。

魔法学校に入ってからクラリッサと会う機会のなかったエッカルトは、彼の知るクラリッサと、探索士になって魔獣討伐に活躍した彼女が、どうしても結び付かず心配していたのだという。

久しぶりに会ったクラリッサは、大人びた女性に成長していたものの、昔と変わらぬ様子に目を細めていた。


「クレア、お帰り。待っていたよ」


「お父様、お母様。ただいま戻りましたわ」


エッカルトを押しのけるようにして、ベルンハルトとイリーナがクラリッサの前に進み出る。


「エッカルト兄様はああ言ってるけどね。クレアが帰ってくるまでずっとそわそわしていたんだよ」


「ちょっ、ファビアン。それは言わない約束だろう!?」


ファビアンがエッカルトの様子を暴露し、柔らかな笑い声が広がった。


「ディアナさんもよく来たね」


「ご、ご招待いただき、ありがとう存じましゅ、す。しばらくの間、お、お世話になります……」


ディアナがカーテシーで挨拶をおこなうが、途中で噛んでしまったためかディアナは恥ずかしさで真っ赤になり、最後は消え入りそうな声になっていた。


「緊張しなくて大丈夫だよ。今日からしばらくはここが貴女の家なんだ。ドレスが凄く似合ってるけど、普段通りに振る舞ってくれていいからね」


ベルンハルトは穏やかな笑顔で、ディアナに話しかけた。


「昨日から何人も使用人が出て行って一体何事かと思いましたが、こういうことでしたのね?

よく似合っているわよ。ゆっくりしていってね」


イリーナは優しげな眼差しで、ディアナを見つめていた。


「はい、ありがとう、……存じます」


ベルンハルトとイリーナの優しい心遣いに、少し緊張が薄れたのかディアナは柔らかい笑顔を浮かべた。

ディアナの笑顔によって空気が和らぎ、家族の間に穏やかな空気が流れる。


「お帰りなさいませ。クラリッサお嬢様。

使用人一同、お嬢様の帰りを首を長くして、お待ちしておりました」


家族との団らんの中、うずうずしていたのだろう。

相変わらずキチンと身なりを整えている上級使用人(バトラー)のオスヴィンが、満を持してクラリッサに声をかけた。


「オスヴィンも元気そうで何よりです。一カ月の間、短いですがよろしくお願いしますわね」


「はい、承知いたしました。

ディアナ様も、困ったことがあれば何なりと仰ってください」


「あ、ありがとう」


多くの人間から頭を下げられるなど初めての経験だ。

しかも人生経験の豊富そうなオスヴィンから、敬称を付けての丁重な言葉遣いにディアナは戸惑い、非常に居心地の悪さを感じていた。


「お話は夕食のときでよろしいでしょう?

ディアナさん、屋敷を案内いたしますわ。行きましょう!」


困っているディアナを助けようとしたのだろう。

クラリッサが明るい声を上げるとディアナの手を取った。


「ちょ、クレア?」


片目をつぶって笑顔を見せたクラリッサが、慌てるディアナの手を引いていく。ディアナはドレスの裾を踏まないように気を付けながら、楽しそうなクラリッサに付いていく。

途中で、馬車に荷物を積んだままだと思いだしたが、すでに使用人の手によって、荷物が素早く馬車から下ろされていた。


「に、荷物はどうする?」


「任せておけば部屋まで運んでくださいますわ」


手を引いていくクラリッサが、「ディアナさんのお部屋はわたくしのお部屋の隣ですわ」と説明してくれる。


「それにここでは荷物を運ぶのは、使用人の仕事なのです」


そのため自分で荷物を運ぶということは、使用人の仕事を奪うことになるのだという。またどのような理由があろうとも、主人に荷物を持たせたとなれば職務怠慢で罰を受けるらしい。

ディアナが常識の違いに驚いている中、二人は玄関へと辿り着いた。


「さぁ、ここがわたくしの家ですわ!」


クラリッサがそう言って、よく磨かれた白い大きな両開きの扉を開く。

扉の大きさにも目を奪われたが、一歩中に踏み入れるとさらに目が点になった。

中は上階まで吹き抜けの巨大なホールとなっていて、正面には大きく立派な戦士像がディアナを睥睨するように立っていた。

この像はビンデバルト家の始祖を模しており、黄金に輝く鎧を身に纏い、堂々とした佇まいだ。

像の周囲には宝石や貴金属が散りばめられ、光を反射してキラキラと輝いていた。

像の左右から回り込むように湾曲した階段が、二階へと優雅に伸びていた。壁に飾られた彫刻や絵画は、精巧な技術で描かれており、細かいところまで施された装飾は、まるで宝石箱のようにキラキラと輝いていた。ホール全体に降り注ぐ日の光が、装飾品に反射し、虹色の光を放っていた。

ディアナは、息をすることも忘れて立ち尽くしていた。


「ほぁー……」


アルケミアでもホールの荘厳さには圧倒されたが、ビンデバルト邸の煌びやかさはそれ以上だ。


『まるで小さい頃読んで貰った、おとぎ話に出てくるお城みたい……』


ホールの美しさに目を奪われたディアナは、心の中でそう呟いていた。


「これは辺境伯家としてのたしなみですわ。お客様がいらっしゃったとき、辺境伯の威厳を示す意味でも豪華にしなければならないのですって」


クラリッサが、圧倒されるディアナにこっそりと教えてくれた。

この玄関ホールや応接室や執務室、二階にある客間などは辺境伯家の力を誇示するためにあえて絢爛豪華にしているのだという。


「わたくしもお父様も、もっと落ち着いた雰囲気が好みなのです。現にわたくし達家族の生活スペースは、落ち着いた雰囲気ですわ」


そう言ってディアナの手を引いたまま、左の階段から二階へと上っていく。

彼女の言葉を裏付けるように豪華なのは二階までで、三階になると一転して落ち着いた雰囲気へと変わった。

もちろん素材は高級なものが使用されているが、華美な装飾や煌びやかな貴金属などは一切飾られておらず、家族の肖像画や風景画などが飾られているだけだった。

ディアナは二階までと三階からの雰囲気の違いに驚きを隠せなかったが、同時に居心地の良さを感じていた。


「ここですわ」


そう言ってひとつの扉の前でクラリッサが立ち止まった。

四階に上がって三つ目の部屋だった。ひとつ隣はクラリッサの部屋だ。階段を挟んで反対側にはエッカルトとファビアンの部屋があり、クラリッサの隣の部屋はベルンハルトとイリーネの部屋なのだという。

三階は家族の集まる大きなリビングやダイニングなど、家族の共有スペースとなっていて、四階は一転してプライベート空間なのだそうだ。

邸宅は五階建てとなっているが、五階はクラリッサもほとんど立ち入ったことがないらしく、使用人達の個室や倉庫などが並んでいるのだという。

クラリッサはずっと空き部屋だったという、彼女の部屋の隣の扉を開けた。

扉が開いて、部屋の中が見える。

部屋は白を基調とした、落ち着いた雰囲気の部屋となっていた。

大きな窓からは明るい日差しが差し込み、その向こうに庭園の緑を眺めることができた。

何よりも目を引くのが、部屋の中央に置かれた天蓋付きの大きなベッドだ。大人四人ぐらいが並んで寝ることができそうなベッドは、寮にある小さなベッドとは比べるのもおかしなほどだ。

何より一人で使うには、あまりにも大きな部屋だ。

ディアナは恐る恐る部屋へと踏み入れた。


「わっ!」


その途端、何かに足を取られて思わず声を上げる。

足元を見れば、部屋に敷かれている分厚い絨毯に、数センチメートルほど足が沈み込んでいた。


「調度品は急拵(きゅうごしら)えのため、統一が取れていませんけれど、滞在中はこの部屋を自由に使ってかまいませんわ」


クラリッサが少し申し訳なさそうにそう言うが、ディアナにはどこがおかしいのかはわからなかった。

基本的に隣のクラリッサと同じ部屋だ。ベッドや調度品も彼女の部屋に合わせて用意されたものだろう。

ディアナにはよくわからないが、おそらく想像も付かないような金額をかけて整えられたに違いなかった。

ディアナは、部屋の豪華さに圧倒されていた。


「広すぎてもったいない。あたしは使用人の部屋でいい」


「そういう訳にはまいりませんわ。招いたお客様に使用人のお部屋を使わせたとあっては、ビンデバルト家の名誉に関わりますもの。不自由かも知れないけれど、この部屋を自由に使ってくれてかまわないわ。どこか不都合があれば仰って。すぐに対応しますわ」


クラリッサは、少し困ったような表情で、ディアナに話しかけた。

部屋には大きな机、豪華な椅子、美しい鏡、暖炉などもあって落ち着いた雰囲気を醸し出していた。


「夕食の時間までゆっくりしてらして」


クラリッサはそう言って部屋を出て行った。

広い部屋に一人残されると、途端に場違いな感じがしてくる。

これほど広くて、これほど豪華な部屋は初めてだ。

落ち着かないため窓を開けて、バルコニーへと出る。

庭の緑を眺めていると、多少落ち着くことができた。

まさかこれほどの歓待を受けるとは思わなかった。ビンデバルト家の心遣いは素直に嬉しく思えたが、やはり価値観が違いすぎて落ち着かない。

部屋に戻り、あらためて部屋の中を見回してみる。

先ほどは気付かなかったが、ディアナの小さな荷物がベッド脇に運び入れられていた。

彼女の鞄もディアナとおなじように、所在なげに佇んでいるようだった。

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