ヴィンデルシュタットへ向かう馬車の中
「ディアナさん、魔力酔いは大丈夫ですか?」
「ん、今のところ大丈夫」
青い顔を浮かべるディアナを気遣うように、隣に座るクラリッサが声をかけていた。
向かいに座るブルーノも、心配そうな顔で見つめている。
アルケミアに入学してから半年近くが経っていた。
入学当初に思いがけず学生や講師から注目を集めてしまったディアナだったが、さすがに一カ月もすれば落ち着いて授業を受けることができるようになっていた。
クラリッサ塾のお陰で、なんとか前期試験を乗り切ったディアナは、ヴィンデルシュタットへの帰省の途についていた。
最初、アルケミアに残るつもりでいたディアナだったが、クラリッサの説得と彼女の父であるベルンハルトからの招待状によって、結局は一緒に帰省することになったのであった。
「それで、魔力圧縮の目処は立ったのか?」
「……」
ブルーノの問いかけに、彼女は無言で首を振った。
アレクシスに相談したりして、色々と試していたディアナだったが、今のところこれと言った圧縮方法は見つけられていなかった。
ただし、これまで漠然としていた魔力のイメージが、具体的に視覚としてイメージできるようになったのだという。
ディアナの魔力のイメージは、大きな部屋の中にちょっとしたプールほどもある巨大な水瓶があり、そこに魔力が溢れんばかりに溜まっているというものだ。水瓶には、常に魔力が注ぎ続けられていて、そこから溢れると魔力酔いの症状が出ることが分かった。
このイメージを描けるようになってからは、魔力酔いのタイミングがわかるようになったため、事前に魔力放出をおこなったりすることで、以前ほど魔力酔いに悩まされなくなっていた。だが、圧縮できているわけではなく、あくまで貯蔵してるイメージのため、根本的な解決には至っていなかったのである。
「上澄みを捨てれば多少ましになる」
「上澄み?」
「そ、最近気付いた」
あくまでディアナのイメージだが、あるとき水瓶に溜まった魔力の中に、濃度が濃い魔力と薄い魔力があることに気がついた。
濃淡の魔力は、水瓶の中でかき混ぜても混ざり合うことはなく、マーブル模様を描いていたのだという。
発見した後しばらくは、魔力とはそんなものだと思うことにして、特に気にも留めていなかった。
しかしある日、水瓶の底の方に濃度の濃い魔力が、水面に近いところに薄い魔力が、混ざり合わずに二層となっていることに気付いた。割合で言えば七割近くが濃い魔力で、残りの薄い魔力が水瓶の上部に上澄みのように溜まっていたのだ。
そこで上澄みの魔力を両手ですくってみたところ、まるで自分の魔力ではないような妙な感覚だったのだという。
『同じ魔力なのに、なんで違いができるんだろう』
その日の体調によって濃度が変わることがあるかも知れないが、明らかに感覚の違う魔力になる原因は、いくら考えてみても彼女にはわからなかった。
そこでディアナは、とりあえず上澄み部分を選んで魔法を使ってみた。するといつもよりも威力が弱くなり、制御も難しくすぐに霧散してしまった。生活魔法程度なら問題ないが、これではそれ以外の魔法には使えそうにない。
反対に底に溜まった魔力を使ってみると、いつも以上に精度が高くなり、ディアナのイメージ通りの魔法となった。
それ以来、ディアナは魔力を放出するときは、上澄みだけを放出するようにしているのだという。
「俄には信じられない話だな」
「でもまあ、ディアナさんならありえますわね」
クラリッサもブルーノも、目を白黒させてディアナの話を聞いていたが、最後は「ディアナだから」と疑うことなく信じるのだった。
「でも、その上澄みの魔力って何だろうな?」
「何か思い当たることがあるのかしら?
ディアナさんの考えを聞かせてくださる?」
こればっかりは当人であるディアナしかわからないのだ。
彼女の様子から、もしかしたら推測ぐらいはしてるかも知れないと考えたクラリッサは、ディアナに先を促した。
「あくまで想像」そう前置きしたディアナが、少し得意げな表情で自分の考えを披露する。
彼女の感覚によると、上澄みは自分の魔力ではなく、呼吸や食べ物などから取り込んだ魔力ではないかということだ。そのためそれをかき混ぜようとしても、自分の魔力とは馴染まず、また魔法を使おうとしても制御が難しいのではという。
その説を披露すると、二人は目と口を見開いて固まってしまった。
「呼吸や食べ物から取り込んだ魔力だって?」
「そう」
上澄みの魔力に感じたのは、自分の魔力とまったく違う異質なもの。それに加えて、何だか雑多な色々な魔力が混じり合ったような感覚がしたのだ。
まるで色々な匂いや味が混ざり合ったような、あるいは色々な色の光が混ざり合ったような、そんな不思議な感覚だった。
「一応、アレクシス先生にも聞いてみた」
その自分の考えを、アレクシスにも確認してもらったらしい。
「アレクシス先生は何て?」
「『さすがの儂も、そのようなことは意識したことはないが、其方の感覚を聞く限りではあり得る話じゃの』って言ってた」
ディアナはアレクシスの真似をしながら説明する。
空気中や植物、もちろん生き物など、世の中のありとあらゆるものに魔力が溢れていた。魔力量は食物連鎖に比例して多くなると言われていて、植物や動物などを食する人は、その分多くの魔力を体内に取り込んでいる。
一般人はその魔力を使って生活魔法を行使するが、魔法士と言われる人種は、それに加えて体内で魔力を生成することができると言われている。そのため、体内で生成する魔力に加えて、外から取り込んだ魔力が存在していたとしても、おかしくはないだろうということだ。
だがディアナのように魔力の違いを認識するなど、アレクシスもこれまで考えたこともなかったらしい。
「いまさら驚きはしませんけれど……」
「……相変わらずの規格外っぷりだな!」
クラリッサは苦笑いを浮かべ、ブルーノは感嘆の息を漏らしながらそう呟いた。
二人は呆れたような、納得したような複雑な表情で、力なく笑みを浮かべるのだった。
「あたし、変?」
ディアナは二人の反応に戸惑い、首を傾げる。
「変と言うよりも、極めてディアナさんらしいですわ」
これまで身体強化魔法や魔力放出による物理的な干渉など、常人では考えつかないことを実践してきた彼女だ。誰も疑問に思わないことをあえて追求し、誰も想像しないようなことを発見してしまうのは、確かにディアナらしい。
クラリッサのその一言で、馬車の中は和やかな雰囲気に包まれるのだった。
アルブレヒトブルクを出発してから十日後、遠くにヴィンデルシュタットの城壁が見えてきた。
十日間の旅は、穏やかな天候に恵まれ、美しい景色を楽しみながらの道のりだった。
「久しぶりのヴィンデルシュタットですね」
「ほんの半年程度ですが、懐かしく感じるものですわね」
「ん」
ここで生まれ育ったクラリッサが、望郷の念を抱き目を細めていた。
ブルーノに加えてディアナも、懐かしさを覚えているかのように眉尻を下げていた。
実質二年ほどしかこの街で暮らしたことのないディアナだったが、その二年間のここでの生活は、彼女に懐かしさを抱かせるのに十分な時間だったようだ。
城壁の周りには、緑豊かな草原が広がっており、遠くには素材採取に行っていた森の木々が見える。
「ブルーノはこれからまだブライトナーへの旅ですわね」
「さすがに今日はヴィンデルシュタットの家に泊まりますよ。ブライトナーへは明日からです」
ブライトナーは、ブルーノの実家である子爵家の領する土地だ。
ヴィンデルシュタットからさらに三日ほど南へ行ったところにあり、領地としてはそれほど大きくはないが、一部は海に面していた。
美しい海岸線が広がっていて気候も穏やかなため、昔から貴族の保養地として有名なのだという。
「海!? あたし海見たことない」
大きくて塩辛いことくらいは知っているが、ディアナはまだ海を見たことがなかった。
この日のディアナは、今日からビンデバルト家にお世話になるため、生まれて初めてのドレス姿だった。
もちろん彼女がドレスを持っている訳はなく、クラリッサから借りた青いドレスを、急遽ディアナ用に仕立て直したものだ。
「別にいい」と最後まで抵抗していたディアナだったが、建前上はビンデバルトの招待ということになっていたため、クラリッサの説得に渋々ながら応じたのだった。
今日のディアナは、ビンデバルト家から出向いてきていた何人もの使用人に朝から磨き上げられ、綺麗に飾り立てられていた。
普段は隠れている首筋や腕のラインが露わになり、青いドレスとディアナの藍色の髪の対比が、彼女の美しさを際立たせていた。首には探索士の証である認識票が付けられたままだったが、銀色に光るアクセサリーのようにアクセントとなっていた。
この姿を見たクラリッサは満足そうに笑みを浮かべ、「ディアナさん、とてもお似合いですわ!」と声を上げた。
ブルーノは何も言わなかったが、顔を真っ赤にして目を逸らしていた。
ディアナはドレスの締め付け感と動きにくさに、眉をひそめて小さく溜息を吐いた。
その格好のまま馬車へと乗り込んでいたが、ディアナは終始落ち着かない様子だ。ドレスの裾を何度も触ったり、窓の外を何度も見たり、体を小さく丸めたりしていた。
「そう言えばわたくしも、海を見たのは一度しかありませんわね」
ディアナの一言に、「そう言えば」とクラリッサも反応する。
ブライトナーにはビンデバルト家が保有する別荘もあったが、クラリッサが生まれてからは侯爵家との交流に力を入れていたため王都に向かうことが多く、彼女も幼いころにわずか一度しかブライトナーを訪れたことがないそうだ。
「ならば次の休暇には、お二人をブライトナーに招待しますよ。
海岸の屋敷から見る海は、夕陽にキラキラ反射して美しいんです」
苦笑したブルーノが、次の長期休暇にブライトナーへ招待することを約束する。
その言葉に二人は目を輝かせながら笑顔を浮かべた。
「それは楽しみですわね」
「ん。楽しみ」
「ぜひいらしてください。遊覧船もあるのでクルージングもできます。他にも呼びたい友達がいれば呼んでも構いませんよ」
「じゃ、アルマやモニカ、マーヤも誘う!」
「そうですわね。久しぶりにみんなで集まりたいですわ」
興奮したように叫ぶディアナに、クラリッサも笑顔で応える。
三人は、来年の長期休暇の計画をあれやこれやと立てながら、懐かしのヴィンデルシュタットの城門をくぐり抜けるのだった。




