身体強化で無双する
それから数日後、今年から本格的に始まる身体強化魔法の授業が始まった。
その一回目は、校内にある競技場で全校生徒を集めておこなわれていた。
競技場は広大なアルケミアの敷地内にあり、およそ五十メートルのやや楕円形の広場が作られていて、その中央部分に縦横三十メートルの石畳の舞台が設けられていた。
広場をぐるりと取り囲むように設けられた観客席は、高さ十メートルの城壁のようなしっかりした石造りで、その上に三百人ほどが座れる木製の観客席が設けられている。城壁からは緩やかな階段状の通路が何本か設けられており、観客席から直接降りることもできるようだ。
客席には学生のほか、アレクシスや学院長など多くの講師も見学に訪れていて、魔法士にとっての身体強化魔法への注目の高さが窺えた。
多くの聴衆の視線が降り注ぐ中、新しく身体強化の担当講師となったハインツが、堂々とした足取りで競技場内に降り立った。
青空の下、学生たちは期待に胸を膨らませ、あるいは緊張した面持ちで、観客席から舞台を見つめていた。
ハインツは舞台中央に進み出ると、周りをゆっくりと見渡して、静かに口を開いた。
「さて、皆さん」
声を張り上げたわけではない。
しかし不思議なことに拡声の魔法具なしで、ハインツの声は観客席に届いた。
「魔法具なしでなんで声が届くんだ!?」
学生達がざわつき始めると、ハインツはまるでこうなることがわかっていたかのように、両手を挙げて客席が静かになるのを待った。
「あらためまして、身体強化魔法を担当するハインツです。
皆さんは拡声の魔法具なしで、わたしの声が届いていることに驚かれたかと思います」
ざわつきが治まったのを見計らって、ハインツが再び口を開いた。
やはり魔法具は使用していない。だが今度は学生達は黙ったまま、彼の次の言葉を待った。
「一般に身体強化魔法といえば、兵が使用する肉体を強化する魔法とイメージされる方が多いと思います。ですが我々が今年から学んでいく身体強化魔法は、兵が使うような全身を強化するのではなく、部分強化魔法と呼ばれるものです。
この魔法を使えば、こうやって魔法具なしで皆さんに声を届けることもできるようになります。
全身を強化するのではなく、身体の一部を強化することで、魔法士の弱点とされた機動力をアップするだけでなく、慣れてくれば身体強化と魔法の同時使用が可能となるのです」
身体強化を拡声の魔法具のような使いかたをするハインツ。
観客席の学生から、「こんな使いかたもできるのか!」と感嘆の声が上がる。
「どうやらギルベルトのような、ひどい先生ではなさそうですね」
「……誰?」
ディアナと並んで観客席に座っていたクラリッサが、ホッとしたように呟いた。しかし、ディアナの方はギルベルトという名前にまったくピンと来ない様子で、こてりと首を傾げている。
「ちょっとディアナさん。ユンカーであなた模擬戦したじゃない?」
「まさか覚えてないのか?
魔法士を全否定するようなギルベルトの態度に、ディアナ、お前がキレたんじゃないか!」
ディアナの左右からクラリッサとブルーノの呆れた声が降り注ぐ。
ブルーノの補足説明でようやく思い出したのか、「あー」と言いながらポンと手を打った。
「そう言えばいたかも」
まるで他人事のようなディアナの言葉に、クラリッサは溜息を吐く。
「本当に覚えてないのね。でも、ハインツ先生はきちんとした先生みたいでよかったですわ」
同じ兵士上がりでも、ディアナと衝突して辞めていったギルベルトのような脳筋ではないようだ。キチンと部分強化魔法を教えてくれる講師のようで、クラリッサは安心した様子を見せた。
「今年の新入生の中には、プレ授業として各地の魔法学校で身体強化を体験した者もいると思います。その結果、魔法士と部分強化魔法の相性が優れていることが判明しました。そのため、今年からは部分強化に特化した授業が始まります。
とはいえ、二年生、三年生の皆さんやプレ授業がおこなわれなかった学校の者は、身体強化魔法がどういったものかピンと来ない者も多いでしょう。また、この場でやり方を説明しても理解しにくいと思いますので、今日は普通の魔法との違いについて覚えるだけでいいです」
そう言ってハインツは観客席を見渡した。大半の学生が彼の言葉に頷いていることから、どうやらプレ授業は一部の学校でしかおこなわれていなかったようだ。
「わたしは兵士上がりのため、生活魔法程度しか使えませんが、魔法士のいう魔法と身体強化魔法は、同じ魔法という言葉がついてますが全くの別物と考えてください。
通常の魔法は体内の魔力を放出するイメージですが、身体強化魔法では体内の魔力を身体の表面に纏わせるようなイメージです」
身振りを交えながらハインツが、魔法の違いについて説明する。
しかし口頭ではなかなか伝わらないようで、多くの学生が首を傾げ、隣の学生と顔を見合わせたり、難しい顔で囁き合ったりしている。
「皆さんは、この学校で魔力循環を習っています。
得意な人も苦手な人もいるでしょうが、魔力循環をイメージしてください。魔力循環は体内を魔力が巡るイメージですが、身体強化魔法はそれを身体の表面でおこなうイメージです。
さらに、わたしが今おこなっているように喉に魔力を集中したり、手や足に魔力を集めたりすれば、部分強化魔法になります」
何となくわかったようなわからないような、観客席にはそんな表情が広がっていた。
「とはいえ、実際に見ていただいた方が、言葉よりも伝わることでしょう。
幸いにもこのアルケミアには、身体強化魔法を学ぶきっかけを作った二人が在籍していますので」
そう言うとハインツは、ニヤリと笑みを浮かべてディアナとクラリッサの二人を見た。
「げっ」
ディアナは露骨に嫌そうな顔を浮かべ、クラリッサも眉間に皺を寄せている。
「ええっ!?」
「誰だ?」
学生がキョロキョロと周りを見渡し、ざわざわとした雰囲気が広がっていく。
ハインツはディアナ達の事情など、無視するかのように二人の名を告げた。
「アインホルン寮のディアナとクラリッサ。二人は競技場に下りてきてください」
それまでの人当たりのいい雰囲気が消え、静かだが有無を言わさぬ圧力のある声だ。
全校生徒や多くの講師らが集まる中で、見世物のように実演させられるのかと思うと気が重い。
だがハインツの言う通り、彼を除いてこの中で最も身体強化に精通しているのは、ディアナとクラリッサを置いて他にいないだろう。
「面倒くさい……」
「けど、仕方ありませんわね……」
一瞬顔を見合わせた二人は、軽く頷くと重い腰を上げるのだった。
観客席からは、呼ばれたのがまたあのディアナかと驚きの声を漏らす学生や、クラリッサに好奇の目を向ける学生など、様々な視線が注がれていた。
「やあ二人ともよく来てくれたね。
王都の兵の間でもキミ達のことは結構話題になっていたよ。ディアナは特にね。小さな女の子があのギルベルトに勝ったってね。どんな子かと思えば、想像してた以上に小柄な女の子だったからビックリしたよ。
ちょっと性格に問題があったギルベルトだけど、実力は国中に知られていてね、王国内でも有力な兵士の一人だったのさ」
競技場に下りた二人を、ハインツがにこやかな表情で迎えた。
彼は身体強化を切っていたため、三人の会話は観客席には届いておらず、上から見れば打合せをおこなっているように見えていることだろう。
「目の前にした今も、まだキミがギルベルトに勝ったなんて信じられないよ。きっと彼はキミの容姿を見て、油断したんじゃないかと思うよ」
「そんなことはありませんわ。確かに最初はディアナさんのことを舐めていたかも知れませんが、模擬戦の途中からは本気だったと思いますわ」
ハインツの言葉に思わずといった様子で、反論したのはクラリッサだった。
ディアナがどれほど人知れず努力を重ねているか見てきた彼女は、ディアナを軽んじる発言をしたハインツを許せなかったのだ。
ディアナは内心でクラリッサに感謝した。
「ギルベルトの性格からすれば、おそらくその通りだと思うよ。だけどそれを証明するにも、残念ながらそのときに立会人がいなかったんだろう?」
「それは……」
ディアナとギルベルトの決闘には、多くの目撃者がいた。
しかし、結果として決闘のようになったが、あくまでも模擬戦の延長だったのだ。
そのため、双方立会人を立てておらず、正式に決闘とは認められていなかった。
「だから、これだけの観衆がいる前で、ディアナの実力が本物か確かめたいんだ」
ハインツはそう言いながら、観客席へと視線を向けた。
その表情からは、彼が何を考えているのかよくわからなかった。
観客席からは、これから何が始まるかとわくわくする学生や、三人の会話が聞こえずに焦れた様子の講師など、様々な視線が注がれていた。
「それならわたくしは関係ありませんわ。ハインツ先生がディアナさんと模擬戦をすればよろしいのではなくて?」
「さっきも言ったように、わたしは兵士上がりのため生活魔法ぐらいしか使えません。それにギルベルトを負かしたというのが本当ならば、わたしがディアナに勝てるとも思えません」
ハインツの発言を聞いたクラリッサは、彼の目的がディアナとクラリッサを戦わせることだと悟った。
それを裏付けるようにハインツがニヤリと笑う。
「魔法士が身体強化魔法を学ぶきっかけとなったのは、キミ達二人の模擬戦だったと聞いている。
今はまだ新しい教科という意識しかもってない多くの学生達には、やはり二人の模擬戦を見せた方が、身体強化魔法を学ぶ上で彼らの意識を変えることにもなるんじゃないかな?」
ここまで来て、何もせずに観客席に戻ることは難しいだろう。
ハインツの言うとおり、デモンストレーションを見せるよりは模擬戦を見せた方が、身体強化魔法のイメージもしやすいように思う。クラリッサは諦めたように溜息を吐いた。
「はぁ……観客の前で見世物のように模擬戦をするのは気が進みませんけれど、こんなことなら事前に一言相談しておいて欲しかったですわ」
彼女の愚痴を笑顔でスルーしたハインツは、再び声帯を魔力で強化させた。
「おまたせしました。
今日はディアナとクラリッサの二人に模擬戦をおこなって貰います。
キミ達が身体強化をおこなうことになったきっかけを作った二人の模擬戦です。きっと今後の参考となるでしょう。
では、ディアナ、クラリッサ。よろしくお願いします」
ハインツの紹介で、舞台中央へと進み出る二人。
これほどの視線が集まる中で模擬戦をおこなうのは初めてだ。ディアナは緊張からか、右手と右足が一緒に出ていた。
「まさかアルケミアに来て、いきなりこんなところでディアナさんと対戦するとは」
「あたしもそう。でも楽しみ」
ディアナはそう言ってニヤリと笑う。
「あら、わたくしを以前と同じだと考えているなら、痛い目を見せて差し上げますわよ」
「それはこちらも同じ。クレアが成長してるなら、あたしはそれ以上に成長してる」
「あら、それは楽しみですわね」
ふふっと笑い合った二人は、左右に分かれて杖を構えた。
「では、始めっ!」
ハインツのかけ声とともに模擬戦が始まった。
しかし、観客席の学生が目にしたのは、想像の遙かに上をゆく戦いだった。
「な、なんだこれ……」
「見えねぇ……」
これまでの魔法士同士の戦いのような派手な魔法の撃ち合いはなく、残像が見えるほどのスピードで、熟練の兵士のように優位なポジションをお互いに取り合う高速機動戦闘だった。
兵の模擬戦との違いは、時折放たれる攻撃魔法の応酬だ。だがこれも牽制の意味合いが強いのか、魔法を放ちつつ高速機動を止めることはない。
目の前で繰り広げられる戦いに、学生達は口をあんぐりと開き、目を丸くしていた。
「これは……魔法士同士の戦い……なのか……」
彼女ら二人の戦いを、一番近くで見ていたハインツも呆然と呟いていた。
まさかこれほど凄いものを見せられるとは、彼自身も考えていなかったからだ。
必死で追わなければ、二人の姿を見失いそうになっていた。
彼はギルベルトが負けたのは何かの間違いではないかと考えていたが、確かにこの動きができるなら、彼が負けたというのも納得だった。
「ほほう、まさかこれほどの戦いを魔法士がおこなうとはのう。長生きはしてみるもんじゃわい」
「ユンカーからの報告で知っていたつもりだったが、確かに……これは魔法士の概念が変わるのう」
目を細めて模擬戦を純粋に楽しむアレクシスの隣で、学院長が自慢のカイゼル髭を震わせる。
報告書で知っていたが、実際に目にすれば想像以上のものが繰り広げられていた。これを見れば近い将来、今までの魔法士など淘汰されてしまうかも知れないとの思いが強くなる。
「ヘイディのほんの気まぐれから、文字通り規格外を生み出したようじゃ」
アレクシスはディアナの成長に目を細めると同時に、その対戦相手であるクラリッサにも注目していた。
「ディアナの相手はクラリッサと言ったかの。
確かビンデバルト辺境伯の娘だったはずじゃが、あの子もディアナに負けず劣らずいい素質を持っておるようじゃ。卒業後に侯爵家に嫁いでしまうのが何とももったいないのう」
彼は将来有望な魔法士候補が、卒業を機に嫁いでしまうことをとても残念に思うのだった。
観客席の学生たちは息を呑んで二人の動きを見守り、興奮した様子で声援を送っていた。
ディアナとクラリッサの対戦は、互いに一歩も譲らぬ激しい攻防が続き、観客席からは歓声と悲鳴が入り混じった声が途切れることなく響くのだった。