詠唱? 何それ美味しいの?
「みんな揃ったな?」
ディアナのように少し耳の尖っているカミルが、子供達を見渡して言葉をかけていた。
今日は、子供達だけで森で採取をおこなう日だ。
採取は、五歳から十歳くらいまでの子供達でおこなうのが、村の決まりだった。
春と夏から秋にかけての年二回、薪などの燃料や木の実など食料、薬草などの素材を採取することが、子供達の大事な仕事となっていた。
村では農繁期の忙しい時期に子供達だけで行動することで、大人達が農作業に集中しやすくなったり、子供達は上下関係や社会性を身に着けることを学ぶ、大切な時間となっていた。
この中で最年長で十歳のカミルは、この三十人を束ねるリーダー役を担っていた。村長のアハトの息子であるため、ディアナから見れば従兄に当たる。彼は小さい頃から面倒見が良く、ディアナも幼い頃は一緒に遊んだりもしていた。
「ディアナ、今日はペトルは来ないのか?」
「うん、ちょっと昨日から熱が出てて、今日はお休みするって」
カミルと同じ最年長で、彼と一緒に人数の確認をしていたタネリがディアナに尋ねる。
「酷いのか?」
「ううん、もう熱は下がったんだけど、今日は念のために休ませるって言ってた」
「ふうん」
タネリはディアナと並んで歩き始めながら彼女の横顔を盗み見る。
「お前さぁ、なんか最近耳尖ってきてないか?
なんかカミルの耳と比べても、なんかお前の耳シュッとなってるような気がする」
「そう?」
ディアナの気のない返事で会話が途切れる。
実際彼女の耳は、成長するにつれて少しずつ長くなってきていたが、それでも目立つ程長いという訳でもなかった。
何より家族がそのことを指摘しないため、彼女は特に気にしたことはなかった。
その後もタネリが色々と話題を振るが、ディアナが塩対応するため会話は長くは続かず、話題の尽きたタネリは名残惜しそうにディアナの傍を離れていった。
「ふう」
タネリが離れていくと、ディアナはホッとしたように息を吐いた。
カミルとタネリは同い年で仲が良かった。そのためディアナは小さい頃から、タネリとも交流があった。
だが魔法の苦手なディアナを、無能呼ばわりして虐めたり、他の人の魔法を馬鹿にしたりするなどいわゆるいじめっ子気質のため、正直ディアナはタネリのことを苦手としていた。
タネリ自身は悪気はなく普通に教えてるつもりだったが、ぶっきらぼうで言い方がキツいため、本人は親切にしているつもりでも実際は逆効果となることが多かったのだ。
「じゃあ、時間になったら、いつものようにここに集合だぞ。あんまり一人で遠くまで行くなよ!」
採取場所に到着すると、カミルの号令でそれぞれが散っていく。
年長者は小刀を手に薪や木の実の採取へ。まだ幼い子は年長者と一緒に、素材の見分け方を教えて貰いながら薬草を摘んでいく。
そんな中、ディアナは落ちてる薪を拾いながら、魔法の練習をするため皆から離れて、こっそりと森の奥へと入っていった。
それを今日は、彼女の近くにいたタネリが見咎めた。
「あいつ、どこに行くんだ?」
彼は見つからないよう注意しながら、ディアナの後をつけていくのだった。
「あれ、誰かついてきてる?」
しばらく進んでいたディアナだったが、誰かにつけられていることに気付いた。
薪を拾う振りをしながら後ろを確認すると、藪の切れ目からタネリの姿が見え隠れしている。こちらを窺うような様子から、彼女をつけているのは確実だろう。
「んもう、嫌だなぁ」
露骨に嫌な顔を浮かべたディアナは、思案顔でこのまま練習に行くか、今日は諦めて戻るかを考えた。
「そうだ、いいこと思い付いちゃった」
ふと何かを閃いたディアナは、その場にしゃがんで魔力を足に集め始めた。
「あんまり魔力を込めると、木にぶつかっちゃうから気を付けないと」
自分に言い聞かせるように呟きながら、少しずつ慎重に魔力を足に纏わせていく。
「これくらいで大丈夫かな?」
やがて、自分の思う通りに魔力を纏えたことに、満足そうに笑顔を浮かべたディアナは、少しだけ後を振り返った。
「やっぱりまだいるなぁ」
タネリがついてきていることに軽く息を吐くと、次の瞬間、勢いよく飛び出していった。
「えっ!?」
タネリの目にはディアナが一瞬消えたように見えた。
「ええっ!?」
慌てて藪から飛び出し、ディアナの消えたところまで走って行く。
「えええっ!?」
そのタネリの目に映ったのは、獣のような速さで森の奥へと消えていくディアナの後ろ姿だった。
「ふう、上手くいったみたい」
いつもの練習場所へと辿り着いたディアナは、後を振り返って誰もついてきていないことを確認すると、ホッとしたように笑顔を浮かべた。
アランから身体強化魔法を習ってから、休むことなく練習を続けてきた。
最初と比べても精度が向上し、今では身体全体に三ミリメートルほどの薄さで魔力を纏うこともできるようになっていた。
先程のは脚力の強化して、通常よりも早く走れるようにした身体強化魔法だ。
スピードが上がる一方で、直線的な動きとなってしまうため森の中では使うのが難しかったが、その分込める魔力を減らすことでスピードを調節していた。
ヘイディが心配するため、家ではあまり身体強化魔法は使っていなかったが、森では気兼ねせずに色々と試していた。そのお陰でタネリを振り切るために迷いなく身体強化魔法を使うことができたのだ。
その一方で、彼女の生活魔法の腕は相変わらずだ。
制御が上手くできず、失敗ばかりを繰り返していた。
弟のペトルが生活魔法を使い始めようかとする中、姉として負けていられなかった。
ディアナは準備運動の代わりに、まずは魔力循環をおこなう。
「今日は調子がいいみたい」
身体を流れる魔力を、いつも以上に感じることができた。身体の隅々にいたるまで自分の魔力が巡っていくのが分かる気がする。
次は、おもむろに両手を揃えて前に出すと、上を向けた手の平の上に直径三十センチメートルほどの水球を生み出した。
「ちがぁう!」
だがすぐにそう叫ぶと、水球を消してしまう。
そしてゆっくりと深呼吸すると、もう一度両手を前に出して水球を発現させる。
しかし何度やっても三十センチメートル大の大きさの水球ばかりしかできない。
「あぁもうっ!」
思い通りにならずに苛々した様子のディアナは、水球を消すと今度は手の平に火球を生み出す。
が、やはりこれも直径三十センチメートルだ。
「すげぇな、お前!」
そんな時だ。
後から急にかけられた声に、びっくりしたディアナは火球を弾けさせてしまう。
「きゃっ!」
短い悲鳴を上げると、振り返って声をかけてきた人物を軽く睨んだ。
「んもう、急に声をかけないでよ。
髪の毛がちょっと焦げちゃったじゃない!」
「ゴメン、びっくりさせちゃったな」
人懐っこい笑顔を浮かべながら近づいてきたタネリは、ディアナが怒っているのもお構いなしで、感心したように声をかけた。
「なんでここが分かったの?」
「だってディアナが凄い勢いで走って行くのが見えたし。
走って行った方向だと、ここの広場かなと思って来てみたらやっぱりディアナがいたから」
何でもないことのようにタネリがあっさり答える。
ディアナは振り切ることしか考えずに、真っ直ぐここに走ってきてしまったことを後悔した。
「それよりさっきの走っていったのも速かったけど、お前ちゃんと水魔法も火魔法も使えてるじゃねぇか?」
「全然だめだよ。一回もちゃんとできたことがないもん」
「えっ!? だって練習してたのって攻撃魔法だろ?」
「えっ!?」
タネリの攻撃魔法という指摘に、ディアナは思わず固まってしまった。
「あんな大きな火の玉、村長の使う魔法みたいだったじゃねぇか」
「えっ!?」
絶句したままのディアナに、タネリはようやく二人の認識がズレてることに気がついた。
「……もしかして、違うのか?」
ディアナはこくりと頷いて、恥ずかしそうに小さな声で続けた。
「……生活魔法」
「はぁっ!? 生活魔法だって!?
生活魔法がなんであんなにでかくなるんだよ!
込める魔力が多すぎるんじゃねぇのか?」
「多いの? でも魔力を込めないともっと大きくなっちゃうもん」
ディアナは魔力を込めて、大きさを抑え込もうとしていると伝える。
「いやいや、そもそもお前は最初に魔力を込めすぎだって!
逆にもっと少なくしないと駄目なんじゃねぇか!」
「もっと少なく?」
今でもそれほど魔力を込めていた自覚はない。
これ以上減らせば魔法が発動しないのではと、ディアナは考えていたほどだ。
「お前、魔法を使うとき、どんなこと考えながら使ってんだ?」
「ええっと、ぐわぁっと火が出て、どばぁっと水が出る……みたいな?」
説明の途中で恥ずかしくなったのか、最後は真っ赤になって俯いてしまった。
魔法の才能に恵まれていたヘイディは、攻撃魔法以外では特に苦労したことはなく、生活魔法などは三歳くらいですでにマスターしていた。
また魔法を使うにしても感覚的に使うことができたた。そのため人に教える際にはうまく言語化できなかった。優れた魔法師だったヘイディだが、教師としては壊滅的な指導力だったのだ。
そのヘイディに教わった魔法発動のイメージが、先のディアナの台詞だ。
「なんかお前が魔法苦手なの分かった気がする………」
表情をなくし、苦笑いを浮かべたタネリがしみじみとそう言った。
「だってお母さんにそう教わったんだもん」
拗ねたように頬を膨らませるディアナを見て、タネリは慌てたように言葉を紡ぐ。
「でもさ、お前は天候魔法は使えてるじゃんか。あれはどうやって使ってんだ?」
「んとね。あれは詠唱してから使ってるの」
長くて覚えづらい祝詞のような呪文を唱えていると、詠唱に合わせて風が出て雲が湧き雨が降るのだと説明する。
「じゃあさ、生活魔法も詠唱したらいいんじゃない?」
「うそっ、生活魔法にも詠唱呪文があるの!?」
「えっ? もしかして知らないのか?」
タネリの言葉にディアナがコクリと頷く。
「普通、呪文を習う時は詠唱するところから始めるんだぜ。
無詠唱でやるのはその感覚を覚えてからだ」
「そうなの? 知らなかった。
あたしは詠唱を教わったことない。お母さんもお父さんも詠唱するなんて言わなかったもん」
「マジか!? もしかして本当に知らないんだな」
魔法発動の鍵となる詠唱を知らなければ、ディアナのようにイメージだけで魔法を行使しようとするしかない。これだけ魔法に困ってるディアナに、いまだに詠唱を教えてないということは、タネリの言うように本当に詠唱を知らないのかも知れない。
「お父さんとお母さんから、あたしは呪文を教わってない。
タネリは呪文言えるの?」
「多分言えないのはお前らぐらいじゃねぇか?
しょうがねぇな、簡単だから俺が教えてやるよ」
そう言うと、タネリは基本となる火魔法と水魔法の呪文を、ディアナに教えた。
勿体ぶった言い方をしたタネリだったが、年長組の彼はカミルと同様面倒見は良い方だ。もっともカミルと違ってその乱暴な言動で大きく損をしているが。
ディアナに教えているときの彼は、言葉遣いは乱暴だが表情や仕草は彼女を心配してのものだった。
「覚えたか?」
「うん、多分」
「じゃあ見ててやるからやってみな」
「わかった」
緊張した表情を浮かべたディアナは、集中するように深呼吸をひとつすると、ゆっくりと水魔法を詠唱し始めた。
「喉を潤すささやかな恵みを 水よ!」
すると突き出した彼女の手の平の上に、十センチメートルの水球が浮かんだ。
「ほんとにできた!」
「まだちょっと魔力が多いけどな。でも練習すれば感覚は掴めるんじゃないか?
で、どうだったよ。これまでと違っただろ?」
喜色を浮かべたディアナに、タネリは今までとの違いを確認する。
「なんか全然魔力使ってない感じがする」
「それはお前の魔力が多いからだよ。今まではやっぱり込める魔力が多すぎたんじゃねぇか?」
確かに今まで込めた魔力量よりも、全然使っていないような感覚だ。
この魔力量で生活魔法が発動するなら、今までどれほど過剰な魔力を込めていたのだろう。
今の感覚を思い出しながら、今度は詠唱することなく「水よ」と唱えてみた。
すると手の平の上に十五センチメートルの水球が浮かぶ。
「少し違うけどできた」
今のは、先に詠唱したときよりも少し魔力を多くつかった。
ディアナは、何となく魔力の感覚が掴めてきたような気がした。
やはり使用する魔力は彼女が考えるよりも、もっとずっと少なくても大丈夫なようだ。
「今度は火魔法を試してみな」
「うん、やってみる」
そうして今度は火魔法の呪文を詠唱する。
「ささやかなる灯よ火種となれ 火よ」
今度は手の平の上に十センチメートルの火球が浮かぶ。
「やっぱりできるじゃねぇか!
まだ大きいから後は練習すれば、ちゃんとできるようになるさ。
それでも不安だったら、いつでも俺が見てやるからさ」
「タネリって意外に教えるの上手だね。ありがとう」
今まで真っ暗闇の中、手探りで魔法の練習を重ねていたディアナに、初めて希望の光が差したのだ。
彼女は嬉しそうにタネリの手を取ってお礼を言った。
「な、何だよ意外にって」
急に手を握られて動揺したタネリは、照れて顔を真っ赤に染め目を逸らしながらも、満更でもなさそうな嬉しそうな表情を浮かべていた。