アインホルン寮
ハウスリーダーの二人は、三人を案内しながら大階段を降りていく。
その途中で先ほど別れたフーゴが、今度は別の学生を案内して階段を上ってくるのが見えた。
フーゴはにこやかに新入生に話しかけており、優しい老執事という印象だ。
先ほどは気付かなかったが、エントランスの巨大な吹き抜け空間は、入口の巨大な扉が天井付近まで伸びるほど高い天井だ。
またここの壁には多数の魔法使いの肖像画が、色彩も鮮やかに飾られている。エントランス中央には巨大なシャンデリアがぶら下がり、それは無数のクリスタルで装飾されていて、火が入ってなくても魔法の光を放っているかのように輝いていた。
「この建物は中央棟と呼ばれていて、この学校で一番大きな建物だよ。さっきのホールは全校の集会や表彰にも使われるけど食堂でもあるんだ。食事の時間は決まっていてね、全員がこのホールで食事を摂るんだよ」
「ホールの真下が厨房になっていて、食事を作ってくれてるの。残念ながら学生は出入り禁止よ」
厨房という言葉に目を輝かせたディアナだったが、エミーリアが苦笑を浮かべながら学生は入れないことを告げると、しゅんとなった。
「毎年何人かは厨房に侵入しようとするんだ。だけどことごとく捕まってる」
「捕まるとどうなるの?」
「ちょっとディアナさん!?」
クノール寮では食事の量が足りずに、こっそり厨房に入った前科がある。
ディアナがまさか侵入する気では、そう思ったのかクラリッサが慌てた。
「一週間食事抜き」
「しかも食事時間には、『わたしはどろぼう』の札を首から提げて、皆が食べてる中を立ってなきゃならないの」
「……!?」
思いがけない厳罰に、ディアナのみならずクラリッサやブルーノも、思わず息を飲んだ。
「これは厨房だけじゃないんだ。この学校は、他人の物や成果などを盗むと厳罰が待ってる。だから貸し借りもできるだけやめておいた方がいい。貸しておいてわざと盗られたと主張する者もいるからね」
「食事の量を気にしてるのなら心配いらないわ。毎回食べきれないほどの量が出るから」
重くなった雰囲気を変えるように、エミーリアがそう言って笑う。
三人は顔を見合わせながら、ぎこちない笑顔を浮かべた。
「食事と言えば食べる時間は、朝は七時、昼は十三時、夜が十九時から一時間と決まっているんだ。遅れると食べられないから気を付けるようにな」
「どうしても足りない場合は、これから案内する寮の談話室で食べられるわ。ホールと寮の談話室以外は、飲食禁止だから気を付けてね」
そう言った注意事項を聞きながら、エントランスを左へと進んでいくと、目の前に重厚な木製の扉が現れた。
扉の表面は複雑な文様が刻まれていて、中央にはアインホルンのレリーフがはめ込まれていた。
「ここから先がボク達のアインホルン寮だ」
「左手には、先生達の部屋や教室が並んでいるわ。わたし達の寮は教室に近いから便利ね」
この扉から左に進むと、教室が並んだエリアがあるようだ。
グライフ寮などに比べて教室が近いため、少しくらい遅れても間に合うのよと、エミーリアが笑う。
「ちなみにエントランスの反対側はフェーニックス寮、そこを右に曲がった奥が、グライフ寮になっているわ」
エミーリアが指差した方向にも同様の扉が見えた。
あの扉の中央にはこちらと同じように、フェーニックスのレリーフがはまっていた。
ここからでは見えないが、グライフ寮の扉も同様なのだろう。
多くの学生の手が触れてきただろう扉は、所々手垢で黒ずんでいる。
その中でもレリーフが特に汚れていて、その中でも角は黒光りしているほどだ。
「この扉には魔法がかけられていて、他の寮の者が入ることはできないんだ。寮生以外が触れるとこの角に刺されて死ぬって言われてる。まぁ今まで実際に試した者はいないそうだから、本当のことはわからないけどね」
そう言ってルーカスは、レリーフの角に軽く触れた。
するとレリーフが一瞬白く輝き、その光が文様に沿って走る。
――ガチャッ
重々しい音が鳴り、扉がゆっくりと開いた。
そこは部屋ではなく、十メートルほどの回廊となっていた。
高い屋根があり、左右には壁面が続いている。天井や壁面には複雑な文様や彫刻と一緒に、アインホルンの様々な物語が描かれていて、寮の歴史を感じさせる。
回廊には大階段と同様の継目のない絨毯が、反対側に見えている扉まで敷かれていた。ただし色は緑ではなく、アインホルンのシンボルカラーの白一色の絨毯だ。随分と古いもののように見えるが、不思議と真新しくも見えるのも大階段にあった絨毯と同じだ。
絨毯に踏み出すと、ほんのわずかに魔力が絨毯に向かって流れていくような気がした。
「中央棟と寮はこの回廊でつながっていてね。一応ここもアインホルン寮なんだ」
ルーカスの言葉に左右に目をやる。
壁には細長いスリットのような明かり取りが並んでいた。ここを壊して無理矢理出ることはできそうだが、わざわざ破壊してまで外に出たり、侵入したりしようとはしないだろう。
「寮からの唯一の出入口がこの回廊と繫がってる二つの扉なのよ」
回廊の突き当たりには中央棟にあったものと同じ扉があった。
こちらも長い歴史を感じさせる重厚感と、多くの学生の手が触れてきたであろう汚れで黒く光っている。
「さて、この扉はアインホルン寮生しか開くことができないんだけど、キミ達試してみるかい?」
ルーカスがそう言って、ディアナ達三人を振り返った。
振り向いたその顔には、悪戯っ子のような笑みが浮かんでいる。
「えっ!?」
三人は思わず顔を見合わせた。
寮生以外が触れると角に貫かれると聞いたばかりだ。
アインホルン寮に入ることは決まっているとはいえ、ディアナ達はまだ正式に寮生になったとは思っていなかった。
またハウスリーダーが意地悪をするとは思えなかったが、彼らと会ってからそれほど経っていないため、まだそこまで信用できない。
「ちょっとルーカス、意地悪しちゃダメよ。困ってるじゃない」
「そうか、ちょっと脅し過ぎたかな?」
エミーリアが軽く睨むと、ルーカスは眉尻を下げて苦笑いを浮かべた。
どうやら少し脅すだけのつもりだったらしい。
「ごめんごめん、悪戯が過ぎたね。実はこの回廊を他のアインホルン寮の寮生と通ると、自動的にキミ達のことが扉に登録されるようになっているんだ。だからもう扉に触れても大丈夫さ」
「ごめんね。新入生は必ずこうやって脅されるのよ。だけど扉の防御は怖くて誰も確かめたことがないわ。だからあなた達も他の寮の扉に触れちゃダメよ」
新入生が最初に脅されるのは、どうやら恒例行事らしい。
この回廊を歩いている間に、扉に自動的に登録されるしくみのようだ。
もしかしたら絨毯を踏んだときに、魔力がわずかに吸い出されたように感じたのがそうだったのだろうか。
「さて、あらためて開けてみるかい?」
ルーカスが挑発するように尋ねた。
「あた……」
「俺がやる」
ディアナが出ようとするより先に、ブルーノが進み出た。
ユンカー魔法学校で一、二を争う血の気の多さを見せた二人だ。
クラリッサは、心配そうな表情を浮かべるが、挑発されれば二人は止まらないのはわかっている。彼女は軽く肩を竦めると、なりゆきを見守ることにした。
恐る恐るブルーノが角に触れた。
――ガチャッ
すると先ほどと同じように、重々しい音とともに扉が開いていく。
扉の中は、二十人は余裕で入れそうなクロークとなっていた。
クローク内は床は薄いグレーとなっているが、壁や天井など全体的に白く、清潔感があった。
部屋の隅にはベンチも備えられていて、壁には大きな姿見がかかっているが、ベンチのフレームや姿見の枠なども白で統一されている。
「寮内は旗と一緒で全体的に白で統一されているの」
「聞いた話だと、グライフ寮は青、フェーニックス寮は赤が基調となっているそうだ」
全体的に青かったり赤い部屋がどのようなものか、ディアナには想像がつかなかったが、なんとなく落ち着かないような気がした。
この部屋の奥にはレリーフのない両開きの扉があるが、この扉は床と同じ薄いグレーだ。
入口の扉のようなゴテゴテした装飾はなくいたって普通の扉だった。
「この先が寮生の集まる談話室だ」
そう言ってルーカスとエミーリアの二人が、両開きの扉を引いた。
――わぁ
途端に賑やかな声が聞こえ、三人はあっという間に寮生に囲まれてしまった。
広々とした談話室には、ソファやテーブル、椅子などが何脚も置かれていた。やはり全体的に白で統一されている。
この部屋は、普段学生達が談笑したり、勉強を教え合ったり、ゲームをしたりして過ごすそうだ。
今日はディアナ達の歓迎会ということで、談話室はカラフルな飾り付けで彩られ、テーブルにはお菓子やジュースなども並べられていた。
「今年の入寮は、キミ達三人が最後なんだ。今自己紹介しても覚えられないだろうから、今日はとりあえず楽しんでくれ。まずは荷物を部屋に置いてくるといい」
「案内するわ。こっちよ」
そう言って二人が、談話室の奥にある階段を上っていく。
二階でブルーノとルーカスが別れ、三階へは三人で上がる。
「寮は一階に談話室や自習室があって、二階が男子の個室、三階が女子の個室が並んでいるわ。個室と言ってもすごく狭いから、基本的に勉強は談話室を使うことが多いわね。あと共同の浴室や洗濯場もそれぞれの階にあるわ」
「この上は?」
三階へと到着したが、階段はさらに上へと続いていた。
「この上は屋上になってるわ。ちょっとした訓練場にもなってるから、魔法の練習がしたい場合はこの上を使えばいいわ。教室や実技以外での魔法は禁止になってるから」
説明しながら三階を案内していく。
階段に近いところは三年生の部屋らしく、一番端にハウスリーダーであるエミーリアの部屋があった。
中は意外にも広く、トイレはもちろんシャワールームまである。さらに、学生が相談に来たときに使うという、テーブルと椅子が一組置かれた部屋が別に用意されていた。
「ハウスリーダーは少し特別なの」
エミーリアはそう言って片目をつぶった。
部屋を出ると廊下を奥に進んでいく。
廊下を三分の一ほど進んだところで左にトイレがあり、右にシャワー室があった。そこを過ぎると扉の間隔が急に狭くなっている。
「ここからは二年生の部屋よ。部屋の大きさは三年生が一番大きく、一年生はかわいそうなほど狭いわ。二年生の部屋はその間ね」
扉と扉の間隔は、ちょうどクノール寮と同じくらいか少し広いくらいだろう。
このまま行けば、一年生の部屋はあの寮の部屋よりも狭くなりそうだ。
それが想像できたからか、すでにクラリッサの表情が若干引きつっているように見える。
そして二年生のエリアを過ぎると、先ほどと同じようにトイレとシャワー室を挟んで、いよいよ一年生のエリアだ。
確かに扉と扉の間隔が、さらに狭くなっていた。
「この一番奥に共同の大浴場とトイレ、それから洗濯場があるわ。突き当たりの扉はバルコニーになっていて、洗濯物を干す場所になっているの」
エミーリアが説明しながら、どんどんと奥へと進んでいく。
そしてその右手に共同トイレと浴室、左手に洗濯場と書かれた札の手前で足を止めた。
「ここの二部屋が、これから一年間暮らすあなた達の部屋よ」
そう言って、左手に並んだ二部屋を示し、二本の鍵を差し出した。
ディアナとクラリッサは顔を見合わせると、エミーリアから鍵を受け取る。
鍵に書いてある番号を見ると、左がクラリッサ、一番奥がディアナの部屋のようだ。
「とりあえず荷物を置いたら、談話室まで降りて来てね。歓迎会を始めるから」
エミーリアは鍵を渡すと、歓迎会の準備があると言って足早に戻っていった。
二人は扉の前でしばらく呆然とたたずむのだった。




