病院にて
薄っすらと目を開けると、なんとなく見覚えのある天井が目に入った。
最初、寮の部屋かと思った。
だが、寮の天井は木の梁が通っていて、かなり年季の入った部屋だ。
ここは全体的に白くて清潔感があり、何より寮とは違って天蓋の付いたベッドに彼女は寝かされていた。
ぼんやりと天井を眺めているうちに、ディアナはここが以前入院した特級病室だと気付いた。
「ディアナ……ちゃん!?」
横になったまま声をした方向に首を向けると、モニカが放心したように立っていた。
彼女はしばらく固まったまま動かなかったが、我に返るとベッドに飛び込む勢いでディアナに迫ってきた。
「ディアナちゃん!!」
「モ、モニカ?」
驚いたディアナが呼びかけに応えると、モニカはみるみる目に涙を溜めていく。
そして振り返ると嬉しそうに声を上げた。
「皆! ディアナちゃんが目を覚ましたよ!」
そのモニカの声に、慌てたような足音が聞こえ、すぐにクラリッサらが駆け寄ってきた。
クラリッサの他には、アルマやマーヤも一緒だ。さらになぜかブルーノとエルマーの姿もあった。
「ディアナさん、よかった……」
「もう……なかなか目覚めないから本当に心配したんだからね」
「……クレア、……アルマ」
クラリッサとアルマは、ディアナが目覚めた安堵と喜びが混じった、複雑な表情を浮かべていた。
マーヤは、泣き出してしまったモニカを慰めながら、一緒に泣いていた。
「みんな……痛っ!?」
ディアナは起き上がろうとするが、胸に走った痛みに動きを止める。
「急に動いたら駄目よディアナちゃん。肋骨が五本も折れてるんだから」
「五本も折れてたんだ」
ディアナは他人事のように呟く。
たしか魔獣に蹴り飛ばされた際に、折れた傷だったか。
身体強化魔法を使ってこの傷だ。
一瞬でも身体強化が遅れていたら、あのとき確実に死んでいただろう。
いつの間にか着せられていたパジャマの上から左胸に手を添えるが、何か硬いものが巻かれているようで、傷がどうなっているかは分からなかった。
その後、ディアナは横になったまま、落ち着いた彼女たちから話を聞いた。
それによると、ディアナはあれから十日間も眠り続けていたらしい。
決死隊が現場に到着したときに、魔獣の遺体と一緒に倒れた三人を発見したそうだ。
すぐに救出された三人は、ヴィンデルシュタットのこの病院へと搬送されて、そのまま入院となった。
この部屋には、モニカに加えてマーヤも一緒に入院していたが、マーヤは二日後に、モニカも五日後には退院したため、現在はディアナ一人がこの部屋を独占してる状態だった。
しかし、モニカやマーヤは、退院後もクラリッサやアルマ達と一緒に、毎日病院通いを続けていた。
彼女達は朝から夕方まで病室にいて、ディアナの様子を診たり彼女の身体を拭いたりして、ずっと看病を続けていた。
そのため病院側が気を利かして、特級病室の入口付近にテーブルセットを置いた。
それに加えて、クラリッサ達が茶器を持ち込んだため、いつの間にかその一角はサロンのようになっているのだという。
「ディアナ……」
ディアナが目覚めた喜びで、皆がワイワイと騒がしくする中、ブルーノがベッドサイドに進み出てきた。
彼も魔力枯渇で意識を失い、隣の特級病室で入院していたが、彼は三日ほどで目覚めていたらしく、その後順調に回復したため、明日には退院となるのだという。
そのブルーノも毎日のように、サロン通いを続けていた一人だ。
「その……、助かったのはお前が頑張ってくれたおかげだ。……本当に感謝する」
ブルーノは照れくさそうにそう言うと、エルマーを連れてそそくさと自分の病室へと戻っていった。
今回の魔獣は、大方の予想通り魔獣災害と認定されていた。
魔獣を解剖した際に、胃の残留物から何頭ものオオカミに混じって、ネズミの魔獣が発見されたことから、それを捕食したことにより魔獣へ変異したと断定された。
その結果、研究所の所長であるイェルクは、二度の魔獣災害を引き起こした責任を問われ、関わった研究者と共に即日処分され、研究所は閉鎖となった。
また、意識を取り戻したブルーノとモニカの証言などから、最終的にオオカミの魔獣が半魔物化していたかどうかは、情報が少なすぎて証明できなかった。
ただ、かつて所属していた群れを滅ぼした行動などから、完全ではないものの半魔物に近い状態であったのではないかと結論付けられた。
「再会の喜びのところすまない」
ディアナが目覚めたという連絡が入ったのだろう、そう言って主治医の医師が入室してきた。
名前は確かシュテファニーという名前だったか。以前の入院時にも診てもらった白衣のよく似合うキリッとした女性の医師だった。
彼女は、ディアナの脈拍を測ると、続けて瞳孔や心音を手際よく診察していく。
「ふむ、身体に異常はなさそうね。あと胸の固定帯はしばらく我慢して着けててね。外したいなら止めないけど、多分痛みが出るわよ。それに下手をするとまだくっついていない肋骨が肺に刺さるから気を付けてね」
冗談のつもりなのか恐ろしいことをさらっと言って、マーヤを震えあがらせていた。
「どれくらいで退院できる?」
「そうね、魔力枯渇の症状は治まってるようだし、二、三日様子を診てってところかしら?」
シュテファニーはそう言うと「また来る」と言い残して去っていった。
彼女が去ると、再びクラリッサ達がディアナを囲む。
「ディアナさんが眠っている間に、マヌエラさんが来ましたわ」
「そうそう、ディアナちゃん二等級探索士に昇級だって」
「二級!? 三級じゃなく?」
この間の魔鳥討伐で三等級目前と言われていたが、それを飛ばして一気に二等級になるとは、ちょっとディアナには意味が分からなかった。
「今回の魔獣はオオカミでしたでしょ。オオカミの魔獣は、辺境伯家の記録を遡ってもほとんど残ってありませんの」
かつての記録は三〇〇年も昔に遡る。
それによるとオオカミの魔獣によって、一個師団が壊滅したと記録されていたらしい。
探索士協会に残る記録でも、同様のことが記録されていたそうだ。
「確かに脅威だった。でもそこまで強いとは思わなかった」
実際に戦った感覚では確かに強かったとは思うが、一個師団を壊滅できるかと言われれば怪しいと思える。実際にそれほどの実力を持っていたのなら、今頃三人はこうやって生きてはいないだろう。
「もしかしたら脅威を伝えるために盛っているのかも知れませんわ。今となっては記録の正確性を確かめる手段はありませんもの」
かつての脅威が実際にどれほどの被害をもたらしたのかは、クラリッサの言う通り確認する術はない。だがその記録が残る以上、辺境伯も王国も、それに対処できるだけの手段を講じなければならなかったのだ。
「だけどその魔獣をディアナちゃんが討伐したから、二等級なんだよ」
「あたしは討伐してない。ブルーノとモニカがトドメを刺した」
結果的にわずか三名の魔法士見習いだけで討伐できたことは、偶然やたまたまだったとしても、歴史的なことには変わりなかった。
「違うよ。ディアナちゃんが頑張ってくれたから討ち取れたんだよ。それにわたしは最後にちょっと手伝っただけだから」
あの時、モニカは極度の魔力枯渇の後遺症に悩まされていたが、魔力的には随分と回復していた。
そこで万が一ブルーノが仕留めることができなかった場合に、最期の手段としてディアナが提案していたのだった。最もこの案には、モニカが乗り気となったことも大きかった。
彼女はここまで、守られてばかりで役に立てていなかったことを、負い目に感じていたからだ。
それでも回復途上とはいえ、魔法行使による激しい頭痛に襲われることは確実だった。そのためモニカの負担をできるだけ少なくしようと考えた結果が、魔力消費の少ない「水の噴流」の魔法だったのだ。
「ディアナさんは納得できないみたいですけれど、ブルーノもモニカさんも探索士には登録していませんわ。ですから協会としては、討伐したのはディアナさんとその臨時パーティということにしたいみたいなのです。協会としてもディアナさんの名前を利用するのですから、あまり気にせず受ければいいのですわ」
討伐したのが売り出し中の若き探索士とすれば、探索士協会としても格好の宣伝となる。
しかもディアナは、先日の魔獣災害をも治めた実績もある。ヴィンデルシュタット探索士協会としては、これ以上ない宣伝効果となるに違いなかった。
アルマがしみじみした様子で口を開く。
「わたしとしてはディアナちゃんが、手の届かない所にいっちゃう感じがして寂しいわ。だけど、どこかで納得もしてるの。だってディアナちゃん、規格外と呼ばれるくらいすごい可能性があるのに、わたしたちに合わせてる所あるじゃない?」
「そうですわね。以前は『あまり目立ちたくない』と仰っていましたけど、今は自重もあまりしなくなってますものね」
そう言ってクラリッサが笑う。
親しい人から突然「バケモノ」呼ばわりされ、殻に閉じこもっていたこともあって、入学当初は目立たないようにしていたディアナも、今は自分の特異性を隠すことはなくなっている。
しかし魔獣討伐の際、自分でも仕留めることができた場面でも、他の人にトドメを刺させるなど、手柄を譲ろうとすることも多かった。
実際にそれによって、彼女達の自信に繫がったことも確かだ。
だがそれを続けていては、ディアナの成長を鈍化させるだけではないかと考えるようになっていた。
「だから今は、ディアナちゃんがどこまで行くのかを、見てみたいと思っているの」
「そうだよ。わたし森での三日間、ディアナちゃんがいてすごく心強かったんだよ。
わたし達だけじゃ、きっと森を脱出なんてできなかったよ」
「わたしもモニカと同じ。
わたし達ディアナちゃんと親しくなってそれほど経ってないけど、それでもディアナちゃんにはすっごい可能性があると感じるもの。
わたしはあのときアルマちゃんと一緒で、途中からクレアちゃんと合流できたんだけど、二人ともディアナちゃんの影響をすごく受けてると感じたの」
「マーヤさん? それはどういう意味ですの?」
「ふふ、わかるわ。わたしもクレアちゃんやアルマちゃんも、規格外に感じることあるもの」
「モ、モニカちゃん!?」
「変な意味じゃないわ。ディアナちゃんはクレアちゃんとアルマちゃんの影響を受けてきたんだけど、クレアちゃんとアルマちゃんも気付かないうちにディアナちゃんの影響受けてるのよ」
「うん、そうだよ。わたしアルマちゃんとクレアちゃんが合流できたとき、『これで助かる』って勝手に思ってたから」
それほど二人の存在感は大きかったのだとマーヤは言う。
実際に脱出するまでの間、二人が中心となって進路や休憩時の周囲の確認などをおこなっていた。
それは探索士として活動していた圧倒的な経験値のなせる技だ。
一般の学生から見れば、二人の姿も十分規格外に映っていたのだった。
「と、とにかく、ディアナさんは自分を過小評価しすぎです。いまさら普通の女の子のふりをしたって無駄ですわ」
「そうね。これまで散々やらかしてきたんだもの。でも心配しなくても大丈夫だよ」
「そうですわね。どれだけ規格外のことをしたとしても、学校の関係者はディアナさんならって納得しますわ。それに、少なくともここにいる四人は、何があってもディアナさんをバケモノなどと呼んだりはしませんわ」
「そうだよ。だからディアナちゃんは、自分を信じて前だけ向いて進めばいいんだよ。
しんどくなったら、わたし達がいつでも話を聞くから」
クラリッサ達の言葉に、ディアナは軽く目を見開いた。
「それと、これ」
そう言って、モニカが布に包まれた細長い包みを差し出した。
「何、杖?」
思わず受け取ったものの、怪訝そうな顔を浮かべたディアナに、モニカが微笑んだ。
手にした感触から杖のような手触りが、布越しに伝わってくる。
「開けてみて」
言われるままに、袋状の口を結んであった紐を解いて、中の杖を取り出すと、ディアナは目を見開いた。
「!?」
出てきたのは、以前使っていたものによく似た杖だった。
もちろん母の形見だった杖ではない。
素材もおそらく変わっているのか、手触りも少し違う。
しかし、以前の杖よりも妙にディアナの手に馴染む感じがあった。
杖の先には、青いクリスタルが埋め込まれているが、これも以前のものより大きく純度も高そうだ。
「魔獣を討伐したときに、ディアナちゃんの杖折れちゃったでしょ。
大事なお母さんの杖の代わりにはならないかもだけど、似た感じの杖を見つけたから……」
「こんな高そうな杖、貰えない」
「わたしだけじゃないよ。皆でお金を出し合ったんだよ。だから遠慮しないで」
「最初はもっと前の杖に似てたのを選んでいたのですわ。ですがこのことを聞いたブルーノが……」
「俺もお金を出すから、規格外のディアナにふさわしい杖を贈れって言い出しちゃって、結局これになったの」
「ブルーノが……」
ディアナが眠っている間、助けられたお礼に、折れた杖の代わりを贈りたいとモニカが言い出し、それにクラリッサ達も便乗した。モニカが退院するのを待って、四人でヴィンデルシュタットで一番と評判の杖屋へ向かい、以前ディアナが使っていたのと似た杖を探していた。ほどなく杖は見つかり、それを購入しようとしたところで、エルマーが息を切らして飛び込んできたのだという。
ディアナの隣の病室で入院していたブルーノは、ディアナの杖の新調を知り、慌ててエルマーを走らせたらしい。
「それならモニカは?」
今回、杖をなくしたのはディアナだけではない。
モニカも魔獣を討伐する際に杖を失い、オオカミを倒したときにはブルーノの杖を借りていた。
「もちろん、わたしの杖も一緒に買ったわ。ブルーノが一緒に出してくれるって言うから、前から欲しかった杖を買っちゃった」
そう言って真新しい杖を見せてくれる。
モニカの新しい杖は、素材こそ以前と変わらなさそうだったが、緑のクリスタルが埋め込まれた少し小ぶりの杖だった。
「今回多くの人が助かったのは、ディアナさんが頑張ってくれたおかげですわ。ブルーノは何も言いませんけれど、ああ見えてあなたには感謝しているのですわ」
「そうだよ。この杖はわたし達の感謝の印なの。だから遠慮せずに受け取って欲しいな」
「みんな……」
ディアナは四人の顔を順番にゆっくりと見つめていく。
クラリッサ達は、笑顔を浮かべて頷いて見せた。
「……ありがとう」
ディアナは杖を握りしめると、涙を浮かべながら笑顔を浮かべた。
それからしばらくして、史上最年少での二等級探索士が誕生するのだった。




