凄いぞ、お前は天才だ!
魔獣の討伐から十日。
アランは、治療の甲斐あって脇腹の傷が癒えた所だ。
左足の骨折も大事には至らず、松葉杖を使えば一人で動くことができるまで回復していた。
残念ながら切断された左手は戻らないものの、本人はそれほど気にした様子はなく、ヘイディを呆れさせていた。
あの日以降、アランは毎日のようにディアナから、身体強化魔法を見せてほしいとせがまれていた。さすがに傷が癒えていないため全力は出せないものの、今のアランの状態でも娘のおねだりに応えるくらいは可能だ。
この日アランは、ディアナを連れて森へとやってきていた。
「じゃ、行くぞ」
そう言ったアランが右の拳に魔力を込め、おもむろに目の前の木に正拳突きをおこなった。
――ドゴッ!
素手で殴ったとは思えない衝撃音と共に、拳が叩き付けられた部分の表皮が砕け、幹が若干えぐれていた。
「すっごーい!」
「これが身体強化魔法なんだ!
簡単に言えば拳を魔力の膜で覆って強化するようなイメージだな。
お父さんはそこまでできないが、魔力を多く込めれば大木だってへし折ることもできるんだぞ!」
ディアナからキラキラした目で見つめられたアランは、嬉しそうに身体強化魔法について説明していく。
「あと武器なんかにも纏わせることで、威力や耐性も強化できるんだ」
そう言うと拾った適当な枝に魔力を纏わせ、さきほどと同じ木に叩きつけた。
――ガゴッ!
枝とは思えない音がしたかと思えば、木が大きく揺れて葉が降ってきた。
叩きつけた場所を見ると、拳でめくれた表皮の傍に新しい筋状の傷が増えていた。
「すごいね。それ、あたしにもできるかな?」
「身体強化魔法をか?
もちろんできるだろうが、ディアナはお母さんみたいな魔法士になるんだろう?」
「うん、そうだよ。あたし、お母さんみたいな魔法士になりたい。
でもお父さんみたいにできたら、あたしお父さんの代わりに魔獣討伐もできるんだよ」
「ははは、ディアナは欲張りだな」
「えへへ、あたしはもっと一杯強くなって、お父さんやお母さんみたいにみんなを助けられる人になりたいんだ」
「そうか、なら今まで以上にいっぱい練習しないとな」
「うん」
ヘイディのようになりたいと、毎日地道に魔力循環の練習に励んでいるのを知っていたアランは、ディアナはてっきり魔法士を目指すのだと思っていた。
だが先日の活躍を見て、アランのようにもなりたいと考えるようになったらしい。
嬉しくなったアランは、そう言ってディアナの頭を撫でる。
彼はこれまで、身体強化魔法を使える魔法士というのを聞いたことがなかった。
実際にそれほど多くの魔法士を知っている訳ではなかったが、魔法士の戦い方を見ていても、遠距離から攻撃魔法や防御魔法を使うものの、身体強化魔法は使っていなかったように思う。
ディアナに身体強化魔法の適性があるかどうか分からないが、使えるようになれば彼女の言うようにみんなを助けられる人になれるかも知れない。
「ディアナは毎日魔力循環の練習してるけど、これからは身体強化の練習もしないといけなくなるけど、できるのか?」
「ええ、わかんない」
間髪を入れずに返事をしたディアナに、アランが思わずうなだれる。
「えっと、ディアナはお父さんみたいに戦ってみたいんだよな」
「違うよ。お父さんみたいにできたら凄いけど、やっぱり魔獣に近づくのは怖いもん」
確かに魔獣に接近戦を挑むのは、慣れているアランでさえ勇気のいることだ。
自慢の娘だからといっても、わずか八歳の女の子が父の真似をして魔獣に挑むのは、さすがにお転婆が過ぎるというものだろう。
「まあいいか。とりあえず教えるからやってみな」
万が一魔獣や害意のある人物の接近を許した場合、身体強化が使えれば窮地を脱する手助けとなるかも知れない。
アランはそれほど深く考えずに、ディアナに身体強化の方法を教えることにした。
「ディアナは毎日魔力循環の練習してるから意外と簡単にできるかもな。
まずはいつもと同じように魔力を循環させるんだ」
「できたよ」
「よし。今度はその魔力をグルグルと循環させるんじゃなくて、右手に集めてみな」
「こうかな? 次はどうするの?」
「そしたらその魔力を身体の外に出すんだけど、魔力は身体から離れすぎると消えちゃうから、そうだな手袋をはめてるような感じで右手にできるだけ薄く広く纏わせるんだ」
「むうっ! できた!?」
「ほう、初めてにしちゃ上出来だ!」
言ったことをすぐに実行できるディアナに、アランは内心驚いていた。
「えへへ、あっ!」
だが、アランに褒められて集中が切れたのか、せっかく纏わせた魔力が霧散してしまった。
「もっかいやる!」
口惜しかったのか、ディアナはすぐに魔力を右手に集めていく。
「できたよっ!」
すぐに右手に魔力を纏わせたディアナは、今度は失敗しないように右手から目をそらさないようにしながら、アランにできたことを報告した。
「じゃあ、そのままそこの木を叩いてみようか?」
アランはディアナの傍に立っている、細い若木の幹を指差した。
細いと言っても、ディアナの太ももくらいの太さがある幹だ。ちょっとやそっと叩いたくらいでは傷をつけることすらできないだろう。
ディアナは「わかった」と言うと、魔力を消してしまわないように慎重に木に近付いていく。
「えいっ!」
そしてひとつ深呼吸すると、可愛らしい気合いの声とともに右手を突き出した。
――ドゴン!
イメージ的にはペシッと軽く叩いた程度だ。
しかしディアナの叩いた木は、真っ二つに折れてしまった。
「はぁっ!?」
素っ頓狂な声を上げたのはアランだった。
初めて使う身体強化魔法で、アランの目にもディアナの魔法の制御は甘いと感じていた。
それなのに若木とはいえ、そこそこの太さの幹を真っ二つにしてしまったのだ。
「できたよ!」
当の本人は単純に喜んでいるが、普通はこれほどうまくいくことなどない。
下手をすると叩く途中で、魔力を霧散させてしまうことも多いのだ。
「お父さん?」
黙り込んでしまった父の様子に、何か失敗したのかと心配になったディアナが、不安そうに訪ねた。
「……す、凄いぞディアナ!」
我に返ったアランは、娘を嬉しそうに抱き上げて頬ずりをする。
「お前は天才だ! 本当に凄いぞ!」
アランのあまりの喜び具合に、逆にディアナの方が戸惑ってしまうほどだ。
「あたし凄いの?」
「ああ凄いぞ。初めてでこれだけできた奴をお父さんは知らない。
普通はお父さんが見せたみたいに、幹に傷が付けば十分なレベルなんだ。
ディアナがお母さんと毎日練習する、魔力循環のお陰かもな?」
「お母さんのおかげ?」
「お母さんもだけど、ディアナが毎日毎日ずっ~と練習してたからな。
その成果が出たんじゃないか?」
普通の魔法の成果が中々現れなかったディアナにとって、父から手放しで褒められたことは彼女にとって非常に大きな出来事となった。
「練習を続ければ、足に魔力を集めてお父さんみたいに高く飛んだり、身体に纏わせれば鎧変わりにもなるんだぞ」
「へぇ、色々できるんだ」
「お母さんの魔法みたいに分かりやすくないから地味だけどな」
「そんなことないよ、魔獣と戦ってるお父さんかっこよかったもん。
やっぱりあたし、身体強化もちゃんと練習するね」
「そうか、練習するか」
「うん!」
前向きなディアナの返事に、アランは嬉しそうに締まりのない顔で笑顔を見せるのだった。
「あなたディアナに何教えてるのよ!
ディアナが怪我をしたらどうするつもりなの?」
その夜のことだ。
夕食時に今日の出来事を、嬉々として語ったディアナとアランだった。
だが、一緒に喜んでくれると思っていたヘイディから、思いがけず盛大な雷が落とされた。
「大丈夫だよ。あたし凄かったんだから」
「そ、そうだぞ。ディアナは本当に……」
「あなたはちょっと黙ってて!」
二人で今日の様子を語ろうとするが、アランはヘイディにピシャリと止められてしまう。
「本当に大丈夫なの?
痛くしてない?」
「本当に大丈夫だよ。お母さん何で怒ってるの?」
ディアナの右手を取り怪我の有無を確認するヘイディに、ディアナは不思議そうな顔を浮かべて首を傾げた。
「だって初めて使う身体強化魔法で、いきなりで木を殴らせたのよ」
「でもあたし、平気だったよ?」
「そういうことを言ってるんじゃないの。
もし身体強化が不十分だったら、怪我をしていたかも知れないのよ。
それにディアナが簡単にやっているのを見てペトルが真似したらどうするの?
ペトルは魔力循環の練習だってしてないのよ」
そう言われればディアナでも、ヘイディが何を危惧しているのかがわかった。
「ごめんなさい」
「ごめんね、お母さんも言い過ぎたわ。
お母さんが使えない身体強化を、ディアナが使ったって聞いてびっくりしちゃったの。
だって身体強化魔法って、普通魔法学校なんかでは習わないのよ」
「そうなのか!?」
彼女の言葉に反応したのは、意外にもアランだ。
「そうよ、領の学校では少なくとも教えないわ。
王都の上級魔法学校でも、教えてなかったはずよ」
「そうか、兵学校では教えてるから、てっきり魔法学校でも教えてると思ってたよ」
「そんな訳ないでしょ。魔法士が身体強化魔法を使ってるのを見た事ある?」
「いや、確かに見たことはないけど、使えないんじゃなくて使わないだけなのかと……」
「魔法士が魔法を使いながら、身体強化魔法なんてできると思う?」
「練習すればできるようになるんじゃないのか!?」
「そもそも魔法と身体強化魔法って、同じ魔法って言葉が付いてるけど全然違うものよ。それを両方使える人なんて、それこそ王宮魔法師でもいなかったはずだわ。
わたしは身体強化魔法は使えないし、あなただって生活魔法以外に魔法なんて使えないでしょ」
「そういやそうなのか?」
「よくそんなんで領都の衛士になれたわね?」
「ざ、座学は苦手だったんだ。その代わり実技は満点だったぞ」
そう言ってアランは胸を張ったが、ヘイディは呆れたように軽く溜息を吐いた。
「とにかく魔法を使いながら身体強化するなんてことは、普通の魔法士には難しいの」
「あたし、変なの?」
これまでの会話の流れから自分が普通ではないと感じたのだろう。
ディアナが不安そうにヘイディを見上げていた。
「ごめんね。そうじゃないの」
優しく頭を撫でながら諭すように続ける。
「あなたが身体強化魔法を使えるなんて思わなかったから、ちょっとびっくりしたの」
「変じゃない?」
「もちろん変なんかじゃないわ。
雨を降らせる魔法が使えて身体強化まで使えるなんて凄いことよ。
お母さんは雨を降らせることしかできないもの」
「ホント!?」
「本当よ。もしかしたらこのまま頑張れば、将来ディアナは王宮魔法師になれるかも知れないわね」
「おうきゅう……魔法士?」
「王宮魔法師よ。王宮魔法師はね、王様にお仕えする偉い魔法士のことなの。
日照りや災害が起こったら、皆を助けるために働くのよ」
「あたし偉い魔法士になれる?」
「ああ、頑張ればきっとなれるさ」
「そうね、あなたはディアナおばあちゃんみたいに、魔法士として名を残しそうな気がするわ」
ディアナの肩に手を置いたアランが優しく語りかけ、ヘイディもどこか確信したようにディアナを見つめた。
「ええぇ、おねえちゃんばっかりずるい!
ねぇボクは?
ボクもえらいまほうしになれる?」
すっかり蚊帳の外に置かれていたペトルが、拗ねたように頬を膨らませる。
「もちろんペトルも頑張ればなれるわ」
「えへへ」
ヘイディがそう言って頭を撫でると、ペトルは嬉しそうにはにかんだ。
「ペトルはお父さんみたいに、衛士になるんじゃなかったのか!?」
「ボク、おねぇちゃんといっしょにえらいまほうしになる」
「そんなぁ……」
その言葉にショックを受けたようなアランが、情けない声を上げる。
ガックリと項垂れたアランを余所に、リビングには柔らかい笑顔が溢れるのだった。
アランの親バカ発動!