ディアナ 対 魔獣(オオカミ)(2)
「発光信号が上がったって!?」
救護所に隣接した捜索指揮所は、その情報に俄に活気づいていた。
捜索の指揮を執っていた男は仮眠を取っていたが、その知らせを受けると指揮所に飛び込みながら声を上げる。
仮設テントであるユルトの中には、中央に大きなテーブルが置かれ、その上に簡単な森の地図が広げられている。その地図には、この捜索所を中心に森に向かって、放射状に捜索エリアが示されていた。所々に赤い印が付けられているのは遭難者の発見場所で、そのほとんどが捜索エリア内に記されていた。
「はい、捜索エリアの外のこの辺りだそうです」
若い兵が地図で示したのは、これまで重点的に捜索してきたエリアの外、少し森の奥に入ったところだった。
遭難から四日経ち、多くの遭難者が捜索エリアまで到達している中で、そこまで到達できていないということは、何らかのトラブルに遭っていた可能性が高かった。
「急ぎ、信号の上がった地点に救助隊を向かわせろ!」
「そ、それが、同じ地点で魔獣の遠吠えも聞こえたとの情報が……」
「何だと!?」
「おそらく、魔獣に襲われている可能性が高いかと思われます」
活気づいていた指揮所内は、その言葉で一瞬にして静まり返った。
魔獣の最初の目撃情報から、ここまでほとんど魔獣の足取りはつかめていなかった。
通常の魔獣の場合は、暴走するように暴れ回るため痕跡が残りやすく、その足取りをつかむことは容易だった。
今回の魔獣は、キャンプ地を襲った後、プッツリと足取りが途絶えていたのだ。
そのため、今回のオオカミの魔獣は、半魔物と化したと予想されていたのだ。
半魔物となった魔獣は、動物だったころの意思が残っているとされる。行動は生前の動物に近くなるが気性は攻撃的になっているため、動きを予想することが難しかった。
もっともそのお陰で、魔獣災害に認定されたにもかかわらず、今のところ驚くほど犠牲者は出ていなかったのだ。近くには魔獣に備えて辺境伯軍が展開していたが、今のところその数は三〇〇〇名程度しかいない。かつてオオカミの魔獣が現れたときには、師団単位の犠牲者が出たと言われている。
師団とは、兵団や魔法兵団を編成した基本的な作戦部隊であり、王国軍では通常、一〇〇〇〇名の兵力と規定されている。
その情報が本当だとすれば、三〇〇〇名の兵力では到底相手にはならなかった。
しかもその魔獣が近くに現れたとなれば、この場所も危うくなってくる。救護所も急ぎ撤収し、収容している学生達も急いで移送しなければならないだろう。
「すぐに救護所と展開している軍に知らせろ!
あとの者は学生達の避難準備だ!」
その指示によって、指揮所にいた兵が慌ただしく動き始めた。
同時に指揮を執る彼には、捜索を打ち切って隊員を避難させるか、危険を承知で救援に向かわせるかの難しい決断が迫られることとなった。
その後遭難者の救出に、様々な案が検討されたが、どれも決め手に欠くものだった。その中で最終的に採用されたのが、決死隊を募り現場に突入させるというものだった。
災害級と予想される魔獣のいる場所へ突入させるため、救出どころか生還できる保障もなかったが、それでも二十名の精兵が志願し、一時間後には発光信号の発見場所へと向かっていったのである。
――はぁはぁはぁ……
ディアナは肩で大きく息をしていた。
彼女の身体強化魔法は、魔獣のスピードとも十分渡り合うことができていた。
しかし身体強化に魔力を振った分、攻撃魔法の威力が落ちてしまい、魔獣に有効なダメージを与えることができない。
そこで彼女は、威力の弱い攻撃魔法を複数重ねることで、威力の底上げをはかろうとしていた。しかし、それでも魔獣の分厚い毛並みを突破することは叶わず、ダメージをほとんど与えることができなかった。
「ちっ」
ディアナは舌打ちを鳴らす。
威力の高い攻撃魔法を放つ余裕など、今の彼女にはなかった。
このままでは、手詰まりだ。
それでもディアナは、何度も何度も、小さな火球を諦めずに放ち続けた。
それが、今の彼女にできる唯一の手段だったからだ。
「ディアナちゃん……すごいけど」
「ああ、動きが……」
四日間ほとんど休みを取らずに、ブルーノとモニカをここまで導いてきた。
その疲労は、すでに限界を超えていた。いつもの彼女なら、もう少し余裕を持って攻撃を躱せているはずだ。威力に劣る魔法しか放てないのも、その余裕のなさからきているに違いなかった。
ディアナの頬を、汗が伝う。
息は荒く、手足に力が入らなくなってきていた。
「やっぱり……わたし達のせい?」
「こんなことなら……有無を言わさず、強引にでも休ませるべきだった」
今更言っても仕方ないこととはいえ、二人は無理矢理にでもディアナを休ませるべきだったと、自らを責めてしまう。
彼女がいたから、無事にここまで来ることができた。彼女に会うことがなければ、二人は森の中でとうに野垂れ死んでいただろう。だがディアナ一人だったなら、魔獣相手にここまで無理をする必要はなかったはずだ。彼女一人なら、逃げることだってできたはずなのだ。
今、彼女が必死で戦っているのは、二人を守るためだ。
ボロボロになっても、それでも諦めずに立ち向かうのは、救援が来ると僅かな希望を抱いているから。
「ディアナちゃん!」
「ディアナ!」
見守ることしかできない二人は、いつしか悲痛な叫び声を上げていた。
ディアナの戦いが、あまりにも痛々しくて見ていられなかった。
それでも二人は、ディアナから目を逸らすことができなかった。
彼女の戦いが、二人の命を繋ぎ止めているのだと、嫌でも理解していたからだ。
――がはっ!
ついに、魔獣の攻撃がディアナを捉えた。
魔獣の突進を、ディアナは辛うじて躱していた。
だが、疲れからその回避行動は甘くなり、すれ違いざまに後足で蹴り飛ばされてしまったのだ。
咄嗟に身体強化をおこなうが、まるで大木を叩きつけられたかのような衝撃がディアナを襲い、小柄な彼女の体は紙くずのように吹き飛んだ。
――か、はっ
ディアナは近くの木の幹へと背中から叩きつけられ、その衝撃で強制的に肺の空気が吐き出された。
「っ……」
彼女は本能的に空気を求め、何もない中空を掻いた。
視界が暗転してくるが、今意識を失えばこれまでの努力がすべて終わってしまう。ディアナは、意識だけは手放すまいと必死に抗った。
喉の奥から、酸っぱいものがこみ上げてくるが、それも無理矢理嚥下する。
――はっ、はっ、はっ……
肺が再び空気で満たされたとき、モニカの悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「ディアナちゃん!」
顔を上げると、勝ち誇ったかのような魔獣の顔が、すぐそこに迫っていた。
ディアナが動けなかったのは、ほんの一瞬だった。
だが、魔獣にとっては、それで十分だった。
ディアナは、慌てて杖を探した。
だが、それは数メートル離れた、魔獣の足元に落ちていた。
「くっ!」
咄嗟に動こうとするが、左の胸にナイフで刺したような痛みが走った。
どうやら肋骨が折れているようで、ディアナはすぐに動くことができなかった。
――ニィィィッ
魔獣は、勝ち誇ったかのように口角を上げた。
嘲笑の色を滲ませた顔で、ゆっくりとディアナに近づいてくる。
その足音は、まるで死刑宣告のカウントダウンのように、ディアナの耳に響いた。
「させるかよ!」
その時、ブルーノの投げた松葉杖が、ディアナのすぐ傍に突き刺さった。
魔獣は、警戒したように大きく跳んで距離を取る。
そして、ギロリとディアナを一瞥したあと、ターゲットをブルーノたちへと変更した。
ゆっくりと散歩でもするかのように、二人の方へと近づいていく。
「ダメっ!」
焦ったように腕を伸ばすディアナ。
だが、再び胸の痛みが彼女を襲い、その場にうずくまってしまった。
目の前の松葉杖を頼りに身体を起こそうとするが、胸の激痛に顔を歪める。
「大丈夫だ!」
そう言ってブルーノは、障壁魔法を発動させた。
「風の盾!」
現れたのは淡い黄緑色の半透明な球体だった。
球体はブルーノとモニカをすっぽりと覆っていた。
魔獣はその盾に向かって大きく前足を振り上げ、その鋭い爪を風の盾に叩きつけた。
――キン!
乾いた硬質な音と共に、魔獣の爪が障壁に弾かれた。
今度は噛み砕こうというのか、その長い牙を突き立てる。
だが、何度やっても結果は同じだ。
容易に壊れそうなシャボン玉のような障壁だったが、その硬度は魔獣の攻撃を阻むほどに高かった。
「少しくらいなら保たせてみせる。だからお前は先に回復しろ!」
「ディアナちゃんばかりに頑張らせてゴメン!
だけどやっぱりディアナちゃんが頼りだから。今のうちに少しでも回復して!」
盾の中から二人が叫ぶ。
障壁魔法は強力な防御魔法だったが、消費魔力の大きいのが難点だ。
本来風の盾を含む障壁魔法は、長時間維持するような魔法ではなく、いくらブルーノといえど、盾を維持できるのは数分が限界だろう。だか、それでも時間を作ってくれることはありがたかった。
ディアナは、腰のポーチから回復薬を取り出す。
木に叩きつけられた衝撃でほとんど割れていたが、奇跡的に一本だけ無事なものがあった。
ディアナは迷わずそれを手に取ると、栓を抜いて飲み干した。
それだけを煮詰めて濃縮したかのような、独特のえぐみが口いっぱいに広がった。
――ふうぅぅぅぅ
あえて大きく深呼吸をした。
ディアナお手製の回復薬のえぐみが、頭をシャキッとさせたような気がする。
回復薬に即効性はない。
だが、それでも胸の痛みは、幾分か和らいだように感じる。
深呼吸したことで、狭まっていた視野も少しずつ広がっていく。
ブルーノが、何とか時間を作ってくれている。今のうちに少しでも回復しなければ。
ディアナは、胸元にあるペンダントを掴み、空いた手で目の前に突き刺さっている松葉杖に手を伸ばした。
そしてそれを支えに、ゆっくりと立ち上がった。
次回、いよいよ決着です




