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むっすぅぅぅぅぅ

その夜、結局ディアナは一度も目覚めることはなかった。

彼女を休ませるためにあえて起こさず、モニカとブルーノの二人で見張りをおこなってしまったからだ。

そして四日目の朝を迎えた。


――むっすぅぅぅぅぅ


見張りを外されたディアナは、朝からわかりやすくむくれていた。

眉根を寄せ、頬を膨らませながら口をへの字に曲げ、腕を組んで焚き火の前で拗ねていた。


「もうっ、ディアナちゃんってば。

そろそろ機嫌直してよ。朝ご飯冷めちゃうよ」


モニカは困ったような顔を浮かべて、ディアナに謝り続けていた。

二人に抗議するためなのか、健啖家で知られるディアナが、珍しくご飯を一切口にしていなかった。それどころか彼女が拗ねて何もしないため、若干動けるまでに回復していたモニカが朝食を準備しなければならなかったのだ。

昨日は起き上がるのですら辛そうにしていたが、今日は立ったり座ったりは普通に問題なくできるまで回復していた。さすがにまだ魔法を使うことはできなかったが、それでも動けるようになったことが嬉しそうだった。


「昨日も言ったが、今はお前だけが頼りなんだ。

見張りくらいでいつまでもむくれてんじゃねぇ!」


それまで黙っていたブルーノが、さすがに我慢できなくなったのか口を開いた。

ディアナもさすがに、いつまでも子供みたいに拗ねている訳にいかないと思ったのだろう。渋々といった様子だが、ようやく朝食を口にし始めた。


「食べ終わったなら傷を見てくれないか?」


黙々と食事をしていたディアナが食べ終わった頃を見計らい、ブルーノが声をかける。


「食器はわたしが片付けとくから」


「ん」


ディアナは頷くと食べ終わった食器をモニカに手渡し、ブルーノの包帯をほどいていった。

肉が盛り上がってきていた裂傷は、今朝は完全に塞がっていた。これなら多少は動いても傷が開くことはないだろう。


「動かしてみて」


ブルーノは言われて足に力を込める。

しかし必死で力を入れても、左足はわずかに膝を曲げるのが、精一杯のようだった。


「……マジか。全然動かねぇぞ」


ブルーノは、思い通りに動かない左足にショックを受けた様子で、明らかに落ち込んでいる。

しかし、彼とは対照的にディアナの表情は明るい。


「ちゃんと治ってきてる」


「ホントか!?」


「もうしばらく固定した方がいいけど、リハビリすればちゃんと動くようになる」


「よかった……」


元どおり動くようになると聞いた瞬間、脱力しホッとしたように息を吐いた。


――ペチン


そこに場違いな乾いた音が響き、ブルーノが悲鳴を上げる。

ディアナが剥き出しのブルーノの太ももを叩いた音だった。


「痛ぇ!? お前何しやがる!」


当然ながら抗議の声を上げたブルーノだったが、ディアナは無視したまま手早く包帯を巻くと立ち上がる。


「関係ないふりしてるけど、あんたも同罪だから」


そう言ってプイと横を向いてしまった。

見張りをさせてもらえなかったディアナの怒りは、どうやらまだ鎮火してなかったようである。

その後、片付けおよび準備を整えると三人は出発する。

ブルーノは相変わらず両手に松葉杖をついているが、傷は快方へと向かっており昨日と比べてペースも上がっている。

しかし、モニカの方はそうはいかなかった。

魔力枯渇による倦怠感は、一日寝たくらいでは治まる訳ではない。

モニカの負担を考えて、彼女の荷物はブルーノが背負うことになった。最初はそのことに恐縮していた彼女だったが、身体が思うように動かないことに気付いてからは、何も言わなくなっていた。

彼女はブルーノの杖を借りると、文字通り杖代わりにして必死に歩いていたが、全体的なペースは前日までと比べても、明らかに遅くなっていた。


「ペースが遅いのを負い目に感じることはない。

無理強いしてるのはこっちなんだ、ゆっくりで構わない」


「ん、魔力枯渇のしんどさはあたしも知ってる。こっちがモニカのペースに合わせればいい」


魔力が枯渇したモニカは、本来であれば安静が必要なほどの重傷なのだ。

二人はそう言ってモニカを慰めるが、それがますます彼女を恐縮させた。


「ひとつだけ方法がある」


「何々!? どうするの?」


ボソリとディアナが呟くと、食い気味でモニカが飛びついた。

ブルーノもそのような方法があるのかと興味津々な様子でディアナを見つめる。


「あたしがモニカを負ぶっていく」


確かにペースを上げるには、ディアナが負ぶっていく方法が一番早いだろう。

二人の体格差は頭一つくらいモニカの方が高いが、それくらいなら負ぶっていけないことはない。しかしそれをすると、せっかくディアナの負担を減らそうとした意味がなくなってしまう。

呆れたように天を仰ぐと、二人は目を吊り上げ、直後に怒声が森に響いた。


「却下だ(よ)!」






その日の昼頃、クラリッサとアルマの二人を含む三十二名は、ようやく森を抜けようとしていた。

アルマが合流したときよりも人数が増えているのは、その後もはぐれた学生や教師を吸収していったからだ。

この集団をここまで導くことができたのは、クラリッサをはじめとした貴族出身の学生達が中心となって動いたから。もちろんアルマら平民の協力もあったが、クラリッサが問答無用で文句を言う貴族出身の彼らをまとめたことが大きな要因となった。

最初はぎくしゃくしていた彼らだったが、最終的には生還するという目的のためにひとつにまとまっていた。


「森を抜けたぞ!」


「やった!」


「助かったのね!?」


それは森を抜けた後、貴族も平民も分け隔てなく抱き合って、生還した喜びを分かち合った姿からもわかるだろう。



発光信号(シュテルネンシュス)!」


彼らはすぐに救難信号を撃ち上げた。

脱出した地点は、最終試験のゴールから数キロほど東に外れた荒野だった。

ゴール地点で待機していた捜索隊が、発光信号にすぐに気付いた。その後、彼らは無事に保護されたのだった。

彼らはゴール地点に設置されていた救護所へと身柄を移され、簡単に名前の確認がおこなわれたあと、医師による診察を受けた。診察の結果、疲労の激しい者はすぐにヴィンデルシュタットの病院へ入院する手筈が整えられていた。

その中には、疲労の激しかったマーヤも含まれていた。彼女は迎えに来ていた両親に付き添われながら、馬車で搬送されていったのである。


「クレア!」


「お父様!?」


診療が終わったクラリッサがユルトから出ると、彼女の父であるベルンハルトが待っていた。


「どうしてこちらに?」


「馬鹿者、子供を心配しない親などいるものか!」


彼はクラリッサを抱きしめ無事を喜ぶ。

クラリッサはホッとしたように、そこで初めて表情を緩めた。するとそれまで堪えていた涙が、堰を切ったようにあふれ出してくる。


「よくぞ無事に戻った」


「はい……」


彼女は父の胸に顔を埋め、嗚咽を堪えて長い間肩を震わせていた。

やがて顔を上げたときには、いつもの凜とした表情へと戻っていた。

周りを見渡せば、其処彼処で家族と無事を喜び合う学生達の姿が見える。ヴィンデルシュタットには、三日目の昼頃には魔獣発生による学生遭難の一報が伝わっていたらしい。

ベルンハルトは一報を聞くと、その日のうちに捜索隊の編成を指示し、ヴィンデルシュタット在住の学生の関係者らを率いて、この場にやってきたのだという。


「遠方からの学生のご家族はさすがに間に合っていないが、連絡はしてある。追ってやってくることだろう」


「魔獣はどうなりました?」


「いや、まだだ。聞けば魔獣化したオオカミというではないか。しかも意思が残ってるという情報もある。そうなれば領兵だけの手に余る。王都にも救援要請を送ってはいるがすぐに動いてくれるかどうかだな」


「そんな……」


クラリッサは思わず絶句した。

この世界では、動物が魔力に取り込まれることで、恐ろしい変化を遂げることがある。それが「魔獣化」と呼ばれる現象だ。

魔獣と化した動物は、魔力に取り込まれて凶暴性を増す。そこに意思は存在せず、攻撃衝動のまま行動すると言われている。しかしまれに魔獣化しても、完全に魔力に飲みこまれない個体が出現することがある。

これは「魔物化」や「半魔物化」と呼ばれる現象で、凶暴性は変わらないが魔獣となる前の意思や自我がわずかにでも残った個体のことをいう。

この世界では、魔獣と魔物ははっきりと区別されている。

魔獣と化した動物は、攻撃衝動のまま命果てるまで暴走し続ける。そのため魔獣化した生物の寿命は、長くても一ヶ月と言われていた。しかし命尽きるまで放置するには、周りの被害が大きすぎるため、発見次第討伐することが求められていた。

対して魔物はそもそも個体数が少なく、人の住む領域にはめったに姿を現さない。だが魔獣と違って意思が存在し、ドラゴンなどの知能の高い個体であれば、人との間で会話をおこなうこともできる。ただし、考え方などは人とは大きく違っているため意思の疎通は難しく、人と魔物は相容れない存在として生活圏は完全に違えていた。

また魔獣は強靱な肉体で暴れるのに対し、魔物はその高い知能を活かして人間同様に道具を使ったり、魔法を使うなど大きな違いとなっていた。

一方で魔物化した魔獣は、魔法は使わないものの、生き物としての意思が残っているため、魔獣の強靱な肉体に加えて生物としての狡猾さが加わってより討伐が困難となる。わかりやすく例えるならば、待ち伏せしたり、逃げるふりをして油断を誘ったりといった行動を取るようになり、通常の魔獣以上に警戒が必要となるのだ。


再会を喜び合う学生達の中を、アルマはクラリッサを探していた。領都から遠い彼女の家族は、まだこの場には来ていない。それ以上に、距離的にはまだ遭難の連絡すら届いていないことだろう。

ヴィンデルシュタットに来た当初は、ホームシックに苦しんだアルマだったが、今は家族に会いたいとは思うものの、そこまで寂しいとは感じていなかった。


「アルマ嬢」


そんな彼女に声をかけてくる人物がいた。

クラリッサと合流するまでの間、行動を共にしたアルノルトだった。


「その……すまなかった」


そう言って彼は頭を下げた。

選民思想の塊のような彼が頭を下げたことは、周りにいた学生達にも衝撃だったらしく、ざわざわと一部で騒ぎになったほどだ。


「ちょ、やめてよ。皆が見てるわよ」


いきなり注目を浴びることになったアルマは、どうしていいかわからず固まってしまった。


「俺は今まで、自分のことを特権階級だと思っていた」


「……事実でしょ?」


「そ、それはそうなんだが、最後まで聞いてくれ」


爵位の中で男爵は最も低い称号であるが、それでも貴族に属するため、平民とは比べるべくもない特権を有していた。


「俺は自分は平民より偉いんだ。だから俺に尽くすのは当たり前だと思っていた。

……だがこんなことになって初めて自分は無力なんだと、一人じゃ何もできないのだと悟った。それを認めるのが嫌で、知られるのも怖くてそれを隠すためとはいえ、今思えばちょっと自分でもひどいことをしていたと思っている。

それに気付くことができたのはアルマ嬢のお陰だ」


アルノルトは、落ち着いた態度で口調も穏やかとなり、すっかり人が変わったようになっていた。


「わたしもぶっちゃってごめんなさい。ちょっと疲れて気が立ってたから、我慢できなかったの」


「いや、殴られてなければ気付くことができなかったし、そもそもキミ達と合流できていなければ、我々はおそらく全滅していたに違いない。それに皆と合流した後、クラリッサ様やエルマー様が、疲れや恐怖のある中、必死で皆を導く姿を見たとき、これが貴族のあるべき姿だと思ったんだ」


「そんな、大げさよ」


「確かに大げさかも知れない。だけど俺、いやわたしは自分の進むべき道を見つけた気がしたんだ。

だからそのきっかけをくれたキミには感謝しているんだ」


アルノルトはそう言うと呆気に取られるアルマの手を握り、もう一度頭を下げると風のように去って行く。


「それって貴族としてあたりまえのことじゃ……」


アルマが零した言葉は、残念ながらアルノルトには届いていなかった。

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