捕食
最終試験の二日目が始まった。
この日は一日目と同様、採取の課題に加えて討伐訓練でおなじみの魔獣化したネズミが複数森に放たれる予定だ。
そのため踏破する距離は一日目とそれほど変わらないが、全パーティともに前日よりも緊張感のある顔で整列していた。
出発する順番は、前日のキャンプ地への着順通りとなる。アルホフ・パフェ+は、今日は四番目のスタートだった。
「昨日の到着が早かったから結構休めたわね?」
「ん、日課をする時間もあった」
「え、ディアナちゃん今朝も日課したの!?」
アルマが伸びをしながら隣のディアナに話しかけるが、彼女からの思いも寄らない返答が帰ってきたため、思わず伸びをしたまま固まってしまった。
「日課だから」
「それはそうなんだけど、明日まで試験が続くけど大丈夫?」
アルマはディアナの体調を気遣うが、彼女はなんでもないことのように言って取り合わなかった。
だが心配かけたことには気付いたらしく、ばつが悪そうな顔を浮かべると素直に謝るのだった。
「ごめん今日だけにする、明日はしないから」
「ならいいんだけど。今日はあまり魔力使いすぎないでね」
「ん、何もなければ大丈夫」
「そんなフラグみたいなこと、口にしちゃダメよ!」
良くも悪くも普段通りのディアナに呆れたアルマだったが、フラグと口にした途端ゾクッとした悪寒を感じた。
依頼の前など、事を始める前に口にしてはいけない言葉がある。
例えば「この依頼が終われば、彼女と結婚する」などだ。何気なく口にしたが最後、その人物に不幸が訪れるのだという。統計などないため実際の確率がどれほどかは分からないが、探索士の間では迷信のように広く信じられていて、どんなベテラン探索士でも依頼前にそう言ったことは決して口にしないのだという。
「どしたの?」
「ううん、なんでもないわ」
変に意識するのもよくないかと、アルマは不安を払拭するように首を振ると、ディアナと並んで歩き始めた。
「二人とも遅いわよ」
スタート地点にはすでに三人が揃っていて、アルマ達が合流するのが最後だった。
「さぁ、今日も張り切って参りますわよ」
「おう!」
スタートの合図と共に五人は元気よく森の中へと入っていくのだった。
全十組のパーティがスタートしてからしばらく。
キャンプ地には、黒い布が被せられた箱が五つ、等間隔に並べられていた。
訓練場から厳重な管理のもと運ばれてきたものだ。
これと同じ物が森の中にも五つ運ばれ、それぞれの地点に設置されている。
「所長、準備が整いました」
「うむ」
白衣を着た若い男が初老の男に報告をすると、所長と呼ばれた男は大仰に頷いた。
訓練場内には、立ち入りが厳重に管理された研究施設がある。
そこでは表向き、魔獣に関する研究をおこなっていることで知られているが、裏では人為的に魔獣を生み出すような実験もおこなっていた。研究所はビンデバルト家とは独立した民間の施設で、研究内容は辺境伯家にすら表向きの研究成果しか知らせていない。この研究施設の所長を務めているのは、イェルクという名だ。長年研究畑にいた人物で、魔獣を人為的に生み出す方法を発見した功績により所長の座をつかんだ野心家の男だ。
「しかし所長、相手は学生とはいえ牙を抜いてしまって、本当によかったのでしょうか?」
「訓練ではほぼ討伐できるようになっていますし、今回はそのまま放ったほうがよいのでは?」
若い研究員が不安そうに尋ねる。
彼らが心配しているのは、訓練場で起きた魔獣災害の再現だ。
あの時はサギが魔獣化し多くの負傷者を出したが、原因は研究所から逃げ出した魔獣が原因だった。
討伐されたサギを解剖してみると、胃袋の中から牙を抜かれた魔獣の遺体が発見されたのだ。
本来は捕食者となる魔獣だが、肉食や雑食の動物にとって牙を失ったネズミは、多少力が強い気性が荒いだけの動物に過ぎないのだ。魔力が異常に膨張したネズミを捕食し、これによってサギが魔獣化してしまったと結論付けられた。
その後、所長のイェルクらは魔獣の管理体制を一から見直すはめになったのである。その再現を恐れた研究者が、牙を抜いたネズミを森に放つことに不安を覚えていたのだった。
「心配いらんよ。わたしが所長になってからは、最終試験はずっとこれでやってきたのだ。
普通の動物は魔獣から逃れようとするだけで、自ら近づくことなどしない。それにこの間の事故で逃げ出した魔獣はすでに弱っていた個体だ。今回は髪の毛の先ほどの心配もありはしないさ。
さぁ何をしているのかね? さっさと魔獣を森へ放ちたまえ!」
イェルクは研究員たちの意見をそう言って一笑に付すと、話を打ち切るように手を振って研究員たちを所定の位置につかせた。
檻を覆っていた布が外され光が入ると、ネズミは興奮し狭い檻の中で暴れまわりはじめる。
「よし時間だ。放て」
イェルクの指示により檻が開けられると、ネズミは一斉に森の中へと飛び出していった。
「そんなに緊張してたら疲れるわよ」
苦笑を浮かべたアルマが、怯えたようにキョロキョロと辺りを見渡すマーヤに声をかけた。
パーティの後方を警戒するマーヤは、アルマの言葉でもビクリと身体を震わせる。
今日の午前中は、アルマがパーティの中央、クラリッサが前方でディアナとモニカがそれぞれ左右を担当していた。
「だ、だって、どこから魔獣が出てくるか分からないじゃない」
「かといってそんなに緊張していたら、明日までもたないわよ?」
「わかってるんだけど、怖いじゃない?」
「でもマーヤちゃん、討伐訓練でちゃんとできてたでしょ?」
「それはそうなんだけど、どこから出てくるか分からないのが怖いのよ」
――カサッ
「きゃっ!」
ちょうどその時だ、すぐ傍にあった藪から小鳥が飛び出し、小さく悲鳴を上げたマーヤは尻もちをついた。
「大丈夫? ただの小鳥よ。少し代わろうか?」
「ごめん大丈夫。心配しないで」
少し代わると言ったアルマだったが、マーヤはプルプルと震えながらも頑なに拒む。
「本当に大丈夫?」
「わたしだって、皆の役に立てるところを証明するんだから」
杖を支えに立ち上がったマーヤは、そういうと再び後方の警戒を始めた。
マーヤが頑なな訳は、彼女のことを揶揄した噂にあった。
アルマも彼女が「パーティのお荷物」「ポーター役」だと囁かれているのを聞いたことはあった。
一組の五指に入るディアナ達三人と違い、マーヤは仲のいい友達もモニカくらいしかいなかった。大人しく引っ込み思案で、常に一歩引いているような性格のため、実際の実力よりも下に見られていた。そのためディアナとパーティを組んで以降は、陰でそういったう噂が囁かれるようになったのだ。しかしマーヤも、れっきとしたとした一組の学生だ。魔法の能力は高かった。現にディアナのサポートがあったとはいえ、討伐訓練では自力で魔獣を討伐できているのだ。
彼女に自信が芽生えたら、一組でもトップクラスの成績を修めるのではないかとアルマは見ていた。
「で、出たぞ!」
「うわっ、来るな!」
魔獣が森に放たれてから一時間。
一部で魔獣と遭遇するパーティが表れていた。訓練場と違って、大量の障害物が視線を遮る森の中だ。
訓練で討伐に慣れている学生たちも、勝手が違う森の中では思うように討伐することができない。
「うわぁっ!!」
いくら牙を抜かれて無力化されているとはいえ、小型犬サイズの魔獣に噛みつかれると簡単に骨折くらいはする。
「大丈夫か?」
「腕が、腕が……」
肘が反対方向に曲がった男子学生が、藁にも縋るように仲間に助けを求める。
しかしそれを見た仲間の顔はみるみる蒼白になり、誰も適切な対処ができず固まってしまい何もできない。
全員が足を止めてしまったところを、魔獣に襲い掛かられてはたまらない。
「うわぁ助けて!」
蜘蛛の子を散らしたように、散り散りに逃げ出してしまった。
「くっ、発光信号!」
結局いち早く冷静さを取り戻したのは、真っ先に魔獣に襲われた学生だった。発光信号が、赤い尾を引きながら上空へと打ち上がっていく。
彼は骨折した腕をかばいながら何とか杖を拾い上げると悔しそうな顔を浮かべ、発光信号を打ち上げてリタイアを宣言したのだった。
第一キャンプと第二キャンプの中間地点、ランダムに選ばれた箇所からも五匹の魔獣が放たれていた。
それらは檻から出ると何かに憑りつかれたかのように飛び出していった。魔獣は目に入った動物に、手あたり次第襲いかかっていく。
狙われた動物の中に、偶然にも一頭の飢えたオオカミがいた。
彼は長く群れのリーダーとしてこの森の生態系の頂点に君臨していたが、年老いて力が衰えるとともに群れを追われてしまった。
彼は、ここ何日も水以外を口にしていなかった。
群れからはぐれた一頭で狩りができるほど、森の獲物は甘くなかったからだ。
平時であればこのオオカミは、このままやせ衰え土へと還っていたに違いない。
そんな彼の目の前に、魔獣化したネズミが現れた。
――グルル……
かつてこの森の支配者であった彼も、衰えた今の力では魔獣には敵わない。
威嚇してみたものの、魔獣の威圧感はすさまじく、すぐに勝てないと悟ると尻尾を下げ、腰も引けてしまっていた。逃げ出さなかったのは、長年食物連鎖の頂点に立っていた矜持によるものだろうか。
ネズミはそのオオカミの姿を見て、口角を上げて嗤ったように見えた。
オオカミはジリジリ後ずさりしながらも、なお逃げ出さず牙をむく。
――キシャァァ!!
ついにネズミが襲い掛かった。
地を舐めるように低い体勢でオオカミに迫る。
オオカミは振り払おうと前足を振り上げる。だが、スピードもパワーもネズミの方が上だ。素早くオオカミの攻撃を躱すと、やせ細りあばらの浮き出た脇腹に噛みついた。
――キャンッ!
牙を抜かれているとはいえ、ネズミにとって今のオオカミは敵ではなかった。体格の違いから致命傷を与えることはできなかったが、簡単に肋骨を数本へし折っていた。内臓も一部傷ついたのだろう。オオカミの口から赤い唾液が滴っていた。
ネズミは、まるで遊んでいるかのようにオオカミを翻弄し、一方的に痛めつけていく。
やがて傷だらけとなったオオカミは、蹲ったまま動かなくなった。
ネズミが警戒しながらゆっくりと近づいていく。
オオカミは息絶えてはいなかったが、浅い呼吸を繰り返し虚ろな目で虚空を見つめているだけだった。
――キキッ!
もはや動くことすらできないオオカミに、勝利を確信したかのように軽やかな鳴き声を上げる。
しかし次の瞬間、オオカミが動いた。
鋭い牙の一撃に、ネズミは何が起こったのか認識する暇もなかったろう。
ネズミの首は半ばから切断され、その傷口から勢いよく血が吹き出し、双方の身体を真っ赤に染めていく。
力の差を感じ取った老練なオオカミは、最後の一撃にすべてを賭けていたのだ。
群れを出てから久しく感じていなかった高揚感を久しぶりに感じていた。
オオカミは朦朧とする意識の中、空腹を満たすためにネズミを貪るように喰った。
喰えば喰うほど、力が湧き上がってくるような感じがした。気が付けば、オオカミの全身が赤黒く変色し、肉体が一回りも二回りも大きくなっていた。
傷だらけだった身体も、いつの間にか盛り上がってきた肉が塞いでいた。
激しい攻撃衝動が湧き上がり、残ったネズミの亡骸を前足で踏みつぶす。
グシャとつぶれる感覚が、ゾクゾクするほどの快感を伴って全身を駆け巡っていく。
――ヴオォォォォォォン!!
衝動のまま遠吠えをする。
それは頂点に君臨していた頃以上の力強さで、森の隅々に響いていった。
年老いたオオカミは、魔獣へと変貌していた。




