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鬼ごっこしよう

元来、ネズミなど小型の動物に比べて、中、大型の動物は魔獣になりにくいとされる。

原因と考えられることは諸説あるが、小型の動物は体内に内包できる魔力量が少ないため、それが飽和しやすいため暴走して魔獣となるというものだ。しかし単純に身体の大きさが原因ならば、同じ環境に育った中でも魔獣化したりしなかったりすることが説明できない。

また人の場合、個人間で明らかな魔力量の差があった。これは体格差は関係なく、わかりやすい例えでいえば、身体の小さなディアナが普通では考えられないほどの魔力量を持っていたりする。身体の大きさの違いだけが原因なら、ディアナはとっくの昔に魔獣化していてもおかしくないはずである。

しかし小型の動物に過剰に魔力を与えれば魔獣化しやすいのは事実であり、最近では身体のどこかに魔力貯蔵器官のようなものがあって、その器官が過剰な魔力によって壊れることで魔獣化が起こるのではないかというのが有力な説となっていた。


「オオカミの魔獣だと!?」


キャンプ地で警備に当たっていた兵は、突然現れたオオカミの巨体に息を飲んでいた。

残っている記録を紐解いても、ほとんど記録に残っていないオオカミの魔獣化。

その数少ない記録では、師団単位で犠牲者が出たとの記述もあり、文句なしで災害レベルの魔獣だ。

この森においてオオカミは、食物連鎖の頂点に位置している。

警戒心が強いオオカミは、普段めったに人を襲うことはないが、魔獣化すれば別である。ネズミでさえ、手が付けられなくなるほどの凶暴性を見せるのだ。これがオオカミだとどうなるのか。


「手の空いている者は子供達を避難させろ!」


恐怖におののきながらも、学生達を何とか逃がさなければと、近くの兵に指示を出す。

しかしかつて師団を壊滅させたといわれる魔獣を相手に、どう対処できるというのか。学生を除けばこの場には、警備を担当する兵は八十名しかいないのだ。しかもまだ経験の浅い新兵がほとんどのため、討伐の役にはたたないだろう。

しかもこの第二キャンプは、森のほぼ中央に位置していた。ここから一番近い駐屯地は訓練場だが、そこまで伝令を走らせても丸一日はかかる。そこから討伐の準備を整えたとして、救援が到着するまでいったいどれだけ待てばいいのか。

絶望的な考えが頭を過ぎり、兵はそれを振り払うように声を張り上げた。


「いいか、ほんの少しでいい。子供達が逃げる時間を稼ぐぞ!」


わずかな兵力と貧弱な装備で、オオカミを取り囲む。

身体強化魔法に長けた兵を前面に出して、少しでも学生達が逃げる時間を作ろうとする。

だが魔獣は彼らを嘲笑うかのように、軽やかに彼らの頭上を飛び越えていった。


「くそっ! 学生から襲うつもりか!?」


兵は慌てて後を追うが、身体強化を使っても魔獣の方が早く全く追いつくことができない。

絶望感に包まれる中、それでも彼らは必死に後を追っていくのだった。




その雄叫びが響き渡ったとき、モニカは一人で野営地に戻るところだった。


「何!?」


皆が野営をしている場所からやや離れた所にトイレが設置されていた。

トイレといっても、掘った穴の周りを簡単に木の小屋で囲っているだけの簡易的なものだ。

用が済めば土魔法で深く埋めたり、火魔法で焼却したりする。もちろん水魔法で清潔にすることは当然だ。

ただ離れた場所にあるため男子は森に行く方が早く、そこで用を足す者の方が圧倒的に多く、女子から不公平だと批判の声が上がっていた。

モニカは立ち止まって辺りを見渡した。

何やら第二キャンプで騒ぎが起こっているようで、いろいろな所から喧噪が聞こえていた。


「何だろう?」


野営地へ戻りながらそんなことを考えたときだ。

突然目の前を黒い影が覆った。


「えっ!?」


何気なく見上げ、その正体に気付いた瞬間、思わず尻餅をついていた。

目の前に見上げるほどの巨体が、モニカを見下ろしていた。

魔獣特有の赤黒い体毛が全身を覆い、人など簡単に串刺しにできそうな牙が並んだ口から、涎がしたたり落ちている。その足もとに並んだ爪も凶悪な鈍い光を放っていた。


「ひっ……」


赤く血走った目に射貫かれて、モニカはガタガタと震えるだけだった。

魔獣はゆっくりと近づくが、モニカが動くことができないとわかると、鼻先を近づけてくる。


「あっ、あ……」


黒く大きな顔が近づき、恐怖に目を見開くモニカ。

魔獣はそのまま鼻先を押し当てるようにして、モニカを突き飛ばした。


「きゃあぁぁぁ!!!」


モニカはようやく我に返った。

弾かれたように起き上がると、そのまま背中を向けて逃げ出した。それに満足そうな様子を見せた魔獣は、悠然とモニカを追っていく。時折、前足を使ってわざとモニカを転ばせるなど、明らかに遊ぶ様子を見せながら、モニカが動けなくなるのを待っていた。


「だ、誰か助けて!」


モニカは涙を浮かべながら必死で逃げ惑う。

警備兵が彼女を助けようと注意を向けようとしているが、まったく効果がない。それどころかギロッと睨むだけで、兵は蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。

モニカは身体強化をすることも忘れ、デタラメに走って逃げる。

だが魔獣は散歩するかのように、軽やかな足取りで彼女から離れなかった。


「わっ!?」


すぐ傍に巨木のような魔獣の足が振り下ろされ、その衝撃でモニカが転倒した。

こうやって転ばされたのは、もう何度目となるかわからない。

見上げればすぐ目の前に巨大な顔があった。生臭い息が顔に掛かり、粘ついた涎がモニカの手足を濡らす。


「えいっ!」


無造作に火魔法を放つが、苦し紛れに放たれた魔法では、硬い毛を少し焦がす程度だ。

ただ効かなかったとはいえ、獲物からの思いがけない反撃に苛立った魔獣は、鼻先でモニカを跳ね上げた。


「きゃっ!」


短い悲鳴を上げ、空中へと放り出されるモニカ。

放物線の落下点では、回り込んだ魔獣がすでに口を開けて待っていた。

その口には大きな牙がノコギリの歯のように並んでいる。


『わたし死んじゃうんだ』


そう考えたモニカは目を固く閉じた。

魔獣がモニカに噛みつこうとした寸前、飛び出した影がモニカを掻っ攫っていった。


――ガキッ!


空を噛んだ魔獣は、一瞬何が起こったのか理解できない。

突然消えた獲物に、きょとんとした表情を浮かべて辺りを見渡していた。

一方のモニカも、突然の浮遊感に目を開ける。

ディアナに抱きかかえられていたが、すぐに状況が理解できずに、きょとんとした表情で固まっていた。

ディアナは着地するとモニカを横抱きに抱えたまま魔獣から距離を取り、放り出していた荷物の所へと戻った。

そこですぐに危険が及ばないとわかると、初めてモニカに視線を落とした。


「モニカ大丈夫?」


「ディアナちゃん!」


モニカは自分が助かったことがわかると、ディアナにしがみつき、抑えていた感情が爆発したかのように泣き出した。


「ごわがっだよぉぉぉぉ……」


「ん、よく頑張った」


ディアナは優しく背中をさすりながら、モニカに信じられないことを告げる。


「まだ走れる?」


「え?」


すぐに言葉の意味を理解できないモニカが、大きく目を見開いてディアナを凝視する。

そんな彼女にお構いなしで、ディアナは森を指差した。


「モニカは森に逃げてそのままゴールを目指して。うまくいけば皆と合流できるから」


そう言ってモニカに荷物を渡しながら立ち上がった。

ディアナが睨む視線の先には魔獣がいた。

魔獣もようやくこちらに気付き、獲物を横取りされた怒りにうなり声を上げながら近づいてきていた。


「ディ、ディアナちゃんはどうするの!?」


状況はまだ完全に理解できなかったものの、荷物を受け取ったモニカも立ち上がる。

だが、魔獣の姿を見ると先ほどの恐怖が蘇ったのか、ディアナの背中に隠れてしまった。


「あたしが囮になる」


「そんな!? ダメだよ危ないよ!」


「大丈夫、逃げる時間を稼ぐだけ。さすがにあたしもアレを倒そうなんて思えない」


「ホント?」


「ん」


ディアナは魔獣からモニカに視線を戻すと、安心させるようにひとつ頷いてみせた。

モニカが見る限り、彼女の表情は死を覚悟したような悲壮感を漂わせたものではなく、何を考えているのかよくわからないいつもと同じ表情に思えた。


「……わかった。必ず追いついてきてね」


「任せて」


そう言うと二人は、杖を手に魔獣と対峙する。

オオカミは元々は犬とそれほど変わらない大きさのはずが、今は馬をはるかに超える異常な大きさとなっていた。剥き出しの牙も太く、長さも大人と変わらないくらいになっていた。


『シカより小さいはずなのに、何でこんなに大きくなったんだろう?』


緊張感が高まっていく中、なぜかそんなことを考えたディアナは、軽く首を振って集中力を高めていく。

周りには兵がまばらにいるだけで学生達の姿は見えなかった。今頃はクラリッサがうまく誘導して、脱出させていることだろう。

警備の兵が魔獣に立ち向かっていくが、ディアナの目から見ても身体強化魔法の精度は、学生達よりも甘く兵としての練度も全然足りていないように見えた。何よりここにいる百名足らずの兵力で、この魔獣をどうにかできるとはとても思えなかった。


「ディアナちゃん、くく来るよ!」


モニカがしがみつきながら前方を指差す。

立ち向かう兵達を、鬱陶しそうに蹴散らした魔獣が、狙いを定めるように二人を見据えていた。


「落ち着いて、ゆっくり深呼吸して」


ディアナは平静を心がけて、モニカを落ち着かせるように深呼吸をさせる。

彼女が落ち着くのを待って静かに指示を出す。


「あたしが合図したら、身体強化を使って森へ走って」


「あれ、わたしさっき身体強化を使うの忘れてた……」


モニカは逃げるのに必死で、ディアナの指摘で初めて魔法が使えていなかったことに気がついた。


「ん、モニカならできるから。森でしばらく休んだら南へ向かって」


「わかったわ。ディアナちゃんも無理しないでね」


「ん」


二人は並んで杖を構えた。

魔獣はゆっくりと二人に向かってきていた。

緊迫感が高まっている中、モニカは自分自身を落ち着かせるように、もう一度深く息を吸い込んだ。

ディアナが魔力を杖に集めていく。


「行って!」


短く叫ぶとディアナは火魔法を魔獣に打ち込んだ。

その声と同時にモニカも走り始める。

先ほどまでとは違って、今度は身体強化魔法で脚力を強化している。

しかし魔獣は魔法を軽やかに躱すと、ディアナを無視しモニカに向かって走り始めた。


「行かせない」


ディアナは魔獣の進路に向けて、魔法で石礫を放って牽制する。

魔獣はたまらず、蹈鞴を踏んで飛び退いた。

モニカはその間に無事に森の中へと飛び込んでいった。


――グルルル……


狩りの邪魔をされた魔獣は、威嚇の低いうなり声を上げてディアナに対峙した。

魔獣のヘイトを自分に向けさせることに成功したディアナは、より緊張感を高めた表情で笑いかけた。


「さあ、鬼ごっこしよう」

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