邪道それとも正道?
「ええい、ちょこまかと逃げ回りやがって!」
苛々したギルベルトの怒声が響く。
模擬戦が始まって十分ほど。
その間、ディアナは何度もギルベルトに追い詰められるが、そのたびに水や火の生活魔法を駆使してかわし続けていた。
魔力消費量の多い全身を身体強化しながらだが、ギルベルトの動きはまったくと言っていいほど衰えることはなく息も切れていなかった。
一方のディアナもギルベルトの動きに慣れてきたのか、魔法を叩き込む回数は増えていたが、如何せん生活魔法ではギルベルトにダメージを与えることができていなかった。
「ディアナちゃんは、相変わらず変態的な凄さだけど、ギルベルト先生も凄いわね」
「全身に身体強化しながら長時間戦えるんですもの。わたくし達魔法士以上の魔力を持っているかも知れませんわね」
開始直後はうろたえていたアルマも、今は落ち着いたようだ。
ディアナへの妙な評価はともかく、冷静にギルベルトの実力を認めていた。
身体強化魔法で全身を強化する方法は、普通の兵士であれば十分継続できれば上出来と言われるほど魔力消費量の激しいものだ。
それを十分以上にわたって使い続けられるギルベルトは、やはり兵士としてはかなり優秀なのだろう。
「いずれにせよギルベルト先生の魔力が尽きるまで、ディアナさんが逃げ切れれば勝ち。捕まれば負けではないかしら?」
「そうねぇ、先生の魔力がどれだけあるかわからないけど、ディアナちゃんの魔力の多さに驚いているんじゃないかな」
「長引けば長引くほどディアナちゃんの変態さが発揮されるわね」
「アルマさんて意外と口が悪いですわね」
「あら心外だわ。最初にディアナちゃんのこと変態と言い出したのは、クレアちゃんじゃない!」
「あら、そうだったかしら?」
二人が静かに笑い合っている中、渦中のディアナは実はそれどころではなかった。
なんとか渡り合うことができているものの、対峙するギルベルトからのプレッシャーは半端なく、一瞬でもミスをすればやられてしまうという恐怖があった。
また生活魔法とはいえ、身体強化魔法で魔法に耐えているギルベルトには舌を巻いていた。
『身体強化でこんなこともできるんだ!?』
これが果たして正規の防御方法なのかは、ディアナにはわからなかったが、こちらの魔法が低級に制限されているところを見ると、低級程度なら身体強化で防ぐことができるのかも知れない。低級の魔法までに制限するよう言い出したのはギルベルトだった。そうであれば最初からギルベルトに有利なルールで戦っていることになる。
それはそれで腹立たしいが、よく考えずに許可した彼女にも落ち度があるため文句は言えない。
とりあえずは筋肉馬鹿の暴力的な攻勢をくぐり抜けなければならない。
「わっ!」
考えに気を取られていたため少しディアナの反応が遅れた。
気がつけばギルベルトの拳が目の前に迫っていた。
ディアナは仰け反るようにしながらかわすと、追撃に来た相手の蹴りを利用するように身体を預けて一気に距離を取る。
すぐに追撃に移れないよう、離れ際に火魔法で牽制することも忘れない。
「ええい、ちょこまかと鬱陶しい! だがそんなヘボい魔法で俺を倒すことなどできんぞ!」
「それはあたしを捕まえてから言えばいい」
「猪口才な奴め!」
「その前にその大口に魔法を喰らわないよう気をつけて」
「すぐにその減らず口を聞けなくしてやる!」
そう言うなり再び動き始めるギルベルト。
だが先ほどまでの直線的な動きではなく、ジグザクと変則的な機動を見せながらディアナへと迫る。
しかしディアナに焦る様子はない。
冷静に視力を強化してギルベルトの動きを把握すると、攻撃をかわしざまに魔法を叩き込んで距離を取る。おなじみとなった光景が繰り返されるだけだった。
「畜生! なんだお前は!?」
悔しそうに顔を歪ませてギルベルトが叫んだ。
お互いに決め手に欠けるものの、今や形勢は大きくディアナに傾いていた。
どちらも激しく肩で息をしているが、ギルベルトの方がより疲弊しているように見える。
このままでは勝てないと悟ったギルベルトは、最後の勝負に出る決意を固めた。
出し惜しみせずに魔力を全身に巡らせると、弓を引き絞るように身体を沈み込ませた。
雰囲気が変わったギルベルトの様子に、ディアナはほんの少しの変化も見逃さないよう視力をより強化する。周りで見る学生達にも緊張が伝わったのか、静かに固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
「ふん!」
短い呼気を発し、ギルベルトの姿が消えた。
「なっ!?」
ディアナは警戒していた上で、なおギルベルトの姿を見失ってしまった。
気付いたときには左側からフックが飛んできていた。
しかしディアナは冷静に、その拳に火魔法をカウンターで合わせ、その勢いを利用して離脱しようとした。だが火魔法を放った瞬間、またもやギルベルトの姿が消え、生み出した炎が所在なげに空中に漂う。
「っ!?」
その瞬間、背筋をゾクッとするなんともいえない感覚が駆け抜け、ディアナは考えるより先に身体をしゃがませていた。
その直後、頭上をギルベルトの回し蹴りが「ゴウ」という恐ろしい擦過音を残して通過していった。わずかに触れたディアナの頭髪が舞う。
「これも躱されるか!? だがっ!」
ギルベルトはその勢いのまま身体を回転させると、間髪を入れず下段の回し蹴りにつなげた。
「ちっ!」
ディアナは真上、すなわち空中に逃げるしかなかった。
悔しそうに顔を上げると、至近距離でギルベルトと目が合った。
「これで終わりだ!!」
ギルベルトは勝利を確信したかのようにニヤリと顔を歪ませ、正拳突きを放った。
「きゃぁ!」
「ディアナちゃんっ!?」
周囲から悲鳴が上がる。
誰もがディアナの敗北を確信し、彼女の身を案じていた。
「なにっ!?」
しかし、ギルベルトの拳は空を切っていた。
驚愕に見開いた彼の目の前に、ディアナの変わらぬ姿があった。
「くそっ!」
「遅い!」
慌てて右手を引くギルベルトだったが、ディアナが着地する方が早かった。
「ばいばい先生。風よ!」
ギルベルトの下に潜り込むように踏み込んだディアナは、腹部に両手を押し当てると魔法を発動させた。
「ぐそぉぉぉぉぉつ!」
風魔法、それもただの生活魔法だったが、巨体のギルベルトを持ち上げるだけではなく、そのまま場外まで吹き飛ばすほど魔力が込められていた。
信じられない光景に、訓練場が静まり返った。
「し、勝負あり。勝者ディアナ嬢!」
信じられないものを見たような表情を浮かべたブルーノが、一拍遅れてディアナの勝ち名乗りを上げた。
それでもまだ場内は静まり返ったままだ。
「んもう、ディアナちゃんおめでとう。心配したわよ」
「あのギルベルトによく勝てましたわね」
いち早く衝撃を抜け出したアルマとクラリッサが、ディアナの下に駆けつけ彼女をねぎらう。
その様子を見た他の学生達もようやく動き始め、興奮したように周りと感想を語り合っている。
――バン!
だが大きな音が響き渡り、再び場内が静かになる。
見れば、起き上がったギルベルトが訓練場の床を力任せに叩いていた。
「こんな戦い方は邪道だ!」
明らかに負け惜しみだったが、肩で息をして興奮したように血走った目で周りを睨めつけるギルベルトに誰も何も言えない。
「まだわからない?」
そんな中、ディアナが諭すように口を開く。
「何をっ!?」
ディアナは静かにギルベルトの傍まで行くと、静かに冷たく告げる。
「あたし達は魔法士。あなたと同じように戦うことはできないし、必要ない。
これが魔法士の戦い方」
「くっ、……参りました」
ディアナの言葉に、ギルベルトは苦虫を噛みつぶしたような顔を浮かべ、言葉を絞り出すように負けを認めたのだった。
――ワアァァァァ
「やりましたわね。身体強化を使う兵士に接近戦で勝つなんて信じられませんわ」
「ん。ギリギリだった」
「本当だよ。メチャクチャ心配したんだからね」
クラリッサとアルマが祝福する中、何か言いたげなブルーノが近づいてきた。
気付いたディアナが警戒したような顔を浮かべる。
「ちょっといいか?」
「なに?」
「あの最後のはなんだったんだ?」
「最後の?」
「ギルベルトの正拳をかわした技だ。あれは魔法じゃなかった」
周りにはディアナがかわしたように見えた正拳突きだったが、傍で見ていたブルーノには違って見えていた。
ディアナの顔面に向かって突き出された正拳突きに、ディアナは軽く手を添えただけのように見えた。すると直後その軌道が逸れ、正拳突きは空を切ったのだ。
「ああ、気付いちゃったか……」
「世の中には知らない方がよいこともありますわよ」
アルマとクラリッサが、哀れんだような目をブルーノに向けた。
「クラリッサ様も知っておられるのですか?
アレはなんだったんですか!?」
二人の意味深な発言に、ますます興味を覚えた様子のブルーノは、クラリッサが答えてくれないと見ると、反転してディアナの肩をがっしりと掴んで詰め寄った。
「教えてくれ。できるものならモノにしたい」
その発言に二人はやれやれと首を振るが、ブルーノには見えていない。
「頼む!」
あまりにも真剣な表情にディアナは根負けした。
別に隠してる訳じゃないと前置きした後、彼女は「あれはただ魔力を放出しただけ」と何でもないことのように告げた。
以前、単純に魔力を放出するだけで物理的に干渉できることを発見したディアナは、二人に呆れられる中、地道に練習し続けていたのだ。その結果、三十センチメートル程度の距離でなら、放出した魔力で人を押し出す程度のことはできるようになっていた。
「はぁっ!?」
それを聞いたブルーノの反応は、アルマやクラリッサと同じだった。
人が長い時間をかけて発展させてきた魔法を否定するかのような、ディアナの行為が理解できない。
「なぜそんなことをする必要がある?」
「だって、やってみたらできたから」
ブルーノは思わずクラリッサ達に目をやると、二人は何も言わず静かに首を振っていた。
ブルーノは大きく息を吸った。
そして……
「お前、馬鹿だろう!」
歓喜に沸く訓練場に、彼の呆れた声が響き渡るのだった。