アルホフ・パフェ 対 魔鳥(1)
森にある訓練場だ。
辺りはすでに薄暗く、篝火がいくつか焚かれていたが、光源としては頼りなかった。それでも地上に比べると上空はまだ明るいらしく、魔鳥の姿をはっきりと捉えることができていた。
「近くで見ると大きい!」
「わたくし、鳥の魔獣なんて初めて見ましたわ」
ギャーギャーと鳴きながら上空を旋回している魔鳥に、二人はあらためて感想を口にした。
「心配ない。あたしも初めてだから」
ケロッとした顔で呟いたディアナの言葉を、二人は一瞬理解できなかった。
しばし固まったように動きを止めた二人は目を合わせると、次の瞬間大きく目を見開いてディアナに詰め寄っていた。
「えええっ!?」
「ちょっとディアナさん!?」
思いがけず大声を上げてしまった二人は、慌てて口を押さえて上空を確認するように目をやる。
幸い魔鳥に動きはなく、変わらずに旋回を続けていた。
その様子にホッと安心した二人はふたたびディアナに詰め寄ると、声をひそめながら怒鳴るという器用な技を繰り出した。
「自信満々に言うから、てっきり討伐したことあるんだって思ってたよ!」
「それならそうと言ってくださらない? ちょっと心臓に悪いですわ!」
二人に対して軽く謝ったディアナだったが、悪びれた様子はない。
「あの中でまともに魔獣と戦えるのはあたし達だけ。あの場でああでも言わないともっと混乱していた」
「確かにそうだけど……」
「皆真っ青な顔してましたから、パニックになっていたかも知れませんわね」
何も考えていないようでいて、どうやらクラリッサやアルマの行動も含め、計算ずくの行動だったようだ。確かにあの場で三人が立ち上がらなければ、学生達は我先にと逃げ出していたかも知れない。
二人はディアナを見直したが、次のひとことがそれを台無しにしてしまう。
「お陰で大盛り料理ゲットできた」
嬉しそうにそう語るディアナに、揃って盛大な溜息を吐く。ニコニコした様子から、もしかすれば本来の目的はそれだったのではと勘ぐってしまいそうになる。だがいつもと変わらないディアナのお陰で、二人の緊張感はすっかりと薄れたようだ。
「とにかく、わたし達がやるしかないって訳ね?」
「それで、勝算はあるのかしら?」
「ん、とりあえず時間稼ぎ」
動きも速さもまったく未知となる、空飛ぶ魔獣が相手だ。
下手に手出しして痛い目に遭うよりは、警戒するに越したことはないに違いない。
「普通に考えても、それしかなさそうね」
「では怪我しないことを最優先でいきますわよ」
方針が固まった三人は、訓練場の中央に立って上空を睨んだ。
「お前達、何をしているんだ! 早く逃げなさい!」
三人に気付いた兵士が、慌てた様子で身振りを交えて逃げるように叫ぶ。
だが大きな身振りに反応した魔鳥が、兵士に向かって急降下を開始した。
「危ない逃げて!」
「うわぁっ!!!」
アルマが叫ぶが、兵士が魔鳥に気付いたときには、すでに眼前に迫っていた。
恐怖に固まってしまった兵士の目の前に魔鳥が迫る。
「水の散弾!」
ディアナが攻撃魔法を放って牽制すると、魔鳥は身をよじるようにしてそれを避けて上昇に転じた。
「気をつけなさい!」
「は、はいっ」
かろうじて助かった兵士は、クラリッサの言葉に思わず直立不動で返事を返してしまった。
「本隊が戻ってくるまで、魔獣はわたし達が引きつけます!」
「あなた達は学生達の避難を最優先。それとできるだけ多くの明かりを確保してくださいませ!」
「は、はいっ!」
兵士はそう言って駆けだしていった。
対峙してる間にも刻一刻と夕闇が迫ってきている。
訓練場付近はすでに夜のような暗さとなっていた。明かりの残る上空はまだ魔鳥の姿が見えるものの、すでに黒いシルエットに近くなってきている。このまま時間が経てば魔獣の姿を闇が覆い隠してしまうだろう。
「照明弾」
三人は魔鳥の様子を見ながら、照明の魔法を撃ち上げて明かりを確保しようとする。
魔法は魔鳥の姿を映し出すが、それも長くは続かない。
それほど持続時間が長くはない魔法ということもあるが、一番の問題は照射範囲が狭いことだ。
空全体を照らすにはどうしても光源が足りず、明暗のムラができてしまうせいで魔鳥の姿を逆に見えにくくしてしまっていた。
「ダメ、明かりが足りないよ」
「来ますわよっ!」
――ギヤャャャァァァァ
魔鳥が大きく口を広げて三人に迫ってきていた。
大きな鳴き声に、一瞬身を竦ませてしまう。だが、それ以上に脅威なのは、その速度だった。
魔獣化による質量が増加した影響か、羽根を折りたたんでダイブしてくる速度は異常というより他はない。
しかも地面への衝突するような勢いのまま突っ込んできたかと思うと、衝突寸前に翼を広げて回避すると、地表すれすれを降下の速度そのままの勢いで突進してくる。
翼を広げた全幅はおよそ五メートルくらいあるだろうか。そのため三人は、魔獣の突進を大きく避けなければならなかった。
「風の盾!」
三人は風魔法で盾を作りつつ、身体強化魔法も駆使してなんとか回避することに成功する。
――グワァッ
魔鳥は口惜しげにひとつ鳴き声を上げると、その勢いを殺すことなくそのまま上昇へと転じていく。
「ちょっとちょっと、何なのよあれは!?」
「とんでもない速さですわよ!」
「ん。想像以上」
何とか躱すことができたものの、その突進速度に三人とも揃って青ざめていた。
今の邂逅だけで、時間稼ぎをしようとしたことを後悔するには十分だった。背中を冷たい汗が伝うのを感じながら、三人は上空を睨んだ。
魔鳥は三人を獲物と認識したのか、上空をゆっくりと旋回している。
もくろみ通りに魔鳥の足止めには成功したものの、本隊の到着が遅れれば彼女らの努力は無駄となりかねない。
それに加えて夜が近づいている。
訓練場には周囲に篝火が焚かれているが、上空は時折上がる照明魔法の頼りない明かりしかなく、圧倒的に光量不足だ。このまま魔鳥の姿を見失ってしまうと、気付いたときには目の前にいたという事態になりかねない。
「来るよっ!」
対処方法がまとまらない中、アルマの悲鳴のような叫びが、現実に引き戻した。
ディアナが見上げると、照明の届かない位置に入ったのか、魔鳥の姿が一瞬見えなくなった。
「……!?」
しかしわずか一瞬だったため、その直後の攻撃はなんとか回避することができた。
「一瞬魔鳥の姿が消えたわよね?」
「せめてこちらも攻撃しなければ。このままではジリ貧になりますわよ」
「あんなに速いんだよ。どうやって当てるの!?」
アルマとクラリッサも必死に対処してくれているが、それもいつまで続くのか。
まだまだ元気そうな二人だが、身体強化魔法をこれほど連続で使用したことはないはずだ。今は緊張感が疲労を上回っているが、いつ動けなくなるかはディアナにはわからなかった。
「……火よ」
「ちょっとディアナさん(ちゃん)!?」
ディアナは数歩前に出ると、驚いて声をかける二人を無視するように両手に炎を出現させた。
「あたしが囮になる。二人は避けることだけに専念して」
「ダメよ、ディアナちゃん!」
「ディアナさん、あなたまた!」
クラリッサがそう言った直後、魔鳥が三度目の降下を開始。
魔鳥は前回までと同様、地表すれすれまで降下し、その勢いのままディアナに真っ直ぐ突っ込んでくる。
ディアナはギリギリまで引きつけると、火魔法をその場に残すとジャンプして突進を躱した。
――グワァァァ
丸呑みにしようと口を開けていたため火魔法をまともにくわえ込むことになったが、どうやら生活魔法では火力が低すぎたらしく、魔鳥は何事もなかったかのように三度上昇していった。
「なんでそんなこと言うの!?」
「またあなた一人で抱え込む気ですわね?」
魔鳥がすぐに戻ってこないことを確認すると、二人はディアナに詰め寄った。
「でもこのままじゃ、二人は動けなくなっちゃう。あたしは二人を失いたくない」
そう言って俯いたディアナのおでこを、クラリッサが軽く弾く。
「痛っ!?」
「あなたの悪い癖ですわ。もう少しわたくし達を信じてくれませんこと」
「クレアちゃんの言う通りよ。確かにディアナちゃんには敵わないけれど全部自分で解決しようとしなくてもいいの」
「クレア、アルマ……」
呆然とした顔でディアナが二人を交互に見る。
ディアナは大事な二人に傷ついて欲しくなくて、一人でなんとかしようとしただけだ。しかしその行動は、その二人を信用できていないということに等しい。結果的にそれが二人を傷付けることになるという考えには及ばなかった。
「ちょっとくらいなら、無茶振りしてくれても大丈夫だから」
「頼りないかも知れませんが、あなたをしっかりフォローして差し上げますわ」
ショックを受けるディアナを、元気づけるように二人は続ける。
「わたし達を鍛えたのは誰?」
「アルマ……」
「ディアナさんでしょう?」
「クレア……」
はじめは興味本位だったかも知れないが、クラリッサは魔力循環をマスターし、今や身体強化魔法まで使えるようになった。アルマは魔力循環だけは一切やろうとしなかったが、今ではクラリッサと一緒に身体強化魔法の練習を続けている。
「ディアナちゃんは、わたしたちが簡単に動けなくなるような、中途半端な鍛え方をわたし達にしたの?」
「……」
ディアナは静かに首を振る。
この二人を鍛えたのは紛れもなくディアナだ。二人が悲鳴を上げるような練習でも、歯を食いしばって必死で食らいついてくるのを一番近くで見ていた。
彼女達なら多少の無茶振りでも、文句を言いながらでも必ず期待に応えようとしてくれることを、何よりディアナ自身が知っていた。
「わたくし達に気を遣うディアナさんなんて似合いません。あなたは今まで通り思うように動けばいいのですわ!」
「そうだよ。間違えたときはまた叱ってあげるから。今はディアナちゃんの言うとおりに動いてみせるわ!」
顔を上げたディアナに、二人は笑顔を見せる。
それは彼女に元気をくれる、いつもの笑顔だった。




