わがままなディアナ
「はぁはぁ……、参った」
「しっ!」
悔しそうに顔をしかめながら、ディアナが言葉を絞り出すと、対戦相手のブルーノが嬉しそうに小さく拳を握った。
応用学年になって模擬戦の授業が増えていた。
身体強化魔法を使えば他を圧倒するディアナだったが、クラリッサとアルマを除いて、他に身体強化魔法を使える者はブルーノとエルマーしかおらず、しかもその二人はまだまだ初歩の段階だった。
そのためほとんどの授業で身体強化魔法の使用は禁止となっていて、ディアナといえども模擬戦では苦戦していた。
その模擬戦での成績は、ブルーノが抜きん出ていた。
停学から復帰した彼は、主席の実力を遺憾なく発揮し、ほどなく模擬戦でトップの座に返り咲いたのだ。
ブルーノに次いで実力二位のグループを形成しているのが、ディアナ、クラリッサ、アルマに加えてエルマーらが順当に名を連ねている。
ちなみに身体強化が解禁となれば、ディアナがトップに立ち、次いでクラリッサ、アルマの順となり、ブルーノはアルマにも敵わず四番手をエルマーと争うこととなる。
「ディアナちゃん惜しかったね」
「そうですわね。あのブルーノと拮抗した模擬戦ができるのですもの。ディアナさんもずいぶん成長していますわ」
「そうよ、このままいけば前期の終わりから後期のはじめにはブルーノに勝てるんじゃない?」
「そうですわね」
二人が指摘したように、通常の魔法のみではブルーノに軍配が上がった。
彼の強みは、なんと言っても魔法の発動速度にある。
模擬戦になると、ブルーノは他を圧倒する手数の多さとその発動速度で、相手を防戦一方へと追い込んでいき、物量で強引に押し切る戦いを得意としていた。
そのブルーノに対して、ディアナは防戦しながらも時折攻撃に転じるなど、ある程度拮抗した戦いをするまでになっていた。だが慰めるアルマとクラリッサの言葉にも、ディアナは悔しそうに唇を噛んだままうつむいたままだ。
「……これで三連敗」
「確かにそうだけど、これまでより一番可能性があったじゃない!」
「そうですわ。この分ですとアルマさんがいうように夏までにブルーノに勝てるようになりますわ」
ブルーノの停学期間が終わり、学校生活は一見すると平穏を取り戻したかのように見えた。しかし、彼とディアナの間には、深い溝が横たわったままだった。停学が明けて以来、二人の間には謝罪の言葉はおろか、日常的な会話すら一切交わされることはなかったのだ
もちろん、ブルーノからの謝罪が全くなかったわけではない。正確に言えば、謝罪は行われた。ただし、その対象はディアナ個人ではなく、学校側に対してだった。
二人が停学処分を受けた翌日、ブルーノの父親が、ブルーノを伴って学校を訪れ、教室を破壊したことに対する謝罪を行っていた。その席で、ブルーノがディアナを侮辱したことについても頭を下げた、とディアナたちは伝え聞いていた。だが、それはあくまで人づてに聞いた話であり、本当にブルーノが心から反省しているのかどうか、ディアナには確かめる術がなかった。
ディアナとブルーノは実力も近いため、授業でレベル別に班分けが行われると、自然と一緒の班になることが多かった。しかし、お互いに無視したような状態が続いていて、普段から挨拶すら交わすこともなかった。授業でも同様で、模擬戦以外では二人とも目も合わせないほどの徹底ぶりで、クラリッサらを呆れさせていたのだ。
「……」
ディアナは、慰める二人の声が聞こえていないかのように、黙ったままうつむいていた。
「もうディアナちゃん、いい加減に切り替えなさいよ! ブルーノはずっと首席取ってたんだから強いのは当たり前でしょ。そのブルーノとまともに戦えるディアナちゃんだって凄いんだから。二人の仲が悪いのはもう仕方ないとしても、せめて我慢して表面上だけでもブルーノと話すくらいいいじゃない!」
「そうですわね。あなた達二人がいがみ合うせいで先生も困ってらっしゃいますし、こちらもいつまでも気を遣うのもなんだか馬鹿らしくなってきましたわね。いっそディアナさんは、ブルーノとの二人組にしてもらいまいましょうか?」
「それは困る」
「それはいいんじゃない? クレアちゃん生徒会長なんだから、学校に掛け合えばすぐにでもできるよね?」
いつまでも拗ねるディアナを見かね、アルマとクラリッサが揃って口を尖らせた。
二人が笑顔を浮かべていることから、冗談半分であるのは明らかだったが、ディアナの狼狽ぶりを見ると効果覿面だったらしい。
「ゴ、ゴメン! 会話するよう努力するからそれだけはやめて」
ディアナはすぐに二人に縋り付くようにして謝ってきた。
それでも素直に喋るとは言わないあたり、ディアナも頑固である。
「それではこうしましょう。今度身体強化のプレ授業があるでしょう? そこでディアナさんが、ちゃんとブルーノに教えることができたなら許しますわ」
クラリッサは仁王立ちしながら腕を組むと威厳たっぷりの声でそう宣言した。
プレ授業とは、翌年から本格的に始まる予定の身体強化魔法を、いち早く体験するための授業だ。ただし、正式な講師は現在探してる最中で、今期は前期と後期に一回ずつの授業が予定されている。それを身体強化魔法を使えるディアナら三名が、臨時の講師として教えることになっていたのだ。
「たった二回でできるようになるわけがない」
「そうよね。わたしだって最近になって、やっと思い通りに動けるようになってきたくらいだもの」
「ではこうしましょう。わたくしとアルマさんが他の生徒の面倒をみますわ。ですからディアナさんは、ブルーノとマンツーマンで授業をおこないなさい。最後にブルーノから感謝の言葉を引き出せたら合格としましょう」
「ええぇ、……それって絶対やらなきゃ駄目?」
「そんなかわいく上目遣いしても駄目ですわ。ディアナさんはそうでもしないと、ブルーノに近づくこともしないではありませんか」
「流石クレアちゃん。ディアナちゃんのことよくわかってるね」
「お二人とはもう一年以上の付き合いになりますもの。これでも辺境伯家の一人として観察眼は磨いてきたつもりですわ」
驚くアルマにどこか自慢げなクラリッサが笑顔で答える。
辺境伯として中央から離れた地を預かる以上、領地を安定して経営することは必須な能力だ。領地経営のためには人を見抜く目を養ない適材適所に人を配置することが重要だ。ビンデバルト家では代々その能力を磨くことで、長い間王国からビンデバルト領を預かってきた家系だ。
クラリッサは辺境伯家から嫁いでいく身ではあったが、幼い頃よりそれを口を酸っぱくして言われ続けていた。そのため人を見る目には自信を持っていて、付き合う人間を選ぶ際にはその能力を遺憾なく発揮してきたのだった。
「クレアちゃんのお眼鏡にかなったようで光栄ですわ」
「うふふ、こちらこそ仲良くしていただいて感謝しておりますわ」
アルマが戯けてカーテシーを決め、笑顔を浮かべたクラリッサも優雅に返事を返した。
そして黙ったままのディアナに向き直る。
「さてディアナさん、どうしますか? あなたの友人としては、ディアナさんの気持ちを優先させてあげたくはあります。ですが、魔法学校の生徒会長としては、あなた達二人が協力し合えばより大きく成長できるのではないかと考えています。どうしてもやりたくないと言うなら無理強いするつもりはありません。あなたの判断に任せます」
「ディアナちゃん」
二人がジッと見つめる中、うつむいていたディアナは顔を上げ、ぼそりと絞り出すように言葉を発した。
「……わかった……やる」
「嫌なら無理にやらなくてもよろしくてよ」
嫌々な様子を隠そうともしないディアナに、クラリッサは意地悪そうな笑みを浮かべる。
するとディアナは慌てた様子でクラリッサに懇願するように縋り付いた。
「ち、ちゃんとやるから!」
「よろしい。それではブルーノのことはディアナさんに任せますね」
クラリッサはそう言ってディアナをやさしく抱きしめた。
それを見たアルマも二人まとめて抱きしめる。
「辛いことを頼んでごめんなさい。でもこれから先ずっと嫌なことから逃げ続ける訳にはいかないでしょう? どこかでやせ我慢してでも、踏みとどまらないといけない時もきっと出てくるはずです。その時の練習だと思って気楽にやりなさい。ディアナさんならブルーノともうまくやれますわ」
「ディアナちゃんは誰よりも頑張り屋さんで、誰よりも強いんだからきっと大丈夫よ。もし失敗しちゃってもわたし達が傍にいるからね」
その言葉は、頑なでわがままなディアナの心に、温かい光を灯した。
年上のアルマとクラリッサは、まるで本当の妹のようにディアナを可愛がり、ディアナもいつしかその甘さにどっぷりと浸かっていた。しかし上級生となり、誰もが憧れる上級魔法学校への進学を強く希望していた。このまま順調にいけば、その願いは叶うことだろう。そうなれば、今まで彼女の味方をしてくれていた二人とは、別の道を歩むことになる。
いつまでも二人に甘え続けることはできない。その事実は、ディアナも薄々感じていた。ただ、二人の傍があまりにも心地よく、彼女は甘え過ぎてしまっていたのだ。それを感じていたからこそ、アルマとクラリッサはディアナを突き放す決意をした。そして、その二人の思いを理解していたからこそ、ディアナもまた、素直にそれを受け入れたのだった。
「ん。二人ともありがと。……頑張ってみる」
アルマとクラリッサの優しい腕に包み込まれるように抱きしめられたディアナは、その温もりの中で、新たな決意を固めるのだった。
2025/9/21 加筆・修正しました。




