レーゲン・ゼーゲン
「やっぱりヘイディに頑張ってもらうしかなさそうだ」
この日、農作業を終え家に帰ってきたアランが、申し訳なさそうな表情を浮かべてそう言った。
例年だととっくに雨季に入ってる時期だった。
以前アランが懸念していた通り、この年は雨季に入っても雨脚が遠く、ようやく降ったと思っても辺りを湿らせる程度しか雨が降らなかった。
そのため、帰る途中に村長のアハトから、正式に依頼されたのだという。
「心配しなくてもわたしは大丈夫よ。
ディアナと一緒に、昔みたいに魔力循環を練習するようになってから、魔力量がまた増えてきてるの。
だから問題ないわ!」
「すまない」
「謝らないでちょうだい。それにこのまま雨が少なければ皆困るもの。
国の魔法師を待ってたら、手遅れになるかも知れないじゃない」
本格的に干ばつになれば、国から魔法師の一団が救済のために各地に派遣される。
だがそれは、国が災害だと認めてからになるため、どうしても初動が遅くなるのだ。
それに王都とは物理的な距離もあって、せっかく魔法師が派遣されてきても、もはや手遅れで焼け石に水程度にしかならないこともあった。
ボンノ村のように、天候魔法が使える魔法士がいる村は非常に珍しく、この付近ではこの村だけだ。
天候を操作する魔法は、国が管理している魔法師の仕事であり、天候不順などがあれば国から派遣されてくるのを待つのが普通なのだ。そのためヘイディも、村長の許可がなければ勝手に雨を降らせることはできない。
そもそも自然の摂理に干渉するため、天候を操るには膨大な魔力が必要となる。
そのため天候魔法は習得できたとしても、行使できるほどの魔力量を持つ魔法士自体が非常に少なく貴重な存在だった。
「お母さん、また雨ふらしのおしごとするの?」
傍で聞いていたディアナが身を乗り出してくる。
「そうよ、最近あまり雨が降ってないでしょう?
だから少しだけお空の神様に雨を降らせてくださいってお願いするの」
「じゃあディアナもお母さんといっしょにおねがいするぅ!」
「あら、そうねぇ。
……ディアナが一緒にお願いしてくれるなら神様もサービスしてくれるかも知れないわね。
じゃあ明日一緒に行きましょうか?」
少し考える仕草をしたヘイディは、にっこりと笑うとディアナを連れていくことにしたのだった。
「いくー!」
「ヘ、ヘイディ!?」
元気よく返事するディアナだったが、まさかヘイディが許可を出すとは思わなかったアランが、戸惑ったように上擦った声を上げる。
「わたしが傍で見ているから心配しないで。
それにこの子が天候魔法に適正があるかどうかもまだ分からないもの」
「それはそうなんだが」
「ディアナ、お母さんといっしょに雨ふらす!」
すでにやる気になっているディアナが、興奮したように家の中を走り回る。
いつもは注意するヘイディも、今回は黙ったままで注意をしない。
「そうね。一緒に頑張りましょう!」
「おう!」
心配そうなアランをよそに、ヘイディとディアナは手を突き上げて意気込みを見せるのだった。
翌日、ディアナは家族と一緒に村の水源の池に向かっていた。
「おねえちゃんがんばるからね!」
母と一緒に仕事ができるとあって朝からテンションが高く、赤ん坊のペトルにも嬉しそうに意気込みを語っていた。
「大丈夫なのか?」
「心配しなくても大丈夫よ」
ディアナがやる気を見せれば見せるほどアランは心配になっていく。
何度もヘイディに確認するが彼女は心配した様子もなく、娘と一緒に雨を降らせるのが嬉しい様子だ。
昨夜は「適正があるかどうか」と語っていたものの、今の彼女の様子を見ればまったく心配していないように見える。
「わたしだけじゃなく、ディアナもできるようになれば、もっと酷い日照りのときだって国の魔法師に頼らなくたって大丈夫じゃない。
そしたらその分、魔法師を他の土地に回ってもらうことだってできるわ」
「それはそうだろうけど、ディアナはまだ五つだぞ」
「最近のあの子の魔力量見てたら五つだなんてとても思えないわ。
このままだとすぐにわたしの魔力量なんて超えてしまいそう。
それにあの子何も言わないけれど、わたしたちに隠れてずっと魔法の練習してるでしょ?」
「ああ」
ディアナの魔力量がそこまで多いとは考えていないアランには、ヘイディの言うことは半信半疑でしかなかった。だが魔力を暴走させて器物破損の常習犯となっていたディアナは、家の中で魔法の練習をすることは禁止されていた。そのため今では、近くの森の中で隠れてひとりで魔法の練習をしていたのだ。
「きっと魔力が多すぎて、生活魔法みたいな消費の少ない魔法の制御ができないのよ」
ヘイディは娘に魔法を使わせてあげたくて、かつての師などを頼って色々と問い合わせていた。
残念ながらその返事はまだ届いていなかったが、ディアナの魔力量があれば天候魔法なら使えるのではないかと考えたのである。
「とうちゃあく!」
程なくして村の水源地となっている池に着いた。
「やっぱり水量が少ないわね」
枯れているということはないものの、雨季としては平年よりは水量は少ない。
満水からすればおよそ六から七割程度の水量となっていた。
水源にはヘイディの兄であり、村長でもあるアハトを始め、数名の村人が様子を見に来ていた。
「ヘイディ、まだ雨季の最中だ。取り敢えず今日は満水までいらないからな」
「わかっているわ」
通常ならあと一カ月ほど雨季が続く。
不安だからと満水にしてしまうと、万が一雨が降った場合に水害になってしまう。
ヘイディの負担も考慮し、今回の降雨魔法の時間は三十分と決まっていた。
アハトの言葉に頷いた彼女は、杖を持って池の前に立つ。
ディアナも母のお古の杖を構えて、いっぱしの魔法士のような顔で母の傍に並んで立った。
ヘイディのお古とはいえ五歳の少女が持つには、杖は大きくてバランスが悪いが、ディアナの目は真剣そのものだ。
「ディアナ、いくよ」
「うん」
二人は杖をコツンと軽く交差させると、すぐに魔法の詠唱に入った。
「天つ御恵よ」
「あまつめぐみよ」
「生命の源よ」
「いのちのみなもとよ」
ヘイディがゆっくりと詠唱し、続けてディアナがやや舌足らずな言葉で復唱していく。
『ひび割れた大地を癒し、乾ける大地を潤せ』
『生命の芽吹きを促せ』
アラン達が心配そうに見守る中、ゆっくりと詠唱が続いていく。
詠唱が進んでいくにつれて、やがて周囲に変化が表れはじめた。
周囲の気温が下がり始め、夏だというのに風がひんやりと肌寒さを覚えるほどとなってくる。穏やかに吹いていた風も、つむじ風を伴って肌に叩き付けてくるようになってきた。
急に太陽が陰ったと思えば、いつの間にか彼らの頭上にだけ黒雲が浮かんでいた。
そして、二人は魔法発動のトリガーを口にする。
『干天の慈雨』
詠唱の最後の言葉を二人同時に紡ぐと、頭上の黒雲から静かに雨が降り始めた。
しっとりと降り続く雨は、ゆっくりとだが確実に水源の水量を増やしていく。
やがて水量が七割を超えたあたりで、降り始めた時のように静かに雨が止んだ。
空を覆っていた雲もいつの間にか消え、夏の太陽が周囲にくっきりと影を落としはじめた。冷たかった風も、穏やかに頬を撫でていた。
「ふう……」
ヘイディが杖を降ろし、ホッとしたように息を吐いた。
今回は時間が短かったのもあるが、ディアナと二人で降雨魔法を使ったためか、いつもより身体への負担が少ないように感じる。
「ディアナ、大丈夫? 疲れたでしょう?」
ヘイディは隣のディアナに声をかけた。
ディアナは初めて発動させた魔法に、不思議そうに目を白黒させていた。
「お母さん、なんか出たよ。かだらからぎゅーんていっぱいなんかとんでった」
これほど長時間魔法を発動していたのは、ディアナはもちろん初めての経験だ。
彼女は疲れた表情を浮かべていたが、声をかけるとヘイディに飛び付き、興奮したように一生懸命説明し始めた。
「疲れてない、大丈夫?」
「うんだいじょうぶ。いっぱい雨がふってた。お母さんがふらせた雨!」
頭を撫でながらディアナの顔を覗き込むが、興奮しているためかまだまだ元気そうに見える。
「ううん、お母さんとディアナの二人で降らせたんだよ」
ヘイディが、ディアナも一緒に雨を降らせたと説明すると、彼女は目を白黒させた。
「ふたり? ディアナも雨ふらせたの!?」
「そうよ、身体から何かが出て行くのを感じたのでしょう? それが魔法になったのよ」
「あれが、まほう……」
ディアナは初めて感じた魔法発動時の魔力の流れを思い返しているようだった。
「いつものれんしゅうしてるみたいだった」
「身体の中をぐるぐる回すか、外に出すかの違いはあるけど、魔法は魔力が変化したものなの」
「ディアナ、お母さんといっしょにまほうつかった!」
「そうね、すごかったわよ。お母さんびっくりしちゃった」
「えへへへ」
ヘイディがそう言って褒めると、はにかみながらも嬉しそうにディアナは笑顔を浮かべた。
「ディアナ!」
「お父さん、ディアナまほうつかえたの!」
離れた場所で見守っていたアランが駆け寄ってきて、ヘイディから奪うように抱き上げると、ディアナは嬉しそうに魔法が使えたことを報告する。
「ああ、見ていたさ。凄かったじゃないか!」
「えへへへ」
アランはペトルをヘイディに渡すと、ディアナの頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。
いつもは嫌がるディアナも、この時は嬉しそうに蕩けたような顔を浮かべたままだった。
「言ったでしょ。この子はできるって」
ヘイディも傍で自分のことのように嬉しそうに笑う。
「そうだな。それより体調は大丈夫か?」
「ええ、思ったより平気。時間が短かったのもあるけど、多分ふたりでやったから負担が減ったんだと思う」
「へぇ、ディアナのお陰か」
普段降雨魔法を使用する際は、魔力が枯渇して数日間寝込むことが多かったヘイディだったが、アランから見てもヘイディの体調に問題はなさそうだった。彼女の言う通り、普段よりも負担が少なかったことが大きいのだろう。
「なに?」
「ディアナが凄かったという話だ」
不意に自分の名前が呼ばれて振り返ったディアナに、アランは娘の頭を乱暴に撫で回した。
「きゃあ!」
くしゃくしゃと撫で回されたディアナは、今度は奇声を上げながら逃れようと身体を捩るのだった。
【干天の慈雨】作中では単に雨を降らせるのみですが、実はヘイディの使う干天の慈雨は彼女のアレンジを加えています。
詠唱も少し違い、本来の使い方とは違っています。