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レーゲン・ゼーゲン

「やっぱりヘイディに頑張ってもらうしかなさそうだ」


この日、農作業を終え家に帰ってきたアランが、申し訳なさそうな表情を浮かべてそう言った。

例年だととっくに雨季に入ってる時期だった。

以前アランが懸念していた通り、この年は雨季に入っても雨脚が遠く、ようやく降ったと思っても辺りを湿らせる程度しか雨が降らなかった。畑の作物は日に日に生気を失い、土はひび割れ、村全体に焦燥感が募っていた。村人たちの間には、不作への不安を口にする者も現れ始めていた。

そのため、帰る途中に村長のアハトから、正式に依頼されたのだという。アハトはいつも穏やかな顔をしているが、この時ばかりは額に深い皺を刻み、切羽詰まった様子でヘイディの力を借りたいとアランに懇願したという。


「心配しなくてもわたしは大丈夫よ。ディアナと一緒に、昔みたいに魔力循環を練習するようになってから、魔力量がまた増えてきてるの。だから問題ないわ!」


「すまない」


ヘイディは、アランの申し訳なさそうな表情を見て、無理にでも明るく振る舞った。

アランは、ヘイディの言葉に、ただ短い謝罪の言葉を返すことしかできない。


「謝らないでちょうだい。それにこのまま雨が少なければ皆困るもの。それに、国の魔法師を待ってたら、手遅れになるかも知れないじゃない」



ヘイディはアランの謝罪を遮り、毅然とした態度で言葉を続けた。

本格的に干ばつになれば、国から魔法師の一団が救済のために各地に派遣される。だがそれは、国が災害だと認めてからになるため、どうしても初動が遅くなるのが常だった。

さらに、王都とは物理的な距離も遠く、せっかく魔法師が派遣されてきても、もはや手遅れで焼け石に水程度にしかならないことも少なくなかった。

ボンノ村のように、天候魔法が使える魔法士がいる村は非常に珍しく、この付近ではこの村だけだ。天候を操作する魔法は、国が管理している魔法師の仕事であり、天候不順などがあれば国から派遣されてくるのを待つのが普通なのだ。そのため、ヘイディも村長の許可がなければ勝手に雨を降らせることはできなかった。そもそも自然の摂理に干渉するため、天候を操るには膨大な魔力が必要となる。そのため天候魔法は習得できたとしても、行使できるほどの魔力量を持つ魔法士自体が非常に少なく、貴重な存在だった。


「お母さん、また雨ふらしのおしごとするの?」


傍で聞いていたディアナが、目を輝かせて身を乗り出してきた。


「そうよ、最近あまり雨が降ってないでしょう? だから少しだけお空の神様に雨を降らせてくださいってお願いするの」


「じゃあディアナもお母さんといっしょにおねがいするぅ!」


ヘイディがディアナの頭を優しく撫でながら、穏やかな声で語りかけると、彼女は満面の笑みで、母親に抱きついた。


「あら、そうねぇ。……ディアナが一緒にお願いしてくれるなら神様もサービスしてくれるかも知れないわね。じゃあ明日一緒に行きましょうか?」


少し考える仕草をしたヘイディは、にっこりと笑うとディアナを連れていくことにしたのだった。


「いくー!」


ディアナは元気よく返事し、家の中を跳びはねる。


「ヘ、ヘイディ!?」


まさかヘイディが許可を出すとは思わなかったアランは、戸惑ったように上擦った声を上げた。


「わたしが傍で見ているから心配しないで。それにこの子が天候魔法に適性があるかどうかもまだ分からないもの」


ヘイディはアランの不安を察し、安心させるように微笑む。


「それはそうなんだが」


「ディアナ、お母さんといっしょに雨ふらす!」


アランはまだ腑に落ちない様子だったが、ディアナのやる気満々な姿を見ると、それ以上何も言えなかった。すでにやる気になっているディアナが、興奮したように家の中を走り回っている。いつもは注意するヘイディも、今回は黙ったままで注意をしない。むしろ、その瞳には優しい光が宿っていた。


「そうね。一緒に頑張りましょう!」


「おう!」


心配そうなアランをよそに、ヘイディとディアナは手を突き上げて意気込みを見せるのだった。






翌日、澄み渡る青空の下、ディアナは家族と一緒に村の水源の池に向かっていた。

朝の光が降り注ぐ中、彼女の足取りは軽やかで、心は期待に満ち溢れていた。


「おねえちゃん、がんばるからね!」


普段は物静かなディアナだったが、母と一緒に特別な「仕事」ができるとあって、そのテンションは朝から最高潮に達していた。抱きかかえられた赤ん坊のペトルにも、その喜びと意気込みを、輝く瞳で語りかけていた。ペトルも、姉の熱意に呼応するかのように、小さな手足をばたつかせて応えているように見えた。


「大丈夫なのか?」


ディアナのやる気が高まるにつれて、アランの心配は募る一方だった。

彼は何度もヘイディに確認するが、彼女は全く心配している様子がない。むしろ、愛する娘と一緒に雨を降らせることができる喜びで、その表情は明るく輝いていた。昨夜は「適性があるかどうか」と慎重に語っていたにもかかわらず、今の彼女の様子からは、不安の影など微塵も感じられなかった。


「わたしだけじゃなく、ディアナもできるようになれば、もっと酷い日照りのときだって国の魔法師に頼らなくたって大丈夫じゃない。そしたらその分、魔法師を他の土地に回ってもらうことだってできるわ」


「それはそうだろうけど、ディアナはまだ五つだぞ」


アランの懸念はもっともだった。しかし、ヘイディはにこやかに首を振った。


「最近のあの子の魔力量見てたら、五つだなんてとても思えないわ。このままだとすぐにわたしの魔力量なんて超えてしまいそう。それにあの子何も言わないけれど、わたしたちに隠れてずっと魔法の練習してるでしょ?」


「ああ……」


アランは唸った。

ディアナの魔力量がそこまで多いとは考えていないアランには、ヘイディの言うことは半信半疑でしかなかった。しかし、ディアナがこっそり魔法の練習をしているという点については、否定できなかった。実際、魔力を暴走させては家の中の器物を破損させる常習犯と化していたディアナは、家での魔法の練習を禁じられていた。そのため、今では近くの森の中で人目を忍んで、こっそりと魔法の練習をしていたのだ。


「きっと魔力が多すぎて、生活魔法みたいな消費の少ない魔法の制御ができないのよ」


ヘイディは、娘が思う存分魔法を使えるようにしてやりたかった。かつての師匠や知己を頼って、色々と問い合わせていた。残念ながらその返事はまだ届いていなかったが、ヘイディはディアナの魔力量があれば、天候を操るような大規模な魔法なら使えるのではないかと考えたのである。


「とうちゃあく!」


元気な声が響き渡り、一行は程なくして村の水源地である池に到着した。


「やっぱり水量が少ないわね」


枯れているわけではないが、例年の雨季に比べて明らかに水量が少ない。満水時から見れば、およそ六割から七割程度の水量に留まっている。池のほとりには、水源の様子を見にきた村人たちが数名集まっており、その中にはヘイディの兄であり村長でもあるアハトの姿もあった。


「ヘイディ、まだ雨季の最中だ。取り敢えず今日は満水までいらないからな」


アハトの言葉に、ヘイディは「わかっているわ」と短く答えた。

通常であれば、あと一ヶ月ほどは雨季が続く。もし不安だからと満水にしてしまえば、万が一豪雨が降った際に水害を引き起こしかねない。加えて、ヘイディの体への負担も考慮し、今回の降雨魔法の時間は三十分と事前に決められていた。

アハトの言葉に頷いた彼女は、静かに杖を手に取り、池の前に立つ。その傍らには、ディアナが母のお古の杖を構え、いっぱしの魔法士のような真剣な表情で並び立った。

ヘイディのお古とはいえ、五歳の少女が持つには杖は大きく、バランスも取りづらいだろう。しかし、ディアナの目は真剣そのものだった。


「ディアナ、いくよ」


ヘイディの言葉に、ディアナは「うん」と力強く頷いた。二人は杖をコツンと軽く交差させると、すぐに魔法の詠唱に入った。



「天つ御恵よ」


「あまつめぐみよ」



「生命の源よ」


「いのちのみなもとよ」



ヘイディがゆっくりと詠唱し、続けてディアナがやや舌足らずな言葉で、しかし懸命に復唱していく。



『ひび割れた大地を癒し、(かわ)ける大地を潤せ』


二人の声が重なり、一つの祈りとなって響き渡る。その言葉には、乾きに苦しむ大地への深い慈しみが込められているかのようだ。


『生命の芽吹きを促せ』


アラン達が心配そうに見守る中、ゆっくりと詠唱が続いていく。魔法の言葉が紡がれるにつれて、周囲には少しずつ、しかし確かな変化が表れ始めた。

周囲の気温が目に見えて下がり始め、夏だというのに、風がひんやりと肌寒さを覚えるほどになってくる。穏やかに吹いていた風も、いつの間にかつむじ風を伴い、肌に叩き付けるように強まってきた。

急に太陽が陰ったと思えば、彼らの頭上にだけ漆黒の雲が音もなく浮かんでいた。その黒雲は、まるで二人の魔法に呼応するかのように、ゆっくりと膨らみを増していく。

そして、二人は魔法発動のトリガーを口にする。



干天の慈雨(レーゲン・ゼーゲン)



詠唱の最後の言葉を二人同時に紡ぎ終えると、頭上の黒雲から静かに雨が降り始めた。それは激しい土砂降りではなく、しっとりと、優しく大地を濡らす慈雨だ。降り続く雨は、ゆっくりと、しかし確実に水源の水量を増やしていく。

やがて水量が七割を超えたあたりで、降り始めた時のように静かに雨が止んだ。空を覆っていた雲もいつの間にか消え去り、再び夏の太陽が顔を出す。その強烈な日差しが、周囲にくっきりと影を落としはじめた。冷たかった風も、今は穏やかに頬を撫でていく。


――ふう……


ヘイディが杖を降ろし、ホッとしたように息を吐いた。

今回の降雨魔法は、時間が短かったのもあるが、いつもよりも心身への負担が少ないように感じられた。それはおそらく、ディアナと共に魔法を発動させたからだろう。


「ディアナ、大丈夫? 疲れたでしょう?」


ヘイディは隣に立つディアナに優しく声をかけた。

ディアナは、初めて体験した魔法の感覚に、目を白黒させて不思議そうな表情を浮かべている。


「お母さん、なんか出たよ。かだらからぎゅーんて、いっぱいなんかとんでった」


これほど長時間魔法を発動したのは、ディアナにとってはもちろん初めての経験だ。

普段の遊びの中で魔力を使うことはあっても、これほど大規模な魔法に携わるのは初めてのこと。疲れた表情を浮かべていたものの、ヘイディに声をかけられると、途端に弾けるような笑顔を見せた。そして、興奮冷めやらぬ様子でヘイディに飛びつき、身振り手振りで一生懸命に説明し始めた。


「疲れてない、大丈夫?」


ヘイディはディアナの頭を優しく撫でながら、その小さな顔を覗き込む。ディアナは興奮しているためか、まだまだ元気いっぱいのようだ。そのキラキラとした瞳は、達成感と新しい発見への喜びで輝いていた。


「うんだいじょうぶ。いっぱい雨がふってた。お母さんがふらせた雨!」


ディアナの言葉に、ヘイディは安堵と喜びを感じた。幼い娘が、初めての魔法体験を無事に終え、そして何よりも楽しんでくれたことに、ヘイディの心は満たされた。

この経験が、ディアナにとって魔法への好奇心をさらに深めるきっかけとなるだろう。そして、いつかディアナが自らの意思で、この世界に恵みの雨を降らせる日を、ヘイディは静かに夢見ていた。


「ううん、お母さんとディアナの二人で降らせたんだよ」


ヘイディがそう説明すると、ディアナも一緒に雨を降らせたという事実に、彼女は目を白黒させた。


「ふたり? ディアナも雨ふらせたの!?」


「そうよ、身体から何かが出て行くのを感じたのでしょう? それが魔法になったのよ」


ディアナは、初めて感じた魔法発動時の、身体の中を駆け巡る魔力の流れを思い返しているようだった。


「あれが、まほう……いつものれんしゅうしてるみたいだった」


「身体の中をぐるぐる回すか、外に出すかの違いはあるけど、魔法は魔力が変化したものなの」


ヘイディの説明に、ディアナの瞳は輝きを増した。


「ディアナ、お母さんといっしょにまほうつかった!」


誇らしげに胸を張るディアナに、ヘイディはにこやかに答えた。


「そうね、すごかったわよ。お母さんびっくりしちゃった」


「えへへへ」


ヘイディの言葉に、ディアナははにかみながらも、満面の笑みを浮かべた。


「ディアナ!」


離れた場所で見守っていたアランが、我慢できずに駆け寄ってきた。彼はヘイディからディアナを奪うように抱き上げると、その小さな身体をぎゅっと抱きしめた。


「お父さん、ディアナまほうつかえたの!」


ディアナは興奮冷めやらぬ様子で、魔法が使えたことを報告した。


「ああ、見ていたさ。凄かったじゃないか!」


「えへへへ」


アランは満面の笑みでディアナを褒め称えた。そして、腕の中にいるペトルをヘイディに渡すと、ディアナの柔らかな頭をくしゃくしゃと乱暴に撫で回した。いつもなら嫌がって身をよじるディアナも、この時ばかりは嬉しそうに(とろ)けたような顔を浮かべたまま、その手を受け入れていた。彼女の表情には、達成感と、そして何よりも両親に認められた喜びが満ち溢れていた。


「言ったでしょ。この子はできるって」


ヘイディも傍で、自分のことのように嬉しそうに笑うっていた。彼女の瞳には、誇らしげな輝きが宿っていた。


「そうだな。それより体調は大丈夫か?」


アランはヘイディの顔を覗き込んだ。普段降雨魔法を使用する際は、魔力が枯渇(こかつ)して数日間寝込むことが多かったヘイディだったが、アランから見ても彼女の体調に問題はなさそうだった。顔色も良く、疲労の色はほとんど見えない。


「ええ、思ったより平気。時間が短かったのもあるけど、多分ふたりでやったから負担が減ったんだと思う」


ヘイディの言葉に、アランは驚きを隠せない。


「へぇ、ディアナのお陰か」


「なに?」


不意に自分の名前が呼ばれて振り返ったディアナに、アランは再び娘の頭を乱暴に撫で回した。


「ディアナが凄かったという話だ」


「きゃあ!」


くしゃくしゃと撫で回されたディアナは、今度は奇声を上げながら、アランの腕から逃れようと身体をよじった。その声は、嬉しさと少しばかりの照れが入り混じった、幼い少女特有の愛らしい響きを持っていた。アランとヘイディは、そんなディアナの姿を見て、幸せそうに笑い合った。

雨上がりの空には、虹の架け橋がかかっていた。それはまるで、ディアナの未来を祝福しているかのようだった。

【干天の慈雨】作中では単に雨を降らせるのみですが、実はヘイディの使う干天の慈雨は、彼女がアレンジを加えています。詠唱も少し違い、本来の使い方とは違っています。


2025/9/13 加筆・修正を加えましました。

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