あたしは強いよ
「正気かしら?」
ブルーノから手合わせの打診があった直後のクラリッサの第一声だ。
学校では私闘は禁止されているためわざわざ手合わせと言ったのだろうが、思い詰めたようなブルーノの表情を見る限りは、これは手合わせでなく私闘に近いことは明らかだった。
「申し訳ございません。これは私の私怨によるものです。すべての責任は私が負います」
敢えて「私怨」と言ったことが、それを物語っていた。
今日の当直の先生は、確かエメリヒだったか。先生に立ち会って貰えば安心だが、見かけによらず気の小さい彼のことだ。決闘をおこなうなど知られれば、即座に止めさせられるだろう。いや、二人のことを考えれば、止めさせた方がいいに違いないだろう。
バレれば停学や退学になる可能性がある上に、下手をすれば取り返しの付かないことになるかも知れないのだ。
「ディアナさん、どういたしますか?
別に受ける必要のない手合わせですけれど」
「いい、ちんちんにしてやんよ!」
意外にもディアナは、そう言って腕を撫していた。
クラリッサにはディアナの言った言葉の意味はよく分からなかったが、初めて見せたやる気に溢れた彼女の姿に驚いた。
「そう、ならわたくしにも止める理由はありませんわね」
ブルーノのみならず、ディアナまでその気なら彼女にはもう止める術はない。
先生にバレたときは、自分も一緒に処分を受けよう。
クラリッサも密かに覚悟を決めるのだった。
十分後、三人の姿は訓練場にあった。
この時間、学校の訓練場ではヴィンデルシュタットに残っている学生や卒業生が、思い思いに訓練していた。クラリッサとブルーノが姿を見せ、事情を説明するとすぐに訓練場の中央にスペースができていた。
「もう一度確認いたしますけれど、攻撃に使えるのは水か風の低級魔法のみ。先に命中させるか、降参すれば勝負ありでいいわね?」
「ん」
「それで結構です」
火魔法や土魔法だと、低級でも怪我ですまない可能性が高くなる。
水魔法や風魔法を使ったところで、負傷するのは変わりないかも知れないが、規制なしで決闘させるよりはましだろう。
「ところで、ディアナさんの立会人はわたくしがおこないますけれど、貴方の立会人はどうしますの?」
決闘には双方立会人を立てるのが決まりだ。
ディアナの立会人は自分がすればいいが、ブルーノの立会人は見当たらない。その辺りで見学してる学生に声をかけるのだろうか。
そう考えていたところ、ブルーノは不思議そうな顔を浮かべながら右手を上げた。
「エルマーがいる。問題ない」
ブルーノが指した方向に目をやると、少し長めの茶髪の少年が立っていた。
「あら、貴方いたの!?」
いつからいたのか気づかなかったクラリッサは、思わず目を見開いていた。隣に立つディアナも同様だったようで、彼女と全く同じ表情を浮かべている。
エルマーは、ブルーノとは同い年で小さい頃から彼の従者を務め、子爵家の陪臣で準男爵家の三男だった。同じ魔法学校の生徒であるため、普段から彼と一緒にいることが多い。
しかし意識していなければ気づかないほど存在感は希薄で、幼い頃から知っているクラリッサですら、彼の声をほとんど聞いたことがないほど無口だった。
今回も初めからブルーノと一緒にいたようだが、クラリッサもディアナも全く認識できていなかった。
従者ではなく斥候職になればいいのにと、クラリッサは本気で考えるほどだ。
そんな彼だが魔法士としての実力は高く、クラスはアルマやブルーノと同じ一組だった。
「さて、ここまで来て止めはしませんが、本当に大丈夫ですの?
ああ見えてブルーノは強くてよ」
クラリッサが心配そうにディアナに聞いた。
幼い頃から知っているが、ブルーノの実力は侮れないものがある。
子爵家は、辺境伯領で代々軍務を司ってきた家系だ。魔力も高く、中央にも名を知れた魔法士を多く輩出していた。ブルーノも幼い頃から有名で、成長すればそれらの魔法士に並ぶとのではと期待されていたのだ。
「大丈夫、あたしが勝つ」
だがクラリッサの心配をよそに、ディアナはそう言い切った。
感情に乏しい表情にも、なんとなく今日は自信がみなぎっているように見える。
普段、学校では目立つことを避けるように過ごしているディアナだったが、いい加減ブルーノの相手をするのにうんざりしていたのだ。ここではっきり白黒付けておけば、今後絡んでくることもなくなるだろう。
また人がいるとはいえ、今は休暇中で普段よりも遙かに人数が少ない。そのため多少目立ったところで、問題ないとの打算も多少は働いていた。
「そう、ならもう何も言いませんわ。やっておしまいなさい!」
「ん、任せて」
心配そうなクラリッサに見送られながら、ディアナは訓練場中央に進み出た。
対面では、エルマーと言葉を交わすブルーノがこちらを睨んでいた。
「気を付けてください。彼女の魔力量は侮れませんよ」
「分かっているさ。だがあいつは魔法の発動が遅い。瞬殺してやるよ!」
「殺してしまっては、さすがに問題になります」
「分かっている。ちょっと言ってみただけだ」
生真面目で冗談の通じないエルマーに、苦笑しながらブルーノは肩を竦めて見せた。
ディアナへの当たりがキツいブルーノだったが、彼女の魔力量の多さは内心では認めていた。魔力量検査で文句を付けて注目を浴びてしまった手前、素直に非を認められないだけだったのだ。
決闘が長引くようなら、異常な魔力量を誇るディアナが有利となるだろう。しかしそれだけの魔力量がありながら、ディアナは魔法が苦手らしく、わざわざ詠唱することもあるため、魔法の発動がブルーノに比べると圧倒的に遅い。それさえなければ、ディアナはすぐにでも一組に編入される実力はあるとブルーノは感じていた。
彼からすれば、彼女の魔力量と魔法の能力のアンバランスさがもどかしく、見ていて彼を苛々させていたのだ。
「よく逃げなかったな」
訓練場中央で向かい合ったブルーノが、ディアナを挑発するように口を開いた。
対するディアナも普段よりはやる気に満ちているが、クラリッサと違ってブルーノにはいつもの人形のような無表情にしか見えない。
「逃げる理由がない」
「今からでも検査での不正を認めれば、手加減してやってもいいぞ」
「あれは事実。いい加減に認めれば楽になる」
「抜かせ! クラリッサお嬢様と仲がいいからって、調子に乗ってると痛い目を見るぞ!!」
「そう考えているうちは、あたしには勝てない」
「うるせぇ! たかが三組の分際で偉そうにするんじゃねぇ!」
「あたしは強いよ」
「いいだろう。吠え面をかかせてやる!」
「それはあたしの台詞」
そう言うと二人は少し下がり、十メートルほどの距離で向かい合った。
それを見守る立会人のクラリッサとエルマー、そしてその外側には、たまたまこの場に居合わせた学生が固唾を飲んで見守っていた。
「一瞬で終わらせてやる!」
しばらく睨み合っていた二人だったが、先にブルーノが動いた。
風魔法を叩き込もうと、杖をディアナに向ける。
「なっ!?」
だが、寸前までそこに立っていたディアナが、一瞬にして姿が掻き消えた。
意表を突かれたブルーノが、一瞬動きを止めた直後。
「水よ」
彼の背後からディアナの詠唱が聞こえた。
その直後、あり得ないほどの大量の水によって、彼は押し流されてしまった。
「ごほっごほっ!」
水が消えると、ずぶ濡れのブルーノが訓練場の床で咳き込んでいた。
「まだやる?」
顔を上げたブルーノの目の前には、ディアナが杖を突き出して立っていた。
杖の先には魔力が込められ、何時でも魔法を発動できる状態になっている。
「くっ、参った……」
低級の攻撃魔法どころか単なる生活魔法で敗れたブルーノは、口惜しそうな表情を浮かべて降参した。
周りで見学していた生徒達も、何が起こったか理解できずにざわついている。
「クレア、帰ろう」
どことなく嬉しそうなディアナが、クラリッサの下に戻るとそう言って歩き始める。
クラリッサは一瞬ブルーノに目をやるが、すぐにディアナを小走りで追っていった。
「ディアナさん、貴女強いじゃない!」
すぐに追いついたクラリッサは、並んで歩きながら驚いた顔を浮かべる。
同じ三組のディアナが、あのブルーノを瞬殺したことが信じられない。
「最後のはとんでもない水量でしたけれど、あれはただの生活魔法ですわよね?
その前のはわたくし見えませんでしたが、貴女一体何をしたんですの?」
彼女の予想では、圧倒的にブルーノが有利だと考えていたため、まさかディアナが瞬殺するとは思ってもみなかった。
あのブルーノが何もできずに負ける所を初めて目の当たりにしたクラリッサは、興奮したように捲し立てた。すると左隣にいたディアナの姿がブレて、次の瞬間には彼女の右隣に立っていた。
「これは身体強化魔法」
「身体強化魔法って、兵士や騎士が使う魔法ですわよね?
貴女、身体強化魔法も使えるんですの!?」
クラリッサの知る身体強化魔法は、全身に魔力を纏って筋力や防御力を強化する方法だ。ディアナの使った魔法はそれとは少し違う気もする。彼女がやったように足だけに魔力を集めて脚力を強化するなど、彼女は聞いたことがなかった。
普通の魔法だけでなく身体強化魔法まで使えると知り、彼女は呆れたように声を上げた。
魔力を放出する一般的な魔法と違って、身体強化は魔力を自身の身体に作用させる魔法だ。
同じ魔法ながら、魔力の使い方に天と地ほどの差があるため、放出系の魔法が得意な魔法士には使いこなすことが難しいとされ、実際に両方を高レベルで使いこなせる者はほとんどいなかった。
「昔お父さんから習った。練習すればクレアも使えるようになる」
「本当ですの!? 魔法士は使えないと聞いたことがありますけれど」
「普通の魔法とは使い方が違うからコツが必要。だけど魔力循環より簡単」
「貴女の言う簡単は信用できませんけれど……」
ディアナの言葉に、クラリッサは若干顔を引き攣らせていた。
自分の希望で始めたとはいえ、魔力循環で散々な目に遭った彼女だ。ディアナのいう「簡単」ほど、信用ならないものはないと理解していた。
だが……
「貴女がそういうなら、練習してみてもいいですわね」
魔力循環ができるようになったという自信からか、クラリッサは身体強化魔法の習得も目指すことになったのである。




