忘れていましたわ
「思ったより色んな依頼があるわね」
掲示板はスイングドアを挟んで左側は四等級以上、右側には五等級と初等級の依頼が貼られていた。午前は多くの探索士が、良い依頼つまり比較的簡単にお金を稼ぐことができるものを求めて、掲示物の前に群がっていた。
三人は初等級の依頼が貼られた一画の依頼書を一枚ずつ確認していく。
路地裏の清掃や地下に張り巡らされた下水道のネズミ退治、迷子のネコ探しなどおよそ探索士と思えないような依頼も多く貼られていた。
「これ」
そんな中でディアナは一枚の依頼書を手に取った。
アルマとクラリッサの二人がディアナの手元を覗き込む。
「常設依頼?」
常設依頼とは期限などはなく、文字通り常時設定された依頼のことだ。
補充に消費量が追いつかず、慢性的に不足しがちな薬の材料などが多く、そのため常設依頼というカタチで常時納品を受け付けていた。
「アヒレス草とバツヘムの実にカマーの実かぁ。回復薬の材料ね」
「ん、それぞれ単品でもいいけど調合すれば報酬が倍になる」
ディアナは特記事項を指差した。
アヒレス草はもっとも一般的な薬草の一種だ。バツヘムとカマーの実も普通に森に自生している木の実だった。
どちらもディアナにとっては馴染みのあるもので、小さい頃から採取していた素材だ。この材料を調合すればもっとも一般的な回復薬となり、調合の仕方も幼いころにヘイディに叩き込まれていた。
効果は混合具合により、切り傷や軽い食あたりからちょっとした傷の治療にまで使え、服用しても傷にかけても効果のある万能薬だった。
「ディアナさん、あなた調合できるの?」
「ん、お母さんに叩き込まれた」
「あ、これならわたしもできるわ」
ディアナが簡単にできると答え、アルマも何でもないことのように答えると、クラリッサは心底驚いた様子を見せた。
魔法学校では調合の授業もあるが、彼女らが習うのはもう少し先の予定だ。村で遊びの延長として、採取や調合を教わるディアナたちと違って、商人から完成した魔法薬を買っていたクラリッサは、自分で採取をしたり、ましてや調合して自作するなど考えたこともなかった。
「これにする」
「そうね。これなら期限もないしこっちのタイミングで納品できそうね」
「ちょっと待ちなさいよ。わたくしその素材全然わかりませんわよ」
二人で進んでいく話に、慌てた様子でクラリッサが制止する。
「問題ない。あたし達が教える」
「そうね、じゃあクラリッサちゃんは、こっちの採取依頼も受ければいいんじゃない?
わたしもディアナちゃんも、見分け方や採取の仕方は教えることができるから」
調合以前に採取すらしたことがないというクラリッサに、アルマはアヒレス草の採取依頼を指差した。
「そう、じゃあそれを受けようかしら」
三人は依頼を受けると、早速ヴィンデルシュタットからほど近い森へと採取に向かうのだった。
「これはどう?」
「うーん、似ているけどこれはアヒレスモドキで毒草ね」
「嘘ですわ。同じではありませんか!?」
クラリッサが採取した素材をアルマに見せると、パッと見ただけで毒草だと断言されてしまい、クラリッサは気色ばんでアルマに詰め寄った。
「ほら、葉の真ん中の葉脈のところが赤くなっているでしょう?」
アルマが採取したアヒレス草と比べると、ギザギザとした葉の形はよく似ているが、確かに葉脈が赤くなっている。
アヒレスモドキと呼ばれるだけあって、アヒレス草と非常によく似ているが、アヒレスモドキは毒草だ。間違って摂取しても死ぬことはないが、数日間激しい腹痛に苦しむのだという。
三人は、ヴィンデルシュタットから数時間ほどの森の中にやってきていた。
都市部に隣接している森にしては広大で、一部は兵の訓練場にもなっているらしい。
広大なだけに素材は豊富で、採取専門におこなう探索士にとって御用達といえる森だった。
「意外と難しいわね」
「すぐ見分けられるようになるわよ」
アヒレス草とアヒレスモドキを見比べながら、溜息を吐いたクラリッサに、アルマは微笑ましそうに目を細めた。
「何? 呆れてるの?」
「違うの、何だか懐かしいなと思って」
「懐かしい?」
「わたしも最初は見分けるのが苦手で、間違ってよくアヒレスモドキを採っていたから」
「あらそうなの?」
「だからクラリッサちゃんも、すぐにできるようになるわ」
「そうね、探索士になったのだもの、頑張らないといけませんわね」
そう言ってクラリッサは気持ちを新たにアヒレス草を探し始めた。
「それはそうと、ディアナちゃんはどこまで行ったのかしら?」
「本当ですわ。先ほどまであのあたりにいたと思うのだけれど、いませんわね」
二人がキョロキョロと辺りを見渡すが、ディアナの姿は見えなかった。
「そろそろ休憩にしようと思ったんだけど?」
アルマがそう呟いたときだ。
――きゃっ!
二人の傍の木から、何かが落ちてきた。
突然のことに悲鳴を上げて尻餅を付く二人。
「あたし」
驚いて目を見開いた二人の前に現れたのは、姿を消していたディアナだった。
「んもう、びっくりさせないでよ!」
「わたくしてっきり魔獣が襲ってきたのかと思いましたわ!」
ディアナが身体強化魔法を使えることを二人は知っていたが、実際に使っているところを見るのは初めてだ。まさか猿のように、高い木の上から飛び降りてくるとは思っても見なかったのだ。
「ごめん。それよりあっちにアヒレス草の群生地を見つけた」
ディアナは尻餅を付いている二人を引き起こすと、藪の先を指差し鞄から大量のアヒレス草を取り出して見せた。
「すごーい、これだけあれば魔法薬の調合も、採取の依頼も充分だよ!」
「そうですわね、あとはバツヘムの実とカマーの実の採取ですわね」
「ん、それももう終わった」
そう言うとディアナは鞄のアヒレス草を持ち上げる。
すると鞄の底には、三〜五センチメートル大の黄色いバツヘムの実と、小粒で赤いカマーの実がびっしりと埋まっていた。
「これで魔法薬十本は作れる」
「ディアナちゃん、採取するのなんでそんなに早いの?」
「村で採取のとき、いっしょに魔法の練習してたから」
村にいた時の魔法の練習は、採取で森に入った時におこなっていた。
その際に採取に時間を取られてしまうと、魔法の練習する時間が取れなくなってしまう。素早く採取を終わらせるため、植物をよく観察していたところ、何となく生長に適した場所なんかが分かるようになったのだという。
「ディアナさんのお陰で、思ってたよりも早く依頼が終わりましたわね」
結局ディアナのお陰でわずか二時間足らずでこの日の採取依頼は達成となった。
クラリッサは依頼が長くなることを見越して、お昼にサンドイッチを用意していたが、昼までに依頼が終わってしまった。折角持ってきたのでと休憩がてら、三人で倒木に腰掛けて頬張っていた。
「わたしも採取には自信あったんだけど、ディアナちゃんがこんなに凄いなんて思わなかったわ」
「ふふん」
ディアナは二人から褒められて嬉しそうだ。
「それにしても身体強化魔法って便利ですのね?」
「そうね、あんなに高いところから飛び降りても平気なんて。ホントに大丈夫なの?」
「ん、オキドキ。問題ない」
「わたくしも使えたらいいのに」
「わたしは多分魔力量が足りないわね」
身体強化魔法への適正があったとしても、ディアナのような使いかたをすればすぐに魔力が枯渇してしまうだろう。
二人はディアナを羨むが、ディアナは表情に影を落とす。
「魔力量があったって、怖がられたら一緒……」
そう言って黙ってしまったディアナに、二人は何も言えず顔を見合わせるしかなかった。
「そ、そうですわ!
わたくしディアナさんに聞きたいことがありましたの」
気分を変えるように、クラリッサが明るい声でディアナに問いかけた。
「ん。何?」
「この間カフェで聞きそびれてしまったんですけど、日課って何をしてますの?」
そうクラリッサが口にした途端、彼女の視界の端でアルマが顔をしかめるのが見えた。
「魔力循環と身体強化魔法の練習」
「身体強化はわかりますけれど、魔力循環って何ですの?」
「体内の魔力を動かす練習。魔力量が増えて魔力制御の練習にもなる」
魔力量が増えると聞いた途端、クラリッサの目の色が変わった。
興奮したようにディアナへと詰め寄った。
「それをすれば魔力量が増えるのですか!?
ディアナさん、それをわたくしにも教えてくださいませんこと!」
クラリッサは辺境伯家の長女として生まれ、幼い頃からそれに見合う教育を叩き込まれてきた。
だが座学は得意だったものの、実践をともなう魔法は苦手で、魔力量もそれほど多くなかった。
決して顔には出さなかったが、魔法にはコンプレックスを抱いていた。そのため魔力量が増えるという、魔力循環の話に食いついたのだった。
「別にいいけど」
「ありがとうございます。では早速教えてくださいませ」
「じゃ両手出して」
ディアナはクラリッサの両手を掴むと、ほんの少しだけ魔力を流した。
「うわっ何ですの!?」
ディアナの手の先から、何かが無理やり何かが入ってくるような感覚に全身が泡立ち、クラリッサは思わず手を離した。チラリとアルマの方を見るが、彼女はこちらを見ないようにしながら、サンドイッチを頬張っている。
「今感じたものが魔力。魔力循環はこれを体内で巡らせるようにする。慣れれば平気。だけど毎日続けなければダメ」
「毎日……」
慣れれば大丈夫と言われても、クラリッサには大丈夫だとはとても思えなかった。それほどの気持ち悪さがあった。今なら黙り込んだまま、こちらを見ないようにしてるアルマの気持ちが分かる。
「もう少し続けてくださる?」
しかしクラリッサは唇を固く結び、もう一度両手をディアナの前に出した。
これにはアルマだけでなく、ディアナも目を見開いている。
「大丈夫?」
「大丈夫ではありませんわ。けれども辺境伯家の娘として、恥ずかしい成績はとれませんもの。
慣れれば大丈夫なのでしょう? でしたら慣れるまでですわっ!」
そう言って真っ直ぐにディアナを見つめた。
田舎から出てきた彼女らにも気さくに接するため忘れがちになるが、クラリッサはれっきとした辺境伯令嬢なのだ。嫌だからと簡単に投げ出すことができず、無理やりにでも立ち向かわなければならないことがあることを知っていた。
「わかった」
覚悟のこもった目で見つめられ、ディアナは彼女の両手を取った。
手を取るとクラリッサは歯を食いしばり、目を固く閉じた。
「ん゛ん゛ん゛ん゛……」
魔力を流したのはわずか五秒くらいだったが、それでも終わった時にはクラリッサは額から玉の汗が噴き出し肩で呼吸をしていた。
――はぁはぁはぁ
「さっきも言ったけどその気持ち悪いのが魔力。しばらくはあたしが手伝うけど、これを一人で動かせるようにならないといけない」
「わ、わかりましたわ」
そう言うと早速ひとりで魔力循環の練習を始めた。
しかしディアナが簡単そうにしていた魔力循環も、ひとりでやるとなれば難しい。
どれだけ力を込めても、魔力は一ミリメートルも動かない。クラリッサはそれでも諦めることなく力を込めていく。
彼女の白い肌が紅潮し、拭ったばかりの額に再び汗が浮き出てくる。見ているアルマもいつの間にか、拳を握ってクラリッサを応援していた。
――ぷうっ
「へっ?」
力を入れ過ぎたたためか、かつてのディアナのようにおならが出てしまった。
クラリッサは、途端に真っ赤になり、顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
「き、きゃーっ!
今のは違うのです。どうか忘れてくださいまし!」
森の中に、クラリッサの絶叫が響き渡った。




