ディアナ
村の広場に幼い子供達が集まって、魔法の練習をおこなっていた。
魔法といっても、人を攻撃したりするものではない。
生活魔法と呼ばれる、誰でも使えるような簡単な魔法で、魔法を使う仕事をしていない者でも使えるような初歩的な魔法だ。生活魔法は、桶に水を張ったり、かまどに火を点けたりと、普段の生活に欠かすことができない日常的なものなのだ。
子供達は三歳くらいになると、まず親から教わって少しずつ魔法の練習を始めていく。
その後、子供達だけで集まると、自然と自慢するように魔法を披露するようになってくる。
「お前、なんでこんなカンタンなまほうができないんだよ!」
同じ歳の子らが自慢し合う中で、ディアナひとりだけがまだ魔法をうまく扱えなかった。
「むぅ、できるもん!」
「そう言って、さっきからできてないじゃない」
「じゃあ早くやってみろよ!」
口を尖らせたディアナが文句を言うが、彼女がどれだけ魔法を使おうとしてもできないため、周りはますます馬鹿にする。
涙目になりながら必死に魔法を使おうとするが、どれだけ頑張っても魔法は発動しなかった。
「ディアナはダメだな。ぜんぜんできねぇじゃん!」
「あっち行こうぜ。ディアナといっしょにいたらヘタになっちゃうぞ」
自我が目覚めたばかりの子供は、ある意味大人以上に残酷だ。
それほど悪気があるつもりではなくても、そのストレート過ぎる言葉遣いは、幼いディアナの心を鋭い刃物のようにえぐっていく。
「できるもん……」
一人取り残されたディアナは、涙をこらえながら悔しそうに立ち尽くしていた。
それ以来ディアナはあまり外に出ようとせず、ほとんど家の中で過ごすようになった。
外に出るときも、母親のヘイディにべったりくっついて離れない。
「ちょっとディアナ、そんなにくっついたら仕事できないわよ」
洗濯物を干そうとするヘイディが軽く溜息を吐くが、ディアナは唇を固く結んだままで離れようとはしなかった。
ヘイディの見立てでは、ディアナは決して魔力が足りない訳ではなく、むしろ同世代の他の子と比べても魔力が多い方ではないかと感じていた。
現に一緒に魔法の練習をしていたときも、他の子よりも明らかに長時間練習を続けることができていたからだ。そのためディアナの魔力に問題があるとは思えず、なぜ彼女が魔法がうまくできないのかヘイディにはよくわからなかった。
もっともそのヘイディだが、ディアナくらいの時期には簡単な魔法はすでにマスターしていて、周りからは「天才少女」「ディアナ様の再来」などと呼ばれていた。
その頃から魔法を得意としていた彼女は、十代になると村を出て魔法学校で学んでいたくらいだ。
物心ついたころから感覚的に魔法を扱うことが優れていた彼女には、ディアナがどこでつまづいているのか解らず、そのためどう教えていいかも分からなかった。
一方、父親であるアランの方も同様だ。
彼はもともと街の衛士をしていたため、ヘイディと違って魔法はほとんど使えないが、生活魔法は当然ながら使うことができた。ただし、どれだけ思い返してみても生活魔法に苦労した記憶はないため、困ってるディアナにどう教えればいいのかわからなかったのだ。
ディアナのことは二人とも心配していたが、使えない者はいないと言われる生活魔法だということもあって、この時点では二人とも、「まだディアナは三歳だし、そのうちできるようになるだろう」と、それほど深刻に考えていなかったのである。
「おかあさん、ディアナにまほうをおしえて?」
ある日、いつになく真剣な表情で、ディアナがそう言ってきた。
「どうしたのディアナ?
できないから嫌じゃなかったの?」
「こんどあたし、おねえちゃんになるでしょ?
あたしがまほうをおしえてあげないといけないから」
理由を聞くとディアナはそう言ってはにかんだ。
ヘイディは二人目を妊娠していた。
先日軽い気持ちで「弟か妹どっちがいい?」と、赤ちゃんができたことをディアナに伝えたあと、そう尋ねていたのだ。
そのときは、それほど興味を示していなかったディアナだが、姉になることをきっかけに再び魔法に向き合おうとしてくれたことが嬉しかった。
「それじゃお母さんが、とっておきの方法を教えてあげる」
嬉しくなったヘイディは、軽い気持ちでそう言ってしまった。
魔法が苦手なディアナのためではあったが、ヘイディが教えようとしている方法は、三歳の少女には高度すぎる方法だった。
「とっとき?」
「そ、お母さんのとっておきの、魔法の練習方法なんだから」
「おかあさんのとっとき、ディアナする!」
ディアナはすでにやる気になっているようで、目を輝かせながらヘイディを見つめている。
言ってしまった手前もう引っ込みがつかないが、この方法を実際に幼いディアナに教えていいものかどうか、ヘイディは迷っていた。これをおこなうことで、ディアナが魔法嫌いになってしまうかも知れないからだ。
「お母さんは今はもうやってない方法なんだけど、それでもいい?」
魔法士を目指していたころは頑張って毎日おこなっていたが、その夢を断念してからはほとんど行っていない方法だ。身体への負担も大きいのはもちろん、何より大の大人でさえ続けることを躊躇うほどの気持ち悪さがある方法だったからだ。
「いい。ディアナおかあさんのとっときするぅ!」
娘は目を輝かせてやる気になっている。
頑固なところがあるディアナは、こうなればテコでも動かなくなる。
「しょうがないわねぇ」と軽く息を吐いたヘイディは、もう一度確認するように念を押した。
「でもこれは最初はすごく気持ち悪くて、続けられない人がとっても多いの。それでも毎日きちんとしないとダメなんだけど、ディアナにできるかな?」
「ディアナできるよ!」
気持ち悪いという言葉に一瞬怯んだように見えたディアナだったが、それでも鼻息荒く返事を返した。
そこまでやる気になっているならやらせてみよう。
そう考えたヘイディは、迷いを断ち切るように努めて明るい声を上げた。
「わかった、じゃあ両手出して」
「こう?」
ディアナは素直に両手をヘイディの目の前に出した。
娘の両手を軽くつかんだヘイディは、集中するように目をつぶり軽く一呼吸すると目を開いた。
「いい? いくよ?」
「うん」
不意に雰囲気の変わったヘイディに、緊張した様子でディアナが答える。
安心させるよう軽く笑顔を浮かべたヘイディは、右手からゆっくりと娘に向けて魔力を流し始めた。
「わっ!?」
その瞬間驚いたように、ディアナが思わず両手を離した。
得体の知れない何かが、突然左手から入って来たため、全身が一瞬にして粟立ったのだ。
「手を離しちゃだめよ。ほらもう一度」
優しくヘイディが声をかけるが、ディアナはさすがにすぐに母の手を取ることができなかった。
元気よく「できる」と言った手前、頑張ってヘイディの手を取ろうとはするが、あの気持ち悪さを思い出すとすぐに手を引っ込めた。
「やっぱりやめておく?」
ヘイディが今から娘にやろうとしていることは、繊細な魔力制御に効果は抜群で、やり続けることで魔力量も増えていく方法だ。
しかしディアナが一瞬で怯えたように、大人でも最初の気持ち悪さを乗り越えることができずに断念する者が後を絶たなかった。
通常は優秀な魔法士がより繊細な魔力制御をおこなうために習得する方法で、魔法すら使えない娘に教えるなんておそらく史上初のことだろう。
逆にこれによって魔法に対する心的外傷を植え付けられてしまえば、彼女は二度と魔法を使いたいと思わなくなってしまうかも知れなかった。
「……やる」
激しい葛藤を見せていたが、ディアナは覚悟を決めたようにヘイディの手をつかんだ。
「本当に大丈夫? 無理ならやめていいのよ?」
「だいじょうぶ。あたしおねえちゃんだもん」
明らかに我慢してる様子に、ヘイディはやっぱり早かったかなと後悔した。
しかし、ディアナは歯を食いしばって真剣な顔を浮かべ、震える手でしっかりとヘイディの手をつかんでいた。
娘のその様子に嬉しくなったヘイディは、ほんのわずかに残っていたその迷いを、小さく丸めて捨ててしまった。
「じゃあもう一度流すよ?」
「ん」
母の言葉で固く目を閉じたディアナは、短く肯定の言葉を発した。
ヘイディは、先ほどよりも慎重にゆっくりと魔力を流していく。
「……!」
ヘイディの右手からディアナの左手へとゆっくりと何かが流れ込んできた。
その異物感が気持ち悪く、顔をしかめるようにしながらもディアナは声も上げずに耐え続ける。
「どうだった?」
ほんの三十秒程度魔力を流しただけだが終わったとき、ディアナは玉のような汗をかいて全身びっしょりで、激しく呼吸を乱していてすぐに答えることができなかった。
「はぁはぁ…、身体の中でなんか動いてたよ!」
「そうね。その動いてたのが魔力よ」
意外にも目を輝かせながら答えたディアナに、ヘイディはそれが魔力だと答えた。
「あれが、魔力?」
「大丈夫? 気持ち悪くない?」
少し耐えることができても、最初は動く魔力に酔ってしまい気分を悪くする者も多い。
魔力制御に非常に効果が高いが、同時にそのハードルを越えられずに断念する者も多い方法でもある。
最初の段階を越えることができれば、長く続けることができるが、高名な魔法士の中にも苦手とする者は少なくない方法なのだ。
「はじめはきもちわるかったけど、おかあさんのまりょくあたたかくて、やさしくてきもちよかったよ」
「ホントに? じゃあもう少し続けてみる?」
「うん」
意外なことを口にしたディアナに「続けてみる?」と問うと、彼女は元気よくそう言ってヘイディの手を取った。
「どう?」
「へいきだった」
三度目の魔力を流したあと、ディアナは先ほどと同じように汗をびっしょりにかき、激しい息づかいでしばらくしゃべれなかったが、回復すると平気だと言って笑顔を見せる余裕があった。
「やっぱりディアナは魔法の才能があるわね。
いい、今のは魔力循環って言うのよ」
「まりょく、じゅんかん?」
「そう。魔法を使うためには魔力が必要なの。
魔力というのは、ディアナやお母さんの身体にもあるし、空気中や食べ物にもあるの。
魔力循環は身体にある魔力を、思い通りに動かす練習になるのよ」
「これでまほうのれんしゅうになるの?」
ディアナは首を傾げて尋ねる。
少し彼女が理解するには難しい説明だったようだ。
「なるわよ。
魔力を思い通りに動かすことができれば、魔法が使いやすくなるの。
それに毎日続けてれば少しずつ魔力も上がっていくし、そうなればもっと難しいすごい魔法も使えるようになるわ」
「すごいまほう!」
「そうよ。火や水を出すだけじゃなくて皆を守ったりする魔法も使えるようになるの。
だけど最初にも言ったけど、これは毎日しないと効果がないわ。慣れるまではお母さんが手伝ってあげるけど、毎日自分で練習しないとダメよ。
ディアナにできるかな?」
「ん、あたしやる!」
ディアナは即答すると、自分の両手をつないで早速一人で魔力循環の練習を始めた。
顔を真っ赤にしながら、うんうんと唸っている。
しかしヘイディがやったようには簡単にできず、魔力は一ミリも動かない。
――ぷっ!
力みすぎたからだろう。
魔力は動かなかったが、代わりに可愛らしいおならが出てしまった。
「あら!?」
「えへへへっ、おならでちゃった」
照れくさそうな笑顔を見せるディアナに、ヘイディはもう一度彼女の手を取ると魔力循環の感覚を優しく教えていくのだった。
この日やる気を見せた娘のためにヘイディが教えた魔力循環。
これが将来『規格外』と称される、魔法士誕生のきっかけとなったのであった。
ヘイディがやらかしました。