バイトを探さなきゃ
「じゃあ、また後でね」
アルマが手を振って、自分の教室へと消えていく。
廊下で見送ったディアナは、アルマとは別のクラスだ。廊下をそのまま直進して、二つ隣の自分のクラスへと向かった。
魔法学校では、基本的に能力別にクラスが振り分けられていた。
各学年の一〇〇名は、二十名ずつの五クラスに分かれている。
教室はすり鉢状となっていて、教師の立つ教壇と大きな黒板を中心に扇状に机が並んでいる。机の配置は前方が低く、後方にいくにつれて高くなっていて、どの席からも黒板が見やすく配置されていた。
クラス分けは入学時の魔法のテスト結果でクラス分けされていて、優秀者から一組、二組、三組、四組そして五組と分かれていた。
ちなみにアルマは優秀者の集まる一組、ディアナは三組だった。
成績によって学年が上がる時に組替えおこなわれるが、能力の伸びによっては前後期ごとにもおこなわれる予定だ。
「皆様、ごきげんよう」
先ほど校門で挨拶をしていたクラリッサが、教室の入口で挨拶をおこなった後、なぜか教室の後ろにいるディアナの傍までやってきて隣の席に腰を下ろした。
彼女もディアナと同じ三組だ。だがディアナは、これまでほとんどクラリッサと喋ったことはなかった。
「なんでクラリッサ様が、似非エルフと一緒にいるんだ?」
いつもは教室の一番前の席に向かう彼女が、ディアナの傍に座ったことで、一瞬教室の空気がザワついたほどだ。もちろん表情には現さなかったが、ディアナも内心では驚いていた。
ちなみに「似非エルフ」というのも、ディアナがエルフのように尖った耳をしていることから取った彼女の渾名だ。
「ディアナさん、あなたまだボサボサのままじゃない。ブラシくらい持っていませんの?」
ディアナの髪の毛が乱れたままなのを見かねたクラリッサは、鞄からブラシを取り出すとディアナに差し出した。
「ん、ありがとう」
ディアナも特に表情を変えることなく素直にブラシを手に取る。
二人の間に何か起こるのかと期待していた周囲も、特に何も起こらないため、二人を注視していた視線は徐々に外れていった。
「もしかして寝坊したのかしら?」
手早く頭髪を整えていくディアナに、不思議そうな顔をしたクラリッサが声をかけた。
「いや、夜明け前から起きてる。朝練に集中しすぎた」
「朝練ってなんですの?」
「日課。小さい頃から続けてる」
クラリッサが矢継ぎ早に質問を重ねるが、ディアナは表情を変えずに無愛想に答えていく。
「あら、見かけによらず努力家ですのね。その……」
――カランカラン、カランカラン、カランカラン
日課という言葉に興味を引かれた様子のクラリッサだが、そこで授業開始の鐘が鳴り響き、同時に教師も教室に入ってきたため、彼女は口を噤むしかなかった。
「おはようみんな。今日も魔法学の続きをおこなっていくぞ」
この教師の名はエメリヒといい、三十代半ばで筋骨隆々の教師だ。
どこからどう見ても兵士や傭兵といった風貌だが、これでもれっきとした魔法学の先生だ。
言葉遣いはハキハキとして声も大きいが、見た目に反して運動は苦手なようで、その苦手意識が若干の猫背に現れていた。ある意味で、このユンカー魔法学校の名物教師である。
魔法とは、この世界に満ちている目に見えない魔力を利用して、任意の現象を起こすことをいう。
ただし空気中にある魔力は、そのままでは濃度が薄すぎて使えない。そのため魔力を体内に取り込んで濃度を高める必要があった。呼吸をするように無意識下で体内に取り込んでいるため、特に意識をする必要はなく魔力を取り込むことができる。
まだ発見されてはいないが、体内には魔力を生成する器官が存在するといわれていて、その器官の優劣が、個人の魔力量に影響を与えているとされている。
そして取り込んだ魔力を火、水、風、土の四属性をはじめ、使用する魔法の属性に変換して発動させるのが魔法と呼ばれる現象だ。
「基本属性以外の属性は前回やったと思うが覚えているかな? ハイノ?」
ハイノと呼ばれた教室の最前列に座っていた男子が視線を泳がせながら立ち上がった。
「えっ、えっと木属性?」
「他は?」
「えっと、……忘れました」
結局ハイノはそれ以上答えることができなかった。
恥ずかしそうに頭を掻きながら座る。
「ちゃんと復習しておくように。じゃ、他に分かる人はいるか?」
ハイノを座らせてエメリヒが視線をあげると、すでにクラリッサが自信満々に手を挙げていた。
「おっ、さすがクラリッサ様。ではどうぞ」
「木属性、金属性、陽属性、月属性の四つです」
すらすらと淀みなく答えたクラリッサに、クラス中から「おー」という声が上がる。
彼女は入学前から、すでに基本となる魔法学などはマスターしていた。
そのため座学の成績だけで言えば、新入生の中では断トツに優秀だった。
「うむ、その通りだ。みんなもクラリッサ様のようにちゃんと復習しておくようにな」
領主の娘のクラリッサに敬称を付けて褒めちぎるエメリヒに、教室の空気は微妙なものになるが、実際クラリッサは座学だけならば一組に編入されていてもおかしくなかった。
彼女は魔法学校に入る一年前から家庭教師がついていて、特別に魔法学や薬草学などを学んでいたからだ。
ただし魔力量に関しては平凡で、またそれほど魔法が得意ではなく、ディアナと同様に半分近くは詠唱が必要だったため三組に編入されていた。
「相変わらずスゴい」
「魔法はともかく属性は八つしかありませんのよ。キチンと覚えておかないと後で苦労しますわよ」
素直に賞賛したディアナに、クラリッサは呆れたような声を上げ笑う。
「ん、頑張って覚える」
クラリッサが指摘したように、魔法の属性でいえばたった八種の属性しかない。
火、水、風、土は基本四属性と言われていて、生活魔法もこの四つに含まれている。魔法の才能がなくて生活魔法と呼ばれる初級の魔法は、誰でも使うことができる。
火属性:火種をおこしたり、明かりを灯したりと最も使用頻度が高い。
水属性:生活に欠かせない水を生み出すことができる。火属性と並んで使用頻度が高い。
風属性:風を起こして涼をとったり、火種を大きくする際にも使用する。
土属性:農家にとっては水と並んで重要となる魔法。田畑を耕す際に使えると効率が段違い。
基本属性に対して木、金、陽、月の四つは上位属性と言われ、言葉通り基本属性の上位に当たる属性だ。
この八つの属性を合わせて八大属性といい、魔法士にとって基本となる属性だ。それぞれが強力な魔法だが、基本属性と違って魔力量があっても、その属性に対する適性がなければ使うことができない。
木属性:
植物の成長を促す魔法を使える。上位になれば植物を自在に操ることができる。
泥魔法など水と土を合わせたような属性の魔法が多く、水と土を合わせた派生の属性とする考えもある。
金属性:
金属を加工したり、変質させて別の物質に変化させる。
錬金術師になるために必須となる属性。
陽属性:
天候魔法や浄化魔法など強力な魔法が多いが、比例して消費する魔力量も桁外れ。
そのため適性があっても使いこなせない者も多い。
最上位の魔法では、部分欠損すら回復させる魔法も存在する。
月属性:
陽属性に対して陰属性とも言う。精神に作用する魔法や空間魔法やなど。陽属性と同様消費魔力が多いため適性があっても使いこなすことが難しい。
時代によっては禁忌とされていたため、今でも忌避感を持つ者が多い。
王宮魔法師となるには、最低でも四つの属性のうちひとつは適性がなければなることができなかった。もちろん他にも戦士や兵士などが使用する身体強化魔法などもあるが、八属性は放出系魔法に分類され、循環系と言われる身体強化魔法とは系統が違うため、魔法士ではほとんど使う者がいない。
「それで? 日課って何をやっているんですの?」
クラリッサは朝の会話が余程気になっていたらしく、学校が終わって帰ろうとしていたディアナとアルマを拉致するように、ヴィンデルシュタットの西側の繁華街にあるオープンカフェに連れてきていた。
二人にここの人気メニューのパフェを薦めると、ディアナに詰め寄っていた。
巻き込まれたアルマはもちろん、ディアナもすぐに思い出せずにいくつものクエスチョンマークを浮かべている。
「にっか?」
「あなたが言ったんじゃない。毎日の日課だって」
「あぁ」
思い出したのか、ディアナがポンと手を打つ。
アルマは苦笑いを浮かべながらも、パフェを食べる手を止めない。
「『あぁ』ではありませんわ。ディアナさんが今朝言ったことでしょう?」
「忘れてた。それよりもこれすごく美味しい」
「わたしも田舎では食べたことない!」
「それはそうでしょう。このアルホフ通りの名物ですもの」
ディアナとアルマが会話そっちのけで、パフェを美味しそうに頬張り続け、クラリッサも肝心の追及を忘れ、満更でもない様子で笑顔を浮かべていた。
アルホフ通りは飲食店や若者向けの店が軒を連ね、ヴィンデルシュタットでもっとも賑わっている繁華街だ。小さい頃からよく通っているクラリッサには、お気に入りの店もいくつかあるほどだ。
「このクリームっていうの? フルーツとの相性最高~!」
アルマは、頬にクリームが付いていることにも気づいていない様子で、スプーンを動かし続けていた。
「貴女たち、ユンカーに通っていれば毎日でも食べられるじゃない?」
クラリッサが苦笑しながらそう言うと、二人は気まずそうに顔を見合わせた。
「毎月カツカツでお金がない」
「今日はクラリッサちゃんが奢りだっていうから食べられたけど、わたしたちは自由にできるお金はほとんどないから……」
魔法学校に通うにはお金がかかる。
ましてやディアナやアルマは、地方から出て寄宿舎に入っているのだ。
もっとも二人とも推薦状のお陰で学費が免除となっていたが、ディアナは両親が貯めていたお金は寄宿舎代を除いて、村を出るときにペトルにと言って全てアハトに渡してきていた。
アルマも両親の貯金を切り崩し、それでも足りない分は村長からお金を借りて寄宿舎へと入っていたのだ。
そのため二人とも自由にできるお金はほとんどなく、昼食はいつも味気ないパンひとつとミルクだけという食事だった。
若者に人気のパフェとはいえ、彼女らには気軽に手が出せる値段ではなかったのだ。
「ごめんなさい。余計なことを言ってしまったわね」
クラリッサもさすがに余計なことを言ってしまったと、神妙に謝罪の言葉を口にした。
両親から学費を出して貰っている彼女だったが、それとは別に毎月少なくない額のお小遣いまで貰っていた。これまでの彼女の交友関係も似たようなもので、ディアナ達のような境遇の同級生と接するのは初めてだった。
「バイトするから大丈夫」
最後の一口を口に入れたディアナは、気にした様子もなくそう言って親指を立てた。
「そろそろちゃんと探さないとね。早くしないとわたし、そろそろお昼ミルクだけになりそう」
「寮の食事だけでは足りない」
アルマがお金が底を尽きかけてると自嘲気味に笑うと、ディアナも自分の胃の辺りを押さえながら頷いた。
寄宿舎代には食事代も含まれているため、基本的には毎日決まった時間に決まった量を食べることができた。しかし女子とはいえ、食べ盛りの年頃だ。多くの量を食べ続けたり、食料が高騰したりした場合には追加徴収されることもある。さすがに入寮して一カ月で追加徴収されることはなかったが、今後天候などによりどうなるかわからないため、非常時のためにもお金を稼ぐ必要があったのだ。
「でしたら探索士に登録してはどうかしら?」
「たんさくし?」
しばらく考え込んでいたクラリッサは、顔を上げると探索士になることを提案した。
「ええ、この街の探索士協会で、貧……苦学生のために仕事を斡旋していますの。
仕事の内容は薬草採取や魔法薬の調合といった、わたくし達ユンカーの生徒ならできる仕事を斡旋していたはずですわ」
探索士とは別名冒険者ともいい、薬草の採取などの簡単な仕事から、魔獣退治や魔物領域への探索など命の危険を伴う仕事までをおこなう。場所柄によっては傭兵崩れや柄の悪い連中が多く、街中で騒ぎを起こしたりして問題になっているが、さすがにヴィンデルシュタットではそういう輩は少なかった。また領都に近いだけに危険な任務も少なく、初心者や女性の探索士も多いのだという。
そこでヴィンデルシュタットの探索士協会では、魔法学校と協力して慢性的に不足しがちな、薬草や魔法薬の調合をお金に困っている学生に仕事として斡旋していたのだ。
「なるほど」
「いいかも知れないね。一度行ってみようか?」
ボンノ村では薬草採取は、子供達の仕事だった。
五歳くらいになると、年長者から薬草の種類や見分け方や、採取の仕方を学ぶのだ。
それはアルマの村でも同じだったらしく、二人は頷き合うと今度の休みに一度話を聞きに行こうという流れになった。
ところが……
「そう、なら今度三人で行ってみましょう」
どういう訳かクラリッサも一緒に行く気らしく、にっこりと笑いかけながら二人の腕を掴むのだった。




