学校へ行こう
「おはよう、ディアナちゃん」
「ん、おはよう」
ディアナが食堂に入っていくと、入口近くで食事を摂っていた薄い桃色の髪の少女が声をかけてくる。細い銀縁の眼鏡がトレードマークの赤褐色の瞳の少女だ。彼女はディアナより三歳年上で、名前はアルマといった。
歳は離れているが、ディアナと同じく今年から魔法学校に通う同級生だ。
同じ日にこのクノール寄宿舎に入り、部屋もちょうど隣同士だった。
アルマの故郷が、ディアナのボンノ村とそれほど離れていないこともあって、彼女から話かけるようになった。
この寄宿舎は女子専用で全部で六名。そのうちディアナを含む三名が同級生だ。
「今日は遅いじゃない。いつもの朝の日課?」
朝食が載ったプレートを持ってアルマの向かい側に腰を下ろすと、彼女がすぐに声をかけてくる。
ディアナは髪の毛がまだ乾いておらず、服が濡れてしまわないようにタオルを肩にかけていた。そのため早朝から魔法の練習をおこなったと分かったのだろう。
ディアナが毎日魔法の練習をおこなっていることは、アルマだけではなく、この寄宿舎の生徒全員が知っていた。
一日も休まず早朝から練習をおこなう彼女は、早くもクノール寄宿舎の名物となっていた。
「ん」
「毎日すごいね。わたしには無理だ」
無愛想にディアナが答えるが、アルマは特に気にした様子を見せず、そう言うと屈託なく笑った。
「アルマもできる」
「だって魔力……循環っていうの?
あれもの凄く気持ち悪いんだもん」
心底嫌そうに自分の身体を、抱き抱えるようにしてアルマが震えた。
実は引っ越してきた当日の夜、アルマの部屋で遅くまでお喋りしていた二人だったが、ディアナが魔法の練習を毎日しているという話をしたところ、思いのほかアルマが食いついてきた。
そこでディアナは彼女の手を取り、昔ヘイディがやったように、彼女に魔力を流してみたのだ。
「きゃっ!」
アルマは悲鳴を上げると、すぐに手を離してしまった。
「慣れれば平気」
ディアナが何度かそう言って誘ってみたが、申し訳なさそうに謝るばかりで、彼女が試したのは結局その一回きりだ。
その一回が余程気持ち悪かったのだろう、それ以来ディアナが練習をおこなっているときは、アルマは近づいて来ないほどだった。
ディアナが、領都であるヴィンデルシュタットにやってきてから、一カ月が過ぎようとしていた。
人口が百名に満たない農村から領都にやってきたディアナにとって、人の往来も店に並ぶ商品の量も、全てにおいて圧倒されっぱなしだった。
盗賊の襲撃を撃退した後、故郷で居場所をなくした彼女は、村を出るまで人の目を避けるように暮らしていた。
それまでは笑顔で接してくれた人々から笑顔が消え、恐れるような怯えるような冷たい視線に晒された。たまに視線が合うと慌てたように視線を逸らすなど、それまでと一八〇度対応が変わってしまった。暴走した時の記憶がなかったディアナには、周りの態度が突然変わってしまったことが、最後まで理解できなかった。
ディアナにとって一番堪えたのは、両親が亡くなり唯一の肉親となった弟のペトルから拒絶されたことだ。最後にペトルと顔を合わせたとき、彼ははっきりとディアナに恐怖していた。
二人きりの姉弟から突き付けられた拒絶の感情は、いまだディアナの心を深くえぐっていて、必要以上に人と関わり合いになることを遠ざけさせるには充分なものだった。
そのため練習や自室にいるとき以外、学校でも一人でいることが多くなり、喋っても口数も少なく表情や感情も乏しいため、いまだにアルマ以外に話をするような存在はほとんどいなかった。
そのため同じ新入生同士でわいわいと仲良くお喋りする中、彼女は誰とも関わろうとしないため、教室ではぽつんと孤立していた。
そんな彼女をアルマだけは、何かと気にかけ喋りかけてきたのだ。
彼女は社交的で明るく、物怖じせずに誰とでもすぐに打ち解けることができた。
距離をいきなり詰めてくる彼女に、初めは戸惑っていたディアナだったものの、それでも彼女のそっけない態度を気にせず接してくるアルマに、ディアナもいつの間にか気を許すようになった。
もちろん完全に気を許した訳ではなく、無愛想なのも相変わらずだったが、それでも彼女の前では多少表情を見せるようになっていた。
あの事件後、練習を辞めようと考えた時期もあったが、大好きだった両親を否定してしまうことになるように感じて結局日課として続けていた。
ヴィンデルシュタットに来てからは、朝早く起きて寄宿舎の敷地内にある小さな訓練場でおこなっていた。
今のところ早朝は誰もいないので、そこで朝食の時間まで、一人で集中して練習することができた。ただし日課をおこなった後は、汗だくになり疲れも少なからず残る。
午前中の授業内容によっては差し支えることもあるが、魔力循環をおこなった後の方が、魔力制御の精度が上がる気がするため止める気はなかった。
「あんまり根詰めると授業の前に疲れちゃうよ?」
「問題ない」
むしろ疲れてるくらいじゃないと目立っちゃう。
ディアナは内心でそう考えながら小さく親指を立てて見せた。
魔法学校に入って分かったが、彼女の魔力量は多くの魔法士候補が集う魔法学校でも飛び抜けて多かったのだ。
もちろん魔力量の多寡が、優秀な魔法士を決める訳ではない。しかしできるだけ人と関わりたくないディアナにとって、多すぎる魔力は目立つことになってしまうため、減らせるならできるだけ魔力を減らしておきたかったのだ。早朝おこなう練習は、そんな考えにうってつけだった。
また同じ理由でディアナが天候魔法が使えることは、アルマにすら内緒にしていた。
これも領都に来て知ったことだが、彼女は天候魔法は魔力の消費が大きいだけで、その消費に負けない魔力量があれば、生活魔法のように誰でも使えると思っていた。
だが魔法適正の授業で、たとい魔力量が自慢の者であっても、適正がなければ天候魔法を使うことができないことを知ってただただ驚いたのだ。
「じゃあ行こ」
「ん」
朝ご飯を食べ終わると、二人は連れだって学校へ向かった。
胸元に交差した杖の紋章が刺繍された黒地のローブが、ユンカー魔法学校の制服だ。
ちなみにディアナら一年生は緑、二年生は黄のラインがローブ背面の中央に縦に入っていて、色で学年が区別されている。
基本的にこの二色を順繰りに使用していて、二年生が卒業すると来年の新入生は黄のラインが入ったローブを着用する。
クノール寄宿舎から、領立ユンカー魔法学校は目と鼻の先にあった。
学校は二年制で、生徒数も全校合わせて二百人ほどとそれほど大きな学校ではないが、学校は領都の中央に官庁と隣り合うように建っていて、建物自体も重厚感を感じる石造りの立派な学舎となっていた。
学校では一年生は基礎学年生、二年生は応用学年生と呼ばれ、魔法学校という名の通り生徒は魔法を学んでいる。
ユンカー魔法学校には、将来魔法士を夢見る十歳から十五歳までのビンデバルト領の少年少女が在籍していた。
同級生だからと言っても、ディアナよりも三歳年長のアルマのような生徒もいるなど、同学年でも年齢の幅があるが、できる限り優秀な生徒を集めるためあえて幅広い年齢層としているらしい。
魔法学校卒業時には、自動的に六級魔法士の資格を与えられ、王国各地で魔法士として活躍していくことになる。
また成績優秀者に選ばれると五級魔法士の資格と王都の上級魔法学校への推薦という道が開け、そこでの学びによっては全魔法士の憧れである王宮魔法師へと道がつながっている。
通学路には官庁に登庁する大人に交じって、周辺に点在する寄宿舎などから通う生徒の姿が見えていた。
校門には生徒と同じように黒いローブをまとった先生の姿が見える。先生のローブは黒一色で、学生達のような色の帯は入っていない。
校門には先生に混じって、何名かの生徒の姿も見える。彼らは登校してくる生徒ひとりひとりと挨拶を交わしていた。
「おはよう」
「ちょっとディアナさん!」
ディアナが校門の少女に挨拶をした後、足早に通り過ぎようとするが、少女は尖った口調で彼女を呼び止めた。背中には緑のラインが入っているため、ディアナと同じ基礎学年生だ。
「何?」
「『何』ではありませんわ。あなた髪の毛がボサボサじゃないですか!?」
金髪を縦ロールに巻き付けた美しい碧眼の少女は、ズカズカとディアナの目の前まで来るとビシッと人差し指を突きつけ、キッと鋭い目で睨み付ける。普通にしてれば息を飲むような美人だが、少々キツい印象を与える吊り目が、怒ることでさらに吊り上がっていた。
彼女の名はクラリッサ。
このビンデバルト領を治める辺境伯家の一人娘で、ディアナと同様、この春より魔法学校に通う十二歳の少女だ。
クラリッサが指摘した通り、ディアナはギリギリまで魔法の練習をしていたため、キチンと身だしなみを整える時間がなかった。そのため頭髪は簡単に風魔法で乾かした後に手櫛で整えただけだった。
「乾かす暇がなかった」
「あなたねぇ、女性なんだから時間がなくても身だしなみくらいはちゃんとしなさい。だから『マネキン人形』なんて不名誉な渾名を賜ってしまうのですわ」
ディアナの言い訳に、クラリッサは呆れたように溜息を吐く。
彼女は毎日時間をかけて頭髪を縦ロールにし、学校にいる間は基本的に脱ぐことがないローブの下にも、しっかりとドレスを着込んでいた。
彼女が指摘したように無愛想なディアナは、クラスではすでに名物となっていた。口さがない男子達が、ほとんど表情を変えず、口数も少ないディアナのことを「マネキン人形」と呼ぶようになっていたのだ。
「ん、次から気をつける」
気のないディアナの返事に表情をしかめるが、クラリッサはそれ以上何も言わず、二人を見送るのだった。




