【閑話】都会がわたしを呼んでるの
「おねぇちゃぁん!」
泣きべそをかいた幼い男の子が、姉の胸に甘えるように飛び込んでくる。
薄桃色の髪を揺らし、細い銀縁の眼鏡をクイッと上げた少女は、呆れたような声を上げながらその男の子を抱き上げた。
「なぁにカール、また喧嘩したの?」
「ウッツがいじわるしたぁ……」
カールと呼ばれた男の子は、姉に抱きつくと安心したのか声を上げて泣き出した。
少女は軽く溜息を吐くと顔を上げる。
その瞬間カールとよく似た男の子が、少女の視線を受けてビクリと震えた。
「こらウッツ!
カールの面倒を見なさいと言ったでしょ。なんで意地悪するの!?」
「お、俺はわるくない。カールがわるいんだ」
「ふうんそう、じゃあエマ教えてくれる?
ウッツの言ったことは本当?」
「ウッツがカールをぶった」
「エマこいつ!」
「ウッツ!
こっちに来なさい!」
「いやだ。ねぇちゃんにころされるもん!」
そう捨て台詞を吐くとウッツは駆けだしていった。
少女はしがみついてるカールを振りほどくわけにいかず、駆けていく弟の背中を見送るしかできなかった。
ここはディアナの住むボンノ村から、それほど離れてはいないホイス村だ。
村には農作物以外の産業がないことも、ボンノ村と同様のいたって普通の農村である。
この少女はこの村で生まれた。
名をアルマといい、今年十三歳になったばかりだ。
彼女は四人兄弟の長女で、下に六歳でやんちゃ盛りのウッツと五歳の大人しいエマ、末っ子で三歳のカールがいて、農繁期には自然と下の子らの面倒をみることが多かった。
「んもう、ウッツったら」
ウッツがもう少し落ち着いてくれればずいぶん楽になるのに。
詮ないことを考えながら、カールを抱き上げてあやしていると、エマもアルマに抱きついてくる。
「あら、エマも抱っこして欲しいの?」
アルマが聞くとコクリと首を振って抱っこをせがんだ。
「もう、エマは甘えん坊ね」
右手にエマ、左手にカールを抱き、アルマは忙しそうに畑仕事に勤しんでいる父や母を眺める。
この時期はどの家も忙しく、子供達も親の農作業を手伝ったり幼い兄弟の面倒をみたりしていて、ある意味当たり前の風景となっている。
「わたしも当たり前のように畑作業していくのかしら」
「おねぇちゃんどうしたの?」
意識せず零れ落ちた言葉に反応したエマが、不思議そうにアルマを見上げていた。
「ううん、なんでもないよ。そうだ、ウッツがいないうちにおやつ食べちゃおうか」
「やったぁ」
誤魔化すようにそう言ったアルマが、二人を抱いたまま家へと足を向けた。
誰にも告げたことはないが、彼女には密かな夢があった。
それは「都会で暮らしてみたい」というささやかな夢。
誰もが一度は考えるようなありふれた夢。
おしゃれな服を着て街を闊歩したり、友達と美味しい食べ物を食べ歩いたり、素敵な男性と恋に落ちたりと刺激的で夢のような毎日を過ごしてみたいと考えていた。
当然ながら現実は甘くなく、都会で暮らす伝手もお金もないアルマには、代わり映えのしない毎日が延々と繰り返されるだけだった。
それでも一度だけでいいから何時かは行ってみたい。
だがアルマのその思いは、いつしかただの憧憬へと変わり、日々の忙しさに埋もれてしまっていた。
「喉を潤すささやかな恵みを 水よ」
「ウッツはもっと丁寧に。コップからほとんど零れてるじゃない!
エマはよくできてるけど丁寧すぎるわね、今度はもう少し早くしてみようか。
カールはしっかり集中しないと魔力が消えちゃうわよ」
ある日、アルマは弟達と魔法の練習をしていた。
アルマは自分の練習の合間に弟達の様子に気を配り、辛抱強くアドバイスを送る。
魔法の練習は、幼い弟達の性格が色濃く表れていて三者三様だ。
がさつなウッツは、魔力制御が適当なためせっかく生み出した水が、ほとんどコップに入らず零れてしまっていた。逆にエマはほとんど零すことはなかったが、丁寧すぎて時間が掛かっている。魔法を教わり始めたばかりのカールは、まだ魔力を維持することすら難しそうだ。
水や火を生み出す生活魔法は、日々の暮らしに欠かせないものだ。
使えなければ火起こしや水くみなど、わざわざ時間をかけて肉体労働をおこなわなければならないため、時間対効果が非常に悪くなる。
そのため村では、三歳ぐらいになれば誰もがみな魔法の練習を始めていた。
教えるのは兄や姉、または両親など様々だったが、それほど難しい魔法ではないため、誰もがすぐに使えるようになり、彼らはまた下の世代へと教えていく。
「ほう、面白い子がいるじゃないか」
その日、ホイス村を訪れていた若い魔法士の目に、四人で練習に励むアルマの姿が映った。
その魔法士は、王宮魔法師の証である薄いグレーのローブを羽織っていた。
彼らは普段は王宮から離れることはないが、要請が入れば王命によって各地に派遣されていた。
今回はビンデバルト辺境伯領周辺を中心に、深刻な被害が発生している干ばつの調査と救援のための災害派遣だ。
アルマの村の干ばつ被害は比較的軽かったが、他では水源が干上がるなどの甚大な被害が出ていた。
そんな中、彼らは各地で救援活動をおこなうと共に、将来有望そうな若い子供をスカウトする役割も負っていた。
その魔法師の目に留まったのがアルマだった。
彼女は三人に目を配りながら、自分の魔法の練習も続けていた。しかも弟達に目を配りながらでも、コップから一滴も零さないという、高度な魔力制御をおこないながらだ。
ベテランの魔法士でもなかなか難しいことを、十歳そこそこの少女がおこなっていたのだ。
その魔法師はすぐにアルマに声をかけた。
「お嬢ちゃん、あんた魔法士に興味はないかい?」
「え!? 特にないですけど……」
突然現れた灰色の魔法士を警戒したアルマは、三人を自分の後ろに庇うようにする。
「ははっ、ゴメンゴメン警戒させちゃったか。
俺は王宮魔法師のドミニクっていうんだが、お嬢ちゃんは魔法をどこかで習ったのかい?」
ドミニクと名乗った若い王宮魔法師は怖がらせないように笑顔を見せ、必要以上に近づかないようにしながら尋ねた。
王宮魔法師の名は王国中に轟いていた。
選りすぐりの魔法士の中から選ばれた彼らは、いわば王国の最強戦力でもあり、魔法を志す者すべての憧れの存在だった。
アルマのように片田舎に暮らし、魔法士と関わりのない者でも名前くらいは聞いたことがあるほど有名な存在だった。
「おじさん魔法師様なの?」
目の前の人物があの王宮魔法師だと知ると、ウッツはすぐにアルマの背から飛び出し、キラキラした目を浮かべてドミニクの傍に駆け寄った。
「おじ……俺はまだ二十二なんだけどなぁ」
ウッツからおじさんと呼ばれたドミニクは、苦笑を浮かべながら頬を掻く。
「それでわたしに何かご用ですか?」
ウッツと違っていまだに警戒したままのアルマが、硬い表情で尋ねる。
ただし男の正体を知って警戒が薄れたのか、表情は若干柔らかくなっていた。
「嬢ちゃんの名前はなんて言うんだい? 歳はいくつ?」
「わたしはアルマ。……十…三歳です」
まだ子供とはいえ不躾に女性の年齢を聞いてきたドミニクに、アルマは若干の不快感を示しながらも質問に答えた。
「そうか、ギリギリだがまだ間に合うな。アルマ、ご両親と話がしたいんだが農作業中かい?」
「ええ、呼びますか?」
「いや大丈夫だ。今から水源の様子を見に行かなきゃならないんだ。
それに今日は村長のところにやっかいになる予定だ。夜にあらためてアルマの家に寄らせてもらうよ」
何やら一人で納得したドミニクは、唐突に両親と話がしたいと言い出し、返事を待たずに水源の方向に歩き出した。
「おねえちゃん、あの人だあれ?」
「とっても偉い魔法師様よ。
今年はみんな雨が少ないって困っていたでしょ。だから様子を見に来てくれたのね」
「ねぇちゃん、おれたちもいこう」
「まほうしさまのまほうみたい」
「そうね、行ってみましょうか?
でも邪魔しちゃ駄目よ」
「やったぁ!」
アルマ自身も王宮魔法師の使う魔法に興味があったこともあり、ウッツやエマからせがまれると、カールを背負い二人と手をつないで水源へと歩き出した。
「すごい。村中の人が集まってるんじゃない?」
噂を聞きつけたのだろう。娯楽の少ない田舎でもあることから、村の住民全員が来ているのではと思うほど多くの人が水源に集まっていた。
そんな中、水源の傍で村長と難しい顔でドミニクが話していた。
二人はしばらくの間話し込んでいたが、程なくドミニクを残して村長が下がっていった。
すると集まった村人の中から「始まるぞ」と声が聞こえ、皆固唾を飲んで見守った。
ドミニクは水量の減った水源を睨みながら、集中するように杖を構える。
「天つ御恵よ 生命の源よ ひび割れた大地を癒し、乾ける大地を潤せ 雨よ」
蕩々と紡がれた詠唱の後、ドミニクが高く杖を掲げると、水源の上を俄に黒雲が覆い始めた。
気温が下がってきたのか、風が冷たく感じられる。
やがて水源を覆い尽くした黒雲から、篠突くような雨が降り始めた。
「すごい……」
ドミニクの魔法に圧倒されたアルマは、雨に濡れるのも構わずにそう呟いていた。
その夜、ドミニクは村長を伴い、約束通りアルマの家へとやってきた。
「単刀直入にいうと、お嬢さんを魔法学校へ進学させて欲しい」
彼は両親への挨拶もそこそこに、アルマの進学を切り出した。
「昼間お嬢さんが魔法を使っているのを見たんだが、非常に繊細な魔力制御を見せていました。
もちろんアルマの努力次第ですが、魔法学校にいけば将来優秀な魔法士になれるかも知れません。ぜひ魔法学校への入学を許可していただきたいと思います」
「うちのアルマが!?
王宮魔法師様に娘を高評価いただけるのは嬉しいが、学校に入れるとなれば金がいるだろう?
家は見ての通りしがない農家でしかない。とてもじゃないが学校に行かせる金など出せる余裕がない」
両親は娘の意外な高評価に顔を見合わせるが、すぐに苦虫を噛みつぶしたような顔で首を振った。
優秀な魔法士を養成するため、王国内の都市部には魔法学校が作られていた。だが、授業料はとてもではないが、普通の平民に払える金額ではなかったのだ。
「もちろん授業料もあるしこの村から通うこともできないため、寄宿舎に入ることになるだろう。授業料と寄宿舎、両方の金額を足せばちょっとした財産などあっという間に飛んでしまう。
もちろん王国としてもそんなことはわかっています。
高い素質を持ちながら学ぶ機会がなかったため、在野に埋もれてしまう魔法士を救済するために、王国はこれを用意しています」
ドミニクはそう言うと、コトリとテーブルの上に青いペンダントを置いた。
複雑な文様が刻まれた青い宝石が中央に配されたペンダントだ。
「これは?」
「入学時にこれを見せれば、授業料が免除になる魔法の石だ」
ドミニク曰く、ペンダントは一種の推薦状の役割をするものらしい。
彼の言うとおり、ペンダントがあれば高額な授業料が全額免除になるという、俄には信じられない効果があるアイテムだった。
「流石に寮費や生活費までは面倒見ることはできねぇが、これで随分と敷居が下がったはずだ。
全額とはいかないが、村長からもある程度の資金は貸し出すことは可能だと確認している」
ドミニクの言葉に村長は頷いて続けた。
「ホイス村から魔法士の卵が出るのは初めてだ。
ホイス村の名を売るためにも、ぜひアルマには魔法学校に行って欲しいと考えている」
「アルマ」
それまで黙っていた父親がアルマに声をかける。
普段の優しい眼差しと違って悔恨のにじんだ表情を浮かべていた。
「お前はこっちのことは気にせず、魔法学校に行ってこい」
「えっ!?」
その言葉に隣の母も頷いていた。
アルマはまさか、両親が後押ししてくれるとは思わなかった。
十歳を過ぎれば、家の経済力がどれほどあるのかは薄々感じ取ってくるものだ。授業料が免除になるとはいえ、家の経済力では寮費など出せるとも思えなかった。
「俺達はアルマが密かに都会に憧れていたことは知っていた」
「知っていて黙っていたの」
「不満も言わずに弟達の面倒を見てくれることに甘えて、お前には今まで苦労をかけてきたことにすまないと思っている」
「そうね、もっとわがままを言ってくれればよかったんだけど、アルマは優しいから。
多分だけど今回も、わたし達のことを考えて断るつもりだったでしょ?」
どうやら、両親にはアルマの考えはお見通しだったようだ。
しかも彼女が都会への憧れを持っていることも知っていた。
「俺達や弟達のことは考えなくていい。
アルマの人生はアルマのものだ。
だからお前はお前のやりたいようにやればいいんだよ」
「ねぇちゃん、おれだってエマやカールのめんどうくらい見れるから。
だからいっておいでよ」
あれだけ手を焼かされたウッツも、自信満々にアルマを後押ししてくれていた。
「みんな……」
「だそうだ。あとはアルマのやる気次第なんだが……どうする?」
家庭や金銭的な障害が取り払われた今、アルマの前には魔法学校への扉が開いていた。
後はこの扉を潜る勇気を持てば、憧れだった都会へ行くことができる。
だが、嬉しいと同時に家族と離れる若干の寂しさも沸き上がってきた。
「わかったわ!
皆が応援してくれるんだもの、わたし行ってくる」
アルマは寂しさを押し殺すように、元気よく返事をすると、花が咲いたような笑顔を浮かべるのだった。
ドミニクの使った魔法が、本来の降雨魔法と呼ばれるものです。