【閑話】辺境伯家令嬢として
「クレア!」
少女が自室で勉強していると、入室してきた紳士然とした男性が若干興奮したように娘の名を愛称で呼んだ。
「何ですかお父様、興奮されてどうしましたの?」
教科書から目を上げた少女が、父を振り返って碧眼を向ける。
縦ロールにした金髪が、可愛らしいドレスの胸元で優雅に揺れる。
「たった今、ユンカーから連絡が入ったんだ。お前の魔法学校への入学が決まったそうだ」
「お父様、それは本当ですの!?」
少女が喜色を浮かべ、思わず立ち上がった。
父と呼ばれた男性が、娘を抱き寄せて相好を崩した。
娘にデレデレの彼だが、実は辺境伯であり王国では絶大な権力を誇っており、れっきとした大貴族の一人だ。
王都から離れたこの地を、代々守護してきたビンデバルト家の現当主で、名をベルンハルトという。
その辺境伯が、およそ他には見せられないようなデレデレした顔で、娘を抱き上げていた。
「ああ本当だとも。わたしがお前に嘘をついたことはあるか!」
「嘘をついたことはありませんけれど、先日はわたくしの魔法の成績では難しいと仰ってたではないですか!?」
「ははは、確かにそう言ったな。あの時はブルーノと比べてしまったからな。本当に無理だと考えていたんだ」
ブルーノとは辺境伯家に仕える子爵家の次男で、少女のひとつ年下だった。
彼もまた今度から、その少女と一緒に魔法学校に通うことになっていた。
長年軍務を司ってきた子爵家は、古くから優秀な魔法士を排出してきたことでも有名だ。
幼い頃より「天才」ともて囃されてきたブルーノは、子爵家の歴代の魔法士と比べられるほどの才能に恵まれ、将来を嘱望されていた。
さすがにそのブルーノと比べてしまうと、誰だって見劣りしてしまうだろう。
実際少女の魔法能力は、ブルーノと比べるのもおこがましいほどの平凡なレベルなのだ。
「そうだとしても合格できたんだ。きっとクレアが毎日魔法の練習を続けたからだよ」
少女は小さい頃に読んだ絵物語で、密かに魔法士への憧れがあった。
少女は自身の魔法能力が低いことは承知していたが、十五歳となり成人すると王都の侯爵家に嫁ぐことが決まっていた。嫁いでしまえば二度と夢を見ることもできなくなる。そう考えた少女は、それまでに幼い頃に憧れた魔法士になりたいという夢を叶えたいと考えた。
これまでわがままをほとんど言わなかった少女は、兄を味方に付けて両親を説得した。
さすがにすぐに賛成とは行かず、条件付きであったが魔法学校への入学の道が開けたのだ。
その条件とは、一年間家庭教師の下で魔法の練習をし、上達が認められれば入学を認めると言うものだった。
魔法士としての活動期間が一年短くなってしまったが、それでも少女は喜んで練習に励むのだった。
彼女はもともとそれほど魔力が多くなく、魔法への適性も平凡なものだったため、魔法学校入学の基準を満たしていなかった。
それでも彼女は泣き言ひとつ言わずに一年間必死で練習を続け、ついにその夢の一歩をつかむまでに至ったのだった。
「ありがとう存じます。お父様」
「よかったなクレア。毎日頑張っていたのを神様が見ていてくださったんだね」
丁度彼女の勉強を見ていた三歳年上の兄ファビアンも、ややウェーブのかかった金髪を揺らしながら笑顔を浮かべて妹を祝福した。
「ありがとうファビアンお兄様。わたくしもっともっと勉強して、辺境伯家の名に恥じない成績を修めますわ」
やる気に満ちた顔で少女が決意を新たにする。
「応援してるからな。まぁ頑張り屋のクレアのことだ。言わなくても頑張るだろうけどね」
「もちろんですわ。こう見えてわたくしもビンデバルト家の端くれですもの。
こうしてはいられませんわ、早速魔法の練習に行って参ります」
そう言うと意気込んで部屋を飛び出していった。
少女の部屋に取り残された二人は、苦笑を浮かべながら彼女の部屋を出ると、階下のリビングへと移動していく。
「父上、クレアは大丈夫でしょうか?
確か魔法学校では座学よりも、魔法の成績が何より優先された筈ですが……」
「そうだな。今のあいつの魔法技術では厳しいだろうな」
座学ではもう教えることがないほどの成績を修めている彼女だったが、魔法の能力はそれほど伸びてはいなかった。家庭教師を付ける前と比べると、もちろん雲泥の差で成長していたが、それでも魔法学校ではよくても平均レベルだろう。
「それはわたくしも心配ですが、それよりあの子は少し頑固なところがあるでしょ。学校にうまくなじめるかしら?」
リビングに移動した二人を待っていたのは、ベルンハルトの妻で二人の母親であるイリーネだ。
二人にお茶を勧めながら憂い顔を浮かべる。
少女は一度こうと決めたらそれに邁進していく努力家だが、それに集中するあまり融通が利かなくなるときがある。家にいれば誰もが傅くような環境だったが、学校に入れば建前上は身分は関係なくなる。
自分に不利益を被った際、果たして癇癪を起こしはしないかと心配だったのだ。
「母上の言うとおり、あいつは貴族との付き合いしかしたことがないからな。そういう意味では僕も心配です」
「お前達のその気持ちはわからんでもないが、心配だからと閉じ込めておく訳にはいかんだろう。将来侯爵家に嫁いでからでは遅いのだ。今のうちに人との関わり方を学んでおいた方がよい」
「それはそうですけども、やはり心配ですわ」
ベルンハルトの言葉でもイリーネの表情は晴れなかった。
だが心配の絶えない彼女に、彼は意外なことを口にする。
「確かにクレアは世間知らずだろう。しかしあいつも気付いていないようだが、人を見る目はわたしを超えるかも知れん。わたしも観察眼に自信はあったがあいつのは少し違う。わたしやファビアンがその人物の言動を観て判断するのに対し、クレアは直感的にその人となりを判断しているようなのだ」
「そうなのですか?」
「ああ本当だ、お前もあの子が屋敷の使用人や小間使い達にも分け隔てなく接しているのを観たことがあるだろう?」
「ええ、あまりにも気さくに接していたため威厳を持って接するようにと何度か注意いたしましたが、そのたびにきょとんとした顔を浮かべていましたわね」
「クレアがそのように接している者を覚えているか?」
ベルンハルトがそう尋ねると、イリーネとファビアンが揃って思案し始めた。
「確か、使用人のアンネマリーやエラ、執事のアルバン、給仕のヘラあたりかしら」
「この間、僕は庭師のカールじいさんとも親しげに話していたのを見たよ」
二人は指折り数えながら、少女が親しくしていた人物を数え上げていく。
その内にファビアンがあることに気付く。
「あれ? これって……」
「気付いたか?」
ベルンハルトがそう言ってニヤリと笑う。
「代々家に仕えてる者……でしょうか?」
ファビアンが途中から自信を失ったように言葉に力をなくしたのは、ここ数年で新たに雇い入れた者がいることに気付いたからだ。
アンネマリーやアルバン、カールは代々ビンデバルト家で働いている家系の出身だ。
だがエラやヘラは必要に応じて最近になって雇い入れた人物だった。もちろん仕事ぶりは申し分ないが、長年働いてくれているアンネマリーなどと比べれば信頼度は違う。
「無意識だと思うが、おそらくクレアは感覚的に、味方になりそうな人物を見分ける能力があるのだと思う。その人物が好きだとか嫌いだとかに関係なくな」
「それって凄い能力じゃないですか!」
その話が本当だとすれば、貴族界で派閥を作るために四苦八苦しなくてすむ。領地経営する者にとっては喉から手が出るほど魅力的な能力だろう。
「凄い能力であることは確かなんだが、どうやら人物の能力に関係ないようでな。
クレアの中では自分に害をなすかなさないかが、判断基準になっているようだ」
「それは何というか中途半端ですね」
自分の派閥を有利にするために、社交を重ねているのが貴族だ。
だが彼女の能力は、自分にとって害となるかならないかが判断基準となっていて、相手の身分は全く関係なかったのだ。
「でもクレアにとっては味方なのでしょう?
素晴らしい能力じゃないですか、あの子はこのことを知っているの?」
ファビアンが残念そうにする一方で、イリーネは嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「いや、クレアには伝えていない」
「どうして?」
「クレアのこの能力は、持って生まれた一種の才能だろう。残念ながらまったく気付いてはいないようだがな」
ベルンハルトはそう言って肩をすくめる。
「なら教えてあげた方がいいのでは?」
「いや、これから先クレアにはいろいろな試練が待っているだろう。
学校に行けば思いがけぬ悪意にさらされることもあるかも知れないし、自分ではどうしようもない事態に陥るかも知れない。
そんなときにこの能力があれば大いにクレアの役に立ってくれるとは思う。だが自分の努力の末に手に入れた能力ではないものだ。いつか突然なくなってしまうかも知れない。
わたしはそんな頼りないものに頼るような人生を、クレアには送って欲しくないのだ。だからわたしはこのことはクレアには伝えない方がいいと思う」
「そうですわね。これから先わたくし達が何時までもあの子の人生に、あれこれと口を出す訳にはいきませんものね。
これはわたくし達の中で留めておきましょう。ファビアンもいいわね?」
「わかりました母上。しかしあの小さかったクレアが、自立するとなると何だか感慨深いですね」
「それはあなたもよファビアン。わたくし達からすれば二人ともあっという間に大きくなった感覚ですわ」
イリーネがそう言ってファビアンを抱き寄せ頭を撫でる。
「やめてください母上」
「あら、照れてるの? あなた達はいつまで経ってもわたくし達の小さな子供です。いつでも甘えていいのよ」
ファビアンは顔を真っ赤にしながら身じろぎして逃れようとするが、イリーネがそれを許さない。結局気の済むまでさせるようにしたらしく、ファビアンは抵抗するのを諦めた。
「ははは、ファビアンもクレアもわたし達の自慢の子供だ。もちろんここにいないエッカルトもな。
三人とも貴族にも平民の使用人にも、分け隔てなく接することができるからわたしはそれほど心配はしていないんだ。
それにクレアにはこの先学校で、生涯の友と呼べるようないい出会いが待っているかも知れないよ」
「でも学校では模擬戦などもするのでしょう? 怪我しないか心配だわ」
「流石にブルーノと張り合えば危険だと思うが、今のクレアの実力だとそこまでいかないだろう。
どちらかと言うとわたしは自信をなくしてしまう方が心配だよ」
「クレアなら大丈夫ですよ。だってこの一年休まず努力を続けてきたんですよ」
「そうだな。困難が目の前にあれば乗り越えようとする強さがあの子にはある。
きっと何があっても大丈夫だろう」
「そうですわ。それに卒業すれば侯爵家に嫁ぐことになりますもの。
少しの間だけですけれどあの子の好きなようにさせてあげましょう」
三人は階下に見える中庭で、魔法の練習に励むクレアを、愛しげに眺めるのだった。
第二章で登場する新キャラです。
明日、もう一人の新キャラのお話を投稿します。




