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バケモノ

穏やかな日差しが降り注ぎ、優しい風が頬を撫でていく。だが、その心地よいはずの感覚も、今はただ虚しく胸に響くだけだった。

全てが終わった今、誰もすぐには動けず、静寂が支配していた。

それは、死と隣り合わせの激戦を終えた後の、深い疲労の証だった。辺りには黒焦げになった海賊達があちこちに倒れ伏し、いまだに身体から煙を立ち上らせている者さえいた。彼らの無惨な姿は、つい先ほどまで繰り広げられていた死闘の記憶を生々しく蘇らせる。

生き残ったブルーノやエルマーも、その場に立ち尽くすことしかできなかった。彼らの視線は、呆然とディアナを見つめている。彼女が放った圧倒的な魔法の力が、未だに彼らの脳裏に焼き付いていたのだ。

助けられた子供達は、目の前で起こったことを理解することができず、ただ身を寄せ合って震えていた。彼らの小さな瞳には、恐怖と混乱の色が深く宿っていた。

そんな中、凍り付いたような静寂を破る、アルマの悲痛な叫びが響いた。


「クレアちゃん!」


その声は、張り詰めた空気の中で異様なほどに大きく響き渡った。

クラリッサは、意識を失ってアルマの腕の中でぐったりとしていた。アルマが抱きしめる彼女の体は、先ほどまであったわずかな温もりさえ失いつつあるようだった。

クラリッサの顔色からは見る見るうちに血の気が失せ、唇は青ざめていた。呼吸は浅く、か細い吐息を漏らすばかりで、鼓動も弱々しくなっていくのがはっきりと感じられた。


「クレアちゃん、しっかりして!」


涙を浮かべたアルマが必死で呼びかけ、持っていた回復薬をクラリッサの傷口にかけるが、薬の反応が鈍くなってきていた。通常ならば何らかの反応が起こるはずの薬が、生命力の低下によって受け付けなくなったかのようだった。

駆け寄ってきたマーヤやモニカも、心配そうな顔でクラリッサを覗き込んでいるが、その表情には悲痛なものが浮かんでいる。

早くちゃんとした治療を受けさせたいのは山々だった。だが、ここは無人島だ。医療設備も、十分な薬もない。それは不可能だと誰もが理解していた。このままではクラリッサの命が、風前の灯火のように消えてしまうことが確実だった。


「……ディアナちゃん?」


ふとアルマが見上げると、ディアナが二人を、いや、クラリッサを見下ろしていた。その瞳の色は翡翠色に戻っていたが、まだ強い光が宿ったままだった。


「死なせない」


ディアナの口から紡がれた言葉は、静かでありながら、確固たる決意に満ちていた。ディアナは再び杖を構える。その動きは、迷いなく、力強かった。


癒しの聖光(ハイリゲスリヒト)


彼女の口から詠唱された言葉は、希望の光のように静寂な島に響き渡った。杖の先から放たれる魔法の光は、クラリッサの全身を優しく包み込んだ。

すると、クラリッサに刺さったままの矢が、まるで意思を持った生き物のように、ずるりと音を立てて彼女の身体からゆっくりと抜けていく。その光景は、常識では考えられないほどの奇跡であり、誰もが息をのんで見守っていた。

ディアナが唱えた魔法に、一同は驚きの表情を隠せなかった。それは陽属性の中でも特に上級とされる治癒魔法であり、回復薬では治療できない欠損部分をも修復する強力な力を持つ魔法だったからだ。

驚きの表情を浮かべるアルマらが見守る中、矢は「カラン」と乾いた音を立てて地面に転がった。そして、魔法の光はクラリッサの傷口へと集中し、傷をゆっくりと癒し始めた。

どうしても血が止まらなかった深い傷が、まるで時が巻き戻るかのように、みるみるうちに塞がっていく。血の気がなく青白かったクラリッサの顔色には、徐々に朱が戻り、生気が宿っていく。弱々しかった呼吸も、ゆっくりと、そして規則正しく落ち着いたものへと変わっていった。

やがて、クラリッサの瞼が震え、そして、ゆっくりと大きく開かれた。その瞳は、まだかすかにぼやけてはいたものの、確かに生命の光を宿していた。


「クレアちゃん!」


アルマが安心したように、涙でくしゃくしゃになった顔でクラリッサを強く抱きしめた。マーヤはモニカと抱き合って喜びを分かち合っている。二人の目からは、止めどなく涙が溢れ落ちていた。ブルーノとエルマーは、ようやく訪れた安堵に、ほっとしたように呆然と立ち尽くしていた。

ディアナは、その光景を静かに見つめていた。軽く息を吐くと、彼女はゆっくりとその歓喜の輪から離れていく。

彼女の脳裏には、かつて村を救ったあの日の記憶が鮮明に蘇っていた。それは同時に、村人から「()()()()」と呼ばれ、恐れられた苦い記憶を思い起こすものだった。

当時のディアナは記憶を失っていたこともあり、村人の豹変した態度に理解が追いつかず、ただ戸惑うばかりだった。特に、まだ幼かった弟のペトルから「怖い」と拒絶された時の、胸を抉られるような痛みは、今も彼女の胸に小さな棘となって刺さっていた。

しかし、記憶を取り戻した今、村の皆がディアナを恐れた理由が、嫌でも理解できてしまった。

当時のディアナはわずか九歳の少女だった。その幼い少女が振るった圧倒的な力は、当時の村人にとっては人知を超えた力と映っただろう。魔法への知識を持たない彼らにとって、それは理解不能な、ただただ恐ろしい力でしかなかったのだ。


「バ、バケモノ……」


マルコの絶望に歪んだ顔が、かつての村人たちの表情と重なる。あの時の村人たちも、このような顔で自分を見ていたのか。そう思うと、ディアナの心は深く沈んだ。


「……また、……独りになっちゃう」


寂しそうにディアナが独り言ちた。ふと零れたその言葉は、彼女が思っているよりも深く、そして重く、心の中へと沈んでいく。急に世界中でたった一人で取り残されてしまうような、心細さと恐怖が、津波のように彼女の心を襲った。

それは、独りぼっちには慣れていたつもりだったディアナにとって、予想していなかった感情だった。今まで感じたことのない、底知れない孤独が彼女を包み込み、身動きが取れなくなるような感覚だった。全身の力が抜け落ち、思考すらままならない。心臓が鉛のように重く、体中の血が凍りつくような冷たさが、じわりと全身に広がっていく。

今ではクラリッサやアルマ、それにブルーノ。ユンカーやアルケミアで出会った友人達。自分では自覚しないうちに、数えきれないほど多くの人との関わりがあり、支えたり支えられたりして過ごしてきた。彼らの存在が、いつの間にかディアナの日常を彩り、心の拠り所となっていたのだ。村では百名にも満たなかったが、今度は遥かに多くの人達から拒絶されるかと考えると、震えるほどの恐怖でしかなかった。この温かい繋がりが、音を立てて崩れ去ってしまうという不安が、彼女の心を締め付けた。

しかし、ディアナを現実に引き戻したのは、その新しい出会いの中で、不器用に少しずつ育んできた絆だった。それは、彼女がどれだけ一人を望んでも、決して手放すことのできない、かけがえのないものだった。

背を向けて立つディアナを、クラリッサが優しく包み込むように抱きしめたのだ。その腕は、ディアナの心を縛り付けていた鎖を解き放ち、冷え切った体に温もりを与えた。言葉にならない安堵が、ディアナの胸に広がる。


「ディアナさん、……ありがとうございます」


やがて、クラリッサはゆっくりと顔を上げ、潤んだ瞳でディアナを見つめながら、静かに言葉を紡いだ。

たったそれだけの言葉だったが、クラリッサの深い感謝の気持ちは、その温もりとともに、痛いほどディアナの心に響いた。

ディアナは戸惑いながらも、その言葉を受け止めようとした。すると、いつの間にか彼女の周りを、助けた獣人の子供達が囲んでいた。彼らは一様に、キラキラと輝く瞳でディアナを見上げていた。


「お、おねぇちゃんありがとう」


「すごくかっこよかった!」


子供達は無垢な瞳と拙い言葉で、ディアナに感謝を伝えた。

その純粋な言葉に、ディアナの胸には温かい感情が広がる。しかし、同時に拭いきれない戸惑いも感じていた。そんなディアナの元に、アルマやマーヤがゆっくりと近づいてきた。彼女らは先ほどの戦闘で負ったダメージからまだ完全に回復していないようで、足取りはおぼつかない。それでも、彼女らの表情には安堵と、いつもの明るさが戻っていた。


「さすがディアナちゃんね」


「ええ、助かったわ」


疲れた様子ではあったが、彼女達は普段と変わらない様子でディアナに接し、心からの安堵を浮かべた笑顔を見せた。その変わらない態度に、ディアナは嬉しさを覚える。それでもディアナの戸惑いが晴れることはなかった。

その戸惑いが、思わず彼女の口から零れ落ちる。


「……どうして?」


ディアナの問いかけに、クラリッサたちはきょとんとした表情を浮かべるだけだった。そして、彼女たちの間に、まるで悪戯がバレた子供のような笑顔が広がっていく。彼女たちは一斉にディアナに詰め寄り、口々に言葉を浴びせた。


「もしかしてディアナさんは、わたくし達が貴女を拒絶するとでも思っていたのかしら?」


クラリッサが呆れたように問いかける。


「心外だわ。どれだけ凄い魔法を使っても、ディアナちゃんはディアナちゃんじゃない!?」


アルマが、いつものように茶目っ気たっぷりに続ける。


「どうしてわたし達がディアナちゃんを拒絶しないといけないのかしら?」


モニカが首を傾げながら、純粋な疑問を投げかける。


「助けてくれたのはディアナちゃんでしょ? わたし達が拒絶する理由なんてないじゃない!」


マーヤが、力強くディアナの手を握りながら言った。

ディアナの戸惑いを見透かしたように、クラリッサやアルマ、モニカやマーヤから、口々に非難するような声が上がった。それは、ディアナが抱える不安を打ち消し、彼女の存在を肯定する、温かく力強い言葉のシャワーだった。彼女たちの言葉は、ディアナの心に深く染み渡り、少しずつ、その戸惑いを溶かしていくのだった。


「……ありがとう」


ディアナは心から安堵したような笑顔を浮かべ、小さく感謝の言葉を紡いだ。その瞳には、張り詰めていた緊張の糸がようやく緩んだような、深い安堵の色が浮かんでいた。

彼女の顔には、過去の悪夢のような出来事によって刻まれた傷跡がまだ微かに残っていたが、彼女達の変わらぬ優しさに触れることで、ようやくその悪夢が払拭され、心に温かい光が差し込んだようだった。


「すげぇなお前! 嵐を呼ぶなんて、伝説のディアナ様みたいじゃねぇか!!」


少し遅れて合流したブルーノは、ディアナの目の前に立つと、開口一番に手放しの賞賛の言葉を叫んだ。その声は、広大な空に響き渡るように、力強く、そして純粋な感嘆に満ちていた。

彼の言葉は、ディアナの胸の奥深くに響き、凍りついていた感情をゆっくりと解き放っていった。そして、その瞬間、ディアナの顔にようやく心からの笑顔が戻った。

それは、過去の重荷から解放され、新たな未来へと踏み出すことのできる、希望に満ちた笑顔だった。彼女の笑顔は、まるで嵐の後の晴れ間のように、周囲を明るく照らし出した。

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